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行きましょう

 常春の華ガロン、ロキ、魔術大学院のベロニカの来訪以来、ミカエルはあっという間に息を吹き返した。


 ミカエルに訪れたのは、回復以上のものだった。

 恐るべき経験は、ミカエルの心身を鍛え上げたのだ。


 身体能力は軒並向上。

 感覚が冴え、反射神経が増し、一打に宿る集中が破壊力を大きくした。武術という枠を超えて、ミカエルの動きは野性味を帯びた。


 精神的にもタフになった。

 死への恐怖による動揺がなくなった。

 生来の安定感に、経験値が加わった。


 なかったはずの魔力が体を巡った。

 魔力はさほど強いものではないが、心身を補完するさらなる力となった。


 感情的により豊かになった。

 持たざる者、奪われた者の痛みについて、芯から理解する感覚を得た。



 総じてミカエルは、よけいに魅力的になった。

 若干、行き過ぎて、人間らしさを失ったようでもある。

 本人はそこまで思い至ってはいないが、再会したベロニカは、そう感じた。


 ベロニカは、アフタヌーンティーに誘われ、レストランの個室でミカエルに対面していた。


 柔らかな輪郭を描く面ざし。

 澄み渡るスカイブルーの瞳。

 きらめくプラチナブロンド。

 どこまでも穏やかな雰囲気を保ちながら、その肉体は厚みがあり鍛え抜かれて逞しい。


 復活したミカエルの輝きを目の当たりにし、ベロニカは口笛を吹きそうになるところを自重した。




「すっかり元気になりました。あの憎たらしい人を殴りに行きたいのですが」




 席に着くと、待ちかねたとばかりに、ミカエルは早速そう言った。

 その時のミカエルは、神秘の羽を折りたたみ地上に降り立ったが如く、妙に人間らしくなった。


 ベロニカは苦笑いをした。

 ベロニカの反応にミカエルは首をかしげた。


「何か?」

「いえ。あいつのやることは、つくづくにくたらしい限りだと思って」


 ハシマが傷つけ、叩きのめしたことで、ミカエルは遥かなる境地へと達した。おそらくベロニカも同類。ハシマに与えられた痛みを越えようとする過程で、多くの実りを得た。

 ハシマにむしろ感謝するべきなのか。



 否。



 傷つけられた痛さは忘れられるものではない。また、胸にじわりと浮いては沈みゆく苦悩も、消えてなくなりはしない。古傷は、時を経ても何度も己を突き刺す。



 ミカエルが表情をかげらせて言った。



「憎いです。それだけじゃない。ええ。こんな気持ち、知りたくはありませんでした」



 ハシマについて語るミカエルのかげりは、ミカエルに泥臭い人間味を与える。

 その姿ときたら。


 尊い者が、肌近くに降りて側にあるような。


 ゾクゾクする暗い喜びがベロニカの背筋を走った。



 あいつめ、と思わずにいられない。魔術師のサガ。美しいものを汚す背徳的欲と快。



 もし、ミカエルが感情的になり、ハシマを手加減せずに殴ってしまうのなら、きっとミカエルはハシマを傷つけたことに傷つくのだ。

 自分を制御しきれなかったことに、顔を歪めるミカエル。

 ハシマは、ミカエルが追って来ることに感づいて、手ぐすね引いて待っている。ミカエルをもっと傷つけてやろうと仕掛けている。



 見たい。

 その時のミカエルは、とてつもなく美しいに違いない。



 ベロニカは首を振る。

 妄想に走る自分を落ち着かせようと、紅茶を一口含む。



 あいつの思い通りになどさせるものか。



 そうだ、私が殴ろう。



 お願いだからハシマを許してやってください。

 思わずミカエルがそう言うほどに、私があいつを殴ってやろう。


 ミカエルにかばい立てされるハシマ。それを、スイレンが見ている。

 滑稽極まりない。ハシマのプライドはズタズタになる。

 とても無様で、見ものだ。



 ふと、ベロニカはミカエルに尋ねた。



「ハシマを殴った後はどうするつもり?」

「説得します。そんなところにいないで、家に帰って、古書店の店主に戻りなさいと」



