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フロウの扉

 約束の金曜日、ミカエルは、迷わずに森の金網の破れまでやってきた。フロウは思わず拍手をした。

 ミカエルはピースサインをして、ニッと笑った。野球帽の下のいたずらな笑顔がまぶしくて、フロウは胸の前で両手をギュッと握り、まばたきをした。


 それを見ていたシェイドは、手早く移動するよう二人を促した。道路に面した場所では、誰かに見つかる恐れがあると伝えた。3人は、湖へ向かった。





「ああ、やっぱりここはきれいだなー」


 湖に到着すると、ミカエルは大きく伸びをして、被っていた野球帽を脱いだ。プラチナブロンドが日を照り返して輝いた。


「シェイド、僕の今日の格好はどう?」


 ミカエルは、シェイドの前で両手を広げた。ネイビーのTシャツに黒いハーフパンツだった。


「うん。この間より、ずっと目立たない」

「よかった!フロウは今日、スカートなんだね。かわいい。似合ってるよ」


 オレンジと黄緑のチェック柄のワンピースだった。

 ミカエルに鮮やかな笑顔とストレートな賛辞を向けられて、フロウは真っ赤になった。

 シェイドは複雑な気持ちになった。自分の言えないことをあっさりと言うミカエルに対してか、自分以外に反応するフロウに対してか、よく分からなかった。


 ミカエルは屈託なく続けた。


「シェイドは足長いね。何でも似合う」


 緑のTシャツにジーンズという簡単な服装だった。ミカエルからはまったく悪意も他意も感じられなかった。

 フロウに対しても、自分に対しても、ミカエルは全然変わらない態度なのだと、シェイドは気がついた。何となくほっとしていた。


「二人とも足長い気がする。背も同じくらい?」


 フロウが尋ねた。


「どうだろう」


 ミカエルは、シェイドの後ろに行き、背中合わせに立った。シェイドは思わず背筋を伸ばした。ミカエルも、ピンと体を伸ばした。フロウが横から二人を見た。


「あー、シェイドの方がちょっと高い」

「うわー、負けた!」


 ミカエルが本気で悔しそうな声を上げた。

 シェイドは、清々しい気持ちになった。

 余裕を持ってポンポンとミカエルの肩を叩くと、ミカエルが、こいつめ、とシェイドの首根っこに腕を回した。

 ギブギブ、とシェイドは笑いながらミカエルの腕をタッピングした。ミカエルは、降参したか、と笑って腕をほどいた。


 フロウは、ちょっとうらやましい気持ちで二人を見ていた。





 今日何をしようかという話になった時、ためらいがちにミカエルが言った。


「腕相撲しない?」

「え、私、絶対負ける」


 フロウが言うと、申し訳なさそうにミカエルが言った。


「そうだよね。実はシェイドと勝負がしたくて」

「それなら私、見てる」

「フロウがいいなら、俺は望むところだ」


 シェイドが早くも爛々とした目でミカエルを見つめた。


「よし、じゃあ決まり!」


 うれしそうにミカエルが燃える目で言った。





 場所として、先日のおままごとで使われたテーブルの一つ、地面から突き出た平らな岩が選ばれた。大きめの岩の端の方で、お互い体を斜めにして向かい合うことにした。


 シェイドとフロウは、先日のおままごとのことが頭をよぎり、どちらともなく目を合わせ、はははと軽く笑い合ってみたりもした。


 ミカエルはやる気十分で、先に構えてシェイドを待った。シェイドも地面に膝をつき、右ひじを岩についた。


 二人は手を組んだ。どちらかが組んだ手に力を入れると、もう一方が力を入れ返すような、微妙な力加減で、けん制し合った。


「どんなのでもいいから、フロウ、スタートのかけ声よろしく」


 ミカエルが固い緊張した声で言った。

 フロウも真剣な顔で頷いた。ハシマが試験を始める時のかけ声が、頭に浮かんだ。


「それじゃあ、いくよ。よーい」


