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覚醒2

 ハシマは肉体を離れ、フロウの世界へと足を踏み入れた。


 赤い光に乗って降り立ったフロウの世界は、透明な水晶の洞窟であった。

 見渡す限り水晶が連なり、ほのかに青い光を放っていた。

 その大小の水晶に囲まれて、見落としそうな細い道が奥へと続いていた。


 ハシマは、自分のもつ経験との違いに戸惑いをおぼえていた。

 以前は、相手の世界に侵入した途端、魑魅魍魎に襲われた。

 あるいは、文字通りの泥沼に引きずり込まれたこともあった。

 侵入者に対する迎撃態勢として、当然のことだと理解していた。

 また、感情的にもつれにもつれた相手の世界でもある。

 人の心の背負う業の世界とはそういうものだと、すんなりと受け入れられたのだ。


 しかし、フロウの世界は、どうも勝手が違っていた。

 フロウの世界は驚くほど静かだった。

 ハシマにまったく干渉してこなかった。

 何より、清廉な印象を受けた。


 何となく、ハシマは気恥ずかしさをおぼえた。






 

 ハシマは、水晶の洞窟の奥へ続く道を歩いて行った。


 時々、一つの水晶が小さく震え、それに他の水晶が共鳴して震える、といった現象があった。

 その時は、まるで、ハシマも水晶の一つであるかのように震えた。

 ハシマは寂しく思わされ、そこにフロウを感じ取った。


 魂の世界は、あらゆる感覚が明敏に響く。

 そのため、過去の経験では、快も不快も愛も憎しみも、何もかもが強烈に貫いてくる中、己の魂を頑なに守り生き抜いて、疲れ果てた。

 今回、この静かな世界には、かすかに漂う香りのような気配だけがあった。何の手出しもしてこなかった。その繊細な気配を確かめたくて、むしろハシマが余計に感度を高めてしまう有様だった。



 ハシマは一歩一歩進むごとに、フロウに魅せられていく自分に気づいた。


 なんてみずみずしい。

 なんて美しい。

 なんて心地よい。

 


