援護2
キングは、細く開いた引き戸の隙間から、四ツ辻の肉屋の中を覗きこんだ。
特に異常は感じられなかった。
アニヤとアネモネに目配せをし、頷き合った。
キングは静かにすりガラスの引き戸を開けた。
ものの腐ったような臭気が強くなった。
しかし、他には何の気配もなかった。
入ってすぐ目の前に置いてあるガラスの陳列ケースに、『歓迎!シェイド様ご一行』という張り紙がしてあった。
アニヤは不愉快を隠さずに言った。
「ヒルダの筆跡だ」
「悪趣味ね」
アネモネもため息をついた。
キングは周囲を警戒しつつ、陳列ケースから張り紙をはぎ取った。
「細かい字でいろいろ書いてある。何がしたいんだヒルダは。とりあえず、行き先はよく分かるが」
キングは苦笑いして、アニヤに張り紙を差し出した。
アニヤはさっと目を通すと、即座に紙を握りつぶし、ぞんざいに放り投げた。
陳列ケースの後方にある扉を、3人は見た。
「ここにいろ」
戸口にアニヤとアネモネを残し、キングは部屋の奥を目指して進んだ。
キングが陳列ケースを回り込んだ瞬間、それは起こった。
「キング!」
アニヤの鋭い声が飛んだ。
キングはすぐさま振り返った。
アニヤとアネモネは、陳列ケースの中の肉塊を見ていた。
キングは素早く反応し、二人の元へ駆け戻った。
「一旦、出るぞ!」
3人は店を出て、店から距離をとった。
それから、店内の陳列ケースを見直した。
ガラスの陳列ケースに入っている肉塊が、波打つように動き始めていた。
肉塊は瞬く間に質量を増し、ガラスを突き破った。
ブチブチと嫌な音を立てながら、肉塊は蠢き、グニグニと形を変えた。
アニヤは、目を奪われながら、無意識にアネモネを自分の後ろに押しやった。
キングは、鋭い視線で肉塊をにらみつつ、剣を構えた。
肉塊は、肉色のまま、いまや人の形をしていた。
太い腕を伸ばし床に手をついたが、その指は床にめり込んだ。
膝をついて体勢を崩しながら、破砕した陳列ケースを振り切って這い出した。
人型の異形は、とうとう店の外に出て、メリメリと音をたて、立ち上がった。
最初の肉塊の大きさからは考えられない、2メートルを軽々超える巨躯であった。
「アネモネ、取り乱してねえだろうな」
「うん。こんなの平気よ」
「お前の基準、おかしくねえか」
キングは目の前の人型の異形から目を離さず、続けた。
「だが、まあ、いい。アネモネは隠れて出てくるな。アニヤ、頭だ」
アニヤはアネモネからハンドガンを受け取った。
アネモネは即座に森に駆け込み、姿を隠した。
人型の異形は、店の前に立ちふさがり、ユラユラと揺れていた。
キングが目配せをした。
アニヤはハンドガンを構え、人型の異形の頭に向けて撃った。
連続5発、人型の異形の頭に命中した。
弾は肉にブツブツとめり込み、埋まった。
まるで、何事もなかったかのように、人型の異形は立っていた。
キングは舌打ちをした。
「森の奴らより性質が悪い。首を飛ばすしかないな」
アニヤはハンドガンを森の中に放り投げ、剣を構えた。
「剣術も習っときゃよかったのか?」
不満げに言うアニヤに、キングが応じた。
「やっとけよ」
「剣なんか、使う機会ねえよ」
「もしもに備えろよ」
「こんな特殊ケース、想定できるわけないだろ」
話しながら、二人はじりじりと、人型の異形に近づいて行った。
剣の間合いに入ると、人型の異形はユラユラとした動きを止めた。
一瞬、三者は沈黙した。
沈黙を破ったのは、人型の異形だった。
大きな左拳を、キングに向けて振るってきた。
キングは後ろに飛び退いた。
キングのいた場所に、人型の異形の拳がめり込んだ。
アニヤは、人型の異形の右側から、斬り込んだ。
