真夜中の終わり
四ツ辻の肉屋の地下室で、まばゆい光がはじけて消えた。
地下室にいた面々は、目を覆っていた手をゆっくりと外した。
地下室は、蛍光灯に照らされていた。
平凡で均一な明るさだった。
まばゆい光が消えた中心には、子どもに戻ったシェイドがぼんやりと立っていた。
シェイドは先ほどまで、骨を砕かれ、肉をすりつぶされるような感覚と痛みにさいなまれていた。
途中で意識を手放した。
そうして、シェイドの変化は終わったのだが、いまだ、記憶はなめらかにつながりきることなく、シェイドの意識は不明瞭であった。
そんなシェイドのかたわらに、同じく子どもに戻ったミカエルが立っていた。
ミカエルは、半透明の幽体であった。
ミカエルは、比較的しっかりとした顔つきで、状況を確かめるように周囲を見ていた。
ミカエルとは反対の側に、フロウもいた。
フロウもすでに元の子どもの状態に戻っていた。そして、やはり半透明の幽体であった。
半透明のフロウが、眠るカラカラに膝枕をしていた。
それは、見ている者が度肝を抜かれるような光景なのだが、むしろ、当のフロウの方がオロオロとしていた。
フロウは急に訳の分からない状況におかれ、ビクビクとおびえながら辺りを見回していた。
金庫バアは、シェイドとフロウとミカエルを見て、カラカラに目を移した。
「見通しの悪い目は、不自由なもんだね」
一体、何が起こったものやら、と金庫バアはつぶやいた。
「タタ、カラカラを引き取りな」
金庫バアの端的な指示に、タタがはっとして顔を上げた。
蛍光灯に照らされた地下室は、何とも無残な状況だった。
床は多くの箇所がひび割れ、砕けた石が大小に突き出していた。
魔法陣は崩れ、もはや意味をなすものではなかった。
唯一の家具、ソファは、ひっくり返って奥の壁に寄りかかっていた。
歪んだ大きな鳥かごが、天井から吊り下がっていた。
ギルは、わずかに平らに残った床で横になっていた。
金庫バアはその横に正座していた。
そして、地下室の入口に近い場所に、シェイドと半透明の二人と、カラカラがいた。
タタは、キング、アニヤとともに壁際にいた。
アニヤは、キングに肩を支えられながら、ゆっくりと立ち上がったところだった。
タタは、キングとアニヤにペコリとおじぎをしてから、カラカラのもとへと走り出した。
半ば透けている不可思議なフロウに、タタはどぎまぎと会釈をした。
フロウは、ギクシャクとおじぎを返した。
タタは座って、カラカラの頭をフロウから自分の膝に移した。
カラカラが移動の揺れを受けて、少し顔をしかめた。
「カラカラ、カラカラ」
タタの呼びかけに答えるように、カラカラのまぶたがゆっくりと持ち上がった。
カラカラの瞳がゆらゆらと動いた。
視線は少しさまよった後、タタにとどまった。
「タタ」
かすれた声で、カラカラが言った。
タタだけではなく、その場の全員が、カラカラの無事を確認した。
カラカラは、タタに支えられて、身を起こした。
タタは、ほーっと長い息を吐いた。
防衛本能ゆえか、カラカラの恐怖心はロックされていた。
そのため、カラカラは、かりそめの平常心で周囲を見渡すことができた。
なぜだか、やけにうれしそうに自分を見つめる半透明の女の子を見たとき、カラカラは思わず驚きの声を上げた。
「お化け」
言われたはずのフロウは、お化けはどこにいるのだ、と慌てた。
キョロキョロ周囲を見渡すフロウに、ミカエルがプッと吹き出しながら言った。
「違う違う。フロウのことだよ」
ミカエルの温かな声色に、フロウは少し落ち着きを取り戻した。
そして、フロウは半透明の自分の体を見下ろした。
そっか、私か、とつぶやき、フロウは納得した表情で頷いた。
シェイドは、それぞれのやり取り、様子を見ながら、徐々に自分を取り戻していった。
大切な人たちがそこにいた。ともに危機を超えたのだと確認した。
「で、シェイド、そこの二人は何なんだい?」
金庫バアが、本題とばかりに尋ねた。
キングに肩を借りながら、アニヤもゆっくり歩いて来た。
皆が集まり、シェイドの答えを待った。
シェイドは、フロウを見た。
「こっちは、フロウ。白魔術が使えます。カラカラの傷を治してくれた」
シェイドの瞳に感謝の色が浮かんだ。