 危険なことであった。

 この世界にとらわれ、抜け出せなくなってしまえば、自分もフロウも目覚めることはない。

 分かっているのに、その意識さえ霞みそうになった。




 ここにいて、溶けてしまいたい。




 気を抜くと、自分が失われてしまいそうだった。

 ハシマは、この禁呪の恐ろしさを初めて真に理解した。





 ハシマは、気を張って己を保ちながら歩いて行った。

 やがて、細い道が水晶に閉ざされ、途絶えた。


 行く手を阻む水晶の重なりの隙間から、先が見えた。

 ハシマが覗くと、中は広い空間になっていることが分かった。

 空間の奥に、一際大きな水晶があった。

 その水晶の中に、膝を抱えて閉じこもる人影が見えた。


 ハシマの胸がドクンと大きく鳴った。




 見つけた。




 ハシマの全身がうち震えた。

 ハシマは、はやる気持ちを抑えながら、慎重に水晶に触れた。


 先を閉ざす水晶は、硬質でありながらなめらかで温かかった。

 ハシマの魂は、その感触にさえ引きずられそうになり、必死に己を立て直した。


 ハシマは呪文を唱えた。

 水晶に触れるハシマの手から、赤い光があふれ出した。

 赤い光は水晶の隙間に入り込み、徐々に力を強めた。

 重なっていた水晶は左右に分かれ、閉ざされていた道が細く開かれた。


 ハシマは先を急いだ。

 水晶をかき分けるように、細い道を進んだ。

 そして、とうとう空間へと抜けた。






 広い空間の奥の大きな水晶の中に、膝を抱えた姿勢で閉じこもるフロウがいた。

 そのフロウに少し違和感をおぼえたが、それよりもハシマにとって驚くべきことがあった。


 隙間からは見えなかったが、空間には二人の少年たちがいた。


 一人は黒髪、一人は白金の髪、どちらにも見おぼえがあった。

 フロウがこっそりと遊んでいた少年たちだった。

 二人の少年たちは、水晶の中で丸くなっているフロウをただ見守るようにそこにいた。


 ハシマに生じたのは怒りだった。

 怒りは瞬く間に具現化し、紅蓮の炎がハシマを取り巻いた。

 すると、怯えるように水晶たちが震え、空間を埋めるように増殖し始めた。

 ハシマは慌てた。


 排除しようとしてはいけない。

 あの少年たちは、あくまでもフロウの一部だ。

 ハシマは必死に自分に言い聞かせた。

 あれもフロウだ。その証拠にあの少年たちは何も攻撃しては来ない。消え失せろと怒りを向けてはならない。むしろ、取り込むのだ。


 ハシマは、強靭な精神力で怒りを抑え込んだ。

 そして、攻撃性を消した赤い光を呼び出した。

 静かに呪文を唱えた。


 水晶は増殖をやめた。

 空間は半分の広さになってしまったが、フロウにたどり着ける余地は十分に残った。




 ハシマは、二人の少年たちのところへ歩み寄った。

 赤い光を手のひらの上に灯しながら、ハシマは少年たちに話しかけた。


「こんにちは」


 フロウを見上げていた少年たちが、ゆっくりとハシマを見た。

 ハシマは感情を揺らさぬよう、細心の注意を払った。


「フロウを助けに来ました。君たちもフロウを見守っているんだね。僕たちの目的は同じです」


 少年たちは何の感情も示さず、ハシマを見ていた。


「さっきは驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。僕も、君たちに驚いてしまって、つい。でも、怖がらせるつもりはなかったんです。ただ、フロウを助けたくてここに来たのです」