 ミカエルは腕組みをして、やや怒りをにじませながらも、まっすぐな目をして言った。

 ベロニカは目をぱちくりとした。

 そして、ふき出した。


 最高に滑稽だ。

 本当に戻るかどうかではなく、その説得の様が笑える。



「大賛成よ! さすがだわ!」



 大学の人間関係に疲れ、古書店に引きこもったハシマ。

 人間の世界に疲れ、鬼のすみかに引きこもったハシマ。

 なんて進歩のない。

 ベロニカは心から笑った。

 ハシマはミカエルに説教されるのだ。




 そっちのほうが、もっと見たい。




 ベロニカは、鬼のすみかへ潜入する道筋の解明をミカエルに誓った。








 ミカエルは、危険な旅立ちに当たって、両親に話をつけた。


 フロウの育ての親たる恩人ハシマが、先日の騒動の際、大きな魔法に巻き込まれ、異界に飛ばされてしまった。

 今こそ恩返しの時。妹フロウを長く慈しみ育ててくれたハシマを助けることが、これまでの尽力に報いるということ。

 異界から帰れずにいるハシマを迎えに行く。

 ガイドとして魔術大学院の偉大なる魔術師ベロニカを伴う。常春の華の協力も得る予定である。

 多少の危険はやむを得ないが、万全を期す。

 ハシマを助け次第、すぐに戻り、事業に注力する。


 父ビヨンドは猛反対した。

 常春の華と協定を結び、今が発展の時なのである。

 妙なことに首を突っ込むべきではない。


 ところが、母リリスがミカエルの背中を押した。


 さて、リリスであるが、実は今回ミカエルに話があると呼び出され、久しぶりに屋敷に戻って来た次第なのである。

 リリスは、船に乗った姉アルルの部屋を貰い受け、そちらで暮らしていた。

 すなわち、ビヨンドとは別居を続けていたのであった。



 ビヨンドは、自分以上にミカエルを引き止めるはずのリリスの変化に愕然とした。



 リリスは、仁義のためなら行きなさい、ただ、死なないで、と言った。

 ミカエルは、死にません、と答えた。そして、大切なものを守る力を今の僕は持っています、と話した。



 傍に控えている執事ドメスと侍女頭ハンナは、母と子の神々しさに、心の中で手を合わせた。

 発言に見合う強靭な男がそこにいた。

 今のビヨンドが太刀打ちできる相手ではなかった。


 ミカエルは、その存在感でビヨンドを黙らせた。

 たじろぐビヨンドを尻目に、リリスも姉アルルの部屋へと帰って行った。

 リリスの凜とした後ろ姿は、ビヨンドに引き止める隙を与えはしなかったのである。








 さて、これからどうするか。


 鬼のすみかへの道をこじ開ける。

 渦巻く悪しき風の影響を防ぎ続ける。

 化け物と化したハシマとスイレンを叩き伏せ、従わせる。

 説教して2人とも連れ帰る。


 ひとつひとつ無理がある話だ。

 ミカエルとベロニカの力だけでは、何をするにも足りない。

 ベロニカはひらめいた。


 鬼のすみかの化け物に匹敵する、想像を超えた力にアクセスする鍵。






「協力するわけねえだろ」






 ヒルダはにべもなく断った。

 ここはキングの屋敷の中庭である。



 ある日、ミカエルとベロニカはそろってキングの屋敷を訪れた。

 そして、鬼のすみかに行くために、ヒルダの力を借りたいと申し入れたのである。


 天気がいいからと、キングは2人を中庭に案内した。

 呼ばれて事情を聞かされたヒルダの反応は、当然のことながら、否、であった。



 キングは天を仰いで考えていた。

 背の高いキングの後ろに、ヒルダは隠れた。


 ヒルダに近づこうと、ベロニカもキングの体の周りを歩いて回った。


 キングがふと気づいて声をかけた。


「ベロニカ、ついてるぞ」

「あ、ごめんなさい」


 ベロニカの金茶色の髪に絡んだ落ち葉を、キングがつまみ取った。

 キングは琥珀色の目を細め、血の通う方の手を器用に動かした。


「庭のどこを歩いたらこうなる? ほら、こっちにも小さいのがついてる」

「本当? あら」

「よし。もういいだろう」


