船
地下通路の果てには、広大な空間があった。
「何これ」
フロウは目をぱちくりとした。
空間の中に、巨大な黒い物体が置かれていた。
全容は見ることができないほど大きかった。
地下通路の果てからその巨大な物体の腹に橋がかかっていた。
金庫バアは腰に手を当て、見える限りの全体を見回した。
巨大なクジラを横から見ているような印象があった。
直線的な造作ではなかった。物体は流線形を描いていた。
「バカでかいね。見たこともない形をしているが…船か」
「ご明察です。これが、まことの黒直系が脈々と築き上げた集大成」
シェイドは感じ入るように深く息を吐いた。
3人は自然と歩き始めた。
橋を渡り、船の腹に面した。
その黒く艶やかな船の腹に長方形の光の線が走った。
シェイドたちを導き入れるように、その長方形は横にスライドし入り口となった。
3人は船に乗った。
船に乗り込むと、シェイドはすぐに呪文を唱えた。
シェイドの手の中に古き書が現れた。
それは、まことの黒に代々伝わる魔法書であった。
船の内部は、先ほどの通路同様、石とも金属ともつかない不思議な材で造られていた。
廊下があり、ドアがあり、窓があった。
シェイドは古き書を手にした途端、広大な船の内部構造が、瞬く間に把握できてしまった。
操舵室、居室、食堂、食糧庫、医務室、機械室といった場所だけではない。
「町だ」
そうつぶやき、確かな足取りでどこかを目指し始めたシェイドに、金庫バアとフロウはついて行った。
フロウはあちこち見回しては、道々、感嘆の声を上げた。
「わあ、お花! 大きな木!」
「ここステキ!」
「図書室って書いてる!」
船の中は、一律ではなかった。
無機質な通路もあれば、絨毯敷きの廊下もあった。
土を踏むフロアもあった。
フロウは、後であれもこれも見に来ようと心にメモをした。
また、サイゴの塔と同様、円筒形のチューブが折々に配置されていた。
それは、上下の階に人を運ぶだけではなく、時には、水平方向に移動する乗り物ともなっていた。
その水平方向に移動するチューブの速度が思いのほか速かったので、フロウは手すりをギュッと握った。
すると、シェイドが魔法書を持つ手と逆の手で、フロウの手を手すりから引きはがした。
あっという間に、フロウはシェイドと手をつないでいた。
フロウの胸がドクンと鳴った。
一瞬にして握り込まれた手は、いつもながら心地よさと緊張感が入り混じった不思議な感触をもたらした。
フロウは真っ赤になって、シェイドを見上げた。
シェイドは何かを考えている顔で、チューブの先を見ていた。
あまりにも涼しげなシェイドの横顔見て、フロウは余計に気恥ずかしさをおぼえた。
「むっつりめ」
「え? 今何か」
「いや、何でもない」
金庫バアは苦い顔でつぶやいたが、久しぶりに再会した恋人たちのために、それ以上は口をつぐんでやることにしたのだった。
シェイドが行くままに、フロウも金庫バアも、船の中をどんどん進んで行った。
シェイドはフロウの手を離さなかった。
フロウは、子どもの頃にシェイドと手をつないで歩いた時のことを思い出していた。
あの時、アオウミ森を歩いた時も、ワンピースを着て、スニーカーを履いていた。
今だってドキドキする。
シェイドの手も背も大きくなった。
再会した。
いろいろなことがあった。
謎の船に乗っている。
あの頃も今も、シェイドはフロウの手を引いて、未知の世界に連れ出すのだ。
一体、何にドキドキしているのか、記憶も現状も渾然一体となり、フロウにはもはや分かりはしなかった。
頭も胸もパンクしそうになりながら、フロウは小走りについて行った。
「ここだ」
シェイドが足を止めた。
惜しむようにフロウから手を離した。
フロウはピリピリと痺れるような感触をおぼえる手をそっと胸に抱き込んだ。
硬質で無機質な廊下に、ひと際目を引く扉があった。
