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タタのゆううつ

 四つ辻の肉屋の件で、まとまった金と休みを手に入れたタタは、気持ちが大きくなっていた。

 他のチームから羨望のまなざしで見られていることにも気づいていた。自分が優れた何者かであるような気がした。


 その勢いのまま、1丁目のパン屋の娘ブレンダに会いに行くことにした。映画に誘おうと思いついた。ブレンダが店番をする時間を見計らって、店を訪ねた。

ブレンダは、明日は休みだからいいよと、タタの誘いを了承した。


 タタは持ち前の社交性によって、金庫バアの組織の外にも、少なからず友達関係を築いていた。


 ブレンダは、1年前から一人でパン屋の売り子を任される時間を持つようになった。何度か訪れたことのあるタタが、一人で店番をするブレンダに、早速声をかけた。


 丸顔で目の大きいブレンダは、かわいいと近所で評判の女の子だった。

 オウド地区とミドリ地区の境に住み、比較的恵まれた生活をしていて、いつも身綺麗だった。

 タタより1才年上だった。


 この1年、タタは暇を見つけてはブレンダを誘った。

 公園でジュースをおごって一緒に飲んだり、小さなアクセサリーをプレゼントしたり、稼いだ小銭を使いきることもしばしばであった。


 ブレンダははっきりした性格で、思ったことをポンポン言ってくるのも、テンポが良くてタタは気に入っていた。


 公園の人気のない場所で、手をつないだり、抱きしめたり、キスをしたりした。

 ブレンダは、嫌なことははっきり嫌と言うので、安心してタタはエスカレートした。

 ブレンダは、驚くほど躊躇なく受け止め、それに答えた。タタは、ブレンダのふくらみかけの乳房に触れるまでに至っていた。


 かわいいと評判のブレンダとの秘めた関係に、タタは、行為自体の興奮とは別の満足感も感じていた。

 それは、自分は、友達よりも頭一つ抜け出たところにいるという感触だった。


 ややこしいことを抜きにしても、タタは、ブレンダが好きだった。











 約束の日、タタはブレンダとともに、話題のアクション映画を観に行った。

 ノースリーブのブラウスと赤のチェックのミニスカートが、ブレンダによく似合っていて、映画に集中するまでに時間がかかった。





 映画を見終わり、二人はいつものように、地域で最も大きい一丁目公園に向かい、草木の生い茂る一角に並んで座った。

 二人はしばし、映画の話で盛り上がった。


 やがて、会話が途切れた。


 タタは、ブレンダを見た。ぽってりした唇が目に入った。

 いつもなら、ここで、ブレンダがタタを見つめ返すのだが、ブレンダは、体育座りで前を見たままだった。


 タタは、若干の違和感をおぼえたのだが、それを無視した。キスをしようと、ブレンダに顔を近づけた。

 ブレンダが、横を向いてかわした。


 タタは、びっくりした。


 今までなかったことなので、思わず一拍置いて、タタはもう一度顔を近づけた。しかし、再び、ブレンダは体を逸らしてかわした。


 拒否された、と理解すると、タタの混乱は増した。これまでの流れで、何が拒否につながるのか、まったく分からなかった。


「おい、ブレンダさ」

「ごめん」


 声をかけると、かぶせるように謝られた。


「意味分かんねえんだけど」


 ブレンダは、ちらっとタタを見た。


「何かあるなら、はっきり言えよ」


 いら立ちを込めてタタが言うと、ブレンダは少しムッとしたように答えた。


「キレられても、うざいけど」


 隠しきれないいら立ちをにじませながら、再びタタは問いかけた。