 シェイドとミカエルの視線がぶつかり合った。お互いの目の中に闘志を見た。


「始め!」


 シェイドとミカエルは腕に力を込めた。力は拮抗した。


 ミカエルの筋肉質な腕に血管が浮かび上がった。

 組まれた手は白くなりブルブルと震え、激しい力のぶつかり合いが起きていることを伝えた。


 二人の全身が赤くなった。それぞれ憤怒の表情で歯を食いしばって力を込めた。


 フロウは、また、見たこともない二人の表情をそこに見た。鬼のようで恐ろしい顔だと思った。

 シェイドの眉間のしわが深くなった。ミカエルの額に汗が浮かんだ。


 シェイドの腕がじりじりとミカエルの腕を倒していった。ミカエルは腕を斜めにしながらこらえた。


「ふん!」


 ミカエルから声が発せられると、ミカエルはシェイドの腕を押し返した。


「ぐあ」


 シェイドから苦痛の声が漏れたとき、ミカエルの額の汗が頬へと伝った。


 フロウは、頑張れと思ったが、どちらに対して思ったのか、よく分からなかった。


 ミカエルの腕がシェイドの腕を圧倒していった。徐々に確実に追い詰め、とうとう、シェイドの手の甲が岩についた。


「くそ!」


 シェイドはすぐさま地面に大の字に転がった。息が切れ、体中が熱かった。右腕がジンジン痛んだ。


「やった!やったぞ!」


 ミカエルは左手を地面について、息をぜいぜいさせながら、右手を高く突き上げた。ミカエルの腕も痺れていたが、はじけるような体の中心からの喜びが、右手を動かした。


「ちくしょう」


 シェイドはつぶやき、左手で両目を覆った。負けるということは、これほどまでに悔しく屈辱的なものであると、再確認する思いだった。

 右手に力が入らなかった。いまだ元気そうなミカエルと比べ、腕の筋力では劣ることを認めざるを得なかった。


 晴れやかなミカエルと沈み込むシェイドを見て、フロウは二人の勝負の本気度を思った。

 自分も勝ったらうれしいし負けたら悔しいが、ちょっと度が違う気がした。

 何にせよ、本気を出して向かい、相手もそれに答えて響き合うという状況は、フロウにはうらやましく映った。


「いいなー、二人とも張り合えるくらい力持ちで」

「まあね、鍛えてるから」


 ミカエルが楽しげに力こぶを作って見せた。シェイドよりも筋肉質な印象があった。

 シェイドも半身を起して、それを見た。体育座りで頬杖をつきながら、もっと鍛えようと心に誓った。


「足はどっちが速いのかな」


 フロウが岩のテーブルに腰かけながら言った。シェイドとミカエルは思わず目を合わせた。

 ミカエルが先に笑った。


「やろうか、シェイド」


 シェイドはちらっとフロウを見た後、ミカエルに向かって笑い返した。


「いいよ。今度は俺が勝つ」

「フロウ、ありがとう。無茶苦茶ワクワクする」


 シェイドの流れるような視線とミカエルの鮮やかなまなざしを受けて、フロウはめまいのような感覚をおぼえた。


 あまりのきらめきによろめいた頭の中で、黒豆と白豆、奇跡のコラボレーション、徒競走編、という言葉が浮かんだ。


 ドキドキに耐えられず、つい口にしそうになったが、シェイドの力が抜けてしまってはいけないと自制した。自制できた自分が、ちょっと1ランクレベルアップした気がした。


「フロウ、へらへらしてる。何かおかしなこと考えてたね」


 立ちあがったシェイドが、スパッと言った。フロウは慌てて首を横に振った。シェイドは笑って、ミカエルと走る場所を決めに向かった。


 フロウは頬に手を当てながら、どぎまぎした。それから、慌てて二人の背中を追いつつ、1ランクじゃなく0.5ランクレベルアップということに修正した。










 湖から離れ5分ほど歩くと、草原地帯があった。フロウの案内で到着し、足の速さはここで競うことになった。平地とは言えず、緩やかな起伏のある地形であったが、シェイドもミカエルも不服は言わなかった。


