表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/170

第一章:第四節:過去

育人の言葉は、静かに、しかし確かな力をもってクレオの心に染み込んでいった。

彼の態度はどこまでも真摯で、その瞳には偽りの色が見えない。クレオは、育人が言うことは全て正しいのではないか、と直感的に感じていた。それは、言葉の内容そのものよりも、むしろ彼の醸し出す雰囲気、声の調子、そして何よりも自分を真っ直ぐに見つめる瞳がそう思わせるのかもしれない。

しかし、これまでの人生で、彼女は一度だってそんな言葉を聞いたことがなかった。

自分を産んでくれた両親は、幼いクレオがその特異な外見について尋ねるたび、ただ悲しそうな顔をして「気にするな」と繰り返すだけだった。その瞳の奥に、言いようのない苦悩と、そしてほんの少しの恐怖が浮かんでいるのを、クレオは子供ながらに感じ取っていた。

そして、村を追われた後、自分を拾い、育ててくれた狩人の「じいちゃん」。彼はクレオにとって唯一の心の支えであり、太陽のような存在だった。じいちゃんは、クレオの白い髪を優しく撫で、「お前は綺麗だ」と言ってくれた。赤い瞳についても、「まるで宝石のようだ」と。

けれど、じいちゃんもまた、「他の者にはあまり見せるな」「人目を避けて生きろ」とクレオに言い聞かせていた。それはクレオを守るための言葉だと分かっていたが、同時に、自分のこの姿はやはり「普通」ではなく、「隠すべきもの」なのだと、クレオの心に深く刻み込まれることにもなった。

「気にするな」「お前は悪くない」「隠していれば大丈夫だ」――。

これまで彼女がかけられてきた言葉は、全て愛情を込めて彼女を慰め、守ろうとするものだった。だが、その根底には、彼女の外見が「普通ではない」「問題がある」という前提が、暗黙のうちに存在していたように思う。

しかし、目の前の男 -育人は違った。

彼は、クレオの外見を「問題」としてではなく、単なる「特徴」だと言った。そして、その「特徴」とはなんなのか、詳しく知っているようだった。アルビノと言う言葉が初耳だけど。こんな風に、はっきりと自分の存在そのものを肯定してくれる人に出会ったのは、クレオにとって生まれて初めての経験だった。

フードの奥で、クレオは唇をぎゅっと噛み締めた。混乱していた。嬉しさ、戸惑い、そしてほんの少しの疑念。様々な感情が胸の中で渦巻いている。

(この人は……本当に、あたしのことを……彼のことを...)

信じても、いいのだろうか。

育人は、クレオの揺れる瞳を見つめながら、彼女の心の葛藤を痛いほど感じていた。長年抱えてきたコンプレックスや、周囲からの否定的な言葉は、そう簡単に消えるものではないだろう。

「急にこんなことを言われても、すぐに戸惑うかもしれないね」

育人は、努めて穏やかな声で言った。

「無理に一気に受け入れる必要はないんだ。少しずつでいい。君の中で、ゆっくりと考え方を変えていけばいいんだよ」

彼は、焦らず、クレオ自身のペースで受け止めてほしいという気持ちを込めて、そう付け加えた。

クレオは、育人の言葉に何も答えなかった。ただ、窓から差し込む光の中で、じっと自分の足元を見つめている。その小さな肩が、わずかに震えているようにも見えた。育人もまた、何も言わずにそんな彼女の姿を静かに見守っていた。沈黙が、小屋の中を満たす。それは気まずいものではなく、むしろ、クレオが自分の心と向き合うための、必要な時間のように感じられた。

どれくらいの時間が経っただろうか。

やがて、クレオは何かを決意したように、ふっと顔を上げた。その赤い瞳には、先程までの不安や戸惑いとは違う、強い光が宿っていた。

「……あたしは……そう、信じたい。あたしの中に、何か……育人が言うみたいな、力があるって……信じたい」

彼女の声はまだ少し震えていたが、そこには確かな決意が込められていた。

そして、クレオはゆっくりと口を開いた。それは、まるで堰を切ったように、彼女の心の奥底に押し込められていた言葉たちが溢れ出してくるかのようだった。

「生まれてからずっと……忌み子だって言われた。魔族の血筋だって……。村では、誰からも仲間外れにされて……名前すら、じいちゃんが付けてくれるまで、あたしにはなかったんだ……」

「パパとママは……あたしを庇ってくれた。でも、そのせいで……村の戦士でもないのに、魔族との戦の最前線に無理やり行かされて……それっきり、帰ってこなかった。……その後、あたしも村から追い出されたんだ」

クレオは、淡々と、あまりにも平然とした声で、自身の壮絶な過去を語り始めた。その表情には、悲しみや怒りといった感情はほとんど浮かんでいない。それが逆に、彼女がどれほど深い傷を負い、感情を押し殺して生きてきたのかを物語っているようで、育人は胸が締め付けられる思いだった。

