10月3日(水):三日目の戦線
森の空気は、ひと雨ごとに澄んでいく。
十月に入ってからは朝晩の冷え込みも強くなり、落ち葉の色もあっという間に赤く染まってきた。
昼を過ぎたばかりの今、小屋のまわりはやわらかな陽が差していたが、風は冷たい。
軒先の干し棚には、リンドウの花とヨモギの束。
昨夜のうちに刈り取ったカモミールは、日陰に広げて乾かしている。
煎じ薬に使う予定だ。秋の終わりに入ると、冷えから来る胃痛や咳が急に増える。
小屋の脇に置かれた木箱の中では、瓶詰めのチンキが静かに発酵を進めていた。
月見草の根、セイヨウオトギリソウ、わずかなリカー。
香りを嗅いだだけで、頭の奥がひやりとするような、そんな薬液。
(そろそろ来る)
あの律儀な足音は、もう聞き分けられるようになっていた。
木の根を踏む音も、落ち葉を避けるような足取りも、全部覚えてしまった。
リューリカは、扉の外に立つ気配を感じた瞬間――
まだノックの前に、小さくため息をついた。
(また、三日)
本当に、きっちり三日。間隔を空けずに、過不足もなく。まるで、何かの儀式か計測かのように、正確すぎる。
コン、コン
あいも変わらず、丁寧なノックの音。
リューリカは扉の前で立ち止まり、呼吸を整えてから開けた。
「こんにちは。薬のご相談を」
「……本当に、三日ずつ空けて来るの、何なんです?」
クレメンスは、いつものように微笑を浮かべたまま答える。
「おや、私のスケジュールまで把握していただけて光栄です」
「嬉しくて言ったと思いました?」
「ええ、言い方からして、滲み出ていました」
「毒か何かを調合して差し上げましょうか」
「それはぜひ。次の村の牧師会議に持参します」
「じゃあ、”口だけを封じるタイプ”で」
「おや、薬師様のお口用の薬は、まだ試していないので」
「そのうち”口撃”用の毒を出しますね」
クレメンスは、静かに笑った。微笑を絶やさぬまま、会話だけが明らかに白熱していく。
「今日の依頼は?」
「南の農家さんから。小さいお子さんが鼻を詰まらせているそうです。夜も眠れず、耳の奥に痛みがあって痛がっていると」
「季節の変わり目、定番ね」
リューリカは調合棚の前に立ち、いくつかの瓶を手際よく選んだ。
まずはエルダーの花。咳や鼻づまりに効く、秋の風邪の定番だ。
指先でふれて、乾燥具合と香りを確認。花弁がきちんと香るなら、使い頃。
「エルダー、フェンネル、タイム、あとは……リコリスとカモミール」
独り言のように呟きながら、それぞれ小皿に計っていく。
匙を動かす手は慣れていて、だが慎重でもある。
少し足しては止まり、匂いを嗅いでは首をかしげる――そんな仕草が、彼女の”いつものやり方”だった。
「やけに流れるような手つきですね」
「言われなくても”手馴れてる”って自覚してますので」
「手際が良すぎて、もう毒の調合かと思いました」
「あなたの分だけは別にしておきましょうか。”よく効く”やつ」
「ぜひ。噂によると”口が止まる”らしいので」
鍋に水を張って、ハーブを順に入れていく。
火にかけると、すぐに甘くやわらかな香りが室内に立ちこめた。
「煮立ったらすぐ火を止めて、蒸らし。これ基本」
「薬師様の”鍋の魔法”ですね」
「少しお口が過ぎますね…黙って見てるくらいが牧師様にはちょうど良いのでは?」
そう言いながら、蜂蜜と粉末のリコリスを別の瓶に混ぜて、シロップを作る。
薬液を濾し、清潔な瓶への静かに注ぐ所作もまた、流れるようだった。
クレメンスは何も言わず、ただ静かにその様子を見ていた。
(……黙って見てるのよね…いつもそう。喋ってる時はあんなにうるさいくせに)
リューリカは瓶の蓋をきゅっと締めながら、ふと彼に視線を送る。
「……さっきは、ああ言いましたけど、黙ってると逆に気味が悪いですね」
「見とれていたと言ったら?」
「気持ち悪いのでやめてください」
「では、観察していただけです。専門技術を」
「そういうとこだけ真面目に返すの、何なんです…」
返しながらも――
”見られていた”ことが、なぜか嫌じゃなかったのが、自分でも不思議だった。
「……はい。これで煎じ薬と、喉用のシロップ。両方出します」
「体を温めてから寝かせれば、朝には楽になるはず…ですよね?」
「よく学習してるじゃないですか」
「通い詰めてますから」
瓶を渡し、銀貨を受け取る手が一瞬、指先で触れ合いそうになった。
だがどちらも、視線を逸らさない。
「……では、今日も課金分、お支払いいただきましたので」
「いやはや、懐が寂しくなりますね。次回は割引していただけると」
「皮肉の量が減れば考えます」
「それは無理そうです」
「知ってます」
そのまま、クレメンスは外套の裾を払って扉を出ていった。
振り返りもせず、足取りも変えず。律儀な、あの歩幅で。
リューリカは、手元の瓶に目を落とした。
さっきまでそこに置かれていた銀貨の感触が、まだ皮膚に残っている気がした
(……闘いみたいだ、ほんとに)
だけど不思議と――
どこか心があたたまっているのを、リューリカは否定できなかった。
皮肉が本格化してきました。
自分自身は皮肉を言ったりしないけど、皮肉屋が好きなので、頑張って皮肉を考える日々です(笑)。