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それぞれの道

 四ツ辻の肉屋の一件から数日後、金庫バアは、全員集合の号令をかけた。

 今後について話そう、という呼びかけだった。




 この数日間、シェイドはギルから、まことの黒や両親について話を聞いていた。


 ギルは、まだ一人で歩くのが難しい状態で、1日の多くをベッドで過ごしていた。

 なぜだか、ギルは、金庫バアのベッドを占領していた。

 金庫バアは、文句を言いながら、簡易ベッドを使い、ギルの世話をしていた。


 ギルが話すときは、金庫バアがギルの背中側にクッションをつめこんだ。

 そうして上体を起こし、疲れすぎないよう短時間、話をした。

 シェイドは、毎日少しずつ、自分のことを知っていった。

 



 まじない歌を歌うという母親の話は、シェイドのわずかに残る幼い頃の記憶と重なるものがあった。

 シェイドを連れて、夜から夜へと逃げる日々の中でも、母親は子守唄を歌い続けていた。

 それを聞いて、ギルは頷いた。


「シェイドの命を守るためだ。シェイドの力とその存在自体を、人目に付く日差しの下から、覆い隠し続けたのだ」


 シェイドは、生まれた時から隠し守られていた。

 シェイドは、両親に愛され、生かされてきたのだと知った。


 ここまでの道は決して楽なものではなかった。自分が生まれ、生きていること自体を、憎しむこともあった。

 まじない歌は、黒い力を狙う視線に限っては、さえぎってくれた。

 しかし、それ以外の労苦からは一切守ってくれなかった。

 だが、いいと思えた。そうして愛されてきたのなら、もうこれでいい、と。


 ギルからもたらされた事実は、シェイドの奥底にあった揺らぎを、ピタリと止めたのだった。


 





 金庫バアの号令のもと、その夜、アジトの8階、金庫バアの寝室に、9人が集まった。

 ギルはベッドの上で、上半身を起こしていた。

 金庫バアは、その横にイスを置き、座っていた。


 大勢集まるということで、寝室には急遽、応接セットが持ち込まれた。

 3人掛けのソファに、アニヤとアネモネが座った。その向かいの一人掛けソファには、キングが座った。キングの隣の一人掛けソファに、嬉々としてヒルダが腰掛けた。

 シェイドたち3人は、立っていた。



「皆、ご苦労。先日の疲れがまだ残っていると思うが、早い方がいいだろうと思ってね。それぞれの今後について話をしたい」

 

 金庫バアが切りだすと、ギルが話を続けた。


「シェイド。君のことを最初に話したい」


 シェイドは背筋を伸ばし、ギルの方を向いた。

 ギルは、穏やかな深い声で話した。


「まことの黒には、受け継がれる力がある。それについて教えられる人間、その系譜を語ることのできる人間に会いなさい」

「ギルさんではダメなのですか」


 シェイドは問いかけた。

 ギルは頷き、答えた。


「まことの黒の直系は、非常に特殊な力と歴史を有し、それを秘匿している。君の祖母が最後の語り部だ」


 自分の祖母が生きている。

 シェイドは驚いた。心臓が高鳴った。


「シェイドの母親のまじない歌は、さても凄まじいものだ。危機を過ぎたら、再び君の力を覆ってしまった。だが、少し、見え始めていることも変わらない。成長とともに、黒い力は再び開花する。君は、その力について深く知るべきだ。君のおばあさんにまずは会いなさい」

「おばあさん」


 口にすると、シェイドは余計にドキドキした。


「まことの黒の生き残りの中には、君を旗印として、かつての権勢を取り戻したいと願う者たちもいる。まことの黒は、確かに巨大な勢力だった。だが、ある意味では、膨れて行きづまって、はじけたとも言える。終わりにするか、始まりにするか、どう生きるか、自分で選べるように、力をつけなさい」


 ギルの話に含まれるきな臭さに、シェイドは浮かれた気持ちを引き締め直した。

 ギルは淡々と続けた。


「どちらにしても、君は命を狙われ続ける運命だ」


 シェイドは腕を下ろしたまま、拳を握った。

 避けられないなら、受けて立つ。そう覚悟を決めていた。

 シェイドの闘志を受け、ギルは頷いた。


「シェイドが生きていることは、すでにシッコクには広まっている。どのみち、その力は消せない。過去の遺恨の為、その力を問答無用で憎む者たちもいる。恐れ、疎ましく思う者たちもいる」