人型の異形は右腕で、その剣を受けた。
まるで鋼鉄のような硬さで、アニヤの剣は跳ね返された。
すぐさま、異形の右腕が、アニヤを目掛けて伸びてきた。
アニヤは持ち前の反射神経によって、からくも直撃を逃れた。
異形は両手を引きあげ、再びユラユラと立った。
「リーチ、長いな。それに、バカ力だ」
「しかも、硬い」
「ハンドガンの弾は食らってた」
「そうだな」
アニヤは落ちていた拳大の瓦礫を、おもむろに人型の異形に投げつけた。
瓦礫は、人型の異形の太い右腕に当たり、めり込んだ。
アニヤは首をかしげた。
「いつも硬いわけじゃないらしい」
「それに、積極的に襲っては来ない」
キングは、一歩ずつ慎重に、人型の異形へ歩み寄った。
剣の間合いに入るや否や、人型の異形は腕を伸ばしてきた。
キングは、素早く回避した。
「決まった距離で襲ってくる。侵入を防ぐためだけの門番か」
「同時攻撃しよう」
「俺のほうが遅れをとる。アニヤ、タイミング合わせろよ」
「分かった」
二人は剣を構え、人型の異形の前方で、左右に別れた。
キングの呼吸に合わせ、二人は人型の異形に斬りかかった。
人型の異形は両腕を上げ、首を狙う二人の剣を受けとめようとした。
アニヤの剣は、そこで軌道を変えた。
キングの剣が人型の異形の左腕にはじかれると同時に、アニヤの剣が、人型の異形の太ももを斬った。
アニヤの剣は、人型の異形の肉をごっそりとそいだ。
しかし、アニヤが体勢を戻す前に、人型の異形の右腕がアニヤを襲った。
アニヤは吹き飛ばされ、剣を手放した。
「いってえ」
受け身はとったものの、アニヤの目元も唇も切れて血が流れ、体は地面に擦れて傷だらけになった。
間合いを外れたアニヤを、人型の異形は追ってこなかった。
人型の異形は、複数の攻撃を一度に防ぐことはできないのだと、息を切らしつつアニヤは理解した。
キングは、標的がアニヤになった隙を狙い、人型の異形の頭に斬りつけた。
キングの剣は頭にめり込んだ。しかしそこで、急に肉が固まり始め、剣がそれ以上動かなくなった。
剣を引き抜こうとしたところに、人型の異形の左拳が裏拳で飛んできた。
キングは剣から手を離し、急いで両手でガードしたが、重いダメージを食らい、その場に膝をついた。
「やば」
キングは退避しようとしたが、間に合わなかった。
人型の異形は完全にキングに向いて、頭に剣を刺したまま、大きな拳を交互に振りおろしてきた。
「うぐ」
キングは歯を食いしばり、両腕のガードで防いだ。
しかし、人型の異形の拳は非常に重く、義手ではない方の腕が激しい痛みを訴えた。
土をえぐる力を持つ拳である。
キングは打たれるたびに、全身に衝撃を受けた。
アニヤは、目に入った血をぬぐい、立ち上がった。
落とした剣を拾うと、人型の異形のもとへ走った。
人型の異形がキングへ拳を振り上げた瞬間を、アニヤは狙った。
左の拳がキングを襲い、右腕が予備動作で上がったその時、アニヤは剣を斜めに斬り上げた。
人型の異形の太い右腕が、半ばから斬られて落ちた。
アニヤは止まらず、もう一歩踏み込んで、人型の異形の首を狙った。
「バカ!引け!」
キングが叫んだ。
キングを殴りつけていた人型の異形の左腕が、目にも止まらぬ速さで動き、アニヤの剣をつかんだ。
強い力で引かれ、アニヤは剣を手放した。
そのまま、アニヤの剣は、遠くへ放り投げられてしまった。
次の瞬間、斬られて落ちた右腕が、アニヤの足をつかみ、地面にひきずり倒した。
本体から斬り離された右腕は、自ら動き出し、アニヤに襲いかかったのだった。
人型の異形そのものは、キングに向き直り、左拳を再び撃ち落としてきた。
「ぐあ!」
キングは累積ダメージで声を上げた。右腕が腫れあがってきた。
