奥の無道
――土曜日。
午後、引っ越しの業者が来る。
最後の実家だしゆっくり寝ていたかったが、張り切っている母に起こされてしまった。
「大志、あんたこれで全部?」
「いいよ、あとはもう大丈夫。全部持っていけないし」
母はなんでも持たせようとしてくる。俺の物なら、生活には関係ないようなものまで。面倒くさいとは思うけど、どこの親も似た様なものなんだろうと割り切った。
午後1時に引っ越しの業者が来た。
玄関まではトラックが入れないので家の前の道に止めてもらった。さすがに手慣れていて、トラックのミラーを折り畳み、助手席側ギリギリに塀まで車を寄せた。
「やっぱり業者さん運転上手ね。大志、免許取ったのに仕事で車使わないとペーパーになっちゃうね」
「大阪じゃ仕事で車使わないって言ってたし、アパートも駐車場はないし。このままだとそうなるかも」
二人で感心していると、塀に寄せた助手席側はドアが開かないので三人が運転席側から降りてきた。帽子を脱いで挨拶をする。
「引越センターです。飯田様のお宅でよろしいでしょうか?」
「はい、飯田です」
母が地声とは違う、トーンの高い声で答えた。
「それでは本日、三名で引っ越しの作業に取り掛かります。よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします。私の部屋と玄関にある荷物になります」
運ぶものは決まっている。細かいものは段ボールに詰めてある。あとは張り切っている母に任せることにした。
俺はジャージにサンダルの姿でトラックの前に回り込む。タイヤが側溝までギリギリだった。折り畳んだミラーは庭に生えている木と電柱に当たりそうだった。
しかし当たってはいない……。
?
8R10
なんだろう?
「たーいーしー!これはどうするのー?」
2階の俺の部屋から、母が叫んでいる。
近所に響き渡るような大声だ。俺は急いで部屋に戻った。
案の定、指示を出すどころか世間話に一生懸命になっている母親がいた。恥ずかしい。
そして昨日決めておいた引っ越しの荷物の他に、仕分けして要らないと言ったものまで運ぼうとしている。
「やっぱりこの鏡持って行った方がいいでしょ?業者さん割らずに運べるってよ」
「運べるかどうかじゃなくて、姿見は要らないって。必要になったらあっちで買うよAmazingとかYahaa!とかで。業者さんを困らせないでってば」
母がいない方が引っ越しがスムーズだったかもしれない。しかしこれから疎遠になることを思うとなんだか可愛そうになって、黙って見守ることにした。
「お母さん、荷物は昨日決めたものだけ。あとはいらないから」
「わかってるって」
わかってるかどうか怪しいが、任せておくことにした。関わると余計に面倒なことになりそうだ。
「ちょっと外に行ってくるから」
「近くにいなさいよ。また何かあったら呼ぶから」
「はいはい」
階段を下りて玄関へ。まとめてある段ボール箱を避け、サンダルを履く。そしてさっきの違和感の場所へ。
もう一度、トラックの正面に回る。
8R10
エンボス加工で浮かんだ文字……黒のインクが擦り切れて文字が見えにくい。太陽が反射しているせいだ。
トラックに近寄り、角度を変えて電柱を見た。
[ 朴沢 8R10 ]
白い小さなプレートにそう書かれていた。
?