「訳分かんねえから、ごめんの意味を言えよ」


 一度はムッとしたブレンダが、再びためらった。タタは、これはろくなことじゃない、という予感がした。


「言えよ」

「あのさ」

「おう」


 ブレンダは、タタの顔を見ずに、下を見たまま話した。


「あのさ、お母さんが、遊んじゃいけないって」


 タタは、頭をガンッと殴られたような気がした。絞り出すように聞いた。


「急になんだよ」


 ブレンダは、青ざめたタタの顔を気遣わしげにチラチラ見ながら答えた。


「私がタタと最近よく会ってること、誰かがお母さんにちくったみたいでさ。お母さんから、会うのやめろって、すごい怒られた」


 タタの口からつぶやきが漏れた。


「なんで」


 ブレンダは申し訳なさそうに言った。


「普通の家の子じゃないからって」


 タタは激しい衝撃を受けた。


 うっすらと陰で言われていることについては感じていた。しかし、こうまで露骨に自分が隔てられてしまう体験はなかった。


 タタの茫然自失の表情を見て、ブレンダは慌てて付け加えた。


「私はタタのことそんな風に思ったことなかったし、遊んでても変な人じゃないし、楽しいし、よかったんだけど、お母さんにダメって言われたら、やっぱりちょっと」


 タタとブレンダの目が合った。


「やっぱりもう遊べない」


 ブレンダがきっぱり言った。




 タタは傷ついた。体の内側で、いろんな思いが錯綜して、収集がつかなかった。


「なんで、じゃあ、なんで今日来た」


 あえぐようにタタが尋ねると、ブレンダは目を伏せて答えた。


「最後の思い出になるかな、とか、ちゃんと、もう遊べない理由言わないと、とか、いろいろ思って」

「ああ!なんだよ、ちくしょう!」


 タタは頭を抱えた。短い髪をグシャグシャとかきむしった。それから、バッと顔を上げて、必死でブレンダに訴えた。


「会うこと隠してたら、分かんねえだろ」

「バレたらやばいもん。外出禁止になるし」

「上手いことやれば、バレねえよ」

「今までだって、上手いことやってたつもりだったし。でも、バレたし」


 タタとの関係を続ける意思が、ブレンダにはないことが伝わってきた。

母親に怒られたくらいで、自分はさようならなのかと、タタは納得がいかなかった。


「結局、お前も、俺のことを、普通の家の子じゃねえって、前から思ってたんだろ」

「だから、私は思ってないって言ってんじゃん」


 タタのいら立ちに呼応するように、ブレンダの口調も厳しくなってきた。

 タタとブレンダは視線を逸らしながら、目が合う時はにらみ合い、言い合った。


「親に言われたくらいで、何でそんなに簡単に、はい、わかりましたなんだよ!」

「は?簡単とか、分かってないのそっちなんですけど」


「簡単だろうが。結局こっちを見下してんだ。バカにしやがって」

「そういうんじゃないって言ってるし。そっちが勝手に思い込んで人のせいにしてんじゃん。迷惑だし」

「バカにしてんじゃねえなら、おめえは俺をどう思ってんだよ」


 タタは、恐れながら、最も聞きたいことを口にした。


「どうって」


 勢いづいていたブレンダが口ごもった。


「別に。気に入ってたけど」


 タタには不満だった。顔を背けたブレンダに、タタは思いをぶつけた。


「俺は、ブレンダが好きだ。こんなんで、はい、さよならとか、納得いかね。ブレンダはどうなんだよ。気に入ってたってなんだよ。好きじゃなかったのかよ」


 ブレンダは爪を噛んだ。数回まばたきし、いら立ちを含んだ言葉で言った。


「楽しかったから気に入ってたけど。それでいいじゃん」


