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リブートオブアーク  作者: 和幸雄大


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第27話 都市の夢(アオト視点)

 眠れない夜が続いていた。

 正確には――眠っている“はず”なのに、脳が休まらない。

 瞼を閉じれば、黒は来ない。

 代わりに、街が来る。

 ファランシアの石畳。

 崩れた柱。

 地下を這う配管。

 冷えた空気の層。

 それらが、夢のふりをして僕の中へ流れ込んでくる。

(……またか)

 義手の奥が、鈍く熱い。

 寝返りを打とうとしても、床の硬さが“情報”として刺さってくる。

 この石畳はどこが脆い。

 この壁はあと何時間持つ。

 地下水の残量。

 人の呼吸数。

 心拍の乱れ。

 ――数えるな。

 自分に言い聞かせる。

 けれど、止められない。

 街が僕を“使っている”のではない。

 僕が街を“見てしまう”。

 そしてその視界は、日に日に深くなる。

 夢は、映像じゃなかった。

 それが一番きつい。

 映像なら、まだ“外”だ。

 見ているだけで済む。

 でも、これは――内側から来る。

 最初に来たのは、匂いだった。

 焦げた石の匂い。

 雨が降る前の土の匂い。

 血と鉄が混じった、乾いた匂い。

 次に来たのは、温度。

 暖かい。

 熱い。

 焼ける。

 冷たい。

 凍える。

 その温度の変化に、意味がある。

 火が回った。

 人が倒れた。

 誰かが扉を閉めた。

 誰かが逃げ遅れた。

 耳には音が入らない。

 代わりに、“音の欠落”が入ってくる。

 さっきまであった足音が、急に消える。

 笑い声が、霧散する。

 叫びが、途中で途切れる。

 ――静かになる。

 その静けさが、骨にくる。

(やめろ)

 口の中で呟く。

 でも、夢は止まらない。

 誰かの手の震えが、僕の指先に移る。

 誰かの息が詰まる瞬間が、僕の喉を締める。

 誰かの「もういい」という諦めが、僕の胸の奥に沈む。

 僕は、街の記録を見ている。

 いや。

 “街の記録の中にいる”。

 それが、都市の夢だった。

 次の夜。

 僕は自分の名前を忘れかけた。

 夢の中で、誰かが呼んだ。

 確かに呼ばれた。

 でも、その声が「アオト」だったのか、「管理者」だったのか、判別できない。

 目を開けた瞬間、僕は反射的に言った。

「……遮蔽率、下がってる」

 誰もいない。

 仮拠点の暗がり。

 焚き火の残り火が、かすかに赤い。

 言ってから気づく。

(今のは……僕の言葉じゃない)

 口が勝手に動いた。

 脳が、街の状態を口に出した。

 僕は義手を握り、奥歯を噛んだ。

(境界が……薄くなってる)

 恐怖は、死よりもそこにあった。

 僕が消えるわけじゃない。

 でも、僕の輪郭が溶けていく。

 都市に溶ける。

 情報に溶ける。

 “必要な処理”に溶ける。

 その時。

 義手が、微かに脈打った。

《内部同期:微増》

《都市基盤:深層応答、断片的に確認》

 ――深層。

 言葉だけで、背筋が冷える。

 そこに届いたら、戻ってこれない気がした。

 翌朝。

 セリナが、僕の顔を見て目を細めた。

「……眠れてないわね」

「少しは」

 嘘じゃない。

 眠った時間はある。

 でも、眠っている間も働かされている。

 それをどう説明すればいいのか分からなかった。

 セリナは何も追及せず、焚き火の方へ視線を向けた。

 人が少ない。

 声が小さい。

 配給の列が短い。

 街が削られている。

 刃物で切り取られるように、外側から生活が消えていく。

「……来ないわね」

 セリナが、ぽつりと言う。

「うん」

 僕は地面に指を当てないようにして、空気の“密度”だけで街を測った。

 外縁の断絶。

 物流の停止。

 風の死。

 虫の不在。

 檻が完成している。

 でも、七聖の攻撃は来ない。

 それが一番、悪質だった。

 攻撃なら、戦える。

 反撃もできる。

 覚悟も決まる。

 だけど、これは“待つ”戦いだ。

 いや、“待たされる”処分だ。

 生存の余白を削り、こちらが勝手に崩れるのを観測する。

(……ノクス)

 仮面の観測者の顔が、頭をよぎる。

 あの目は、戦場の目じゃない。

 解剖台の目だ。

 昼。

 エリーナが、僕を引っ張って外へ連れ出した。

「今日は地面禁止です」

「……命令?」

「命令です」

 冗談っぽい口調。

 でも、目が本気だった。

 僕は苦笑して頷いた。

「分かった」

 地面から離れる。

 それだけで、視界が“軽く”なる。

 情報が遠ざかる。

 街の声が薄れる。

 普通なら安心するはずだ。

 でも僕は、喉の奥が乾くのを感じた。

 静かになると、怖い。

 街が遠ざかると、僕が何者でもなくなった気がする。

(……依存してるのか?)