人型の異形は続けざまに、キングに拳を振りおろした。
キングの足にも負荷がかかり続け、キングは身動きがとれなくなっていた。
人型の異形の右腕は、倒れたアニヤに這いあがり、首を絞めようとしてきた。
「くそ!」
アニヤは必死に両手で防いだ。アニヤの二の腕の筋肉が張りつめた。
斬り落とされた右腕は、恐るべき力でアニヤの首を目指していた。
キングもアニヤも防戦一方となった。
態勢を立て直したいと思いつつ、その機を見つけられずに行きづまってしまった。
万事休す、という言葉がキングの頭に浮かんだ。
死とは、真に予期することなど、決してできはしない。
死とは、今の延長線上に、驚くほどスルリと訪れるものであることを、キングはよく知っていたのだ。
突然、黒い影がキングの視界をよぎった。
そして、それは、キングの腰元を探り、サバイバルナイフを抜き取った。
キングは、人型の異形に殴りつけられ、ガードする自分の腕もろとも、体中に打撃を受けていた。
そのため、定かではない視界と感覚に、何が起こっているのか、うまく把握しきれなかった。
銀色の筋が一閃した。
人型の異形が、急に動きを止めた。
次の瞬間、ごとり、と音を立てて、人型の異形の首が落ちた。
アニヤは、力を失った人型の異形の腕を、すぐさま投げ捨てた。
唐突に、人型の異形だったすべては黒く染まり、霞となって消えていった。
後には、その頭に突き刺さっていたキングの剣だけが残った。
キングとアニヤは、そろって顔を上げた。
サバイバルナイフを持つ、アネモネがいた。
アネモネは、どこかぼんやりとした様子だった。
キングはジンジンと痛む両手を下ろし、目をしばたたいてアネモネを見た。
アニヤは、ゆっくり立ち上がってアネモネに向かった。
「アネモネ?大丈夫か」
「え?」
アネモネは、サバイバルナイフを持ちあげた。
アニヤは慌てて一歩下がった。
「危ない。アネモネ、ナイフ離して」
「うん。でも、指が動かない」
アネモネは困ったようにナイフを握る右手を見た。
アニヤはその手に触れ、固まった指を一本ずつ開いていった。
指がすべて開くと、アネモネの手からナイフが落ちた。
アニヤはアネモネを抱きしめた。
「いい女だな」
これは仕方がないかと、キングは小さく肩をすくめながら立ち上がった。
体中の痛みに、キングは軽く顔をひきつらせた。
生きているがゆえの痛みだった。
「怖かったろ?キングに抱いてもらうか?」
アニヤは、小さく震えるアネモネの頭をなでながら言った。
アネモネは、アニヤの腕の中で首を横に振った。
「私は大丈夫。さっきの森より平気」
「だから、お前の中の基準はどうなってるんだ」
キングが呆れた声で言った。
アネモネは、アニヤの腕の中から答えた。
「料理するもの。肉を切るのは慣れてる」
「家庭的だな」
アニヤがのんびりと応じた。
キングは、そうだ、こいつらはもともと、こういう奴らだった、と痛む頭を押さえた。
アネモネのマイペースに対し、アニヤはいつでも常識をねじ曲げて応じてしまうのだ。
しかし、二人のそうしたやりとりは、どんな苦境にあってもキングの心を温めてきた。
キングは、少しだけ目を閉じて、今の感触を味わった。
二度と触れることはないと思っていた感触だった。
ずっとキングを支え、生かしてきた温度だった。
死を断ち切り、死と逆方向の温かな痛みをもたらす二人を、キングは心底いとおしく思った。
3人が小さな休息を得ている時、次の事態がすでに動き出していた。
四ツ辻の肉屋の奥の間、地下室入り口のある部屋の床が、ボコボコと歪んで蠢いた。
門番たる肉塊の消滅と共に、それは動き始めたのだ。