 ギルはキングを見た。


「キングが君を連れていく。ニア国を出る長い旅路になる。おばあさんだけではない。力の使い方に長けた一族の者も生きている。貪欲に教えを請いなさい。君は己の真価を知り、大いなる力を手にするだろう」


 キングがソファにかけたまま、右手を上げた。

 シェイドはキングに一礼した。






「さて、今度は、タタとカラカラだ」


 金庫バアが二人を見すえた。

 見通す力を失ったはずなのだが、タタとカラカラは、すべてを見られているように感じた。


「お前たちは、シェイドとお別れだ。聞いて分かるだろう。ともに行くのは危険すぎる」


 タタとカラカラは目を見合わせた。

 シェイドとともに行くなと言われた安堵と、危険と天秤にかけ、シェイドとの別れを選んでしまう罪悪感とが浮かんでいた。


「お前たちには、これから、心に巣食う恐怖との戦いが待っている。それは、しばらく続くはずだ。今はまだ、心が麻痺しているから分からないだろう。落ち着いたら出てくる。慣れた組織で、日常を生きて、戦うんだ」


 金庫バアから、戦うのだと言われ、タタとカラカラは恐々としつつ、なぜだかほっとした。

 自分たちにもやるべきことがあると思えた。


 ギルが付け加えた。


「二人は、シェイドのアキレス腱でもある。存在を知られてはならない。組織に守られている必要がある」


 タタとカラカラは今度こそ、力強く頷いた。







「アニヤ、アネモネ、お前たちはどうする」


 金庫バアは、年長の二人に問いかけた。もともと二人は、今後の進路を決める時期に来ていた。




 アニヤは隣に座るアネモネを見て、まっすぐに言った。


「アネモネ、俺とともに来てくれないか」


 アネモネはうつむいていた。

 その硬い横顔を、アニヤは恐れた。

 やがて、アネモネが言った。




「ごめんなさい。私は、ここに残る」




 恐れが現実となった。

 アニヤは言葉を失った。

 小指一つ、動かすことができなくなった。

 先日、アネモネの唇が触れた口元の傷だけが、妙にリアルに痛んだ。


 アネモネは顔を上げ、アニヤを見た。

 銀色の短い髪がさらりと揺れた。


「タタとカラカラは、これから本当に怖い思いをする。そばにいてあげたい。ううん。それだけじゃない。他の子たちにも、私ができることをしたい」


 アニヤの目に、アネモネは美しく映った。

 アネモネは、のんびりとしてはいるが、こうと決めたら揺るがない芯がある。

 その凛とした姿を、アニヤはこの上なくいとおしく思ってきた。

 まさか、その凛々しさゆえにフラれるとは。


 アネモネは、真摯に語った。


「今まで、何となく考えていて、それでも迷っていた。今回の出来事があって、私の中で、それが形になったの。金庫バアとも前から少し話してはいたけれど、金庫バアの家に間借りして、子どもたちの世話をしようと思う」




 キングは間違いなく、この場の誰よりもハラハラしていて、落ち着きがなかった。苦い顔で、右手を握っては開き、握っては開き、と繰り返していた。


 あまりにもだらしないぞ、アニヤ。そこは男らしく押せ。むしろ押し倒せ。今だろ。

 アネモネ、アニヤとあんなに仲がいいのに。何がダメなんだ。やっぱり悪い女だな。いいから妥協しろ。


 キングの思考は、乱れに乱れた。




 アニヤがゆっくりと話し出した。


「俺は、ミドリ地区で、便利屋をしようと思っている」


 アネモネが初めて聞く、アニヤの今後の話だった。

 それは、アニヤとともに歩むはずだった未来の話だ。アネモネがたった今、手離した未来だ。

 いつか、その未来を惜しむことがあるのだろうか。

 アネモネは、しっかりと聞こうと思った。


 アニヤは続けた。


「先輩が先に成功している。俺はずっと先輩の仕事を手伝ってきたし、経営についても教わっている。先輩の店は、客が増えて、仕事を断ることが増えてきている。俺が店を開いたら、筋のいい客を回してくれると言っている」


 アネモネは頷いた。

 その店を、アニヤとともに切り盛りする未来。

 アネモネは静かに思い浮かべていた。


 アニヤは尚も続けた。


「先輩は、便利屋の成功を受けて、今度は食堂も始めようとしている。子どもが大きくなって、学校に行き始めた。食堂は奥さんの夢だったそうだ。多角経営だと張りきっていた」


