第一章:第三節:アルビニズム
育人の少し強引とも言える言葉に、クレオは一瞬、戸惑ったように赤い瞳を瞬かせた。フードの奥で、彼女の小さなフェレット耳がぴくりと動くのが見える。
「私は人間だけど、クレオに危害を加えるつもりは全くないんだ。信用してくれるかな?」
育人は、できるだけ誠実さが伝わるように、まっすぐにクレオを見つめて言った。
クレオはしばらく黙り込んでいた。フードの奥の表情は窺えないが、彼女が内心で葛藤しているのが雰囲気で伝わってくる。やがて、彼女は小さな、しかしはっきりとした声で答えた。
「……信用、してみる……。あんたの匂い、嘘をついてる者の匂いじゃないみたいだし……それに、じいちゃんも……人間、だったから」
その言葉に、育人は内心で驚いた。
(お爺さんは人間? どういうことだ? 獣人族の村を追い出された彼女が、人間の老人に引き取られたということなのだろうか……?)
クレオの過去に、また一つ、新たな謎が加わった。しかし、今はそれを詮索する時ではない。彼女がほんの少しでも心を開いてくれたのなら、その小さな信頼を大切に育むべきだ。
育人は、安堵の息をそっと吐き出し、穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか……ありがとう、クレオ」
その言葉は、心からのものだった。異世界で初めて出会った相手との間に、ほんの僅かだが、確かな繋がりが生まれたような気がした。
育人のその言葉と表情に、クレオの強張っていた身体から少しだけ力が抜けたように見えた。彼女は、おずおずといった様子で、ゆっくりと自分のフードに手をかけた。そして、まるで何か大切な儀式を行うかのように、静かにフードを脱いだ。
フードが取り払われると、まず現れたのは、雪のように真っ白な髪。そして、その髪の間からぴょこんと飛び出した、愛らしいフェレットの耳。先程一瞬だけ見えたものよりも、はっきりとその形を捉えることができた。
薄暗い小屋の中では詳細までは判別しづらいが、その毛並みはどこにも一点の曇りもなく、純白と呼ぶにふさわしい美しさだった。続いて、服の裾から遠慮がちに覗いていたふさふさとした白い尻尾も、隠すのをやめたのか、今は自然に揺れている。
そして何より、フードの下に隠されていた彼女の顔全体が露わになった。幼さを残しながらも整った顔立ち。その中で、ひときわ強い印象を与えるのは、やはりルビーのように赤い瞳だった。
クレオは、どこか不安げな、それでいて何かを期待するような複雑な表情で、じっと育人の反応を待っている。その赤い瞳が、育人の一挙手一投足を見逃すまいと、緊張に揺れていた。
(白い毛並みには一切の雑色が混じっていない……そして、この赤い瞳……。もしかして、彼女は……)
育人の脳裏に、ある可能性が浮かび上がった。
「クレオちゃん」
できるだけ優しい声で呼びかけた。
「もう少し、窓際に近づいて、君のことをもっとよく見せてもらってもいいかな?」
(あれ、今なんか変態っぽいこと言ったか? いや、純粋にその姿を確かめたいだけなんだが……)
クレオも、育人の言葉に警戒心を増やし、一瞬戸惑いの表情を見せたが、やがて小さくこくりと頷いた。
「……うん」
まだ少し疑念は残っているようだが、「信用する」と一度決めたからには、育人の要求に従うつもりらしい。彼女はゆっくりと、小屋の唯一の窓から光が差し込む場所へと歩み寄った。
窓から差し込む柔らかな光が、クレオの白い髪と肌を照らし出す。
(改めて見ると、クレオちゃんは本当に可愛いな……。髪は少し乱れているし、服も古びていて身体に合っていないけれど、それでも素材の良さは隠しきれていない。ちゃんと身なりを整えれば、誰もが振り返るような美少女になるだろう)
育人は、そんなことを考えながら、クレオの姿を注意深く観察した。
特に彼が注目したのは、彼女の肌だった。日光の下で見るクレオの肌は、病的なまでに白い。そして、よく見ると、その白い肌の下に、青みがかった細い血管が薄っすらと透けて見えている。
(この異常なまでの白さ……そして、透けるように見える血管……。異世界のことだから確信は持てないけれど、これは地球で言うところの「アルビニズム」の症状に酷似している……)
(そういえば、彼女の髪も瞳も、色素が欠乏しているかのような特徴を持っていた。獣人族という種族的な特徴なのか、それとも...)