 スタート地点を決め、ゴール地点にフロウが立つことになった。


「この辺でいいかなー」


 フロウが30メートルほど離れた地点から、大きな声で呼びかけた。


「いいよー、スタートのかけ声もよろしくねー」


 ミカエルが大きな声で返事をした。

 シェイドはスタートの構えをとった。ミカエルも開始に備えた。


「それじゃあ、いくよー、よーい」


 フロウはもう一度息を吸い込んだ。


「始め!」


 フロウの大きな声が届いた途端、シェイドとミカエルはほぼ同時に足を踏みきった。


 フロウはやや高い位置にいるため、二人の様子がよく見えた。がむしゃらに走る二人は、本当に四足獣のようであった。少し登り坂になっているのをものともせず、駆け上がってきた。


 時々、足元の何かを避けるようにコースを逸れながらも、フロウに向かって二人が近づいてきていた。


 あまりにも素早く力強い体の動きにフロウは恐れながら目を奪われた。足の回転も腕の振りも、自分にはありえないものだった。


 気づいた時には、シェイドがフロウの右側を駆け抜けていた。


 少しして、ミカエルがフロウの左側を駆け抜けた。


 フロウの後ろで二つの粗い息遣いが聞こえた。何だかぽかんとしたまま、フロウは振り返った。

 シェイドが両腕を支えに上体を起こし、足を投げ出して座っていた。ミカエルが大の字に寝転んでいた。

 ハアハアという息遣いの合間に、今度はシェイドが右腕を天に掲げた。


「よっしゃー!俺の勝ち!」


 シェイドの全身を、うねるような歓喜が駆けめぐった。

 ミカエルは、寝転んだまま左手の拳で地面を数回叩いた。


「ああ、もう!本気で嫌だ!負けるの嫌だー!」


 ミカエルの率直さにシェイドはなぜか胸を打たれた。


「俺もだ」


 気づくと口をついて、そう言っていた。


「シェイド勝ったでしょ」


 ミカエルは口をとがらせて言った。


「さっき負けた」

「一勝一敗か」


 ミカエルはうつぶせになると、ズリズリと匍匐前進のようにシェイドに近づいた。シェイドは、何事かとミカエルを見ていた。ミカエルは、いたずらっぽく笑った。


「隙あり!」


 ミカエルはガバッとシェイドの上半身に覆いかぶさった。シェイドは、うわっと一声、後ろに倒れた。


「押さえこみ!」

「卑怯だぞ!」


 シェイドが慌てている間に、ミカエルはシェイドの右腕をとらえて固めた。


「フロウ!こっち来て!」


 じたばたするシェイドを押さえこみながら、ミカエルは楽しげにフロウを呼んだ。フロウは戸惑いながら、ミカエルの傍に行った。


「僕のこっち側に座って」


 シェイドの腰に乗り上げて押さえこむミカエルに向かい合って、下にシェイドの顔を覗きこむ位置にフロウは座った。


「はい、じゃあ、一緒に押さえこみだ!」