 自分の中で、何かが軋んだ。

 その瞬間、ふっと、都市の夢が“昼”に侵食してきた。

 焚き火の匂いが変わる。

 炎の色が変わる。

 人の影が、ほんの一瞬だけ“違う”配置になる。

 ――違う。

 これは今じゃない。

 記録だ。過去だ。

 瓦礫の通りに、誰かが走っている。

 背中が小さい。

 子どもだ。

 次の瞬間、音が消える。

 足音が消える。

 世界が、真っ白になる。

 僕は反射的に手を伸ばした。

「待て――!」

 指先が空を掻く。

 エリーナが驚いた顔で僕を見る。

「アオト?」

 僕は息を荒くして、首を振った。

「……なんでもない」

 でも、胸の奥が冷え切っていた。

(今のは……僕の記憶じゃない)

 知らない。

 見たことがない。

 でも確かに、“触れた”。

 都市の記録が、僕の現実に混ざり始めている。

 夜。

 僕は一人で座っていた。

 焚き火の輪から少し離れた場所。

 地面には触れない。

 触れたら、戻れなくなる気がしたから。

 それでも、街は来る。

 今度は、圧力だった。

 地下深部から、巨大な何かが“息を吸う”感覚。

 街全体が、わずかに沈む。

 そして、静かに持ち上がる。

 鼓動。

 ファランシアの鼓動。

 その鼓動に合わせて、僕の心臓が一拍ずれる。

 ――合わせてくる。

(都市が……僕を見てる?)

 言葉じゃない。

 視線でもない。

 でも確かに、“観察”がある。

 僕がどこまで耐えるか。

 どこで折れるか。

 どこで“手放す”か。

 街は僕を拒絶していない。

 同時に、僕に従ってもいない。

 必要としている。

 でも、支配しない。

 ただ――確かめている。

 その時、義手の奥で、微かな“形”が変わった。

 カチ、と。

 金属が噛み合う音。

 投影が、勝手に開く。

《深層アクセス:候補》

《認証条件:未達》

《観測継続》

 観測。

 七聖だけじゃない。

 都市も観測している。

 僕は、唇を噛んだ。

(……僕は、試されてる)

 七聖に。

 都市に。

 そして、自分自身に。

 ふと、セリナの声が背後からした。

「アオト」

 振り返ると、彼女が立っていた。

 焚き火の明かりが、銀の髪を揺らす。

「眠れないの?」

「うん」

 短く答える。

 長く言えば、境界が崩れる。

 そう思ってしまう自分が怖い。

 セリナは隣に座り、しばらく黙って炎を見ていた。

 そして、静かに言った。

「あなた、遠くなってる」

 心臓が、ひゅっと縮む。

 僕は笑おうとした。

 でも、口元が動かない。

「……気のせいだよ」

 セリナは首を振った。

「気のせいじゃない。分かる」

 一拍。

「あなたが何かを背負ってることも、分かる」

 僕は、視線を逸らした。

 言えば、壊れる。

 言わなくても、壊れる。

 どちらにしても、時間は少ない。

 七聖は、急がない。

 急ぐ必要がない。

 僕の限界が先に来るのを知っているから。

 セリナが、僕の手を取った。

 義手じゃない方。

 冷たくなりかけていた右手。

「アオト」

 彼女の声が、はっきりと僕を呼んだ。

 その“呼び方”が、救いだった。

 管理者じゃない。

 鍵じゃない。

 都市の部品じゃない。

 アオト。

 僕は、ようやく息を吐いた。

「……セリナ」

 それだけで、少しだけ戻れた気がした。

 けれど、同時に分かってしまう。

 街は、僕を呼んでいる。

 七聖は、僕を削っている。

 そして――

 都市は、選択の準備を始めている。

 深層が、眠りから起き上がる直前の、あの重さ。

 僕は、震える指で義手を握りしめた。

(次は、夢じゃ済まない)

 都市の鼓動が、もう一段、強くなった。

 まるで――

 「目を開く前の合図」みたいに。

 そしてその夜、ファランシアの外縁で、またひとつ。

 見えない包囲が閉じる音がした。

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