道を進み、歩く。側溝をたどり、サンダルで小石を転がしながら隣の電柱へ。
側溝が途切れ、土がむき出しになった道路脇に建った電柱。その中ほどにある白いプレートを見る。
[ 朴沢 8R11 ]
そのまま進む。田んぼ脇の道路。同じような景色。同じような電柱にたどり着く。
[ 朴沢 8R12 ]
俺は急いで家に戻り、スニーカーに履き替え、自転車を車庫から出した。
さっきとは逆の方向に向かう。
家から数え、10本目。
[ 朴沢 8 ]
丁字路にあるその電柱に「R」の数字はなかった。
大きな道を先へ進むと……。
[ 朴沢 9 ]
[ 朴沢 10 ]
そこまで進んで、自転車を降りる。古くからある商店の自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。
鈴木さんは何て言ってたっけ……たしか……。
「(亀の子……)」
スタンドを立てて置いた自転車に寄りかかり、ポケットから取り出したスマホで検索する。
【亀の子】
検索結果は全国の飲食店ばかり。地元に絞って地図アプリで検索する。
検索結果――亀の子石
今いる商店から数キロ離れた場所。歩くには遠い、車なら近そうな場所。自転車なら5分ほどの距離だ。
投稿されている写真を見ると三叉路に石碑が沢山建っている。何度か通ったことはあるが、特別な用事があるとき以外は行くことのない場所。
「(あの、石がいっぱいある場所か……)」
行ってみることにした。
引っ越しのことは気になったが母がいるし、運ぶものは伝えてある。
俺はコーヒーを飲み干し、空き缶を自動販売機の脇にあるごみ箱へ捨てる。自転車のスタンドを解除し、向きを変えてから自転車に乗った。
一度地図アプリを確認してから自転車を漕ぎ始めた。ときどき電柱を確認しながら。
――亀の子石。
そう呼ばれる三叉路にある石碑の場所についた。
大小さまざまな石碑がある。その周りに沢山の石と中央に大きな丸い石。これが『亀の子石』なのだろう。少し周りを見てみるが、今の目的はここじゃない。俺は足元にあった、ボールのように丸い石を手に取った。
スマホが鳴る――LIMEの着信。
手で転がしていた石をポケットに入れ、スマホを取り出す。
引っ越しの準備をしている鈴木さんからだった。
鈴木さんも盛岡の実家に帰り俺と同じ状況らしい。持っていく荷物が多くて大変そうだ。沢山の段ボールが積み重なった写真が添付されていた。
「(鈴木さん『亀の子石』知ってるかな……)」
写真を撮り、メッセージを書く。
『鈴木さんこの場所知ってますか?』――写真添付
送信のアイコンを押そうとして手が止まった。
「(思い出させてどうする)」
メッセージを取り消し、書き直す。
『こっちも同じような状況です。母がうるさくて大変です』――送信>
ポコン!
音が鳴って会話に追加された。すぐに既読が付く。
ポコン!
大笑いした猫のスタンプが帰ってきた。
どうやら元気そうだ。配属先が一緒になることを願っていたがそううまくはいかない。
俺は新人研修で殆ど話していない二人の男女と大阪に行くことになった。鈴木さんは一人で広島。懇親会の後の別れ際は少し寂しそうな顔だった。
『お互い頑張りましょう!』――送信>
ポコン!
返信を見ることなくスマホをポケットに入れた。
今来た道路、その脇の電柱を見上げ、プレートを確認する。
[ 亀の子石線 3 ]
三叉路の大きい道をまっすぐ進んで次の電柱を確認する。
[ 亀の子石線 4 ]
三叉路に戻り左の道を進む。道の土手、高い場所に電柱が建っている。目を凝らし、小さく見えるプレートを確認する。
[ 亀の子石線 4L1 ]
「(……でも名前がそのままじゃないしな)」
そんな事を思いつつ、漠然と俺はその先を自転車で進んでいった。平地かと思ったが気づかないくらいの登り。帰りが楽そうだ。
確認して数えていく電柱の数字がどんどん増えていく。
[ 亀の子石線 4L2 ]
[ 亀の子石線 4L3 ]
[ 亀の子石線 4L4 ]
鈴木さんはたしか……左13右11と言ってた気がする。
でも「亀の子」といってた。「亀の子石線」じゃないし、「L」とか「R」でもない。
小学生の頃だ。LやRを左右と見間違えることも考えにくい。
俺の期待通りになることもないし、そうなってほしくはない。そう思いながらもなぜか足は先へ先へと進んでいた。
知らない道、その先へ進むのはなぜか小学生の頃の冒険を思い出させた。この歳になって自転車にのって、こんな気持ちになるとは思わなかった。