 ミカエルが心底いいことを思いついたふうに言った。フロウはびっくり仰天した。


「何だよ、それ!」


 シェイドは驚いて、抵抗する体の力が抜けてしまうのを感じた。


「あ、疲れてきてる。フロウ、チャンス!」


 ミカエルのかけ声に、フロウはシェイドを見下ろした。唖然とするシェイドと目が合った。フロウの胸の奥がうずうずした。


「えい!」


 フロウは、ミカエルを押しのけようと奮闘していたシェイドの左腕を両手でつかみ、シェイドの顔の横の地面に押し付けた。


「ちょっと、フロウまで!」

「よし!押さえこみ完了!参ったと言え!」


 ミカエルが笑いながら言った。

フロウは、さっきまでうらやましいと思っていたじゃれあいに参加できたことで興奮していた。


 シェイドは、ミカエルを見て、フロウを見て、またミカエルを見て、どんどん力が抜けていくのを感じた。


「勘弁してよ」


 シェイドとフロウの目が合った。フロウの口から、自分でも思いがけない言葉がこぼれた。


「仕返し」


 シェイドは一瞬息をのんだ。それから、みるみる顔が紅潮した。


 フロウはハッとして、シェイドから両手を離し、口元を抑えた。フロウも赤くなった。


 シェイドを組み伏す状況から想起された先日のおままごとの感触が、何とも生々しく二人の中に蘇り、非常に気恥かしかった。


 シェイドは自由になった左手を額に当て、懇願するように言った。


「もう、参った。本当に降参」

「やった!」


 ミカエルは体を起こし、両手を上げて喜んだ。


「フロウもいい感じの押さえこみだったよ!」


 ドキドキしていたフロウは、ミカエルに声をかけられ、再びじゃれあえた喜びを思い出した。


「びっくりしちゃった。でも、楽しかったー」

「うん。こういうのって、皆でやったほうが、楽しいんだよね」


 フロウは、二人をうらやんでいた自分を、ミカエルは気遣ってくれたのかもしれないと思った。気にかけてもらえたと思うと、フロウはたまらなくうれしくなった。


 ミカエルは、フロウの表情の変化を見て微笑んだ。そして、フロウが何かを思う間もなく、フッと唇を寄せて、フロウの頬にキスをした。


 脱力していたシェイドが、ガバッと上半身を起こした。

 フロウは真っ赤になって、キスされた左頬に手を添えた。


「お前」


 シェイドがつっかえる口調で何かを言おうとした時、ミカエルがフッとシェイドに近づいた。

 ミカエルはシェイドの頬にもキスをした。


 呆然とする二人を見渡し、微笑みながらミカエルは言った。


「僕、シェイドのこともフロウのことも好きだな」


 フロウは、好きと言われて舞い上がった。

 母以外に好きと言ってくれたのは、ミカエルが初めてだった。突拍子もないことのはずなのに、美しいミカエルから温かく言われると、それはふりそそぐ日差しのようで、じんわりと自然に受け入れることができた。


