タイトル未定2026/08/06 20:28
ある日件が言った。
「半年後に戦争が始まる」と。
件というのは生まれてから数日で死んでしまう生き物である。人間の面に牛の体をしたつくづくちぐはぐなもので、特になにをしているわけでもないが、100年に一度ほどの頻度で現れる。
逆子だ大変だと大騒ぎして生まれた子牛が件で、生まれる前の騒ぎはどうしたのだ、と言うぐらいその場は沈黙に包まれた。この家には件が生まれてくることがある、というのは先祖代々受け継がれてきていた遺言であったが、ほんとうにそんなことが起こるなどと誰も思っていなかった。
白い面の女は細長く、目が見えていないようである。そうしてまたこちらも細長く薄い唇をしており、当然ながら歯も生えていない。赤子のような、大人の女のような不思議な相貌だ。
茶色い毛並みの件は他の牛よりも一回り小さく、お利口で手間がかからなかった。こちらの言葉をよく理解しており、時折仲間の乳牛ともなにやら話し込んでいるようだった。
件の寿命は短い。長くても三日ほどで死んでしまうのだという。その間の数日に件が言った予言は必ず当たる。そういう生き物だ。
毛並みのいい牛の体と、体にそぐわぬ人間の女の面。それで長く生きながらえることは難しかろう。
とはいえ今までで件がした予言はごく身近なものばかりで、女の子が生まれるよ、とかそのようは内容で件が重要な預言を行うなんていっても所詮その程度のものだ、と安心していた。
「え? せ、戦争?」
一緒にそれを聞いていた母親が今繰り返した言葉はどもっていて、疑問符がかなり強かった。
戦争がはじまる
その言葉にはまるで現実味がなかった。
目の前にいる件よりも現実味がない。
テレビでいつかの戦争被害者の話を聞いたり、英語でそれらしいものを見ていたとしてもそれらは全て他人事のいわゆる夢物語で、戦争、と言うものを身近に感じたことなどない。困惑してそれ以外の言葉を出せないままに、言ったっきり楚々とした顔で黙っている件の顔をまじまじと見返して、その黒目がちの瞳を熱心に見つめた。もっと詳しい預言をしてくれるのではないかという希望からであった。
しかし件はそれ以外は特に言うことはないとばかりに近くに生えていた雑草をもほもほと食べ始めてしまった。
どうやら予言はもうおしまいらしい。
その後件は役目を終えたとばかりにすぐに死んでしまった。
世の中は平和そのもので、戦争のせの字もなかったが、件が言うのだからそうなるのだろう。
そもそもが戦争というのが身近に存在していたことがないため、件が予言してくれたにもかかわらず、どうしたらいいのか分からない。
パソコンの前に座って、いくつかの単語を検索して戦争になるまえに準備すること、というリストを見つけ、ゆっくりとクリックする。
食料の確保でいけば、うちは酪農をしているため多少は食べ物の確保にアドバンテージがあるのではないかと思ったが、むしろ飼育のための肥料が必要であった。戦争が始まったら一匹ずつ食べていくことになるのだろうか。
酪農小屋の横にはこぢんまりとした肉加工所がある。
機械を動かすには電気が必要だ。と発電機を買った。
万が一のためにとガスから電気とお湯を作り出せる機械を取り入れた。この時点でかなりお金がかかっている。
しかし背に腹は変えられない。
家庭菜園を更に大きくするべく野菜の種を買い、室内で水耕栽培出来るように一部屋改造した。
冷凍庫を買うと、魚やお肉を買い、贅沢品であるお菓子もたくさん買い込んだ。ここは都市部と違い、過疎地であるから見捨てられるのも早かろう。
都会への道が断絶される可能性もある。
目下ガソリンを蓄える方法がないため、車はEVのものを買った。ともすれば財産が尽きてしまうかもしれない。
しかし命あっての物種である。
備に備え、さんざん出来るかぎりの備えをした。
半年後になって、件の言う通りに戦争が始まってしまうと、私たち家族はつくづく件に感謝した。
隣近所には件の告げた言葉を教えてある。信じるも信じないも勝手なことである。
それぞれにうちと同じく準備をしているのだろうが、確執を恐れてお互いにどのような準備をしたのかはだんまりを決め込む。入念に準備した食料を奪われてはたまらないからだ。今は一部屋を備蓄に費やしている。
始まりを告げるなら、終わりの時期も教えて欲しかった、などと贅沢なことを思えるのはきっと贅沢なことだろう。




