表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/124

再会

 カラカラが戻って来ない。


 シェイドは、タタも不在の部屋で一人、ベッドから体を起こした。

 少しふらついたが、心身に妙な軽さがあった。


 記憶をたどると、わずかに自分の所業を思い出した。

 くすぶるものが噴き出した分の軽さかと、ため息をついた。

 あるいは、フロウとミカエルを失ったゆえの軽さか。


 何だかぼんやりとしつつ、頭の奥の方が、冴えた感覚もする。

 その冴えた部分が、何とも言えない、不可思議な空気を感じとっていた。

 かつてない、清明で清浄な流れがシェイドの中にあった。


 何かある。

 予感に導かれるように、シェイドは部屋を出た。







 心配をかけたアネモネに報告にいく、と、カラカラはそう言っていた。

 シェイドはアネモネの部屋に向かった。


 701とプレートが出ている部屋にたどり着くと、ドアが、なぜか薄く開いていた。

 いつもと違う不用心な様子に、シェイドは少し緊張し、ドアホンを押すことをためらった。

 声をかけるか、中をこっそり窺うか、ほんのわずかの間、考えた。


 そのドアの隙間から、突然、よく知るのどかな声が聞こえてきた。




「俺の女になってよ」




 シェイドは凍りついた。


 これはマズイ、という言葉が、瞬間的に立ち上がった。

 場合によっては半殺し、という言葉まで付いてきた。


「アニヤ、私は」


 よく知るもう一つの声が揺れながら響いてきた。




 シェイドは、まわれ右した。

 