 キングはベロニカの髪にからむ小さな落ち葉を取り払うと、最後にさりげなく金茶色の髪をなで整えた。


「ありがとう。でもね、あなた、私みたいな女まで、子ども扱いしてあやすつもり?」

「すまない。そんなつもりはないんだが」

「ふふ。悪い気はしないわ」

「そうか」



 ヒルダは、キングの腰の脇から、2人の妙にしっとりとしたやりとりを見ていた。

 頭に血が上った。


「何を急にお似合いぶってんだよ! ふざけてんじゃねえぞ!」


 ヒルダが声を荒げると、ベロニカはすばやく動いた。


「ヒルダ、あなたをないがしろにしたりはしない。あの時のあなたの指のケガ。手当てしてあげられなくてごめんなさい。もう傷は治ったのかしら」


 ベロニカはヒルダの手をサッととった。

 ヒルダはヒッと青ざめた。

 同時に胸がドキドキしてきた。

 こうなると、もはやベロニカのペースである。


「ここの侍女服もよく似合ってる。かわいいわ。あなたに会いに来たのよ。ヒルダ。傷はすっかり良くなったのね」

「ななな」

「保護者のキングさんにも話をつけないといけないけど、元から私、あなたに興味津々」

「ひー」


 左手をベロニカの柔らかな両手に挟まれ、ヒルダは腰を抜かした。


「キーング」


 ヒルダが情けない声を上げた。

 キングは苦笑いをして言った。


「ベロニカ、勘弁してやってくれ」


 ペロリと舌を出し、ベロニカはヒルダの手を解放して立ち上がった。

 ヒルダは涙目のまま、座り込んでいた。



「いい子だ」



 不意にベロニカの頭を優しくなでる手があった。

 ベロニカが驚いて見上げると、キングがおどけたようにホールドアップした。


 突然の出来事に、ベロニカの頬は熱を集めた。今まで慈しむ相手の頭をなでることはあっても、なでられることなどなかったベロニカである。

 手の項で火照る頬を押さえながら、ベロニカは笑ってしまった。


「いたずらね」


 ベロニカのその笑顔が何とも幼くて、端で見ているヒルダの胸がドキドキとしてしまったのであった。







 それまで、穏やかな眼差しを注いでいたミカエルが口を開いた。


「力を貸してくれませんか。鬼のすみかに行くには、ヒルダさんの力が必要なのです」


 腰砕けのヒルダはミカエルを見て真っ赤になった。




 こいつ、この間会った時より、超絶かっこよくなってるんですけど。




 ヒルダは、ミカエルのスカイブルーの柔らかな眼差しに囚われた。


 誰か、こいつの誘いを拒絶する方法を教えてくれ。


 ヒルダは真っ赤になってときめきながら、首を横に振り続けた。

 ミカエルの引力に逆らえず、恥ずかしいのに目がそらせない。

 切り捨てたいのに、あまりの優しい雰囲気にすがりつきたくなる。

 ヒルダは混乱した。


「ヒルダさんを危険にさらしたりはしません」

「バカ! それ以上近づくな!」


 足を踏み出したミカエルを、ヒルダは必死に止めた。

 こいつはヤバいとヒルダの本能が告げていた。


「ごめんなさい。怖いのだと思いますが、僕が守りますから」


 ミカエルは思慮深く立ち止まり、ヒルダに語りかけた。


 ヒルダはキュンとした。

 こんな美形が自分を守る、だと?

 そんなおいしいシチュエーションを逃していいのか。


 横からキングが言った。


「俺も一緒に行こう」

「えっ!」


 ヒルダは尻もちのまま、キングを見上げた。

 キングは片方の口角を上げて笑った。


「面白そうだ」


 ヒルダはぽかんとした。

 キングも行く?

 面白そう?

 ミカエルが守る?

 ベロニカは自分に興味津々?



 これは、そんなに危険な話じゃないのか?



 次第に訳が分からなくなってきたヒルダである。

 ベロニカがたたみかけた。


「まあ、すてき! みんなで行きましょう!」


 ノリはピクニックである。

 ベロニカは機を逃さぬ速さで、再びヒルダの横に張り付いた。


 お弁当がどうのこうの。

 服装はどうのこうの。

 ね、一緒に頑張りましょう!