 ハシマは、赤い光を少年たちに差し出した。


「僕はむしろ、フロウを傷つけるものを許しません。僕がフロウを守ります。だから、力を貸してくれませんか」


 水晶と同じように、少年たちが小さく震えた。


「僕を、知っているでしょう?怖くない。大丈夫ですよ」


 少年たちはゆっくりと赤い光に手を伸ばした。

 手が触れた途端、赤い光は少年たちを吸い込んだ。

 ハシマは、その赤い光を飲み干した。





 少年たちにまつわるフロウの記憶の一部が、ハシマの中で読み込まれた。

 それは、断片的で不明確だった。

 だが、わずかに理解できたこともあった。


 今回の出来事の主犯は、黒髪の少年だ。黒髪の少年は、桁外れの魔術を使っている。

 また、フロウは、両方の少年たちと、体感的に強い接触を持っている。そして、皆がお互いに強い感情を抱いている。


 ハシマにとっては、気に入らない内容の連続だった。

 冷静になってから、読み込んだ情報を精査すれば、もう少し理解できることがあるだろう。

 ハシマは、今はこれ以上、怒りにつながりそうなことを突き詰めてはならない、と自制した。




 ハシマは、大きな水晶へと足早に歩き出した。

 そこにたどり着くと、ハシマは先ほど感じた違和感の正体に気がついた。

 フロウが縮こまって、膝に顔をうずめていたので、すぐには分からなかったのだ。


 フロウの姿は、ハシマの知る子どもの姿ではなかった。

 フロウは大人だった。


 ハシマは驚いた。

 ここに来て何度目の動揺か。

 一体、何の感情なのか分からない。

 浮ついて落ち着かなくなった。


「フロウちゃん」


 かすれた声で、ハシマは呼びかけた。


「フロウちゃん、僕です。目を開けて」


 ハシマの胸が怖いくらいに高鳴った。


「フロウちゃん、迎えに来ましたよ」


 フレアスカートの裾からのぞくつま先が、ピクリと動いた。

 それを皮切りに、水晶の中のフロウの全身が少しずつ動き始めた。

 長い栗色の髪の毛が揺れ、わずかに顔が上がってきた。

 ハシマは、その長いまつげにみとれた。


「フロウちゃん、もう怖くないから、出ていらっしゃい」


 伏せられていた目が開き、顔を上げたフロウがハシマを見た。

 ハシマの受けた衝撃は大きかった。


 これは。


 魂に響く衝撃に、ハシマは激しく揺さぶられた。

 言葉にならなかった。

 間違いなくフロウだった。

 だが、何なんだ、この女は。


 ハシマを惹きつけ、魅了してやまない女の口が動いた。


「ハシマさん」


 フロウに呼ばれ、ハシマの胸が張り裂けんばかりに鼓動した。

 その声には、紛れもない安堵と信頼の響きがあった。

 それを向けられたことに、魂が狂喜していた。


「フロウちゃん、フロウ」


 たまらずに呼びかけると、フロウを守り閉じ込めていた水晶が震動した。

 そして、水晶はサラサラと崩れて消えた。

 フロウがふわりと降り立った。


 ハシマの目の前に、美しく成長したフロウが立っていた。





「ハシマさん」


 フロウの瞳に涙が浮かび、こぼれ落ちた。


「怖かった」


 ハシマは、考える前にフロウを抱き締めていた。

 激しい鼓動がフロウに伝わった。

 フロウは人の温もりを確かめるかのように、ハシマの胸に耳を寄せた。

 ハシマはフロウの艶かしい感触に、また正気を失いそうになった。

 自らの存在を保つためにも、ハシマは口を開いた。


「フロウちゃん、この姿は」

「早く大人になりたいんです。子どもでいるのは怖い」


 恐怖から身を守ろうとした、フロウなりの自衛の体現とハシマは知った。


「僕がいれば大丈夫です。フロウちゃんが恐れるすべてのものから、守りますから」


 ハシマの両手は、まずいと訴える意思に逆らい、フロウの髪や背中をまさぐった。

 フロウに触れるほど、痺れるような快が生まれ、正気が溶け落ちそうになった。

 ハシマは、涙ぐましい努力で、必死に自分の感度を下げた。


「ハシマさん、私、ここから出るのが怖い」

「言ってごらんなさい。何が怖いのです」

「私はあそこから出てしまった。怖いです。とても怖い。ほら、来ます!」


