05 とある男の話
女性を差別する表現がありますごめんなさい。R15ですごめんなさい。おっさんがびーえるってますごめんなさい。びーえるは控えめですほんとだよ!
男は苛立っていた。何故か。それは、先程出ていった妻が、関係している。
男が愛妻家だとか、妻を失った悲しみだとか、そういった事ではない。男のあまりの傍若無人ぶりにほとほと愛想を尽かし、怯えていたがやっと勇気が出たのか、離縁を切り出したのだ。男は怒り狂ったが、激しい口論の末男が妻を追い出した。妻は男が出ていくよう言ったが、突っぱねた。その際、妻が言ったのだ。
『貴方には、私の苦しみを味わってもらいます……。貴方には無一文で町から出ていってもらいたい。でも素直に出ていくとは思いません。――精々後悔することね』
憎悪の籠った暗い瞳で男を睨んだ妻は、そう言って家を出た。
(ちっ……何なんだ、あいつは!)
男は、世間一般では最低な部類だった。特に定職にも就かず、いつもふらふらし、妻の稼いだ金をむしり取って酒を飲んでは、酔って妻に暴力を振るう。ヒモでDV野郎、更には外に女を作り、妻の金で娼館に通うクズである。最近では、更に金を稼がせようと、あろうことか馴染みの娼館で妻を働かせようとした。
男は自分の所業を棚に上げ、妻の金で買った酒を煽りテーブルにコップを叩き付けた。
「なあにが後悔だッ! お前は黙って金を稼いでりゃいいんだよ!! 所詮女なんざ男の道具でしかないのに、逆らいやがって!! 女のクセに、女のクセに、女のクセにッッ!!」
暴れ回り、がちゃん、がしゃんと家具を破壊し部屋を滅茶苦茶にした男は、気晴らしに娼館に行こうといつもの引き出しを乱暴に開け、金が全く入っていないのに舌打ちし、悪態を吐いた。
「くそっ!! あの女許さねえッ! 次会ったらタダじゃおかねえからなッ!!」
怒り狂う男の態度は、一週間も経たない内に変化した。
妻が出ていった翌日、男は町を歩いていた。そして、いつもとは違う違和感に眉をひそめた。だが、違和感の正体はよく分からない。ただ何となく、視線を感じた。……男からの。
(何なんだ……?)
何故か背筋がぞわぞわする。自分、と言うか、自分の一部――臀部に、視線を感じる。
得体の知れない気持ち悪さを感じた男は、適当な屋台で昼食を買った。何となく、麺の気分。ナポリタンだ。広場で食べ始め、気管に入り咳き込むと、麺が鼻からびろんと飛び出した。
思わず固まり、周りのくすくすと言う笑い声に我に返りそそくさとその場から離れた。悪態を吐きながら、羞恥と行き場のない怒りで赤らんだ顔のまま、男は行き付けの店に行った。
昼からやっている、娼館だ。一見酒場だが、店内を透けた薄衣だけを纏った妖艶な美女が歩き、その場で女を買い二階で致すのだ。数少ない昼もやっている娼館は、主に夜活動する冒険者向けの店であるが、男のようなロクデナシも少ないがいる。因みに、この店の二階の用途は、連れ込み宿――つまり、ラブホテルだ。恋人同士が利用する事もなくはない。
男は、夜よりもずっと人の少ないそこで、酒を飲みながらくねくねと腰を振って歩く美女の尻を撫でながら誰にしようかと吟味していた。その中で、柔らかな赤毛と大きな猫目がキュートな猫人のスレンダーな長身美女に目を付けた。だが、先に他の男が声を掛けていた。
苛々していた男は、カッと頭に血が上り、酒のコップを持ったままズカズカと彼らに迫った。普段の男なら、悪態を吐きながらも別の女を探すだろう。気性が荒いこの男は、弱い者には強く出るが強い者には避ける、典型的な小物である。
「おい! その女は俺が先に目ェ付けてたんだ!」
「あ?」
「え? きゃっ」
「なっ……?」
ばしゃん。
振り返った美女の長い腕が男の手に当たり、男の持っていたコップが引っくり返り酒が座っていた男に掛かった。それも、股間部分に。
男はよろめいた体を立て直し、そこでやっと、自分の獲物を掠め取ろうとした相手を見た。その容姿を見て、男は顔を強張らせた。相手は冒険者風の、ゴツい大男であった。魔物に例えるなら、オークだろうか。オーガでもいい。ムキムキマッチョの筋肉ダルマで、背中には巨体に見合った戦斧を斜めに背負っている。見た目からして巨人族の血が混じっている大男は、普段なら避けている部類の強者だった。
