たどり着いた愛
「フロウ、また来るよ」
「うん。気をつけてね」
シェイドは慌ただしくチューブに乗り、別のエリアへと去っていった。
フロウはその背中を少し寂しい気持ちで見送りながら、薬草調合の作業に戻った。
船での生活が始まった。
乗船者には、希望に応じた居室が与えられた。
フロウのように一人で生活する者もいれば、アニヤとアネモネのように二人以上で暮らす者たちもいた。
船の活動エリアであるが、天井があるにもかかわらず、日中は太陽光が差し込み、夜は星空を見せる。
風は吹かず、雨は降り込まないが、船内は自然な昼夜のリズムを刻んでいた。
人々はそのリズムとともに生活するのであった。
乗船者がやりたい仕事を登録することで、必要なフィールドが与えられた。
チューブで移動するエリアごとに、作物を育てる田畑や、商品やスキルを扱う専門店が展開していった。
フロウは救護エリアに所属した。
白魔術師や医師、薬師などが集まった。
フロウは、持ち込んだ薬草を調合したり、畑に種をまいたりした。
病人がやってくると、薬を提供した。
時々、別のエリアで怪我人が出ると、呼ばれて行って、白魔術で治療することもあった。
シェイドは船長として、忙しく船内を走り回っていた。
その合間をぬってフロウに会いに来るのだが、いつも短時間の逢瀬だった。
フロウは薬草を手の中で束ねながら、小さくため息をついた。
もっと一緒にいたい。
フロウは首を振った。
分かっている。フロウのわがままである。
しかし、やっと会えた恋人だ。
それなのに長く一緒にいられないとは。
いっそのこと、恥も外聞もなく、付きまとってしまおうか。
分かっている。そんなことできない。
フロウはもう一度ため息をついた。
「フロウ。悩んでるのね」
「きゃあ!」
後ろから突然呼びかけられ、フロウは驚いて手の中の薬草を放り投げてしまった。
「ごめんね、そんなに驚くなんて」
「ロキさん! どうしてこんなところに」
ここは、フロウが薬を調合するための作業小屋である。
薬の配合比率は秘匿性の高い個々の財なので、薬師は各々で個室を持っていた。
これまでこの小屋で薬草を扱っている時に来客があったことはなかったため、ロキの訪れにフロウは本当にびっくりしてしまった。
ロキは長くうねる黒髪を耳にかけながら、かがんで落ちた薬草を拾った。
「お誘いに来たの」
「私が拾います、ごめんなさい! …お誘い、ですか?」
「これで全部かしら。はいどうぞ。そうそう、お誘い」
「ありがとうございます?」
フロウはロキから薬草の束を受け取りながら、小首を傾げた。
ロキはにっこり笑った。
「船長の恋愛は、船の安全航行に関わる懸案事項よ。あいつの方が面倒くさいから、フロウから現状打破しましょう。緊急女子会するわよ」
「え?」
「さ、行きましょう」
「あの、あの、私まだ」
「大丈夫。エリア長には言っておいたから」
「ええ?」
「今すぐ行くわよ」
「はいい!?」
フロウは頭にハテナをたくさんくっつけながら、ロキの後を追ったのであった。
飲食店エリアにある、現在船でもっとも癒し系と評される喫茶個室にて、その女子会は開かれた。
フロウは目をぱちくりとした。
初めて入るその個室は、ピンクと白を基調とした家具が配置され、レースとフリルで何もかもが飾られていた。
白い一人掛けソファに、ウェイビーな黒髪も美しく、紫の瞳を優しく細めたロキが、見事に収まっていた。パンツスタイルであるが、中性的な容貌であり、女子会と称する会のメンバーとして違和感はなかった。
ピンク色の華奢なイスに座るのは、アネモネだ。
銀髪ショートカット、滑らかな褐色の肌。体の線が見えるぴったりとした白いワンピースがよく似合っていた。
もう一つの一人掛けソファには、ミカゲがいた。
Tシャツにジーンズというボーイッシュなスタイルである。ロキとは別の意味で中性的であった。ミカゲは、店内のピンクのフリフリを苦い顔で見ていた。
フロウは、何が何だか分からないながらも、ロキ、アネモネ、ミカゲに会えたことがうれしくて、顔を輝かせた。
ミカゲが鳥肌の立った腕をさすりながら言った。
「他に店はなかったのか」
「ミカエルの母リリスの姉であるアルルさんが開いた店よ。アルルさん、かなりのやり手で、あっという間に店舗を整えたの。恋話ならぜひ、とおすすめされて」
「恋話ですか」
「あなたの話よ、フロウ」
ロキがピシッと指をさした。