フロウは、喜びで頬を染めた。
シェイドは次に、ミカエルを見た。
「こっちは、ミカエル。さっきのメルトは、俺とミカエルが、何ていうか、混ざっていました。俺たち二人でメルトになれた。金庫バアの言い方を借りると、たぶん、力の相性がいいんだと思います。四ツ辻の肉屋を倒す力を貸してくれた」
シェイドの言葉に、ミカエルはほほ笑みを返した。
「二人は別にお化けじゃない。普通の人間です。俺の訳の分からない力が、助けを求めて呼び寄せた。体までは、連れてこられなかったみたいです」
金庫バアは、ふうむ、と軽く首をかしげ、もう一つ聞いた。
「お前とは、どういう知り合いだ」
シェイドは、一拍の間をおいて、言った。
「友達」
その発言の波紋は大きかった。
シェイドを知る金庫バア、アニヤ、タタ、カラカラは、半ば凍りついた。
中でも、タタとカラカラの衝撃が最も大きかった。
「友達、いたのか」
代表するように、タタの乾いたつぶやきがもれた。
凄まじい気まずさに、シェイドの目が泳いだ。
タタは、二人がお化けじゃないと知ると、なぜだか半透明であることが、さほど気にならなくなってきた。
何しろ、あの友達をつくれないシェイドの友達である。
そうであることのほうが気になった。
特に、フロウは目を引いた。
タタは、フロウをじっと見た。
視線を感じて、フロウは恥ずかしくなり、また赤くなった。
「なんて、可愛い」
思わずタタがもらすと、驚くべき速さでシェイドが言った。
「俺の女だから!」
聞いた全員が絶句した。
言ったシェイドは、ガバッと両手で口を押さえた。
シェイドの顔は真っ赤だった。
フロウも湯気が出そうなほど赤くなった。
両頬を手で押さえ、ほてりを冷まそうとしたが、止まらなかった。
正直、うれし過ぎて、どうしていいか分からなかった。
アニヤは、口元の傷が痛むのも構わず、ほほ笑んでしまった。
見たこともない、かわいらしいシェイドだった。
あんな顔もできるのだと思い、アニヤは安心した。
さてはシェイドの奴、俺とアネモネとのやり取りを見てたのか、などど、アニヤは心の片隅で思ったりもした。
カラカラはあまりの衝撃に、何を言っていいのか分からなくなってしまった。
「見て、鳥肌」
「分かる。シェイドってこんな奴だったのか」
カラカラは、タタとショックを分かち合った。
「僕は、シェイドとさっきまで混ざっていたから、分かるよ。フロウに向ける感覚っていうか、あれは、何て言うか。すごかったから」
ミカエルの発言は、二人に理解を示すようでいて、実のところ、まったくフォローにはなっていなかった。
シェイドとフロウは、首まで赤くなった。
3人とも、子どもに戻ったため、大人の時のような感覚はなくなっていた。
しかし、何があったか、何をしたのか、記憶はしっかりと残っていた。
ふと、カラカラとミカエルの目が合った。
ミカエルのまなざしは、驚くほど温かかった。
「カラカラちゃんだよね。つらかったでしょう。助かってよかった」
カラカラの心臓がドキンと大きく鳴った。
慌ててペコッとおじぎをした。
ミカエルが笑った。
やばい、とカラカラの口が動いた。かっこよすぎる。
カラカラは、自分の知らない世界があることを感じた。
タタは、カラカラを横目に、小さく舌打ちをした。
にぎやかなことだ、とこぼしながら、金庫バアは、危機が完全に去ったことに安堵の息を吐いた。
キングは、ギルの上半身を抱き起こした。
「ギルさん、シェイドで間違いありませんか」
ギルは、キングに支えられながら答えた。
「間違いない。まことの黒だ」
ハッとした様子で、シェイドは見知らぬ二人を見た。
自分のこの力の正体について話していると察した。
「ところで」
ギルは、ゆるやかに続けた。
「そこの幽体の二人、命が危ない」
緩み切っていた金庫バアが、ぎょっとしてギルを見た。
「魂にかかった負荷が大きい。体に戻りきれない可能性がある」
「お前は!大事なことは、もっと早く言えとあれほど!」
金庫バアが声を荒げた。
シェイドは慌てて二人を送り返そうと試みた。
シェイドは驚いた。
やり方が、よく分からなくなっていた。
青ざめるシェイドに、ギルが言った。
「黒い力が再び覆われている。私が援助しよう」