 うん、カラカラはここにはいない、たぶん、同じ理由でいない。

 シェイドはそう理解し、かすかな物音をたてることすら恐ろしかったので、開いたドアもそのままにした。


 そして、先ほどの予感のありかは、絶対にここじゃない、と一人頷いて、立ち去ったのだった。










 ソファに座るアネモネに、アニヤがひざまずいていた。

 ややまなじりの下がったアニヤの目は、決して眠そうでもなければ、穏やかでもなかった。

 アネモネは、ソファと同色の生成りのクッションを胸に抱きしめながら、追いつめられていた。


「私は、まだ、分からなくて」


 アネモネは、アニヤの激しい視線から逃れるように、顔を伏せた。


「顔上げて」

「いや」

「こっち見て」

「いや」


 幼子がイヤイヤするように首を振ると、アネモネの短い銀髪がサラサラと揺れた。

 アニヤは焦れるようにチッと舌打ちし、アネモネの抱くクッションを力任せにはぎとった。

 そして、ひざまずいたまま、アネモネの顔に両手を伸ばし、しっかりとホールドした。


「こっち見ろよ」


 アニヤに顔をおさえこまれ、アネモネはまっすぐにアニヤと見つめあうことになった。

 アニヤの目は熱情をたたえ、アネモネを射すくめた。

 アネモネの全身が震えた。

 アニヤの両手は、その震えもおさえこんだ。





「愛してる」





 言ってしまうと、もう止められなかった。

 アニヤは片足をソファに乗り上げ、アネモネの頭をかき抱いた。


「全部、準備した。ミドリ地区だ。家も仕事もある」

「くるし、アニヤ、苦しい」

「アネモネ、俺と一緒に生きてよ」


 もう一度アネモネの顔を両手で挟み、今度は、上から見下ろして告げた。


 ためらいに瞳を揺らすアネモネが、何かをいう前に、アニヤはアネモネを抱きしめた。




 ごほん。




 アニヤの右手が、アネモネの背中を滑り、部屋着の裾をたくしあげて、素肌に触れた。

 その右手は熱かった。アネモネの褐色の肌が粟立った。

 思わずのけ反りさらした首もとに、アニヤの唇が落ちてきた。

 逃れようと首をすくめるが、アニヤの左手が強い力で後頭部を支え、かなわなかった。




 ごほん。





 二人はソファーに倒れこんだ。

 体が密着した。燃えるように熱かった。なまめかしい湿度があった。

 上に乗ったアニヤの右足は、アネモネの足の間に割って入った。

 アニヤの右手はせわしなく動いて、アネモネのハーフパンツの裾から入りこみ、太ももを撫で上げた。

 アネモネが体の芯からくる感触に、ああ、と声をもらすと、アニヤがわずかに息を飲んで、アネモネの瞳を見つめた。


 ケダモノ、とアネモネの唇が音もなく言葉をつむいだ。

 濡れた瞳を見合わせたまま、アニヤの薄く開いた唇の奥で、舌が左から右に動いた。

 アネモネは、食べられる、と思って、きゅっと身を縮めた。

 そのせいで、アネモネの足が、予想外にアニヤの右足を締め付けた。

 アニヤは直後、まるで痛みを感じたように眉を寄せた。

 どうしようもねえな、とあえぐようにつぶやき、アニヤはゆっくりとアネモネに唇を寄せた。





ごほん。ごほん。

「おい。さすがにいい加減にしてくれ」





 アニヤとアネモネの唇は触れあうことなく、二人はぴたりと動きを止めた。

 おぼえのない男の声が、室内の近いところから聞こえた。


 次の瞬間、アニヤが素早く身を起こし、アネモネをかばうように男へ対峙した。


 部屋の入口に立つ黒髪の男は、アニヤたちと変わらない年の頃で、開襟シャツにジーンズという、ありふれた服装をしていた。

 一目で普通と違うのは、左腕であった。

 ひじから下が、黒い義手であった。


 男は右手で顎をさすり、あきれるような、恥じ入るような、何とも言えない表情をしていた。


 アニヤとアネモネは、男のことを理解しかねて、警戒したまま、黙っていた。


「気配を消してたうちは、まだ分かる。だが、気配丸出しでアピールしたのに、放置かよ」


 男は、少し間をおいてから続けた。


「今でも、俺の気配には、無頓着なんだな」


 アニヤとアネモネの目が、驚愕のあまり見開かれた。


 その低い声に、聞きおぼえはなかった。

 だが、その顔、何よりその琥珀色の目には、かつてともに生きた仲間の面影が、息づいていた。


「キング、まさか」


 アニヤの声は、半ば疑問形だった。

 あまりのことに、思考が追いつかなかった。

 アネモネは、ソファの上にへたりこんで、動けなくなった。


 アニヤより少し背が高い、がっちりとした体躯の青年は、確かに気配を消すこともなく、ただそこにいた。

 なのに、あまりにも、存在感が自然に溶けて馴染んで、アニヤもアネモネも異変として感じ取れなかった。

 その目の力強さを確認するまでもない。

 アニヤもアネモネも、これはキングだ、と体が先に信じていた。










 キングは、少しばつが悪そうに、右手を軽く上げた。


「よ、久しぶり」


 アニヤとアネモネは返事ができなかった。

 キングは、眉を上げ、しずしずと右手を下げた。


「いや、なんて言っていいか、分かんないもんだな」


 心底困った顔で、キングは短い黒髪をかきまわした。


「二人には、二度と会う気はなかった。合わす顔がなかったし、もう俺はシッコクの人間だから、二人を巻き込むのも嫌だった」

「じゃ、何しに」


 アニヤが思わず尋ねた。

 反応を得て力づけられたように、キングは続けた。


「俺を救ってくれた恩人が、人を探しているんだ」


 キングは、次のように説明した。




 まことの黒と呼ばれる一族がいる。

 闇の仕事でヘマをした俺を救ったのは、その一族の男だった。