指されたフロウは背筋を伸ばした。
「私、ですか」
アネモネが立ち上がり、ドアの前に立つフロウの手を引いて言った。
「そう。あなたとシェイドがなるようにならないから、いくつも支障が出ていて」
「シェイドと? なるように? 支障?」
フロウはドギマギしながら、誘われるままに二人掛けのソファに腰掛けた。
アネモネは、その隣に座りながら言った。
「シェイドの不機嫌が日ごとにひどくなって、他の皆がやりにくくて。顔色もよくない。あんまり眠れてないみたい。心なしか船の速度も落ちた気がする」
「本当ですか?」
フロウはまったく知らなかった状況である。
アネモネはコーヒーを飲みながら言った。
「不器用なのね。フロウについては上手に頭から切り離せずにいる。アニヤが見かねてシェイドのお尻を蹴りあげたこともあった。シェイドは一瞬、我に返るけど、長持ちしない」
フロウは服の胸元をギュッとつかんだ。
今度はロキが、腕組みをして言った。
「あたし、金庫バアに言ったのよ。船長がフロウといちゃいちゃしてたら、示しがつかないんじゃないのって。そしたら金庫バア、きっぱり言うのよ。そうはならないって」
「普通なら、なーんにも邪魔がない両思いだから、盛り上がる時だよな」
「ミカゲも盛り上がってるもんね」
「な! いや! 俺はまだ違う! イセとはまだまだこれからで! 食事くらいで! うおお!」
「はいはい。それで、金庫バアはその後、言ったのよ。シェイドはフロウへの気持ちが強すぎる。シェイドはそんな自分を持て余すだろう。それを上手くさばけるわけがないって。あたし、まあ金庫バアはそうは言うけどって、その時は思っていたのよ。なのに、日が経つごとに、驚くやら愕然とするやら! シェイドには本当に呆れたわ。ただただイライラして、それを余所でむきだしにするだけで、肝心のフロウには何もしないんですもの」
フロウはドキドキしてきた。
すでに顔は真っ赤である。
アネモネがのんびりと言った。
「ねえ、フロウ。船に乗ってから、何か、シェイドと特別なことはあった?」
フロウは懸命に考えた。
自分のことばかりで頭がいっぱいで、シェイドの心境を思うことなどなかった。
特別に何かあったか。特別に何か言われたか。
フロウは首を横に振った。
「いえ、あの。ただ、船に乗って後悔してないか聞かれましたが…」
「何て答えたの?」
「当然のことなので、むしろ、シェイドが私を選んで後悔しているのかと怖くなって、私」
「それで」
「そのまま、シェイドは私を選んで後悔してないか尋ねました」
「質問に質問で返したのね」
「はい」
横で聞いていたロキが、がっくりとうなだれた。
「フロウ。あなたの良いところは、ど直球なところよ」
「そ、そうなんですか」
「そんなあなたが、そんな返事をしたら、あの面倒なシェイドは」
「私、間違えたんですね」
フロウは青ざめた。
アネモネが変わらぬのんびりとした口調で言った。
「大丈夫。それで、他にはシェイドは何か」
「ええっと。その時そういえば、急に、ハシマ…先生は私、フロウを大事にしてた、とか、なぜかそういうことを、確か」
「フロウは何て答えたの」
「あの。ありがとうございます、と言ったと思います」
ロキは額に手を当てて言った。
「ハシマの名前を出すとは。嫉妬ね、見苦しい嫉妬よ。それに、ありがとうと返ってきたら、あの面倒なシェイドは」
「私! また間違えたんですね!」
涙目のフロウである。
アネモネが緩く微笑んだ。
「大丈夫。そっか。シェイドは、フロウの過去に嫉妬して、フロウの本心について疑心暗鬼になって、仕事に逃げて、フロウに全然向きあえずにいる、そういうことか」
「そういうもんなんだ」
ふむふむと頷くミカゲであった。
フロウはオロオロとして言った。
「私が、シェイドを、不安にさせてしまったんですね」
「あなたのせいっていうか、あたしが思うには、シェイドは魔術でハシマと合一したって話よね」
「はい」
「ハシマがフロウにプロポーズしたこと、シェイドも知ったわけでしょう」
「あ! そういえばそうです」
フロウは以前、ロキに、ハシマからプロポーズされた件を打ち明けている。
ロキは、長い髪を指に絡め、口元に運びながら言った。