 はあ。

 へえ。

 ほう。


 ヒルダは気の抜けた返事をした。

 勢いにのまれ、いつの間にか、力を貸すことを了承してしまっていることに気づかぬヒルダであった。





 ヒルダとベロニカを見守りながら、ミカエルはキングの隣に移動した。


「よろしいのですか? キングさんもご一緒に」

「常春の華が一枚噛むのだろう?」

「はい。頭首ガロンさんに話は通り、サイゴのツギの塔を使わせていただくことになっています」


 キングは腕組みをした。


「ガロンは、宵闇の青スイレンを回収したいんだろう。可能なら裏通りの古書店店主ハシマも、手の内に置きたいと願っている」

「おそらく」

「ならば、まことの黒サイドの俺が出ないわけにはいかない」

「はい」


 ミカエルは少々、苦い顔をした。


「申し訳ありません」

「やむをえないことだ。ハシマはいまや、精霊の契約書さえ反故にしかねない存在だ。力のバランスが崩れるのなら、再び戦争が起こり得る。ハシマは力を持ちすぎた。二度とこの世に帰ってこない方が、平和は保たれる。本人も分かっているんじゃないのか」

「しかし!」

「ああ。分かるよ」


 キングは鋭くミカエルを見た。




「あんたのエゴだ。あんたにとっては、世の中の大勢の命以上に大事だっていう、そういう話だろ?」




 キングの眼差しは厳しかった。

 ミカエルはキングを見返した。

 決して怯まなかった。






「その通りです」






 ミカエルは、端的に肯定した。

 言い訳一つしなかった。


 スカイブルーと琥珀の視線が、小さな火花を散らした。

 数々の修羅場をくぐり抜けてきたキングの鋭い視線は、凶悪でさえあった。

 ミカエルは強靭な精神力で、その険呑な光を引き受けた。


 琥珀色が先にまぶたの下に消えた。


 ややあって、キングは目を開いた。





「気に入った。やっぱり面白い」





 目を開けたキングは、楽しげな笑みを浮かべていた。

 射殺すような圧はもはや消え去ったので、ミカエルは肩から力を抜いた。

 キングは左の義手を、右手でなでた。


「俺の家族であり相棒である2人が、遥か遠くに行ってしまった。恩人のギルさんも金庫バアももはやいない。今回の後始末が終わったら、何をどうしたもんか。俺は正直、今後の行く先に迷っていた」


 キングはミカエルを見た。




「まだまだこの世界も捨てたもんじゃねえな。面白い」




 道を定め、満足そうなキングがそこにはいた。

 ミカエルはまばたきを数回した後、微笑んだ。


「これから行く旅に、キングさんが一緒なら、本当に心強いです」


 ミカエルは照れくさそうに髪をかき上げた。

 陽光を受けて、プラチナブロンドがきらめいた。


 恥じらう笑顔を向けてくるミカエルに、キングは渋い顔をした。



「おいおい。大の男が、そういう無防備な顔はよせ」

「え?」

「自覚なしか。厄介だな。悪い人間に狙われるぞ」

「少しは強くなったつもりです」

「…分かってねえな」



 人たらしめ、とキングは心の中でつぶやいた。











 ミカエルは遥か先にいるハシマを思った。

 博愛も平等もない。

 ミカエルの身勝手で、引っぱり出し、殴りつけ、連れ戻す予定の相手だ。


 下手をすると、戦争の引き金となってしまう存在。


 ミカエルの心が晴れることはない。

 自分の行いが正しいのかどうか、誰も答えをくれはしない。

 そもそも正しさとは何なのか。


 ハシマは妹の恩人であり、先日の事件解決の功労者でもある。ハシマ救出(?)に賛同し、手助けをしてくれる人もいるのだし…ハシマを連れ戻す言い訳は、いくつも浮かぶ。




 しかし、ハシマは、世界の均衡を崩す可能性を孕んでいる存在なのだ。

 しかも、本人は別にこの世界に戻ることを望んではいない。




 ぐるぐると思い巡る最後には、ミカエルのエゴが残る。




 やはり一発殴りたい。

 …会いたい。








 割り切れぬ心のままに、それでも尚、ミカエルは顔を上げて前を向く。









「行きましょう」









 ミカエルの声に、キングとヒルダ、そしてベロニカが頷いた。


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