第20話 踏み込まれる前に(アオト視点)
静かすぎる朝だった。
ファランシアの空には雲ひとつなく、昨日までの不穏なざわめきが、嘘のように消えている。
その静けさが、胸の奥を冷たく撫でた。
義手の内部ログを開く。
視界に流れる赤い警告。
昨日の戦いで、僕が積み上げてきた隠蔽アルゴリズムは剥がされた。
街全体を覆っていた嘘――ホログラムは、もう七聖の目には透けて見えている。
(……“隠れられる”時間は終わった)
次に来るのは、偵察じゃない。
この場所を、地図から消すための“掃除”だ。
◆
簡易司令所に集まった全員の顔は、硬かった。
「三日以内に主力が来る。正面から受ければ、一分も持たずに全滅だ」
地図投影を開くと、バルドが吐き捨てる。
「だろうな。あいつらの飛空艇は山を削る。瓦礫に隠れても、蒸発だ」
「……逃げるんですか?」
エリーナの声が震えた。
恐怖というより、ようやく手に入れた居場所を失うことへの怒りだった。
「いや。ここは見捨てない」
僕は義手で、投影されたファランシアの中心を塗り潰す。
「この街を“点”として守るのはやめる。ここを“群体”にする」
「群体?」
カイが眉を寄せる。
「中枢機能を解体して外縁に分散する。一つの心臓を狙わせない。無数の細い血管に、僕たちを散らす」
一拍。
「……奴らの主砲に、狙う価値のない的を押し付ける」
「無茶だ」
カイが机を叩いた。
「防衛線は崩れる。指揮系統も持たない」
「だから、僕が繋ぐ」
義手をコンソールに叩きつける。
火花が散り、高周波が頭蓋を突き抜けた。
「僕の脳をハブにする。
そうしないと、ここは守れない」
鼻の奥に、鉄の匂いが広がる。
セリナが息を呑み、僕の肩に手を置いた。
「アオト……あなたの身体が持たないわ」
「持たせる」
短く答える。
「ここで踏み潰されたら、レグノルの犠牲は何だったんだ」
沈黙。
やがて、バルドが大きく息を吐き、斧を担ぎ直した。
「……坊主がやるなら、俺もやる。それでいいだろ」
それは戦術じゃない。
逃げでもない。
生き方の選択だった。
◆
作業は地獄だった。
街のあちこちに、小さな“心臓”が埋め込まれていく。
瓦礫の下。崩れた建物の影。地下通路の分岐点。
エリーナは空から、網の目のように通信を張り巡らせる。
『第三ノード設置完了! ……でも、そっちの負荷が上がってる!』
「構うな。続けろ」
膝をつき、義手から噴き出す熱を逃がしながら、強制同期を続けた。
街が、僕の中に入り込んでくる。
ざらついた石畳の感触。
瓦礫を踏む子どもの足音。
セリナが人々に声をかける、その微かな震え。
すべてが信号となって、直接脳を削っていく。
(……痛いな)
科学って、こんなに痛いものだったか。
◆
夜。
焚き火のそばで、エリーナが隣に座った。
翼は連日の強行偵察で、傷だらけだ。
「アオト……怖いのに、逃げたくないなんて。私、バカかな」
「……僕も同じだよ」
動かなくなりかけた左手を、右手で押さえる。
「たぶん僕たちは、初めて“自分たちの手で”根を張ろうとしてる」
エリーナは小さく笑い、そっと僕の肩に頭を預けた。
その重さが、現実だった。
ここにいる人間は、データじゃない。
遠くで、セリナが最後の見張りを鼓舞している。
カイが冷徹に、だが確実に、兵たちの装備を整えている。
三日後。
世界は僕たちを、無価値な虫として踏み潰しに来るだろう。
それでも――
情報で、あいつらの足を止める。
踏み込まれる前に。
僕は、この街そのものになる。