「シェイドの気持ちはこうよ。フロウが薬草の世話をする姿を見るでしょ。そしたら、薬草に関することをフロウに教えたのは誰だ、と考えてしまってモヤモヤする。フロウが白魔術を使うでしょ。そしたら、誰のまねをして術を扱っているのか、と気になってソワソワしてしまう。フロウを見ていたい。でも、見るほどに、フロウの身につけている技能のひとつひとつに、ハシマの影を見てしまうってわけ。フロウを愛して、フロウの生き様に影響を与えたハシマの影を」
「そんな、私、そんなふうに、まさか」
「俺、今のロキの話はすごくよく分かる…」
「ミカゲも恋する女の子ね」
「いや! 俺は! うおお!」
「ミカゲの恋話は、またこの次ね。最初にこっちをどうにかしないと。フロウと二人でいられるようになって、余計なことを考える余裕ができたのがよくなかったのよ。余裕なんかできるまえに、勢いでいくとこまでいっちゃえばよかったのに」
フロウは泣き声だ。
「私、どうしたらいいんでしょう」
「あたしにまかせて!」
「いけるいける。両思いなんだから。シェイドの安定は船の安全に関わることだし、最優先でやっていこう」
「頑張ろう、フロウ! 俺も応援するからさ!」
ロキ、アネモネ、ミカゲは力強くフロウに請け合った。
こうしてフロウは、女子会から、知恵と大義と突破力を授かったのである。
その夜のこと。
シェイドは相変わらず眠れない夜を過ごしていた。
船の生活を軌道に乗せるべく、毎日走りまわっている。
制度を整えるためもあるが、それだけではない。
乗船者すべてと一度は話したいと思っていた。
なぜこの船に乗ったのか。
その最初の一歩の対話を惜しみたくなかった。
忙しい中、やるべきことをこなしている。
人並みしかない魔力にいまだ不慣れな心身をもってして。
まことの黒歴代頭首の念願であった船を運航している。
一日が終わると疲れ果てた。
部屋に戻り、ベッドに横になる。
疲れているのに、眠りはなかなか訪れてはくれなかった。
フロウに会いたい。
声が聞きたい。
触れたい。
シェイドは暗闇の中できつく目を閉じる。
自分の中に、ほかでもない怒りがある。
シェイドは戸惑っていた。
フロウの心に少しでもあの男がいるのなら許せない。
フロウとは心を確かめ合ったはずだ。
お互いを求めている。
間違いない。
それなのに、シェイドは不快の根源をどこまでも突き詰めようとする心を止められずにいた。嫉妬だ。
フロウは今になってあの男を思いだしているのではないか。
あの男に愛され、満たされたことを思いだし、今も慕わしく思っているのではないか。
シェイドを9思っても、残りの1をあの男に捧げているとしたら。
怒りだけではない。
シェイドの中には怯えもあるのだ。
顔が見たくて、時間を見つけてはフロウに会いに行く。しかし、胸が苦しくなってきて、長くは一緒にいられない。仕事を理由にすぐに立ち去る。
会いたい、苦しい、会いたい、その繰り返し。
グツグツと煮えたぎるような思いが、行き所なく胸の中でとぐろを巻く。
シェイドがドアを開けると、フロウが立っていた。
シェイドは寝苦しさに耐えきれなかった。夜の海でも見ようかと思い、部屋を出ようとした瞬間の出来事だった。
フロウを前にして、シェイドは固まった。
目をまん丸にしたフロウが、シェイドを見上げていた。
シェイドの目は、一瞬にしてフロウのすべてを写し取ってしまった。
栗色の瞳は驚きを見せながら、うるんでいる。
瞳と同色の髪は柔らかく艶やかだ。
バラ色の頬も首筋も、肘から見える腕も、その肌は果実のようにみずみずしくなめらかだ。
珍しく黒い色のワンピースを着ている。
それはフロウを少しばかり大人びて見せた。
炎のような気持ちが立ち上がり、思わずシェイドは自分の口を右手でふさいだ。
フロウはハッとしたように話し出した。
「ごめんなさい! とても疲れていることは分かっているんだけど、どうしても! 私、どうしても! 少しでいいんです。お部屋でお話できませんか? …あの。シェイド、どこかに行くところでした?」
フロウが会いに来た。フロウの声だ。二人きりだ。疲れている。部屋で話を。部屋で。
シェイドの思考は錯綜した。フロウの言葉が切れ切れにしか理解できなかった。ひとつひとつの言葉がシェイドを揺るがした。
心臓の音がうるさいほどに響いていた。
フロウと二人きりで、部屋で話す。
シェイドは顔の下半分を覆うように当てた右手を取り払うことができなかった。
酒を一気に飲んだように、頭がくらくらとした。
フロウは不安そうな顔で、おずおずと言った。