 シェイドは、フロウやミカエルといると、いつも平静でいられる許容範囲を超えることばかりだと思った。シェイドは頭を抱えた。


「ミカエル、変わり者だろ」

「そんなの言われたことないよ」


 ミカエルは屈託なく笑った。シェイドは、この二人といて何度目になるか分からないが、もうどうにでもなれ、という気持ちになっていた。


「私、ミカエルが変わり者でもいい」

「あれ、僕、変わり者ってことになってる?」

「ミカエルの周りのやつらは、たぶん遠慮して言わないんだ。だから俺が言う。変わり者だ」

「何でもいいや。あー、楽しかった!負けると悔しいけど、本気出すのは、本当に楽しい!」


 ミカエルは満足そうに、草原に大の字に寝転んだ。


「空が青い」


 シェイドも仰向けになり空を見上げた。


「広いな」


 フロウは座ったまま空を見た。


「あ!」


 フロウは思わず声を上げた。寝転んでいるシェイドとミカエルが、顔だけフロウに向けた。


「どうした」


 シェイドの問いかけに、フロウは空を指さした。


「雨雲。こっちに来る」


 シェイドとミカエルは、フロウの指さす方向に目を向けた。黒い雲が、速い速度で向かってくるのが分かった。

 3人は素早く立ちあがった。


「雨宿りできる場所は?」


 シェイドに問われ、フロウは考えた。


「岩の洞窟」

「よし、そこ行こう」


 ミカエルの発声で、3人は走りだした。










 フロウが『岩の洞窟』と呼ぶ周辺は、まさに岩だらけで足場の悪い場所だった。鋭角の岩が突き出る坂を上った先に洞窟があった。3人が並んで入れる広さだった。

 洞窟の入り口に程近いゴツゴツとした岩場に、3人は座った。


 激しい雷雨が訪れた。


「すごいね。これは面白い」


 洞窟の外を見ながら、ミカエルは言った。

 薄暗い森に激しい雨が降り注ぐ光景は、圧巻だった。


「竜か雷神でも出てきそうだな」


 シェイドが激しい光景に見入られるように言った。


「私はちょっと怖いかも」


 フロウは自分を抱くように腕を回した。

 ミカエルは、その様子を見てすぐに、足場に気をつけながら、フロウの横へ移動した。


「大丈夫。通り雨だよ」


 ミカエルは、フロウのこめかみにキスをした。フロウはびっくりして、ドキドキして、あっという間に怖さを忘れた。ミカエルがいたわる表情で見ていた。

 シェイドは、こいつはまた、と思い、口をあんぐりと開けてしまった。


「フロウはノースリーブだから寒いでしょ。シェイドもフロウのそっち側に座りなよ。くっついて座っていた方が、暖かいんだよ」


 シェイドは一瞬ためらったが、やはりフロウの隣へ移動した。

 フロウは至近距離にシェイドとミカエルを感じ、体中が熱くなった。


「ね、このほうが暖かいし安心でしょ」

「あはは」


 ミカエルの言葉に、フロウはもはや笑ってごまかすしかなかった。

 左側のミカエルは、柔らかく自然に寄り添っていた。体は接触していないとはいえ、かなりの近くにいるのだが、不思議なほどに安らげる空気を醸していた。引き寄せられるように、自分から接近したくなる雰囲気だった。


 それに対して右側のシェイドは、まったく不自然だった。固く張り詰めたオーラを感じた。触れるか触れないかという二の腕が、敏感に相手の体温を感じた。すべての神経が過剰に反応し、シェイドの気配から何とも言えない刺激を受け取ってしまうのだった。


 薄暗さと轟々と鳴る雨の音に、フロウは感謝した。真っ赤な自分も、早鐘を打つ心臓の音も、全部隠されると思った。


「あ、稲妻」


 フロウは自分を抱いていた手をほどいて、指さした。黒雲から幾筋もの稲妻が走っていた。


「こんなの初めて見た」


 ミカエルが目を見張った。

 フロウは稲妻を指さしていた右手を岩場に下した。その上に、シェイドがスッと手を重ねた。


 フロウは、その手が稲妻に打たれたように痺れるのを感じた。シェイドを見ると、シェイドはまっすぐ稲妻を見ていた。


「きれいだ」


 シェイドは手の甲からフロウの右手を握った。フロウの体中が一瞬で沸騰した。フロウも稲妻に目を向けた。

 3人はしばらく、激しい雨と稲妻を見ていた。





 15分から20分ほどで雨はピタリとやんだ。明るい光が森を照らし出した。

 3人は洞窟を出て、湖のほとりに戻ることにした。


 帰りは岩場を下る形だった。ミカエル、シェイド、フロウの順に下りて行った。苔の生えた岩もあり、水を含んで滑りやすい状態になっていた。3人は慎重に進んだ。


 どうしてもミカエルとシェイドが先に進み、フロウがだいぶ後れをとるといった様相になった。ミカエルとシェイドも気づいて待つのだが、再び進みだすと、同じことが起こった。


 フロウは足手まといになるのは嫌だった。できるだけ追いつこうと急いだ。ミカエルもシェイドも、もうすぐ岩場を抜けるところまで行っていた。


 フロウは焦った。それがいけなかった。雨に濡れた岩場で足が滑った。何かをつかもうと手を伸ばした。その方向に体が浮くような感じがした。岩から突き出ていた枯れ枝は、手の中でパキリと折れた。


フロウは転落した。


「いやあ!」


 フロウの悲鳴を聞き、ミカエルとシェイドはすぐに反応した。二人は岩場を駆け上り、落ちてくるフロウを受け止めた。フロウは背中に衝撃を受けたが、がっしりとした二人の腕に支えられた。