「追い出されて……他の獣人族の村もいくつか回ったけど……どこも、あたしの顔を見たら、泊めてくれなかった。村の近くにいるだけでも、すぐに『厄払いだ』って言って、石を投げられたり、追い払われたり……。仕方なく、獣人族のいる場所から離れて、どっちに行けばいいのかも分からずに、ずっと森の中を彷徨ってた……」

その小さな身体で、どれほどの恐怖と孤独を味わってきたのだろうか。育人は、ただ黙ってクレオの言葉に耳を傾けることしかできなかった。

「そんな時……この森で、じいちゃんに拾われたんだ。じいちゃんは、あたしのこと何も聞かずに、ただ『腹、減ってねえか』って言って、家に連れて帰ってくれた。それで、クレオっていう名前もくれた。あの時は……本当に、嬉しかった……。じいちゃんは人間だけど、あたしを追い出した獣人の誰よりも、あたしを受け入れてくれた……」

そこまで言って、クレオの声がわずかに震えた。彼女にとって、その「じいちゃん」との出会いがどれほど大きな救いであったかが痛いほど伝わってくる。

「でも……そんな優しいじいちゃんでも、あたしには『この姿は、あまり他人に見せるな』って言った。人間の村にも、絶対に行かせてもらえなかった。『危険だから』って……。『お前みたいなのは、人間に見つかったら、奴隷にされちまうかもしれないから』って……」

クレオの声は、再び沈んだ。信頼していた祖父からの言葉だからこそ、それは彼女にとって重い制約となっていたのだろう。そして、その言葉は、この世界の人間と獣人族との間にある、厳しい現実を示唆していた。

「半年前……じいちゃんが、死んじゃったんだ。あたしが……あたしが、ちゃんと看取って……この小屋のすぐ裏手にある、陽だまりの場所に、お墓を作った……」

そこまで言って、クレオの顔がくしゃりと歪んだ。涙が溢れそうになるのを必死に堪えているのが分かる。しかし、結局、彼女は泣かなかった。ただ、唇を強く噛み締め、俯いてしまった。

「また……一人になっちゃった……。あたし、よく思うんだ。本当に、あたしが忌み子だったのかなって……。あたしがいなかったら、パパとママは戦なんかに行かずに、ずっと幸せに暮らせたのかもしれない……。じいちゃんも、あたしなんかのために無理して狩りを続けたりしないで、もっと早くに引退して、ゆっくりできたのかもしれない……」

クレオの声は、自責の念に押しつぶされそうだった。彼女の小さな背中が、あまりにも重いものを背負っているように見えて、育人は言葉を失った。

「じいちゃんから教わったことで、森で生きていくための食べ物には困らないけど……でも、未来なんて見えない……。あたしは、これからどうして生きていけばいいんだろう……。楽しいことなんて、もう何もないし……最近は、悲しいって思うことすら、だんだん感じなくなってきた……。誰からも必要とされてないし……こんな姿、ずっと隠して生きていかなきゃいけないし……」

クレオの声は、次第に弱々しくなり、最後はほとんど吐息のようになって消えた。その言葉の一つ一つが、彼女の深い絶望と孤独を表していた。

育人は、彼女の言葉を途切れず、ただ静かに耳を傾ける。クレオが語る一つ一つの言葉が、彼の心に深く刻まれていくようだった。

(彼女が、俺のことをこんなに早く信用してくれたのも……もしかしたら、これが原因なのかもしれないな……。あまりにも長い間、孤独で、誰にも理解されず、未来も見えない中で……ただ、何か信じられるものを見つけたい、たとえそれが偽りだったとしても、何かに縋ってでも信じてみたい、という切羽詰まった気持ちの表れだったのかもしれない……)

育人は、クレオの痛々しいまでの告白を聞きながら、そんなことを考えていた。

しばらくの沈黙の後、クレオはゆっくりと顔を上げた。その赤い瞳には、涙の跡がうっすらと残っていたが、そこには先程までの絶望とは違う、か細いながらも確かな光が灯っていた。

「……その、あるびの……とかいうの、イクヒトの言うことを、あたしは信じたい。信じてみたいんだ」

彼女の声はまだ震えていたが、そこには強い意志が感じられた。

「もし、それが本当のことなら……もし、あたしの中に本当に何か特別な力があるのなら……いつか、あたしは……成り上がる」

クレオは、小さな拳をぎゅっと握りしめた。

「じいちゃんがくれた、この名前を輝かせたい。あたしは忌み子なんかじゃないって、故郷の村の奴らに見せてやりたい。そして……パパとママの……無念を……」

そこまで言って、クレオは言葉を詰まらせた。その赤い瞳からは、今度こそ大粒の涙が溢れ出しそうだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