見るからに強そうな、恐ろしくでかい大男に、男は先程までの威勢はどこにやら。さあっと青ざめ腰が引けた。
「……おい、何しやがる」
低い怒りの籠った声は男の鼓膜と心臓を震わせた。咄嗟に、あの猫人の美女の方を見るも、彼女はすでにそこにはおらず。大男は、男だけを見ていた。
内心美女に罵声を浴びせるも、鋭く恐ろしい眼光に、蛇に睨まれた蛙状態の男。ただ震え、大男を見上げるしかなかった。
「おい」
「ひいっ! ぁ、な……なん、」
「拭け」
短く、己の濡れたズボンを指差す。依頼の旅から戻ったばかりなのか、全体的に埃っぽく汚れた大男は臭いもキツく、男は近寄りたくなかったが再度促され、渋々近寄った。タイミング良く、店員に差し出された布を受け取る。店員も手の布も忌々しいが、大男の手前舌打ちは避けた。
男は跪き、大男の股間を拭う。むわっと汗やら土やら体臭やらが鼻腔を刺激し、何故男の股間なんざを拭かねばならないんだと、更に苛々を積み重ねた。
朝から、いや昨日から苛々しっぱなしだ。昨夜は酒が残り少ないのに気付き、その少ない酒も誤ってぶちまけてしまった。朝はベッドから落ちた痛みで目を覚まし、ダニに食われたところを掻きすぎて血が出て、朝食は家に何もなく食いっぱぐれた。他にも小さな不運が続き、苛々していたところにこれである。屈辱だった。 だからだろう。普段だったら決してやらない事をした。
「くそっ! 何で俺がてめーの股間なんざ拭かなきゃなんねーんだ!! 自分でやりやがれ」
「ほう、気が強いな。気に入った」
同じ様に立ち上がった大男の肩に担がれた。二階に連れ込まれた。
どうしてこうなった。
一週間後。
妻は、今までお世話になっていた友人の付き添い付きで、自宅へと戻ってきた。恐る恐る、恐怖にバクバクと脈打つ心臓を押さえ戸を開けた。そして、中にいた男と目が合い――。
「ぁ、ぁあああっ! キリエ!」
「ひっ……!」
切羽詰まったような、最後に会った時よりずっと窶れた男。転げるように名を呼びながら縋り付いてきたのに、悲鳴を上げた。
「やっ、離して!」
「お、お、お前だろ? あれ仕組んだのお前だろ!? 助けてくれ! 頼む、謝るから、金も返すから、だからもう許して……助けてくれええぇ……っ」
泣いて赦しを請う男の様子に、怯えを忘れ戸惑った。一体何があったのか聞くと、尋常じゃない様子でガタガタ震えながら、ざっと話した。
簡単に言えば、小さな不運が不幸が積み重なり、何故か男に尻を狙われ、何かとドジを踏んでは男共の餌食になり……他にも色々遭ったようだが、どうもホモに狙われたのが何よりダメージが大きかったらしく、それを語り途中で叫んでいた。
入り口で突っ立っていた妻は、野次馬が集まってくるのを感じ急いでドアを閉めた。友人は外で待っているらしく、今は二人。
「頼む、何でもする、何でもするからもう止めでぐれええぇぇぇ……っ!」
大分精神的参っているようだ。心に傷を負った様子の男は、妻が出した魔法紙による契約書(破ればすぐに分かり契約書に書かれたペナルティが起こる)に直ぐ様サインし、最低限の荷物を持って、逃げるように出ていった。
ぽかーんとする妻は、そろりと入ってきた友人の引き攣った顔を見た。
「……何買ったっけ」
「……ドジっ娘、女からの好感度0、何故か尻に視線を感じる、ガチムチホモに狙われる、何か運が悪い、鼻から麺とミルクなど、対最低男セット……」
「……買いすぎじゃね?」
「い、意外と安かったんだもん……」
確かに跪かせて赦しを請わせたいと言って勧められたセットを買ったが、まさかここまで効くとは思わなかった。セットだと少し割安と言っていたし、実際想像より安かったが……うん。
「呪い屋、恐るべし……っ」
この後、妻……キリエは、迷惑夫のいなくなった家で清々しい気分で新生活を始めたとか。
周りからしたら地味で、一つ一つは運が悪かったなって笑い飛ばすレベル。だが、塵も積もれば山となるように、小さなそれらは地味にダメージを与える。同性に狙われるのだって、他人事ならネタにしかならない。死に関わるような、暗く後味の悪い呪いとは違い、呪いを頼んだ方だって、変に引き摺る事はないだろう。
キリエは明るく、見た目もずっと若々しく……年相応に戻り、時折友達と元旦那の事を笑い話として話せるようになった。
一年後、世話になった呪い屋に一人の男性と腕を組んで挨拶に行くのは、別の話――。