「フロウ、大丈夫か!」


 シェイドがフロウの顔を覗きこんだ。フロウは青ざめたまま頷いた。


「歩けそう?」


 ミカエルに気遣わしげに尋ねられ、フロウは再び頷いた。

 フロウは、シェイドとミカエルに支えられるように岩場を下りきった。

 3人とも息が切れていた。


「ごめんなさい、迷惑かけて。助けてくれてありがとう」


 フロウは息を整えながら、二人に頭を下げた。


「いいんだよ、フロウ」

「そうそう、気にしないで」


 シェイドとミカエルに優しく言われ、フロウは顔を上げた。そして、再び青ざめた。


「二人とも、怪我してる」


 シェイドとミカエルは、言われて自分の体を確かめた。


「あ、腕」

「僕は足」


 シェイドの左腕は広範囲に擦り傷ができ、血がにじんでいた。ミカエルの右足は、やや深く傷つき、血が流れ出していた。


「どうしよう!ごめんなさい!ごめんなさい!」

「俺の腕はともかく、ミカエルはその傷に気づかないのはどうなの」

「ちくちくするなって、ちらっと思ったけど。怪我なんてしょっちゅうだしね」


 怪我をした二人はケロッとしていたが、フロウは申し訳なさで身が押しつぶされそうになった。


「そうだ、私、消毒になる草を取って来る。すぐ戻るから、二人とも、ここで待ってて!」

「ああ、いいのに!」


 ミカエルが止める間もなく、フロウは駆け出していった。

 残されたシェイドとミカエルは、お尻が冷たいと言い合いながら、近くにあった丸い岩に腰かけた。


 シェイドは、フロウが走り去った方向を向きながら言った。


「フロウは悪くない。フロウが焦るのを見てたのに、待ってやれなかった俺の判断ミスだ」


 シェイドは悔やんだ。仲間との仕事でも、何度も繰り返したし、気をつけてきたことだった。自分のペースを加減しないと、周りが傷つくのだった。


「ミカエル、足は本当に大丈夫か?」

「うん。怪我はよくするから分かるけど、このくらいなら歩けるし走れる」


 ミカエルは、自分の膝に頬杖をついてシェイドを見た。


「シェイドさ」

「うん?」

「僕、やっぱりシェイドのこと好きだな」


 シェイドは目を見張った。しかし、ミカエルの率直さに次第に馴染んできてもいた。


「俺のこと好きなの?」

「うん」

「そっか」

「うん」


 二人はそれから、今までの怪我自慢をし合った。残る傷跡を見せあいもした。





 そこに、フロウが息せき切って帰ってきた。


「お待たせ!ええ!?」


 丁度、ミカエルがTシャツをめくって、背中の傷をシェイドに見せている時だった。フロウは真っ赤になった。シェイドは、ミカエルのTシャツをガバッと下した。


「消毒してよ、フロウ。ミカエルからね」


 シェイドがうながす声で、フロウは我に返った。

 ミカエルの足元に座り、摘んできた消毒作用のある葉を両手ですりつぶした。また、その植物の茎を折り、中から出てくる液体をすりつぶした葉の上に垂らした。


「ちょっと痛いと思うけど、本当にごめんなさい。我慢してね」


 ミカエルの足の傷口見て、細かいゴミがついていないことを確認すると、その葉をあてがった。


「うわっ、しみる」

「ごめんね。シェイドの方もやるから、その葉っぱを押さえててね」


 フロウは同じような葉を2枚作り、広範囲に擦れているシェイドの腕に並べて貼りつけた。

 処置が終わると、フロウの心は申し訳なさで再び一杯になった。


「二人とも、痛い思いをさせて、本当にごめんなさい」

「フロウは悪くないよ。俺がちゃんと待たなかったからいけなかった。上から落ちて怖かったろ」

「フロウのせいじゃない。さっきシェイドにも見せてたけど、僕、格闘技で投げ飛ばされたり、馬から落ちたり、怪我が多いんだよ。こんなの何でもないよ。気にしないで」


 二人に優しくされ、フロウは切なくなった。何とかしたいと思った。