『地下室入口』と書かれた立て札が吹き飛んだ。
床を突き破り、蠢く肉がすりガラスの引き戸の外にいる敵を目指して、突き進んだ。
四ツ辻の肉屋の奥に続く扉を突き破り、激しい音を立てて、蠢く肉が飛び出してきた。
キングとアニヤとアネモネが驚いて目を見張る中、蠢く肉は壊れた陳列ケースを踏み越えるようにして、店の外へ出てきた。
蠢く肉は、メキメキと嫌な音を立て、人型を成していった。
先ほどと違うのは、その数だった。
2メートルを超える巨躯が、3体、立ちはだかった。
キングは、腫れあがった右腕に義手で触れ、舌打ちをした。
打開策がまったく浮かんでこなかった。
突然、激しい爆発音と震動が響いた。
キングとアニヤとアネモネは、身を寄せ合って警戒した。
今度は何がきやがった、とキングは口の中でつぶやいた。
爆発音と震動は続いた。
森の方から肉屋に近づいて来ていた。
キングたち3人は、肉屋の正面を避け、横手にまとまって状況を窺った。
とうとう、肉屋の正面の森から、激しい爆風が吹いてきた。
3人は身を寄せて、背中で爆風を受けつつ、何が出てくるかと視線を向けた。
「やれやれ、やっと着いたね」
金庫バアだった。
3人は目を丸くした。
金庫バアは肩にバズーカ砲を担ぎあげ、歩いて森を抜けてきた。
後ろからギルが続いた。
「肉の門番か。バカでかいね」
金庫バアがうんざりした顔で言った。
ギルが、先に3人に気づいた。
「遅くなった」
その静かな声に、3人の緊張は一挙に緩んだ。
キングは、ぺこりと会釈した。
「何だい、お前ら。まだ中に入ってなかったのかい」
金庫バアは、担いでいたバズーカ砲を地面に下ろして言った。
キングはバズーカ砲を指さして尋ねた。
「あの、金庫バア、それで森を?」
「ああ、これか。通常なら無理だが、ギルがいるから」
「いや、あなたがいるから」
ギルは、金庫バアにそう言った後、キングたち3人に向かい説明を始めた。
「この人は、年をとったとはいえ目がいい。生き物もそうだが、森の木々も呼び出されたものだ。真夜中にも関わらず、それ自体、黄土色に光るここは、もはやこの世の世界ではない。この世ならざるものは、それぞれが核を有している。核を破壊すれば、この世につなぎとめることはできない。この人の目で見て、私の力を乗せた砲撃をして、核を破壊しながら道を造った」
キングは盛大にため息をついた。
「一緒に来ればよかった」
「年寄りを頼ってんじゃないよ。できることは自分たちでやんな。久しぶりにチームで動いて、悪くなかったろう」
「ああ、まあ。悪くはなかったですけど」
「金庫バア、重いだろ。それ、持とうか」
「アニヤ、この中で、お前が一番、まっとうだ」
アニヤは進み出て、金庫バアからバズーカ砲を受け取った。
思った以上の重みに、アニヤは一瞬よろめいた。
金庫バアは、首や肩をもんで軽く動かした。
「さて、あいつらをやるか」
「金庫バア、最初の1体は、私が倒したのよ」
アネモネが、金庫バアに出会えた喜びをにじませて、そう言った。
「お前らもギルと一緒で、女をこき使うのか!」
金庫バアの剣幕に、キングとアニヤは、慌てて首を横に振った。
断じてギルとは違う。アネモネにバズーカ砲を持たせて、一番前を歩かせたりはしない。
キングとアニヤは、そんなことを目と目で語り合った。
「君たちが先に出て、この世ならざるものたちを葬ってくれた分、私達は楽をしている。術者の力は乱れ、勢いを減じている。この機を逃してはならない」
ギルは体よく、話を軌道修正した。
猶予のある状況とも思えなかった。
5人は、ユラユラと立ちふさがる人型の異形に、対峙した。
こうして、次なる戦いの火蓋が切って落とされたのだった。