 ハシマの腕の中のフロウが、怯えながら指差した。

 指の先にある斜め上方の水晶が、ピシピシとひび割れ始めた。

 水晶が割れ落ちた先には、真っ暗闇が広がっていた。


「いや!怖い!」


 フロウの叫びに反応し、暗闇からだらだらと血がこぼれ出した。

 フロウの抱える恐怖が現れたのだ。


 ハシマは正直、ホッとした。

 こういうものの方が、ずっと馴染み深く、自分自身が冷静でいられた。


「私がいます。何も怖くはありませんよ。ここにいなさい」


 ハシマはその場にフロウを座らせた。


 ハシマは、まったく怯むことなく、斜め上方に開いた暗闇に向かった。

 ハシマは空中に紋様を描いた。

 呪文を唱えると、紋様は赤い光を宿した。

 詠唱をしながら、ハシマはその紋様を暗闇に投げた。


 紋様は、驚くべき速さで、暗闇を吸い込んでいった。

 小さな紋様にもかかわらず、あふれ出る血も余さず、どこまでもどこまでも吸い込んだ。

 フロウが目を見張る中、とうとう暗闇も血もなくなってしまった。


 紋様が、ハシマの手の中に飛んで戻ってきた。

 紋様は、小さな黒い小箱に変化した。


 ハシマは、座るフロウの元へ行き、膝をつき、顔を覗き込んだ。


「ね。怖くないでしょう?」

「すごい。ハシマ先生」


 思わず先生と呼んだフロウの尊敬の念も、ハシマの心をくすぐった。

 ハシマは、フロウを抱き潰したいという衝動と戦いながら、小箱を置いて、フロウの両手をとった。


「僕と一緒にいなさい。そうすれば、何も怖くはない」

「はい。ハシマさん」


 フロウはハシマに、とろけるような信頼の眼差しを向けた。

 ハシマはたまらず、フロウの両手を持ち上げて、唇を寄せた。

 ハシマの唇を指先に受けて、フロウの頬が染まった。

 ハシマは目を細めて、フロウの瞳を見つめた。


「フロウちゃん、僕を信じてくれますか」

「勿論です」

「では、すべてを僕に任せて。ね」

「はい」


 はにかむようにフロウが頷いた。

 ハシマの全身を歓喜が走った。





 捕らえた。





 ハシマは、フロウの手を取ったまま、呪文を唱え始めた。

 フロウは安心しきって、ハシマにすべてを委ねた。

 ハシマから生じた赤い光は、手を介してフロウに潜りこんだ。


 フロウは目を閉じ、眉を寄せ、その感触に耐えるように唇を噛んだ。

 ハシマは、フロウに深く食い込み、恐怖につながる記憶を手繰り寄せた。


「ん」


 フロウから思わずもれた声に、ハシマの心身がビクッと反応した。

 目を閉じて耐える風情のフロウを見るのも、ハシマにとって目の毒だった。

 ハシマは自分の唇をなめ、目を閉じた。

 今一度、集中し直した。


 先ほど読み取った少年たちの記憶の欠片が、ガイドになった。

 ハシマは恐るべき正確さで、フロウを脅かす記憶と少年たちについての記憶を、選択的に封じ込めていった。白魔術に関する自覚も、危険につながるものとして封じた。

 最後には、すべてを閉じ込めた黒い小箱が残った。





 ハシマが目を開けると、少女の姿に戻ったフロウがいた。

 

「フロウちゃん、終わりましたよ」


 フロウがゆっくりと目を開けた。

 おずおずとハシマを見上げた。

 ハシマは微笑みかけた。


「どうです?まだ怖いですか?」

「いいえ、何も。全然、怖くないです」


 フロウは目を丸くした。

 ハシマは頷いた。


「この箱はここに置いていきます。僕が場所を知っているので、フロウちゃんは何も気にしなくていいです。僕のそばにいればいい。もし、箱のふたが開きそうで怖くなったら、僕が何度でも閉じてあげるから」


 フロウは怖々と箱を見た後、ハシマを見て頷いた。

 ハシマは満足そうに微笑み、フロウの手を取って立たせた。


「さあ、一緒に行きましょう」


 こうしてハシマは、フロウを救い上げたのだった。















 ハシマは、自分の寝室で肉体に還った。

 凄まじい疲労をおぼえた。

 のろのろと身を起こし、ベッドの上を確認した。

 

 頬にバラ色を乗せ、穏やかな呼吸で眠るフロウがいた。


 こうして、ハシマの人生をかけた魔術は成功裏に終わったのだった。

 