シェイドはギルに駆け寄った。
導かれるまま、ギルの手をとった。
ギルは、キングに背を支えられた姿勢のまま、シェイドの両手の上に乗せた左手に術を展開した。
ギルの力がシェイドに静かに流れ込んだ。
それは、見知らぬ力であるはずなのに、違和感なくシェイドの体をめぐった。
ギルの力にガイドされ、シェイドの力は再び空間を開いた。
地下室に、黒い窓が現れた。
暗闇に星屑が散りばめられているような空間が、窓の奥に広がっていた。
タタとカラカラは、ポカンと見ていた。
金庫バアとキングとアニヤは、興味深く見守っていた。
フロウとミカエルは、窓の近くに進み、その後の指示を待った。
「シェイド。あなたは、この力のすべてを知るために、忙殺されることになる」
ふいにギルが言った。
シェイドはギルを見た。
自分によく似た黒い瞳だと思った。
「そのうち、ニア国を離れる。その二人には、長く会えない日々となるだろう」
ギルは、シェイドの手を解放するようにそっと押し出し、うながした。
シェイドは頷いて、フロウとミカエルのもとへ急いだ。
シェイドとフロウとミカエルは手をつなぎ、窓へ飛び込んだ。
窓の中の空間は、闇色から乳色へと染まった。
それは、大河のように、ゆっくりと流れた。
「シェイド、必ず未来で会おう」
ミカエルが、瞳に強い力をこめて言った。
先ほどのギルの言葉は、ミカエルにもフロウにも聞こえていた。
「ミカエル。本当にありがとう。ミカエルが来てくれなかったら、勝つことはできなかった」
「こちらこそ、呼んでくれてありがとう。僕は、シェイドと混ざった時に、シェイドのいろんなことを知った。知れば知るほど、好きになった。シェイドも僕を知ったでしょう?」
「うん。何もかも知った」
ミカエルは、シェイドに抱きついた。
シェイドはその率直さを愛し、抱き返した。
「次に会う時、僕は今よりずっと強い男になっている」
ミカエルはそう言って、抱擁を解いた。
ミカエルはフロウに向かった。
「フロウ。両親のことがあるから、やっぱりしばらくは会えないと思う」
フロウは覚悟していた。
それでも、涙が出そうになった。懸命にこらえた。
ミカエルは、フロウを抱きしめた。
「それでも、必ず再会する」
フロウは、ミカエルの力強い腕の感触を決して忘れまいと思った。
「僕とフロウは、一生つながっている」
「私は、ミカエルの妹」
二人は体を離した。
「私は、シェイドの女」
フロウは、シェイドを見た。
シェイドは、フロウの輝く瞳を見返した。
求められている。だが、別れの決意を秘めている。
相変わらず、なんて雄弁な瞳だろうとシェイドは思った。
そのまなざしを向けられるたびに、シェイドは自覚するのだ。
強く求めているのは、自分の方だと。
「たとえ、すぐに会えなくても、私は精一杯、生きる。自分の力で生きていけるように、歩き続ける」
フロウは、潤んだ瞳で、しかし泣きはせずに言った。
「いつか会えるよね」
シェイドは、二人に向けて言った。
「一生の借りだ」
空間の流れが速さを増してきた。
「俺が必ず、フロウとミカエルを探し出す!きっとまた会おう!」
シェイドの叫びに送られるように、幽体の二人は流されて行った。
シェイドはその場に残された。
空間はあっという間にかき消えて、シェイドは元の地下室に立っていた。
キングはギルに尋ねた。
「命が危ないと言っていましたが、あの二人は大丈夫なのでしょうか」
「少年ミカエルは、見るからに生命力が強い。耐えきるだろう」
ギルは、小さく笑みを含んで続けた。
「少女フロウ。あの娘には、非常に流麗で堅固な術がかかっていた。それ自体は簡単な術ではあるが。しかし、あれほど見事にしかけるような術者がそばにいるのならば、フロウをたやすく手離しはしないだろう」
キングは、やれやれとため息をついた。
一行は、アネモネ、ヒルダと合流し、地下室を抜けた。
再会を喜びながら、支えあい、しかし速やかに動いた。
四ツ辻の肉屋の外は、真っ暗な夜だった。
黄土色に光る森は、すでになかった。
星が瞬き、月が瓦礫を照らしていた。
キングたちの乗ってきた自動車と、金庫バアたちの乗ってきたバイクに分乗した。
そして、全員そろって、無事にアジトへ帰りついたのだった。