扉には手の込んだレリーフが施されていた。
「行こう」
フロウは興味深くレリーフを見ていた。しかし、そのデザインを確かめることはできなかった。
シェイドが足を進めると、扉は音もなくスライドしたのだ。
「これはまたどうなってるんだ」
「わあ…」
金庫バアは訝しむ声を上げ、フロウは目を輝かせた。
その部屋は、黒い水晶の洞窟を切り出し、細工したかのような造りをしていた。
これまで通ってきた船のどの部分とも違っていた。
屋敷の大広間ほどの広さがある。
床は磨かれた水晶によって平らに作られていて、壁や天井からは自然そのままの黒い水晶が突き出している。
部屋の中は、満月の月明かりに照らされているような、神秘的な明るさがあった。
また、何より目を引くのは、壁の前面に大きな窓のような水晶が並んでいることであった。
部屋の中央に、シェイドの腰までの高さの台座があった。
やはり黒い水晶でできていた。
シェイドはその台座に進んだ。
フロウと金庫バアが後に続くと、入り口の扉が音もなく閉じた。
「夜みたい」
フロウはホウッとため息をついた。
今まで以上に、心が澄み渡り、魔力が研ぎ澄まされる感覚があった。
「船の心臓部であり、脳」
シェイドは短くそう言って、手にした魔法書を台座に置いた。
台座は、魔法書が3冊は置ける横幅があった。
シェイドは顔だけ後ろに向けて、フロウと金庫バアに目で合図をした。
フロウと金庫バアは力強く頷いた。
シェイドは前に向き直り、右手を台座の上の魔法書に置いた。
「すべてを起動する」
シェイドは呪文を唱えた。
シェイドの強大な魔力が放出された。
膨大な黒い魔力が、シェイドの右手の下にある魔法書に注ぎ込まれた。
黒い魔力は、魔法書を経由し勢いを増した。
黒い魔力は素早く、したたたっと台座に沁み込んだ。
「!」
フロウは見た。
黒い魔力は台座を伝って床に向かい、そこから四方八方に広がったのだ。まるで、打ち上げ花火が夜空に開いたかのようであった。
激しいエネルギーの流れに、フロウはめまいをおぼえた。
なみなみとした黒い魔力が、シェイドから船へと行き渡っていった。
シェイドの髪が下からの風に煽られるように広がった。
シェイドは自分と船がつながっていくのを感じた。
巨大な船の隅から隅まで、黒い魔力が届けられる。
フロウやハシマと一体となった時の感覚にも似ていた。
シェイドは、この船に命を与えているイメージを得た。
船が目を覚ます。
部屋の水晶が震えた。
足元から来る振動に、思わずフロウはしゃがみ込んだ。
続けて、金庫バアが静かに片膝をついて、姿勢の安定を保った。
シェイドの呪文は続いていた。
壁の前面にあるパネルのような水晶が白く柔らかな光を放った。
そこにはいくつもの画像が映し出された。
フロウは、先ほど通ってきた通路の画像を見つけた。船の内部が映っていることを理解した。
壁の水晶に映し出される通路も部屋も、少し前に目にした時よりもずっと明るかった。
非常灯から通常灯に切り替わった時のようであった。
ゴゴゴという地の底から響くような音がした。
フロウは思わず金庫バアの肩口に身を寄せた。
「バカげた魔力だ」
金庫バアは呆れた口調でそう言った。
フロウはその声を聞き、少し落ち着いた。
シェイドの魔力が船に巡っていくことが、フロウには感知されていた。
目の回りそうな総量の魔力でもあり、頭の痛くなりそうな緻密さでもあった。
その感覚におぼれそうになるところを、金庫バアに救われた。
金庫バアは、魔力をとらえることはできず、船が動く力によってシェイドの力を知る。
圧倒されて口も聞けなくなったフロウと違う感覚がよかった。
「ありがとうございます」
「? 何の話だ」
金庫バアは不思議そうな顔をした。
フロウはその地に足のついた存在感に意識を向け、シェイドの魔術から気を逸らすようにしたのであった。