「早く治るように、おまじないしてもいい?」

「ん?そんなのあるの?いいよ、フロウの思う通りで」


 シェイドは、フロウの罪悪感が軽くなるなら、何でも引き受けようと思った。傷のある腕を伸ばしてフロウに向けた。ミカエルも足を差し出した。


 フロウは目をつむり、両手を口元で組んだ。ハシマが唱えている呪文を思い描いた。


 ハシマは言っていた。呪文も補助媒介もない中で、治したいという気持ちだけで白魔術を使ったのが始まりだったと。


 フロウは混乱の中で思っていた。白魔術の素質がなくても、呪文と補助媒介となる葉があれば、傷を早く治す手助けくらいにはなるのではないかと。


 治したい気持ちはハシマの時ときっと変わらない。フロウは、強く願った。


 呪文を思い浮かべると、フロウの体の深いところから、カタッカタッと何かが揺すぶられるような音が響いてきた。

 それは、閂をかけられた扉のように思えた。

 呪文はカギとなり、閂が消え去った。扉も輝き始め、液体のようになり、泡となって溶けた。


 フロウの奥底から螺旋を描いて透明なたくさんの泡が立ち上ってきた。押し出されるように、フロウの口から呪文が漏れた。


「あれ、痛みが」


 最初にミカエルが異変に気づいた。続いてシェイドも痛みが引いてきているのに気づいた。


 フロウは、自分からあふれ出る泡が、二人の傷口に向かって流れ込むイメージを感じていた。自分の内側の何かが、押し流されるようだった。


「これは」


 シェイドは葉を取り去って、腕の傷が消えていくのを見た。ミカエルはそれを見て目を丸くし、自分の足にくっついている葉も取り除いた。足の傷も、見る間に修復されていった。


「フロウ」


 シェイドの呼びかけに答えず、フロウは祈り続けていた。


「もういいよ、フロウ」


 ミカエルの声も聞こえていないようだった。

 シェイドとミカエルは、慌ててフロウの肩に手をかけ揺さぶった。


「フロウ!」


 フロウは、ハッとして目を開いた。倦怠感があり、自分が何をしているのか一瞬分からなかった。シェイドがいて、ミカエルがいて、ここは森で。次第に意識がはっきりしてきた。


「フロウ、大丈夫?」


 シェイドに問われ、フロウは頷いた。ひどい疲れを感じたが、動けないほどではなかった。


「これって、白魔術だよね?」


 ミカエルに言われ、フロウは二人の腕と足を見た。傷が治ったことを知り、とても驚いた。


「本当に治ってる」


 フロウのつぶやきを聞き、シェイドは心配するように声をかけた。


「知らなかった?これが初めて?」


 フロウは強く頷いた。


「私の回復薬の先生は白魔術が使える先生で、お客さんに唱えてたの。私が教わってたのは薬だし、先生も素質がないとできないからって、白魔術は教えなかったし、まさか、できるなんて」


「素質があったんだ。僕、大怪我した時、2回白魔術に治してもらったことがあるけど、同じだよ。まったく同じ」


「俺は初めて見た」


 白魔術を初めて見たシェイドには衝撃が大きかった。また、感動も大きかった。知らなかった世界がもう一つ広がった。


 ミカエルは、回復薬の知識も含め、フロウに感心するばかりだった。


 フロウは素質の存在を知らされ、未知へ踏み出す恐れと力を得た喜びとがないまぜになった感情を味わっていた。

 でも何よりも、二人の怪我を治すことができた安堵が勝っていた。


「よかった。怪我が治って、よかった」


 3人は笑いあった。


 それから少し休憩し、立ちあがった。

 よろめくフロウに二つの手が差し出された。フロウはドキドキしながら、右手をシェイドと、左手をミカエルとつないだ。


 3人はゆっくりと湖に向けて歩き出したのだった。


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