 タタはショックを受けた。ブレンダも自分のことを好きなのだと思っていた。それすら違ったことを知らされ、タタの中の怒りが燃え上がった。


「いい子ぶってるけど、結局、最初から、家なしだって、俺のことそう思ってたんだろ!」

「だーかーらー、何回も言ってるじゃん、そういう問題じゃないし!」

「クソみてえな所に住んでるクソやろうのことは、好きになれねえって、そういうことだろ!他に何があるってんだ!」


「何回言っても分かんないなら、本当バカだわ!はい、分かりました。バカにも分かるように言ってやる。私には好きな人がいるんだよ!」

「え」


 タタは絶句した。まさか、思ってもみないことであった。ブレンダは、そんなタタを見て、ふんっと鼻を鳴らし、腹立たしげに言った。


「言わないでおこうと思ったのに。そっちが悪いんだよ、しつこいから。お母さんに怒られたのもあるけど、その時考えたんだよ。タタがいたら、好きな人に告れないって」


 タタの半開きの口から、半ば無意識に問いがこぼれた。


「いつから」

「1週間前くらいから」


 ブレンダは、もはや開き直って、傲然とタタを見て話した。タタは、どう考えていいのか分からなくなっていた。

 地面についた右手が、無意識に土をえぐるように爪を立てていた。


「そいつを好きになるまでは、俺のことは」

「気に入ってたよ。好きとかそういうんじゃないけど」

「好きでもねえのに、普通、胸とか、触らせるか?」

「あれは、その、遊びみたいなもんじゃん。好きな人なら、恥ずかしくて逆に無理だし」


 ブレンダは、若干バツが悪そうに言った。好きな人とはロマンチックにしたい、と追いうちをかけるように付け加えもした。


「誰だよ。そいつ、おめえの好きになった奴は、どんな奴だよ」

「何で言わなきゃなんないの。関係ないし」

「あれだろ。普通の家の奴だろ。そういうことなんだろ」


「しつこいし。あー、もう、知らなかった。タタって本当、しつこい!」

「うるせえ、言えよ。俺は自分には釣り合わねえって、最初からそう思ってたんだろ!」


 タタは、しつこいと言われ、自分のかっこ悪さを自覚した。しかし、止まらなかった。

 言い募るほど、ブレンダが離れていくことにも気づいていた。ブレンダの不快そうな顔が、目つきが、タタの心を刺した。


「むかつく。家、家、うざい。こだわってんの、そっちじゃん」

「てめえが隠すからだろ!いつまでもいい子ぶってんじゃねえよ!」

「あー、うざい!家とか、関係ないし!だったら言うけど、私が好きなのは」


 ブレンダは激しくタタを睨みつけた。


「あんたと一緒にいる、髪の黒い子だよ」


 タタの心は、瞬時に凍りついた。











 タタは路地裏を、一人、フラフラと歩いていた。


 ブレンダとのやり取りで、随分打ちのめされた。生まれて初めての手ひどい失恋だった。プライドがズタズタになった。


 廃屋に挟まれた人気のない場所に着くと、タタは壁を背にズリズリと座り込んだ。


「ちくしょう」


 口から悪態が漏れた。視界に入った右手は汚れていて、爪にも土が入っていた。


 ブレンダが好きな相手は、シェイドだった。


 ブレンダは、シェイドについての思いをタタに話した。





 ブレンダは、シェイドの名前も知らなかった。シェイドは、半年以上前に一度、タタと連れ立ってパン屋で買い物をしたことがあった。

 それが出会いと言えば出会いだった。


 その後は、パン屋の前で、タタとシェイドが手を振って別れるところを、何度か見たことがあるだけだった。その時はまだ、かっこいい子だけど、なんだか怖いという印象だった。