 子どもの話が出て、アネモネはふいに胸を突かれた。

 アニヤとの別れによって失うものを意識させられた。

 きっと温かな家庭を築いたはずだ。

 じわりと涙がにじんだ。

 それでも曲げられない己があった。

 自分のかたくなさに胸が詰まった。


 涙を見せるのが嫌で、アネモネは少し顔を伏せた。


 アニヤは、アネモネの頬に右手を伸ばした。


「アネモネ」


 慣れ親しんだアニヤの声と手の感触に、胸が震えた。

 涙がこらえ切れなかった。


「アネモネが足りない」


 アニヤの染みいるような声色に、アネモネの我慢は限界を迎えた。

 瞳から、一滴、また一滴と、大粒の涙がこぼれて落ちた。

 アニヤは、噛んで含めるように、一言ずつ言った。





「俺が、組織のガキどもの、受け皿になろう」




 アネモネは、アニヤの言っていることに理解が追いつかず、動けないままでいた。

 アニヤは、左手もアネモネの頬に伸ばした。

 そして、すくい上げるように、アネモネの顔を上向かせた。


「俺も、組織を離れない。もし、道が重なるのなら、ともに生きてくれるのか?」


 アネモネの潤んだ視界の先に、熱のこもったアニヤのまなざしがあった。


「俺は店を成功させるため、昼夜を問わず働くつもりだ。店は必ず軌道に乗せる。そうしたら、人手がいる。組織のガキどもにやる気があるのなら、雇ってやれるようになる」


 アネモネの頬に置かれたアニヤの手は、温かかった。

 そして、アネモネを逃すまいとする、不動の力がこめられていた。

 アネモネのかたくなな心が震えた。

 

