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出発の日

 その日、知らせが告げていた通り、巨大な船が山を割って姿を現した。

 シッコク地区のみならず、首都トウト全体に届くような振動を与え、船はキングの屋敷の裏手より浮上した。


 屋敷の裏手の山の形はすっかり変わってしまったのだが、不思議なことに、人の住む地域には、多少の揺れを除く悪影響はなかった。


 船の巨体は陽光を遮り、まるで曇りの日のようにシッコク地区は薄暗くなった。


 船は、クジラのような流線形、黒く艶やかな有機体とも感じさせる質感をもち、ゆっくりと動いた。まるで空を泳いでいるかのように、優美でさえあった。


 キングは屋敷の庭に出て、薄暗い影の下から琥珀色の目で見上げ、船を見送った。

 ヒルダは屋敷の中から、船に乗らなかったキングを満足げに見ていた。







 船は最短距離で海を目指していた。

 シッコク地区を囲む険しい山々を、船は悠々と飛び越えた。


 ミドリ地区やハクキン地区の人々にも、船はよく見えた。

 知らせを受けてはいなかった人々にも、もちろん船は目撃された。


 船を見た人は、誰もが最初にぎょっとした。

 しかしすぐに、ああ、還る船か、と納得した。


 それは、知らせ同様、とても不思議な現象であった。

 その船は、人々にとって、既知の懐かしい祭りのように感じられた。

 自分自身の知識、経験、記憶と、それは何もぶつかり合いはしなかった。


 日常とは違うが、あって当たり前の存在。


 ある人は船に手を振り、ある人は興味を失いそれ以上船を見上げもせず。

 船はそうして空を泳いで行った。










 さて、優雅に青空を泳ぐ船であったが、その頃、船内はどうなっていたのか。


 実は、てんやわんやの事態なのであった。









「押すな!」

「さっさと転移装置から離れろ!」

「ちょっと、久しぶり!」

「うそ、あんたも来たの!」

「だから、どけって!」

「とりあえず、てめえがそっち行けよ!」


 船に乗ることを希望した人々は、その日、順次、自分のいた場所を離れ、船の転移装置を通じて船内に移動してきていた。


 転移装置とは、転移の魔術を増幅させる補助媒介で造られた丸い板状の魔法陣である。

 この装置は、知らせでひもづいた人々を呼び寄せるという離れ業をやってのけた。

 蓄積されてきたまことの黒の魔術の粋である。


 呼んだら最後の片道切符。

 この転移装置は、もうすぐ沈黙する。


 さて、まずは住民登録をせねばならない。

 転移装置から、次々現れる新しい乗船者たち。

 登録のためのスタッフは、一方の壁際にずらりと並んで座っている。

 この船での生活について、説明もしなければならない。

 船長との顔合わせも必要である。


 転移装置のあるこの部屋はそれなりの広さなのであるが、無機質で硬質なグレーの広間である。

 先に到着した者たちは、面白くもないこの部屋を出て、船を探索したい気持ちにもなっていた。


 船出の興奮もあって、顔を合わせた者同士ごちゃごちゃとやり合う状況にもなっていた。




 一応、取り仕切り役としてそこにいる金庫バアは、さっそくうんざりしていた。


「あたしゃ、こういう面倒は好きじゃないんだ」


 金庫バアにつきそうマッドとドーブとペドロは、この場をまとめようと必死だった。


「まだ登録すんでない奴、こっち来て登録しろ!」


 マッドは声を張った。

 従う者もいたが、話を聞いていない者たちも多かった。





 とうとう、大きなもめごとが起こった。体格のいい男たち5人が殴り合いのケンカを始めたのである。

 輪になってそのケンカをとり囲み、はやし立て、盛り上がる者たちも現れた。

 ケンカの観衆はあっという間に膨れ上がった。


 収拾のつかなさに、ドーブが頭を抱えた時だった。






 一人の男が颯爽と殴り合いの輪に踊り込んだ。






 その男は凶悪な笑顔を浮かべたまま、筋骨隆々とした5人の男たちを一人ずつ殴り倒していった。

 急所を鋭く狙う拳の攻撃力。男は実力差を見せつけた。それはあっという間の出来事だった。

 最後に男は一人、円の中心に立った。


 あまりの早い展開に、観衆も唖然とし、黙ってしまった。


 突然、最初に殴り倒された男がナイフを抜いて身を起こした。

 ナイフを持つ男がいるのは、円の中心に立つ男の背後であった。


 観衆は悲鳴を上げた。




 ゴンッ




 重い音がして、ナイフを持って立ちあがった男が地に沈んだ。


 その男の後ろに、鉄鍋を持った褐色の肌の女が立っていた。

 女が男の後頭部を鉄鍋で殴りつけたのだ、と観衆は状況を理解した。


 円の中心に立つ男は、ややまなじりのさがった目をしていた。

 男はその目に険呑な光を乗せたまま、観衆たちに向けて言い放った。




「あそこで指示出してる男がいる。船でやっていくには、秩序が必要だ。俺の言うこと、分かるよな? ガキでも分かる簡単なことだ。黙って、あの男の言うことを聞け。いいか、今すぐだ。並べ」




