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9月30日(日):”品行方正”の続きから

 森は、まだ陽の名残を抱いていた。

 午後の斜陽が梢の合間から差し込み、細長い光の筋となって地面を縫っている。

 鳥のさえずりも控えめで、静かだがどこか明るさが残る時間帯。日曜の午後、三時を少し回った頃だった。


 小屋のまわりには、秋の気配がじわりと満ちていた。

 干し棚ではセージの束が静かに揺れ、軒先の乾燥袋からはほのかにレモンバームの香りが漂ってくる。

 花壇のカモミールはまだ花を残していて、午前中に摘んだ分は、室内で乾燥中だった。


 空気はひんやりとしていて、草の匂いと土の匂い、それに干し草の甘さが微かに混じる。

 リューリカは、干し棚に手を伸ばし、ちょうど乾いたセージの束を取り込もうとしていた。


 そのとき――遠くで、落ち葉を踏む音がした。


 重すぎず、軽すぎず、無駄のない歩幅。

 森道に慣れているとは言えないのに、やたらと律儀な足音。


「……来たか」


 息をつくようにそう呟いて、耳を澄ます。


 日曜日。

 牧師にとっては最も忙しい日のはず。ミサ、訪問、告解、その他もろもろ。

 なのに、そのすべてを終えてから、わざわざ森に来るという勤勉さ。


 そして今日、ふと思った。


(……あれ、三日に一度……?)


 初回、前回、そして今日。

 指折り数えるように、リューリカは目を細める。


 偶然にしては、間が揃いすぎている。でも、本人が意識してるとは限らない。


 ――ただ、今日ふとそう思った。

 それだけのこと。


 コン、コン

 乾いた音が扉を叩く。


「また来たんですか。今日も”暇そう”に見える格好で?」


 軽く棘を立ててそう返すと、外から間髪入れずに声が返ってきた。


「ええ。”課金対象”と聞いてからは、着てくる服も選ぶようにしました」


 リューリカは一瞬、口元が緩みかけるのをこらえて、扉をぐっと開けた。


「……日曜日なのに来れるんですか、牧師様?」


「はい。この村は小さいので、日曜でも朝のミサと訪問を済ませれば、昼過ぎには一段落します。だから、午後は比較的、自由に動けるんです」


 リューリカはほんの少しだけ眉を上げた。


「牧師って、案外自由なんですね」


「いえ、今日は”ついで”ということにしておきます」


 金髪の前髪が揺れ、外套の襟元はきっちりと閉じられている。

 いつも通りの穏やかな顔で、クレメンスは言った。


「こんにちは。薬師様の許可がいただければ、薬の相談に」


「またエルゼさん?」


「いえ、今回は東のラウフェンさん宅の少年。微熱が続いていて、鼻水が止まらないと」


「ふん。やっぱり暇そうですね、牧師さん」


「”見かけだけでも忙しくしなさい”って、村のご婦人方に教わったばかりなんですが」


 リューリカは思わず、棚の瓶を拭くふりをして笑いかけた顔を隠した。


(……ほんとに、皮肉を返してくる)


 ここまで来ると、確信が持てる。

 この男は皮肉を”返す”ことをやっている――それも、楽しんで。


「……あなた、村ではあんなに真面目ぶってるのにね」


「村では、品行方正な牧師ですから」


「顔も整ってるし、隙がないし、村の女たちが浮かれてるのも納得」


「でも、薬師様だけには隙を見せすぎてるかもしれません」


「自覚あるんだ……」


 言いながら、調合台に向かう。


 ラウフェン家の少年。風邪の初期症状、微熱、鼻水。

 この時期は朝晩が冷える。鼻詰まりにはまずエルダーの花。抗ウイルス性と去痰作用を持つ。


 そこにペパーミントを少し。鼻腔の通りを良くし、粘膜を落ち着かせる。

 体を温めるためにジンジャーを粉末で。

 甘みを加えて飲みやすくするために、最後にリコリス。乾いた喉にも優しい。


 煎じ薬としてセットにし、咳と鼻詰まり用のシロップにも少量のリコリスとカモミールをブレンドしておく。

 花の香りがほんのり残る、優しい仕上がり。


「ラウフェンさんとこなら、風邪でしょうね。冷えと鼻詰まり対策のシロップでいいと思います。加熱用に煎じ薬も出します」


「ありがとうございます。煎じ時間と注意点を改めていただけますか。伝達ミスがあると困りますので」


「真面目ですね」


「”品行方正”が売りですから」


 この堂々とした返しに、リューリカは思わず笑いそうになる。

 こっちが笑ったら、負けた気がする。だからこそ、笑わない。


 薬を渡すと、クレメンスは銀貨と、礼儀正しいお辞儀を忘れずに置いていった。


「では……薬が必要になったら、また」


「ええ。暇ならどうぞ、何度でも」


「ありがとうございます。”課金”には気をつけます」


「もう入ってますよ、最初の分」


「では次回はまとめてお支払いを」


 言い残して、外套の肩を軽く払うと、彼はまた森道へと戻っていった。


 リューリカは、扉を閉めたあともしばらくその場を離れなかった。


(ほんとに……なんなのよ、あの牧師)


 皮肉を返されるのが、こんなに面白いなんて、思ってもみなかった。

 リューリカは先ほど我慢した笑みを、今度はきちんと口元にかたどった。

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