「あの。ごめんなさい。分かっているんです。忙しくてすごく疲れていること。しつこくしません。1回だけ、私の気持ちを聞いてもらえませんか? 今、どちらかへ行くご用でしたか?」
「いや…」
シェイドはかろうじて、そう答えた。
フロウが意を決するように、小さくすばやく息を吸ったのをシェイドは見た。
フロウは直線的な眼差しをシェイドに向けて言った。
「お部屋に入れてくれませんか」
シェイドはため息一つ体の外に出せぬまま、内側に渦巻く熱に困惑した。
相も変わらず破壊的な熱だ。
フロウは無防備にそれに触れてこようとする。
こらえるほどに、切なく狂おしく甘い衝動がつのる。
シェイドは何もかも放り投げて、爆発しそうになる。
シェイドはとうとう両手で顔を覆い、眉根を寄せて、奥歯を噛みしめたのであった。
結局、フロウを部屋には入れなかった。
シェイドは、祖母ソフィアの教育によって与えられた忍耐と礼節によって、己の破壊的な熱からフロウを守ったのである。
シェイドはフロウを連れて、船の心臓部たる制御室へと向かった。道すがら、二人は何も話さなかった。
華麗なレリーフの施されたドアの前にたどり着いた。
ドアはスライドし、二人は室内へと足を踏み入れた。
黒水晶の突き出る神秘的な大広間である。
壁面の水晶には、夜の海と星空が映し出されていた。
もともと月明かりに照らされているような神秘的な明るさを保つ部屋である。
星空の映像と調和し、室内は洞窟の中から夜の海を望むような、幻想的な様相を呈していた。
「私、よく月を見ていたんです」
最初に口を開いたのはフロウだった。
フロウは壁に映る夜空を見上げながら話した。
この部屋では通常よりも意識が澄み渡る。シェイドは幾分冷静に、フロウの話を聞くことができた。
向かい合いすぎずに済むことも、今のシェイドには丁度よかった。
フロウは続けた。
「急にごめんなさい。私の話を聞いてほしくて、お訪ねしました」
シェイドはぎこちなく頷いた。
それを受け、フロウは夜空を見ながら話を続けた。
「あの、私、シェイドや兄ミカエルの記憶を失くしていました。でも、何もおぼえていないはずなのに、月を見ると、どうしようもなく胸騒ぎがして、たまらなかったんです。ずっとずっとそうでした。どうして月を見ると、こんなにも落ち着かなくなるのか。私は不思議で仕方ありませんでした」
フロウは両手を胸の前で組んだ。
「シェイドのこと、忘れていてごめんなさい。傷つけましたよね。でも、言い訳みたいですけど、私はずっと、何か足りないものを感じていました。それが月だと、心のどこかは知っていたんです。一体、どういうことなのか。以前は分かりませんでした。でも、今なら、月が特別だった理由が、私にははっきりと分かります」
フロウは流れるようにシェイドの方を向いた。
「月はシェイドです」
月と星の光に照らされたフロウは、女神のように美しく見えた。
シェイドは目を見張った。
フロウにずっと思われていた。
その真実にシェイドの心は打ち震えた。
それは、フロウとハシマとの生活の中に、シェイドが実は居座っていたという話だ。フロウの全部が欲しいのに、手出しができないと苦しんでいたいたフロウの過去に、シェイドが存在したという話だ。
「フロウ、本当か」
「はい。私は嘘は言いません」
シェイドの中で、喜びがいくつもはじけた。
熱が上がった気がする。
シェイドは今度は額に手を当てた。
フロウは再び夜空を見上げた。
「古書店で暮らしていた時期、私の中には、とにかく自立しなければという強い思いがありました。早く自分の力で生きていけるように、私はしっかりと学び、知識も技能も身につけていくのだと、いつもそう思って頑張ってきました。ハシマ先生は、私のその思いに応えて、たくさんのことを教えてくれました」
突然出てきたハシマの名前に対し、浮かれていたシェイドは冷水を浴びせられたようにギクリとした。
フロウの口からその名前が出ることさえ、厭わしかった。
フロウの顔を見ることができず、シェイドはフロウと同じく星空を見上げた。
フロウは言った。
「ハシマ先生には心から感謝しています。私は生きていくために必要な力を、いくつも身につけることができました」
シェイドの胸はジクジクと痛んだ。
表情は仮面のように動かなくなり、指先が冷たくなった。
フロウはそんなシェイドを見ることなく続けた。
「ところで、私が、どうしてそんなにも自立、自立って思ってたか、分かります?」