 決して怒鳴ったり声を荒げたりはしていないのだが、男の言葉には威圧感があった。

 観衆がシンとした中、マッドは大きな声を出した。


「順にこっちだ! 先に船の住民としての登録を済ませてくれ!」


 ハッとしたように人々は動きだした。

 マッドやペドロやドーブたちが誘導する中、これまでとは比べようもないほど、登録の長テーブルには人々が整然と並んでいた。







 ふんぞり返ってイスに座り一部始終を見ていた金庫バアのもとに、まなじりの下がった男と褐色の肌の女が近づいて行った。


「金庫バア」

「挨拶が遅い。ついでに手出しも遅い」

「すみません。ほんの少しタイミングを見ていました」

「でも、金庫バアも何もしなかったわ」

「お前らの姿が見えてるのに、何であたしが動く必要がある」

「シェイドは」

「転移装置の制御のため操舵室にいる」


 そう話した金庫バアの横のドアがスライドした。


「遅くなりました。わあ! アニヤさん、アネモネさん!」

「フロウ!」


 ドアから現れたのは、フロウだった。

 フロウは頬をバラ色に染め、アニヤ、アネモネとの再会に喜びをにじませた。


「船に乗ってくださったんですね!」

「変な言い方ね。私たちは船に乗ることを自分たちで選んだのよ」

「はい! うれしいです!」

「シェイドはどうした?」

「もうすぐ来ます。後始末して行くから、先に行っててって。ミカゲちゃんは着替えてからくるそうです」


 フロウは金庫バアを見て、ミカゲのことを付け加えた。

 ミカゲは数日前にフロウとの再会を果たしていた。

 今回、転移装置の制御のために、わずかながらミカゲも黒い魔力を注いでいた。


 アニヤは、転移装置の制御に疲れ果て、無様にひっくり返って必死に呼吸を整えているであろうシェイドを想像した。フロウには、見られたくない姿であろうと察した。


「うん。こっちの皆の登録ももうすぐ済むだろうから、シェイドの到着もちょうどいいだろ」

「そうですか。本当に、たくさんの人が船に乗ってくださったんですね」


 フロウは、乗船を希望した人々を見渡した。

 老若男女さまざまな人々がいた。

 どんな思いでこの船に乗ったのか。

 一人ひとりの生き様を思えば、感慨深くもあった。


「あれ」


 フロウの視界を何かが横切った。

 よく知った顔を見たような気がした。

 とにかく人が多く、認識しきれなかった。


 気のせいかと思ったのだが。


「フロウ!」

「きゃあ!」


 人ごみをかき分け、フロウに駆け寄り、抱きついてきた女がいた。

 フロウは驚いた。

 この感触、さすがにすぐに分かった。



「お母さん!」

「乗っちゃったー!」



 フロウの母マルタであった。

 フロウが目を丸くするうちに、マルタを追って次の来訪者があった。


「ちょっとあんた!」


 男のように髪を短く切った女だった。大判のスカーフを大胆に巻きつけたスタイリッシュな女は、フロウを見ると、怒り口調を改めた。


「あら。ミカエルの妹ね」

「はい、あの、はい」


 状況についていけずおたおたするフロウに、女が名乗った。


「私はアルル。ミカエルの母リリスの姉よ。あなたには一度会いたいと思ってた」

「私は」

「マルタ! あんたは別! よくもリリスを泣かせてくれたわね! こんな所で会うとは! でもいいわ。リリスたちは皆船には乗らないから、一生、あんたの顔を見なくてすむもの!」

「ごめんなさーい!」


 マルタは走って逃げた。


「こらあ! 話を聞け! フロウ、また後でね!」


 アルルは目をつり上げて、マルタを追って行った。



 ポカンとするフロウの肩にポンと手が乗った。アネモネだった。


「いつでも相談に乗るからね」

「あ、ありがとうございます」


 フロウは茫然とする以外になかった。






「アニヤさん!」


 今度はアニヤに声がかかった。

 顎先で切りそろえた黒髪、紫色の目を持つ若い男だった。

 アニヤは微笑んだ。


「ユウカリさん、あなたも」

「はい。乗りました。ロキも乗ってます」

「そりゃまた」


 アニヤは眉を上げ、ユウカリの指さす先を見た。

 波打つ黒髪、紫色の瞳、人ごみの中にあってもロキは神秘的な美しさをきらめかせ、目立っていた。

 