 それが1週間前、初めてシェイドが一人で、パン屋に買い物に来たのだった。

 ブレンダが一人で店番をする時間だった。


 ブレンダは、シェイドの突然の来店に驚きながら、やっぱりかっこいい子だと思って見ていた。


 一通り簡単に店内を見た後、シェイドがブレンダに問いかけた。


「あの、ちょっと分かんないんだけど、教えてもらえる?」


 シェイドに話しかけられ、ブレンダはドキッとした。まっすぐ向かい合うと、シェイドは遠目よりも、もっとすてきだった。


 日持ちのする甘くておいしいお菓子について聞かれたブレンダは、ドキドキしながら、ラスクを勧めた。私も好きなお菓子だと付け加えた。


「これ、君も好きなの?」


 シェイドがブレンダをスッと見た。本当に流れるように一瞬の内に、全身を見られたと感じた。

 ブレンダは、たまらなくときめいた。


 すぐにシェイドは目線を上げ、何かを考える様子になった。やがて、ふわっと笑顔を浮かべた。それも一瞬であったが、ブレンダの心は鷲づかみにされた。


「これにする。いくら?」


 シェイドは会計を済ませて店を出て行った。

 それだけだった。


 だが、ブレンダはそれからシェイドを忘れられなくなった。

 寝ても覚めてもシェイドのことばかり考えるようになった。

 ブレンダは、あっという間に恋に落ちていた。





 先ほどまでの不快な表情とは違い、はにかむ表情で語るブレンダを見て、タタの中の何かが切れた。

 ガバッと立ち上がると、右手でえぐり取った土を、体育座りのブレンダの足元へ叩きつけた。


 キャッと悲鳴を上げたブレンダへ、タタは怒鳴りつけた。


「てめえなんぞ、知ったこっちゃねえ!二度と会わねえよ、ブス!」


 そうしてタタは、後ろで何事かを言い返すブレンダを置き去りにした。二度と顔を見たくないと思った。










 一人になりたくて、路地に入り込んだ。

 そして今、一人になると、どうしようもなく泣けてきた。


「ううう」


 タタの小ぶりな瞳から、大粒の涙が次々と流れ落ちた。


「わー!あー!あー!」


 タタははばかることなく、激しく泣いた。膝に頭をうずめた。泣き続けた。


 生まれがどうでも、育ちがどうでも、自分は人に好かれる性質だから、臆せず友達をつくるのだと考え、実際にそうしてきた。

 露骨に避けられることもあったが、タタがこだわりなく親しくすると、意外と多くの子どもたちが、普通に親しく遊ぶようになった。


 生まれも育ちもあまり気にしない自分、というのは、タタにとって、自尊心の一部となっていた。


 ところが、今回、ブレンダと言い合う中で、いかに自分が生まれや育ちにとらわれているのかを思い知らされた。


 また、自分が一方通行でブレンダに好意を寄せていたという事実も発覚した。真実が何も見えていなかったことに愕然とした。一人で舞い上がっていた自分を恥じた。


 そして、シェイドが一瞬にして、ブレンダの心を奪っていたことに衝撃を受けた。自分の1年間は、その一瞬に負けたのだと知った。


 俺の心をもてあそんだクソ女め、とブレンダを何度も罵った。繰り返し、繰り返し、毒づいた。




 だが結局は、刃は自分に向かってきた。


 あの程度の女に踊らされた自分、勘違いして浮き足立っていた自分、器が小さくこだわりの多い自分、シェイドのように女を引きつける魅力を持たない自分。


「なんで、なんで、俺」


 しゃくりあげながら、タタは嘆いていた。


 なぜ、こんな風にみじめな思いをしなければいけないのか。

 なぜ、こんな境遇で生まれてしまったのか。

 なぜ、自分はかっこいい器の大きな男ではないのか。

 なぜ、自分は魅力的に生まれてこなかったのか。

 なぜ、自分は自分でしかないのか。


 路地に、夕暮れのはちみつ色の光が差し込んできた。ふとタタは既視感にとらわれた。


 小さなシェイドが路地裏の袋小路で、ゴミ箱の中から出てきた。金庫バアがいて、カラカラもいた。今と同じ、はちみつ色の光に満たされていた。

 金庫バアが、タタとカラカラに、シェイドを仲間にするかどうか決めていいと言った。タタとカラカラは、シェイドを仲間にすることを選んだ。


 仲間にしなければよかった。


 シェイドがいなければ、こんなにも惨めな思いをすることはなかった。

 シェイドのような突き抜けた存在が近くにいるから、こんなにも苦しいんだ。

 シェイドさえいなければ、もっと自分は評価されたはずなのに。


 タタは、ぐるぐるとそう思うことを止められなかった。


 これまでも、少しはシェイドへの嫉妬を感じることはあったが、いなければよかったと思うほどのことは、一度もなかった。初めて、憎しみを感じた。


 四つ辻の肉屋の一件から、タタは自信と仲間への信頼を感じ、心地よい日々を送ってきていた。


 ここにきて、自分が手にしていたものが、ガラガラと崩れ落ちるような感覚に陥っていた。何もない、惨めな存在になり下がってしまったような気がした。


 そもそも親に捨てられるような自分であるのだからという思いまで、まざまざと浮かんできて、タタは深い穴の中に落ちていくような気がした。


 タタは、3日後に誕生日を迎えようとしていた。金庫バアに拾われた日で、正確な誕生日ではないが、特別な日であった。昨日まで、まさかこんな気持ちで誕生日を迎えることになるとは思ってもみなかった。


 タタは、10才になろうとしていた。

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