しばらく進むと舗装されていた道が砂利道へと変わった。
そこから3本進んだ時……。
[ 亀の子 4左11 ]
電柱の中ほど、そこについている白い小さなプレートの表記が変わった。
『L』が『左』になった……。
淡い期待通りになってしまった。
エンボスではない、平坦なプレートにペンキらしきもので書かれた文字。明らかに古い。
『亀の子石線』は、昔はただの『亀の子』だった。
LRは昔、『左右』だった……。
家からだいぶ遠く離れてしまった。砂利道になり自転車を降りていた。空は青から無色に変化し始めていた。
鈴木さんはたしか……。
亀の子……左13右11……と言っていたかそれとも、
亀の子……右13左11……と言っていたのか。
LIMEで聞こうとも思ったが、やはり思い出させるべきではないと感じた。
ポケットから取り出し、開いたスマホの画面。時間だけを確認してまたポケットにいれる。
コリっという違和感。
亀の子石で拾った丸い石がポケットに入れたままになっていた。
「(鈴木さんからLIMEが来た時、ポケットになんとなく入れてたか……帰りに返そう)」
鈴木さんから聞いた記号のようなもの。新人研修の時はその違和感で数字だけが頭に残っていた。
亀の子という奇妙なキーワードと13、11の数字。ここまで来て右と左が思い出せない。
――しかし、進めばわかるだろう。
あと2本進めばわかる。
俺は自転車を邪魔にならないよう、砂利道の脇に置いて徒歩で歩き始めた。少しだけさっきより傾斜が増したような気がする。電柱を1本進んだだけで空が無色から淡いオレンジに変わった。
[ 亀の子 4左12 ]
次へ行けばわかる。
プレートを一目確認し、そのまま足を止めず先へ進む。獣のような声がした気がするが、ただのカラスかもしれない。まだ山奥というわけではないし、周りには畑も見える砂利道だ。
怖い感じはしない。
あえて自分自身に周囲の状況を確認させ、もう一度頭の中で言葉にした。
「(まだ怖い感じはしない)」
電柱についた。確認するのが少しためらわれた。
まず周囲を見渡し確認する。
しかし誰もいるはずはない。いるとすれば近所の畑や田んぼ帰りの農家の人だろう。
電柱を見上げる。
[ 亀の子 4左13 ]
13本目まで来た……ここから右へ道が伸び、電柱が建っていれば……おそらく、
『亀の子 4左13右1』 となるだろう。
だが周囲にある電柱はここから道の通りまっすぐ伸びるものしかない。この先はここまでのルールからいけば目的の数字ではない。
『亀の子 4左14』
になるだけだろう。
少しほっとした……杞憂だった。
心配し過ぎだった。
俺が鈴木さんの誘拐事件をどうこうできるなどとは思っていない。
もしかしたらなんて、浅はかな考えで引っ越しをほおっておいて、自転車までつかってこんな遠いところまで来てしまった。
せっかくここまで来たんだ、一応……一応この先だけ確認して行こう。そうすれば踏ん切りがつく。
鈴木さんに何も報告することはできないが、これはこれで自分なりにスッキリ出来る。
次の電柱へ小走りで移動する……約20メートル。
電柱を追いかけているうちにだいたいの間隔が身についてきた。
白いプレートが見えるところまで行けばいい。
もう少しで文字が見える。
角度が悪い、もう少し……。
結局すぐそばまで来ていた。薄暗くて文字が見えにくくなっていた。
[ 亀の子 4左14 ]
ちゃんと予想通りだ。ちゃんと俺の期待通りにはならなかった。
これでもう謎解きのような遊びも終わりだ。
緩い坂道を下る。
坂というほどの傾斜でもないが、歩きつかれた足が少し軽く感じるのはやはり、多少の坂道なのだろう。
さっきの電柱まで下ってきた。
この電柱から見て右、坂を下ってきた俺から見て左に道があれば、そこに「右」と名のついた電柱があるのだろう。ここから分岐する電柱はない。ただ真っ直ぐ伸びる、さっきの電柱だけだ。
ここにある電柱に他に分かれている電柱はない。心の中で繰り返す。
見上げると……電柱の上に電線が巻かれている。
切断された電線を巻いて輪にして括りつけてあるようだ。
……切断? もともと線が伸びていた?
ここからわかれる道はない。道のない藪の中に電柱があるわけがない。
…………あった。
薄暗い夕暮れの中、藪の先に目を凝らすと、うねる木々の間に異様に……
――真っ直ぐな影。