 ハシマは、床に座ってベッドに肘をつき、フロウを見ながら考えていた。

 学院時代、あらゆる激しい感情の波は、体験し尽くしたと思い込んでいた。

 しかし、フロウに対しては、未知の感情や感覚が動いた。

 激情だけでもない。時間をかけて積み上げたフロウとの日々は、深い信頼の重みを有していた。



 フロウはもはや自分の一部。

 なんていとおしい。



 その上、ハシマはフロウの魂の心地よさにも触れた。

 大人のフロウにも出会ってしまった。

 どうしようもなく上乗せされる思いがあった。



 苦しくてたまらない。

 胸が焼き切れる。

 愛している。



 天才ハシマは、かつてない明確なベクトルを得た。

 ハシマはすっかり自分になった。

 厄介だと思いながら、すがすがしくもあった。



 フロウを決して離さない。



 強い思いの中、ハシマは眠りに落ちた。
















「フロウちゃん、表の掃除が終わったら、裏もお願いします」

「はい。分かりました」


 フロウはほうきを持つ手を止めて、店の中にいるハシマに返事をした。

 朝、裏通りの古書店の店先を、掃き清めているところだった。

 フロウは、住み込みでハシマに弟子入りしていた。




 きっかけは、1週間前のことだった。

 フロウは目覚めると、見知らぬ寝室にいた。

 フロウがぼんやりしていると、部屋にハシマが入ってきた。

 あれこれと医師の問診のようなやり取りをした後、ハシマが説明してくれた。


 ある日、古書店に来るべき時間にフロウが来なかった。

 初めてのことなので、ハシマが心配して、家まで見に行った。

 家を訪ねても応答がなかったが、鍵が開いていた。

 不安になってハシマが入ると、フロウが倒れていた。


 フロウは大きな病気を発症していた。

 死にかけていた。

 ハシマは治療のため、古書店にフロウを連れ帰った。

 白魔術を施し、今やっとフロウが回復した。


 そういう話だった。

 それほどの病気だったから、記憶が曖昧なのかとフロウは納得した。

 ハシマも心なしかやつれており、懸命に看病してくれたのだと分かった。



 そんなタイミングに、フロウの母マルタが古書店を訪ねてきた。

 ハシマが対応した。

 マルタは、焦った様子でハシマに聞いた。


 今日は古書店での勉強は休みで、フロウが必ず家にいる日のはずだ。家の鍵が開きっぱなしだった。ベッドもいつもはきちんとしている子なのに、寝乱れたままだった。フロウを知らないか。


 フロウは、ベッドから起き上がり、店舗に続く小部屋にいて、マルタの声を聞いていた。

 フロウが必ず家にいる日を知っていたのかと驚いた。


 ハシマは、フロウが大病で危険だったという先ほどの話を繰り返した。


 マルタは青ざめた。

 フロウは小部屋を出て、ハシマとマルタのいる飴色のガラス戸のところへ行った。

 マルタはフロウに気がついた。

 フロウ!と声を上げ、マルタはフロウに駆け寄って抱きしめた。


 マルタは怒り出した。

 手を出すなと言ったのに、パジャマ姿のフロウを連れ出すとは何事だ、とわめいた。


 ハシマは、フロウが聞いているだけでも凍りつきそうな冷たい声でマルタに言った。


 フロウを放って好き勝手に生きるあなたのもとに、フロウは置けない。

 フロウには、住み込みで修業をしてもらおうと思っている。

 僕がフロウを保護する。


 マルタは愕然として、それから慌ててフロウに尋ねた。

 お母さんと一緒がいいわよね。


 フロウは、あれほど求めていた母親をどこか遠くに感じていた。

 もう大丈夫、もういい、と思えた。

 フロウはマルタに言った。


 お母さん、私は、生きるための力を自分でつけていきたいの。

 ハシマさんに教わって、頑張って、立派な薬師になってみせるから。


 マルタは泣き崩れた。

 しかし、フロウは揺るがなかった。

 やがて、マルタが折れた。


 こうして、フロウはハシマと寝食を共にするようになった。

 ハシマの家に一室を与えられ、家事を分担しながら、薬について学ぶ日々が始まったのだった。


 夜、大人が必ず家にいるというだけで、これほど安心するものなのかと、フロウは知った。

 毎食、一緒に食卓を囲む人がいるという喜びも知った。

 ハシマはフロウに、あなたが生きるために必要なすべてを与える、と告げた。


 フロウは、ここに来て、とてつもない安心感に包まれていた。

 




 フロウは、せっせとほうきを動かした。

 裏の掃除もあるのだからと、少し急いだ。

 ふと、空を見上げた。

 雲一つない青空だった。

 澄み渡り、何も遮るものはなく、どこまでも広がっていた。



 

 とても大切な何かを、どこかに置き忘れたような。




 何もない空を見て、フロウに兆した思いは、ごくごく小さなものであった。

 あまりにもささやかで、フロウはすぐに忘れた。


 フロウの意識は、目の前の掃除のことに戻っていったのだった。 

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