封印されし扉
シェイドはカウチに眠るフロウに呼びかけた。
「フロウ」
それは、見ている金庫バアの背筋が凍るような、甘い声であった。
シェイドの甘い声に、特別な魔力が込められていたのかどうか。
あれほどの戦いの最中においても目覚めることのなかったフロウのまぶたが、ピクリと動いた。
フロウは緩やかに、何度かまばたきをした。
自分を見下ろすシェイドを認識すると、フロウはつぼみがほころぶように微笑んだ。
いまだ夢見心地と見られるフロウのあどけない笑顔に、シェイドはつられるように微笑み返した。
シェイドとフロウは目と目を見かわして、微笑み合った。
金庫バアの全身にゾワゾワと鳥肌が立った。
「いい加減にしろ!」
その声を目ざましに、しゃっきりと背筋を伸ばしたフロウは、見知らぬ状況にいる自分にやっと気がついた。
シェイドは隠しきれない喜びをにじませながら、それでも少し気まずい顔をして見せたのであった。
シェイドはフロウに一通りの説明をした。
フロウは二度とシェイドとは離れないという信念のもと、いともあっさり、すべてを受け入れた。
シェイドとフロウ、そして金庫バアは、使用人エリザベスに見送られ、3階の部屋を出た。
シェイドは言った。
「扉の封印を解く」
この屋敷にかつてからある開かずの扉である。
ギルからキングに引き継がれたこの屋敷は、まことの黒直系の秘密を丸抱えして眠らせてきた。
屋敷の1階、中央を東西にまっすぐに伸びる廊下の東端にそれはあった。
「これだ」
シェイドが立ち止まった。
フロウはシェイドの後ろから、顔を覗かせて扉を見た。
廊下の突き当たりにある扉は、他の屋敷の部屋の扉と形状も材質も同じであった。
違っているのは、その真中に埋め込まれた小さな黒曜石である。
金庫バアは、シェイドとフロウから、少し離れた後ろにいた。
鎖でつないで首から下げている黒曜石の指輪を、金庫バアは手に取った。
「似てるね」
それは、ギルから受け取った指輪である。
シェイドによると、複雑な魔術が織り込まれているという。
それが、開かずの間の扉にはめ込まれた黒曜石とそっくりだったのである。
シェイドは金庫バアをうながした。
「金庫バア、もっと扉の近くに」
金庫バアは鎖を首からはずし、指輪を手に持って、扉に近づいた。
フロウとシェイドを追い抜いて、金庫バアが扉の真ん前に立った時、それは起こった。
金庫バアは目を丸くした。
手の中の黒曜石の指輪が自ら光を放ち始めたのである。
金庫バアがまばたきをする間に、今度は扉の黒曜石が同じく輝き始めた。
「共鳴してる」
「きれいね」
シェイドとフロウは、金庫バアの後ろでこそこそとつぶやいた。
二つの石は、同じリズムで明滅した。
鼓動を重ねるように、黒い輝きが同期した。
金庫バアはしかめっ面で手のひらの指輪を見ながら、シェイドに尋ねた。
「何が起こっているのか説明しな」
シェイドは答えた。
「金庫バアの持っている指輪が鍵となって、扉の魔術を解いている。精密に頑丈に編み込まれていたものが、一部の狂いもなく、なめらかにほどかれていっている」
「私にも見えます。本当にきれいです。…あら、止まった」
それぞれの黒曜石の輝きが消えた。
金庫バアは指輪を握り込んで尋ねた。
「終わりかい? この扉は開いたのか」
「もう少し。金庫バアの指輪は、解錠を早送りした。最終的に扉を開くのは俺です」
シェイドは金庫バアの頭の上から手を伸ばし、扉の黒曜石に触れた。
「開け」
シェイドの魔力が扉の黒曜石に流れ込んだ。
黒曜石はシェイドの手の中で再び輝いた。
こうして、扉の最後の封印が解かれたのである。
開いた扉の先は、廊下が続いていた。
少し行った先に地下へ下りる階段があった。
3人並んで下りられる広さの階段が、螺旋を描いて地下に続いていた。
果てしなく続くような長い階段を、3人は小走りに下りて行った。
その階段も壁も、サイゴの塔と同様、黒い石のような鋼のような不思議な建材で造られていた。
何によって照らされているのかは分からないが、明るさが保たれていた。
シェイドとフロウは、魔力が研ぎ澄まされる感覚を得ていた。
階段を下り切った。
その先は、黒く艶やかなトンネルのごとき通路が伸びていた。
シェイドはふと気がついて腰を落とした。
「金庫バア、気がつきませんでした。さあどうぞ」
「何の真似だ」
「アニヤさんなら、金庫バアをおぶって階段を下りた」
「今さらババア扱いか! ふん!」
金庫バアは、シェイドとフロウを置き去りに、ずんずんと通路を歩き出した。
シェイドは慌てて立ち上がった。
「すみません。あの、お疲れでは」
「ここまでこきつかっておいて、今さらだ」
金庫バアは力強い足取りで通路を進んで行った。
シェイドは金庫バアが握りしめたままの指輪をちらりと見た。
指輪から、微量の魔力が常に金庫バアに送り込まれていた。
それは、回復の白魔術であった。
シェイドは金庫バアを生かそうとするギルの魔術の周到さに、独占欲を感じ取った。
シェイドも、フロウを助けるのは、自分だけでありたかった。
「すみません。気をつけます」
「ふん。用事があれば、遠慮なく言いつける」
「あ! ほら、出口ですよ! 何があるんでしょう! わー、何でしょう!」
争いごとめいたやり取りの緊張感に、相変わらず耐えられないフロウである。
洞窟の出口のように、通路の先に開けた空間が見えたことで、フロウはしめたとばかりに話題を変えようとした。
明らかにそのテンションはおかしい。
不自然で不器用な気遣い、そのフロウらしさにシェイドは小さく笑った。
決してフロウが慌てるような事態ではないのだが、フロウの気持ちを察したシェイドは、その流れに応じることにした。
「ああ。出口だ。行こう」
3人は、通路の果てに立った。