「毎日一緒にはいられない。だが、ミドリ地区にある俺の家は、アネモネの家だ。ガキどもに疲れたら、いつでも家で休めばいい。俺も時間を見つけて、アネモネに会いに行く」


 アネモネは、あふれる涙でアニヤが見えなくなった。

 何も諦めなくていい、そんな都合のよい未来が本当にあるのか。


「アネモネ。俺と一緒に生きてよ」


 アニヤに無理を強いているのかもしれない。

 どこかで限界が来るやり方なのかもしれない。

 離れている時間が長い分、心がすれ違うかもしれない。

 アネモネの中を、いろいろな思いがよぎった。

 しかし、そういった思いを超えて、体が先に動いた。


 アネモネは、アニヤの首に腕を回し、抱きついた。

 アニヤは、アネモネの頬から手を外し、抱き返した。


「私はアニヤと生きる」


 アニヤは、まぶたを閉じた。

 そして、アネモネをきつく抱きしめた。




 キングは、二の腕の鳥肌をさすりながら、うむうむと何度も頷いていた。


 シェイドたち3人は、抱き合うアニヤとアネモネを直視していいのか分からず、そっと体を横向けていた。









「さてと。アニヤとアネモネの行く道も決まった。次は、ヒルダ、お前だ」


 食い入るようにアニヤとアネモネを見ていたヒルダは、金庫バアに呼ばれてすぐに反応した。


「あたし」


 ヒルダは、目を輝かせて金庫バアを見た。ちなみに、先のことは、何も考えていなかった。

 金庫バアは、ため息をついた。


「何の考えもない顔だ」

「だって、仕方がないじゃない」

「何が仕方ないだ」

「あたしらしいだろ」


 ヒルダは甘えた口調で言った。

 金庫バアは、眉間を指でもんだ。


「ヒルダ。心を入れ替えて、組織に戻るかい?」

「いいの?そうする!あたし、頑張るよ!」


 金庫バアの提案に、ヒルダは、即飛び付いた。

 あっという間に話がまとまったのかと思われたその時、異議が挟まれた。


「いいわけないだろ」


 キングだった。

 金庫バアは、片眉を上げてキングを見た。

 ヒルダはポカンとして、隣のソファに座るキングを振り返った。

 キングはため息をついた。


「金庫バア、言わせてもらいますが、あなたとヒルダだと、きっと同じ失敗を繰り返します」

「え!あたし、心を入れ替えて頑張るったら!」

「無理だ。お前は放っておかれると一人で動けないし、甘えが許されるとどこまでも甘える。金庫バアから独立しろ。厳しくしつけてくれる場に、身を置くべきだ」

「そんな!ひどい!」


 金庫バアは、確かに、とつぶやいた。

 アニヤ、アネモネ、シェイド、タタ、カラカラは、キングの言葉にそろって頷いた。

 ヒルダは怖じ気づき、唇を噛んでキングを見た。

 キングはヒルダに言った。


「俺のところで引き取ろう」

「え!」


 ヒルダの頬が染まった。ついでに、思考も一瞬にしてピンク色になった。

 キングがげんなりとした表情で言った。


「妙な勘違いはするな。雇うと言っている。シッコクにある俺の屋敷だ。うちの侍女頭が、温かく厳しくしごいてくれる」

 

 ヒルダはいっぺんに不満顔となり、チッと舌打ちまでした。

 その態度に、金庫バアはカッとなって声を上げかけた。

 ギルが、手を伸ばして止めた。

 金庫バアが怪訝な顔をしてギルを見ると、ギルは視線でキングの方へと注目をうながした。


「勿論、屋敷には、俺もたまに帰るから。きちんと出迎えてくれるんだろ?」


 キングがさらりと言った。

 ヒルダの表情が緩んだ。


「うん」


 ヒルダはおとなしく頷いた。


「いい子だ」


 キングが、ヒルダの頭をポンポンとなでた。

 ヒルダは、幼子のように、モジモジと照れた。




 金庫バアは、唖然としてギルを見た。

 ギルは穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。


 アニヤとアネモネは向かいのソファで、さすがだ、とヒソヒソ話をした。

 勿論、キングは二人をにらみつけた。


 その後キングは、マッド、ペドロ、ドーブたち3人も、引き受けることを告げた。

 自分は不在が多いが、家の者たちは老若男女問わず、すべて手練れの猛者なので問題ないと話した。

 金庫バアは、同意した。

 







「やれやれ。それぞれ落ち着くところに落ち着いたか」


 金庫バアは、ふーっと長い息を吐いた。


「さて。あたしのことだ」


 話は終わったものと思っていた面々は、驚いて金庫バアを見た。

 金庫バアは自分で肩をもんだ。


「あたしも年だ。隠居していい時期だろう」


 シェイドたち3人は、目を見開いて顔を見合わせた。

 思いもよらないことだった。

 金庫バアは、アニヤとアネモネを見た。


「お前たち、特にアネモネに組織を任せたい。あたしは相談役に引っ込む」


 アネモネは、泣き濡れて赤くなった目を、ぱちくりとさせた。


「私?」


 金庫バアは頷いた。


「組織を続けても構わない。いずれつぶしても構わない。運営の仕方も問わない。とにかく、今いるチビどもの面倒を見てほしい。資金はたんまりある」


 金庫バアは、寝室の奥に鎮座する大きな金庫を指差した。


「アニヤがにらみをきかせていれば、いつもここにいなくても大きな問題はないはずだ。アネモネ、お前ならやれる。どうだい、組織を担ってくれないか?」


 アネモネは、タタとカラカラを見た。

 二人は激しく首肯した。

 アネモネは、アニヤを見た。

 アニヤは、傷のない方の唇の端を、器用に持ち上げて笑った。

 アネモネは、金庫バアに顔を向けた。


「やります」


 金庫バアは、肩の力を抜いた。


「ギルが回復するまで、しばらくはここにいるつもりだ。あたしのあらゆる知識を、アネモネに教えよう。それから、次の行き先を決めるさ」


 ギルが、ベッドの上から、何とも楽しげに言った。


「釣りのできる川の近くへ行こう。釣った魚は私がさばく。それを肴に、あなたと酒が飲みたい」

「お前が転がり込んで来て、いろいろ予定が狂ってしまった。だが、今さらなことだ。釣りでも何でも付き合うさ」


 ギルは穏やかに微笑んだ。

 キングが、うむうむと頷いていた。






 シェイドは、部屋にいる皆を見回した。

 あれほどの出来事があったにもかかわらず、全員が無事に生き残った。

 そして今、誰もが次の道を見定めた。

 部屋は明るく、温かかった。

 シェイドの大切な人たちが、笑っていた。


 こういうのがいい、とてもいい。シェイドは、じんわりとその感触を噛みしめた。



 次の道には、次の艱難辛苦があるのだろう。

 それでも、そこには希望があった。


 だから、歩き出せる。


 シェイドの目は、未来を見ていた。

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