第3話 灰の街と追跡者(セリナ視点)
地上へ出た瞬間、足が止まった。
空気が違った。
焼けた石と灰の匂い。
まだ消えきらない熱が、頬にまとわりつく。
息を吸うたび、肺の奥がざらついた。
ここはもう――生きている街の空気ではなかった。
視界の先に広がっていたのは――
崩れ落ちた城壁。
焼け焦げた建物の骨組み。
黒く変色した石畳。
煙が、細く立ち上っている。
王都レグノル。
半日前まで、人々が暮らしていた場所。
笑い声があった。
灯りがあった。
温度があった。
今は。
灰と、静寂だけが残っていた。
「……ひどい」
声は、自分でも驚くほど小さかった。
風にさらわれ、すぐに消えた。
遠くで瓦礫が崩れる音がする。
それ以外は――何もない。
隣で、アオトが街を見渡していた。
表情は変わらない。
けれど、義手の指先だけが、わずかに震えている。
私はそれを見逃さなかった。
「ここが……君の国?」
「ええ」
それ以上、言葉が出なかった。
喉の奥が締め付けられる。
泣いてはいけない。
まだ――終わっていないから。
アオトは、ゆっくり息を吸った。
そして言った。
「戦争じゃない」
「え?」
「これは制圧だ」
一拍。
「抵抗する意思そのものを焼き払うやり方」
淡々とした口調。
それが、余計に現実だった。
七聖。
かつて英雄と呼ばれた存在。
魔王を討ち、世界を救ったはずの人たち。
なのに今は――国を消す側にいる。
「アオト……私……」
言葉が続かない。
どうすればいいのか。
何をすればいいのか。
彼に聞く資格があるのかさえ分からなかった。
彼は、ついさっき目覚めたばかりなのだから。
◆
私たちは、瓦礫の影を選びながら進んだ。
足音を殺し、息を潜める。
それでも――止まることはできなかった。
その時。
アオトが、急に立ち止まった。
「止まって」
声は小さい。
けれど、迷いがなかった。
私は反射的に身を屈める。
「どうしたの?」
「誰か来てる」
アオトは周囲を見ていない。
義手を見つめている。
「三人。北西。距離百二十。魔力反応、軍規格」
背中が冷えた。
「七聖の兵……?」
「たぶん斥候。本隊じゃない」
一拍。
「でも、見つかったら終わりだ」
その言葉には、迷いではなく――確信があった。
その時。
瓦礫の向こうから、声がした。
「見つけたぞ」
黒い外套の魔導兵が三人、現れる。
目が合った。
「王女だ!」
「七聖様の命令だ、確保しろ!」
足が後ずさる。
「セリナ、下がって!」
アオトが前に出た。
魔導兵の一人が詠唱を始める。
赤い魔力が収束する。
魔力弾。
避けられない。
そう思った瞬間――
アオトの義手が光った。
空気が歪む。
透明な壁が展開される。
魔力とは違う。
計算された、無機質な光。
魔力弾が弾かれ、空中で爆ぜた。
七聖の魔法は、絶対だった。
それを。
アオトは、ただ立っているだけで弾いた。
まるで――飛んできた小石を払うように。
理解が追いつかなかった。
「防壁……!? 魔力の揺らぎがない……!」
敵が動揺する。
アオト自身も、自分の手を見ていた。
まるで――それが本当に自分のものなのか、確かめるように。
「……無意識で出た」
その声には、わずかな戸惑いが混じっていた。
だが、止まらない。
「囲め!」
「報告を――!」
その瞬間。
アオトが踏み込んだ。
速い。
ただ、速い。
義手の掌底が男の胸に触れる。
伝わってきたのは、肉の感触ではなかった。
衝突の衝撃。
対象の質量。
姿勢の崩壊。
それらすべてを解析し終えたという――
冷たい振動。
《処理完了》
遅れて、男の身体が吹き飛んだ。
瓦礫に叩きつけられ、動かなくなる。
残る二人が、たじろぐ。
「退け!」
「情報だけ持ち帰る!」
煙幕が広がり、気配が遠ざかる。
静寂が戻った。
◆
私は、大きく息を吐いた。
「いまの……」
「ごめん」
アオトが振り返る。
「咄嗟だった。でも――」
一瞬、視線を落とす。
そして言った。
「守るって決めたから」
胸の奥が熱くなる。
「謝らないで。ありがとう」
アオトは少し困ったように笑った。
けれど。
その目は、もう迷っていなかった。
「もう完全に知られたと思う」
「ええ」
「追手は増える」
分かっている。
それでも。
私は頷いた。
「それでも進みましょう」
王女としてではなく。
一人の人間として。
「この街は終わった。でも――」
灰の空を見上げる。
「私たちは、まだ終わっていない」
アオトが静かに頷いた。
その瞬間。
灰に覆われた世界の中で――
初めて、未来が存在した。