 さらに、両手足を失った俺に、右手と左脚をゆずってくれた。

 まことの黒の一族は、とんでもない魔術を使う。

 その恩恵を俺は受けたのだ。

 恩人の男の手足は、いまや何の違和感もなく、俺の手足になっている。

 以来、その恩人のもとで働いている。


 まことの黒の一族は、訳あって解体したのだが、直系の跡継ぎが行方不明になっていた。

 男はめぼしいところに探知の魔術を張り巡らし、探し続けていた。


 その探知の魔術に、とうとう、まことの黒の気配が触れた。

 それは、まだ淡く染みだした欠片のような気配で、明確にとらえきれない。


 そして、同時に、薄曇りの暗さと呼ばれる、すべてを台無しにする破滅の力も動き出している。


 まことの黒の跡継ぎを早急に見つけ出したい。

 その気配は、金庫バアの領域にある。




「金庫バアの領域なら、古巣だろう、と。恩人は人づかいが荒いんだが、遥か遠き国の言葉を持ち出した。立ってる者は親でも使え、だと」

「親って」


 アニヤが呆然と口をはさんだ。

 キングは頷いた。


「親はいないが、家族と思えるのは二人いた。俺を」


 キングは、まっすぐに二人を見た。


「俺を助けてくれないか」




 アニヤは唖然とした。

 キングが死んだと理解していた現実を塗り替えるのは、簡単ではなかった。

 現れたキングは、頼みごとをしてきた。

 何なんだこれは、と繰り返し思う間に、アニヤの奥底から、沸々と怒りがわいてきた。


 アニヤは、キングに殴りかかった。

 キングは間一髪、それを避けた。

 アニヤの二発目のこぶしを、キングは義手で受け止めた。


「貴様!黙って殴られろ!」

「アニヤ、ずいぶん、動きが速くなったな」


 しみじみ言うキングに、カッとなってアニヤは叫んだ。


「てめえのせいだろうが!こんなに早く動かねえといけなくなったんだよ!」

「悪かった」


 キングは器用に義手でこぶしを受け流し、アニヤを抱きしめた。

 アニヤは全身が熱くなった。

 思いもよらない激情がこみ上げてきた。


「アニヤ、アネモネ、チームのもう一人は他にいるのか」

「てめえの他にいるかよ」


 アニヤの声は潤み、かすれた。

 キングがアニヤを抱きしめる腕に力をこめた。


「今もその席は俺のものか。うぬぼれていいなら、頼む。俺の命の恩を返さないとならない」

「何だよ、勝手に死んで、勝手に生き返りやがって」

「俺の不始末を、ともに背負ってくれないか」


 アニヤはキングに腕をまわし、その肩に顔をうずめ、こらえきれない涙を流した。




 アネモネは夢心地だった。 

 動き出した時の中に、まさかのキングがいる。

 泣いているアニヤを愛おしげに抱いている。

 満たされていく思いと、刻まれた記憶の痛みに翻弄され、アネモネは、これは夢なのだと思えて仕方がなかった。


 ソファから立ち上がり、静かにキングに歩み寄った。

 足元がフワフワしていた。


 キングは、左腕でアニヤを抱いたまま、近づいてくるアネモネの頬に、右手で触れた。

 アネモネは、その右手を両手でさわった。

 馴染みのない、知らない手だった。

 しかし、夢とは違う、リアルな感触があった。


「アネモネ」


 キングが呼ぶと、アニヤは嗚咽をこらえながら、キングのもとを離れた。

 アネモネはもう一歩、キングに近づいた。


 じっと見上げてくるアネモネに、キングが引き込まれるように顔を寄せた。



 パアンッという派手な音が鳴った。



 アニヤの嗚咽も一瞬にして止まり、思わず口が動いた。


「音速」





 キングは打たれた頬に義手を添えた。


「私も、こんなに速く動かなければいけなくなった」


 キングのせいよ、とアネモネは何度も繰り返した。

 そして、泣き崩れた。


 キングはしばしの自失のあと、苦しい顔をして目を伏せた。











 

 四つ辻の肉屋の一室で、タタは後ろ手に縛られ、壁際に座らされていた。

 じりじりとした気持ちでいっぱいだった。


 しばらくすると、ドアが開いて、知った顔が連れられてきた。

 タタと同じく青ざめているカラカラだった。

 カラカラは、タタに気がつくと、ハッとした後に、すぐホッとした表情になった。


 連れてきたヒルダは、そこに座ってな、とカラカラをタタの方に押し出した。


 やはり後ろ手に縛られているカラカラは、タタの横に座った。

 カラカラの体温にふれ、タタは今までの恐怖が和らぐように感じた。


 二人はひそひそと話しだした。

 お互い、ペドロとドーブに騙されたと知った。


「なんでつかまってんだよ、おめえ」

「あんたの命が危ないけど、シェイドはあんなだから、カラカラしかいないって言われて。しょうがないじゃん。てか、あんたがつかまったのが悪い」

「信じてのこのこ来てんじゃねえよ」

「てか、本気でつかまってるし」

「俺のことはいいんだよ。ペドロなんかの言うこと聞いて騙されてんじゃねえよ」

「あんたこそ、ドーブの話、真面目に聞いて、だっさ」

「なんだと、てめえ」

「はあ?本当のことしか言ってませんけど」


「ずいぶんと余裕だね、あんたたち」


 ヒルダは、タタとカラカラを横目でにらんだ。


「まあ、どうせ今だけだから、別にいいけど」


 ヒルダは、白衣を着ていた。

 上機嫌に鼻歌を歌いながら、かごに山盛りのレモンを布巾で拭いていた。





 タタとカラカラは、言い合いで不安を紛らわしているだけだった。

 本当は二人とも分かっていた。

 これは、実によくない状況なのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