00 プロローグ
不定期更新ですがよろしくお願いします。
森を走る、黒いモノ。漆黒のそれは、白い十字架に薔薇や桜など花が描かれ、大小様々な色とりどりの宝石が散りばめられている。バラバラなようで綺麗に並んだそれは、決してゴテゴテしてない嫌味ではない程度の洗練された絢爛豪華な見た目。
本来なら地面に埋まっているはずのそれは、相応しくないほど豪奢に飾られ縦になり、走っている。影のような闇のようなモノが吹き出し車輪となって、動いているようだ。
端から見れば奇妙で、悪人からすれば宝の山だが、襲われても平気なのはそれが通った道の端々にたまに落ちている盗賊や魔獣のアレな姿で、十分理解出来るだろう。
爆走するモノ―――棺の中には、一人の少女がいた。
「ひいちゃん、君やりますなあ〜」
『いえいえ、マスターほどでは』
淡い桜色が滲む花模様の硝子のコップを両手で持つ、長い艶やかな黒髪の少女。少女、と言っても大人の女性になりかけのどこか危うい色気を持つ年齢だ。
こくんと林檎ジュースを飲み、ふかふかの最高の座り心地のソファーに身を沈めた。彼女の目には、棺が透過し見える外の風景が映っている。
「この林檎ジュース、すっごく美味しいね〜。甘くてすっきりしてて、こんなの初めて!」
『これはマスターがお作りになられた林檎から作られてますよ』
彼女に答えたのは、ひいちゃんと呼ばれたこの棺。マスターと呼ばれた彼女は、その答えにしゅんと笑顔を曇らせた。
「……何で、全部忘れちゃったんだろ」
『マスター……』
彼女は記憶喪失だった。記憶がない状態で、ひいちゃんの中にいた。混乱したがひいちゃんの冷静だが温かみのある優しい声色に、何とか話を聞ける程度には落ち着きある程度説明は受けた。
ひいちゃんは彼女のために創られた存在であり、もうそれなりの月日を共に過ごしていた。何故こんな森の中にいるかは後日改めて落ち着いてから、となったが記憶喪失の原因は恐らくそれだろうとの事。ひいちゃんは聞いた限りでは最強無敵、引き篭るのには最適だと分かった。何せ衣食住完備である。
彼女自身についても、説明を簡単に受けた。黒歴史確実な事実も判明し悶えたが、今は割愛する。
『マスター、本当によろしいのですか?』
「ん……いい。絶対やだ」
ひいちゃんが何について問うたのかは、すぐに分かったので即答する。ひいちゃんは、記憶を戻さなくていいのかと聞いているのだ。
ひいちゃん曰く、治癒や洗脳から戦闘まで何でもござれの不思議物質(便宜上ナノマシンと呼ぶ)で戻せるらしいが、用途を聞かされて頷く人はいない。治癒と洗脳を並べちゃダメだと思う。他にも方法はあるらしいが、記憶喪失が心因性だとひいちゃんに判断されたので、少し待つ事にした。時間を置いた方がいいと思ったのだ。
ひいちゃんは渋ったが、意見を変えない意外と頑固な主に引き下がった。
彼女は、さっと右手を前に出し上から下に手首を動かした。すると、SFのようなディスプレイが空中に投影される。そこには、彼女の簡単なプロフィールが書かれている。
名前は呪井星華、出身は地球の日本とある。他にも年齢や種族、身長体重スリーサイズに家族構成から交遊関係までやたら詳しく載っている。ちょっと、いやかなり嫌だ。というか、種族が人間ではない時点で黒歴史確定なのに、友達が幼馴染み(男)を除き皆無という事実を報告書のようなこれで知らされた行き場のない感情は、どうしたらいいのだろう。最初知った時(約一時間前)は忘れたままでいたかったと悶えた。
「ひいちゃん、鏡ー」
『はい』
ディスプレイを消すと、星華はひいちゃんに声を掛けた。それに答えたひいちゃんにより、目の前の透明状態の蓋裏が鏡へと変わった。今では軽口を叩いたり物を言い付けたりする仲なのは、最初からどうもひいちゃんに信頼感と安心感を持っていたからかもしれない。
座り直しじっと鏡に映る自分を見ても、やはり何も思い出せない。
艶やかでとろんと柔らかい腰まで伸びた黒髪に、天の川のような満天の星が輝く夜空を嵌め込んだ瞳。珠のような肌は真珠のようで、まろやかな頬は少し蒼白くなっている。目元ははっきりしていて小さな唇は血色が良く、目鼻立ちはそこそこはっきりしているが彫りの浅い顔立ちは幼く見える。
着ているのは制服。紺色のプリーツスカートは、座っていては分からないが長すぎず短すぎず少し野暮ったい、恐らく校則通りだろう長さ。押し上げられた厚い生地のジャケットの胸ポケットには校章らしいマークが刺繍されている。それから足は、紺のハイソックスとローファー。
全体的に肉付きの良い体は、太っている訳ではないがどこもかしこも柔らかそうで、人畜無害な印象を与える。凄まじく目付きが悪いとか、不細工とか、そんな事はないので何故友達が出来なかったのかが分からない。自分では分からないが、まさか他人にとてつもない不快感でも与えているのかと不安に駆られる。
最初は記憶がない事、喋る棺、理解不能な状況にキャパシティがオーバーし泣き喚いた。落ち着いた今は恥ずかしさに悶えるが、それだって現実逃避。まだ完全に受け入れた訳ではないのだ。まあ、記憶がないからこそ、取り敢えず全て受け入れなければならないとは分かっているので、ひいちゃんにも普通に接しているが。
ぎゅっと心臓を鷲掴みにされたような、例えようのない寂しさとか心細さはあるけれど。
(…ま、何とかなるっしょ)
本質までは変わらなかった星華は、楽観的に考える事にした。どうやら家族もいないようだ、焦らず急がず気楽に行こう。そう思った。
例えここが、異世界だとしても。