シェイドは突然の問いかけに途惑った。
いまや体中が冷たくなってしまい、すぐに反応することができなかった。
フロウがシェイドの横顔を見た。
シェイドは星空を見上げることをやめられなかった。
シェイドには、フロウがどんな顔をしているのかは分からなかった。
フロウは言った。
「シェイド。あなたと一緒にいるためです」
シェイドの胸がドキンと鳴った。
シェイドは恐る恐る、フロウを見た。
フロウの雄弁な目が伝える。
本当のことしか言ってませんよ、と。
フロウの桃色の唇が動いた。
「思い出したんです。何もかも。私は幼い頃、シェイドとミカエルと大冒険をしました。ミカエルはただ一人の私のお兄さん。切っても切れない、離れたって離れきれない、血の絆をもつ人でした。そして、シェイドは、私を見知らぬ世界に連れだしてくれた人です。私はどこにも行けないと思っていた。そんな小さな世界で生きていた私にとってシェイドは、初めての友達、そして、初めての…」
フロウはシェイドに向かって一歩踏み出した。
不自然に離れていた二人の距離が縮まった。
シェイドは吸い込まれるように、フロウの輝く栗色の瞳を覗きこんだ。
今一度、フロウの唇が動いた。
「愛する人」
シェイドは衝撃を受けた。
知っていたはずフロウの気持ち。
いや、知っていたのだろうか。
シェイドの表情は動かなかった。
シェイドの頭の中はパニックを起こしていた。
フロウがほんのりと頬を染めた。
恥ずかしそうに少し目を伏せて、フロウは話した。
「シェイドはいつか私に会いに来ると言った。私はシェイドが来た時、一緒に旅立てるように、自立を急いだんです。何もできない私が、大きな運命とともにあるシェイドと一緒に行くとしたら、相応の力を身につけていないといけない。今のままの私では、シェイドにとって、邪魔な役立たずになってしまう。心からそう思ったんです」
シェイドの胸の中にじわじわと広がるものがあった。
フロウの話の意味が、シェイドの混乱した頭の中で形を持ち始めたのだ。
フロウは組み合わせた両手を下におろし、染めた頬を隠すことなく視線を上げて告げた。
「記憶を失っていた時も、私はシェイドに向かって進んでいました。早く自立できるようにと頑張り続けた背景に、シェイドがいたんです。私は、あなたに方向づけられて、あなたを目指して生きてきました。出会ったあの時から、シェイドが私のすべて」
「フロウ、俺は」
「シェイド」
シェイドは定まりきらぬ思考のままに、フロウへと手を伸ばした。
フロウはその手を待たず、シェイドの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい。私、あなたに触れたくてたまらなかった」
シェイドは反射的にきつくフロウを抱きしめた。
シェイドのつま先から脳天まで、電撃のような快が走り抜けた。
シェイドの中に巣食っていたあらゆる面倒なわだかまりを、フロウが溶かしてしまった。とぐろを巻いていた熱情はほどかれて、つながる体からフロウへと流れていった。
あとは、正直な心の声だけが、シェイドの内側にあふれ返っていた。
「愛している。フロウ、愛してる。愛してる」
フロウを抱きしめながら、シェイドは何度も繰り返した。
腕の中にいる100%のフロウすべてを、全身全霊で実感していた。
柔らかさ、ぬくもり、息づかい…心と体、そして魂そのすべて。
重なる鼓動の大きさも速さもとどまることを知らず。
高まりゆく熱をお互いに止めようともせず。
シェイドは少しだけ体を離し、フロウの顔を覗き込んだ。
シェイドはかすれた声で伝えた。
「フロウ。キスしたら、俺はもう止まれない」
フロウはさらに頬を火照らせた。
そして、シェイドのシャツをきつくつかんで、目を閉じ、顎を上げた。
すみやかに差し出された唇を前に、シェイドは息をのんだ。
かなわない、と一言。
シェイドはフロウに、口づけを落としたのであった。
知恵「過去も今も未来も、あなたが1番。あなたしかいない。特に過去については丁寧に。正直な気持ちを伝えて、あいつの独占欲に応えるのよ!」
大義「少しもためらってはダメ。なにしろ、船の安全にとって最重要、みんなの命に関わることだから」
突破力「会う時間がない…わけないって。夜に部屋に押しかけろ。俺ならそうする。逃がさないように、いきなり行くんだ。そうだ、今夜決行だ!」
女子会、恐るべし。
いよいよ次回、最終回です。