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10月18日(木):ただ、それだけ

 森の空気は少し乾いていて、落ち葉の匂いが強かった。

 風に煽られて舞う葉が、まるで小さな羽音のように地をかすめていく。

 遠くでカササギが鳴いている。乾いた枝の軋みが、音もなく空に吸い込まれた。


 薬草小屋の周囲には、赤茶色の葉が吹き溜まりのように積もっている。

 屋根には枯れ枝がひっかかり、煙突からはほそく煙が立ちのぼる。

 陽はあるが、温かさはない。

 秋の午後は静かで、どこか冷えていた。


 いつものように、小屋の扉がノックされたのは、昼をすぎた頃だった。


 リューリカは、手元の作業を中断しながら、小さく息をつく。


(今日も来るのね)


 扉を開ければ、案の定。

 クレメンスが、いつもの調子で立っていた。

 外套の裾には落ち葉がついていて、微笑は整っている。


「こんにちは、定期巡回の牧師様。お勤め、ご苦労さまです」


「ええ。神の業務もわかりやすさが求められる時代ですので」


 変わらぬ穏やかさで、クレメンスは答えた。

 皮肉に乗るでもなく、外すでもなく――まるで日常業務の延長のように。


 クレメンスは改めて「こんにちは」と挨拶をしてから、いつもの依頼主のことを話し始めた。

 挨拶を忘れぬ品行方正さは、森でも発揮される模様。


「今日は北のほうの家から、七歳の娘さんが熱を出したとのことで。風邪薬を、との依頼です」


「はいはい。じゃあ、寝る前に飲ませるタイプと、喉用のも一緒にね」


 言葉を交わす調子は、あくまで事務的。

 しかし、会話の底に流れるリズムだけが妙に合っていた。


 棚からエルダーフラワーを取り出し、リューリカは作業台に戻る。

 熱を下げ、発汗を促すこの花は、乾燥すると淡い甘さが残る。

 次に手にしたのはマロウブルー。咳を鎮め、粘膜を保護してくれる。


 木べらでゆっくりと乾燥ハーブを混ぜ合わせながら、

 リューリカは視線だけでクレメンスの位置を確認した。

 彼は、何も言わずに静かに棚の前を眺めている。

 その姿が、今日に限って妙に“遠い”ように見えた。


(……なんだろう)


 刻んだリンデンを加え、すり鉢ですりつぶす。

 すりこぎが葉脈を押しつぶすたび、木の器がこつり、と乾いた音を立てる。

 湿った粉が器の底でわずかに粘り、木べらにからみつくと、リューリカの指先には、ぬるりとした感触が残った。


 香りがふわりと立ち上り、肺の奥までしみとおるような感覚が広がる。

 これに蜂蜜を加えて、湯で溶かし、とろみのあるシロップにしていく。


「子どもなら、ちょっと濃いめにしておいた方が飲みやすいわね。リコリスも入れておきましょうか?」


「ええ、ありがたいです。熱で喉が焼けるようだと言っていたそうなので」


「あら、じゃあカレンデュラも混ぜておきます。炎症を鎮めるのにいいから」


「さすがです。森の調剤師は、話も手もが早い」


「通い詰めの人が多くて手馴れてますので」


「常連優遇ですか」


「優遇じゃないですよ。慣れてるだけ」


 瓶に注いだ液体は、淡く琥珀色をしていた。

 冷えた空気の中で、かすかに湯気を立てている。

 「できましたよ」と言いながらクレメンスに向かって手を伸ばす。

 クレメンスは、布で包まれた瓶を受け取ると、いつも通りの所作で銀貨を取り出した。


 リューリカはふと、その瓶に視線を落とす。

 そして、言葉を飲み込んだ。


(きかなくてもいいって結論が出たじゃない)


 自分にそう言い聞かせる。

 聞いたって、何かが変わるわけじゃない。

 相手はあの品行方正な牧師で、こちらは“魔女”と呼ばれる薬師。


 ――でも。


 聞かなければ、消えないものがある。


 その一瞬だけ、迷った。

 けれど、すぐに口を開いた。


「……あの。ひとつ、聞いていいですか」


 クレメンスの顔に変化はない。

 ただ、“聞く姿勢”だけが、きちんと整えられた。


 リューリカは瓶を手にしたまま、ほんの少しだけ視線を鋭くした。


「品行方正な牧師様が、森の魔女の小屋に通ってるなんて――……変な噂になっていませんか?」


 問いかけの温度は、あくまで平静だった。

 だが、胸の奥では、何か小さな音がしていた。


 一拍。


 クレメンスは微笑を崩さぬまま、即座に答えた。


「噂も何も、依頼があるから来ているだけですよ」


 それは、まるで予め用意されていたかのように滑らかだった。

 皮肉でもなく、照れもなく、ただ“当然のことを述べただけ”の声音だった。


「……まあ、そうですよね。お仕事ですものね」


「ええ。必要な人がいて、対応できる人がいる。それだけです」


 それだけ――

 その言葉が、妙に冷たく響いたのは、気のせいだろうか。


 リューリカは何も言わずに銀貨を受け取り、扉を開けたまま、クレメンスの背を見送った。


 今日の彼は、どこまでも丁寧だった。

 いつも通りで、何も変わらなくて、隙もなくて。


 だからこそ、言葉が胸に残った。


(依頼があるから来てるだけ…か……)


 扉が閉まる音にかき消されるように、リューリカは小さくつぶやいた。


「“だけ”で済んでるのは、あなただけだって話ですよ……」


 誰にも聞こえない声だった。

 それでもその一言は、たしかに、胸のどこかを刺していた。

本日より、2日に1回、もしくは3日に1回の更新頻度になるかと思われます。

悪しからず。

読んでくださっている方、誠にありがとうございます!!頑張ります!

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