「ロキさん!」


 フロウは目を輝かせた。

 ロキはゆっくりとフロウたちに向かってきた。

 ロキは誰かの手を引いていた。


「ごめんなさいね、フロウ。あなたには謝らなければいけないことがたくさんある」

「いいえ! また会えて、とてもうれしいです!」

「ほら、あんたも謝んなさいよ」


 ロキは手を引いて来た男を、自分の後ろから引っ張り出した。

 端正な顔をした水色の目の男だった。


「先日は、ご迷惑をおかけしました」

「えっと…イセさん」


 フロウは、シェイドと溶け合った記憶の中から、目の前の男の名前を導き出した。

 確か、イセの腕に抱えられ死にかけたのだった、ということを、フロウは他人事のように思い浮かべていた。


「あの、イセさんに私もお世話になったような…」

「フロウ、あなた、まだそんなお人よしなこと言ってるの? 怒っていいのよ、あたしにも、イセにも」


 ロキが呆れてフロウをたしなめる中、イセはアニヤとアネモネにも深々と頭を下げ、謝罪した。

 アニヤは腕組みをしたまま、言った。




「とりあえず、全員、金庫バアに挨拶」




 ユウカリとロキとイセは、ハッとしてアニヤの後ろに座る老婆を見た。

 ユウカリに至ってはアニヤの発言はまったく意味不明なのであったが、金庫バアは礼を尽くすべき相手なのだと状況からすぐに察した。

 ユウカリがサササと金庫バアの前に立った時、再び横のドアがスライドした。


「お待たせ! あ!」


 現れたのはミカゲであった。

 ミカゲは落ち着いたグレーのワンピースを身に着けていた。どこからどうみても男の子には見えない、かわいらしい女の子であった。


 イセはミカゲの姿を見て、息をのんだ。そして、金庫バア詣での列を外れ、フラフラとミカゲの前に立った。


「ミカゲ、会いたかっ…」

「バカ!」


 イセの浮足立つ想いは、ミカゲの一喝にぴしゃりと抑え込まれた。

 イセはまばたきも忘れ、動きを止めた。

 ミカゲはイセをまっすぐに見据えて言った。


「お前、今、金庫バアに挨拶するところだったろ! そっちが先だろうが!」

「あ」

「俺たちは、誰よりも筋を通さないといけないんだ! しっかりしろよ!」


 イセは叱りつけられ言葉を失った。

 それからイセは苦笑した。気まずさだけではなく柔らかな甘さを含む笑みだった。

 そして、素直にロキの後ろに並んだ。


 ミカゲはそんなイセの表情に、思わず頬を紅潮させた。照れを隠すように、ミカゲは両手を腰に当てて立っていた。




 フロウは、イセとミカゲの関係をはかり損ねていた。

 シェイドとの記憶の融合は、すべてがクリアな内容として定着するようなものではなかった。

 イセを見て、ミカゲを見て、記憶を探り、考えた。


「! もしかして!」

「そういうことね」


 横から見ていたアネモネが、フロウのたどり着いた答えに同意をくれた。

 今度はフロウの頬が赤くなった。

 フロウの胸がドキドキしてきた。















 船は、船内の混乱を外にはまったく見せず、なめらかに進んで行った。


 カロナギ国の山深くにある屋敷では、シェイドの祖母ソフィアとミカゲの母ルイが並んで広間の鏡を見ていた。




 鏡には先程まで、シェイドとフロウとミカゲが映っていた。




 旅立つ3人が、魔術でアクセスしてきた。

 ほんの短い時間だったが、顔を合わせてお別れができた。


 ソフィアとルイは、3人の姿が消え、ただの鏡に戻ってしまっても、しばらくそうして鏡の前にたたずんでいたのであった。











 シッコク地区。すでに船は飛んで行った。

 センターエリア0に残ったデンジは、想像を越えて一族に歓迎された。


 行かないと言ってはいても、デンジはその時が来たら、直系とともに船に乗るのではないか。


 この地に残るまことの黒の一族は、直系を失うことに対し、不安を抱えていた。

 一族をけん引するデンジの力強さを求めていた。

 そうして求められていることは、デンジに力を与えた。


 まことの黒ゴードンの命に従い、この地に残る一族を守り抜く。


 デンジは、これこそ我が天命と心得たのであった。













 ミドリ地区。

 タタとカラカラは、空を行く船を見送っていた。

 愛する者たちがあの船に乗っている。

 タタとカラカラは小さくなっていく船影を目に焼き付けるように、いつまでも見送った。


 タタとカラカラは、この地に残ると決めた。

 船に乗ることを思うと、足が震えた。

 タタとカラカラはその感覚に素直に従った。


 子ども時代も同様のことがあった。

 シェイドが行く道と、二人の行く道は違っていた。


 タタとカラカラは、自分たちの手の中で引き受けられることを、地に足をつけてやっていくという点で、共通の感覚を持っていた。


 アニヤとアネモネは、必要のなくなった財のすべてを二人に譲り渡した。

 それは、今の二人の手からは少しこぼれ落ちるくらい価値の高いものも含まれていたが、二人はありがたく、すべてをもらい受けた。


 先日、タタとカラカラは、アニヤとアネモネから別れの抱擁を受けた。

 なぜか、金庫バアとシェイドの気配も感じた。

 タタとカラカラの胸は引き絞られるように痛んだ。

 次々に蘇ってくる鮮烈な記憶たち。

 こみ上げてくる感情のままに、タタとカラカラは泣いた。





 船は遠ざかって行った。

 タタとカラカラは愛おしい人たちを乗せた船が去った空を見て、再び泣いた。

 雲ひとつない空がからっぽに見えて、悲しくてたまらなかった。






 タタとカラカラは、澄みきった青空の下で、たくさんの想いを抱えて、泣き続けたのであった。

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