育人は、クレオが「忌み子」と言われた理由の一端を理解したような気がした。
彼はクレオに向き直り、真剣な眼差しで口を開いた。
「クレオちゃん、これから僕が言うこと、君にとってすごく大事なことかもしれないから、よく聞いてくれるかな……」
クレオは、育人の突然改まった口調と真剣な表情に、少し驚いたように目を瞬かせた。てっきり、自分の外見について何か言われるのだと思っていたのだろう、その予想が外れたことに、わずかな困惑の色が彼女の顔に浮かんでいる。それでも、彼女はこくりと小さく頷き、育人の次の言葉を待った。
育人は、クレオにアルビニズムのことを、できるだけ分かりやすく伝えようとした。彼女がなぜ「忌み子」と呼ばれ、辛い思いをしてきたのか、その医学的な側面からの可能性を。
(君が特別なのではなく、それは……)
そう、彼女に「教えよう」と強く意識した、まさにその瞬間だった。
ズキン、と鮮明な感覚と共に、育人の脳内に膨大な情報が一気に流れ込んできた。
『アルビニズム(白化症):メラニン生合成に関わる遺伝情報の欠損により、先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患。症状として皮膚、毛髪、虹彩の色素欠乏または低下が見られ、視力障害を伴うことが多い。紫外線に対する感受性が高く、皮膚がんのリスクも……』
それは、育人が元々持っていたアルビニズムに関する知識だった。しかし、流れ込んでくる情報はそれだけでは終わらない。
『……アルビニズムの動物:白色の毛皮や羽毛、赤い瞳を持つことが多く、自然界では捕食者に見つかりやすい、あるいは同種間で認識されにくいといった生存上の不利を被ることがある。一部の文化では神聖視されることも……』
『……医学的情報:遺伝形式、合併症(眼振、斜視、羞明など)、診断方法、現時点での根本的治療法は存在せず、対症療法が中心……』
『……文化的側面:一部地域や民族においては、アルビニズムの個体は神の使い、あるいは逆に不吉の象徴として扱われる。誤解や偏見による差別も……』
そして、最も重要だと思われる情報が、最後に流れ込んできた。
『……異世界におけるアルビニズム(特に獣人族における発現型):地球におけるアルビニズムと基本的なメカニズムは類似するが、魔力への親和性が極めて高い個体が出現する稀なケースが報告されている。その場合、特異な魔力特性や、通常とは異なる感覚(例:魔力感知の鋭敏化)を示すことがある。しかし、その特異性故に、無知な者からは「魔族との関連」や「呪われた血筋」と誤解されやすく、迫害の対象となることも少なくない……』
(な……なんだ、この情報の量は……!?)
育人は、脳内で展開される膨大な知識の奔流に圧倒され、一瞬めまいを覚えた。これは、まさしく「教える」ために必要な、詳細かつ多角的な「知識」そのものだ。
アフラ・マズダーの言っていた【伝授者の叡智】の真価を、育人は今、初めて垣間見た気がした。
(これがスキルの発動か……。詳しい仕組みは後回しにして、今はクレオちゃんに教えるべき内容を、この情報の中から上手く抜き出すのが先決だ。彼女はちゃんとした教育を受けていない可能性が高い。「遺伝子」なんて専門用語を使っても、きっと分からないだろう……。よし、こう言ってみよう)
育人は、一度深呼吸をして思考を整理すると、クレオに向かってできるだけ優しい声で語りかけた。
「クレオちゃん、君が『忌み子』だなんて言われたのは、きっと大きな誤解なんだ」
まず、育人はきっぱりと否定した。
その言葉に驚いたように目を見開いた。クレオは赤い瞳が不安そうに揺れている。
「ご、誤解……?」
「ああ。君のその白い髪や肌、そして赤い瞳はね、魔族の血とかでも呪いでもないんだ。それはね、生まれつき身体の中にある『色を作る力』が、他の人より少しだけ弱いだけなんだ。僕のいた世界では、そういう人を『アルビノ』って呼ぶんだよ」
できるだけ専門用語を避け、クレオにも理解しやすい言葉を選んで説明した。
「あるびの……?」
クレオは、初めて聞く言葉に戸惑ったように首を傾げた。
「うん。色を作る力が弱いから、髪も肌も白くなるし、瞳も赤く見えることがある。でもね、それは決して悪いことじゃないんだ。むしろ、とても珍しくて、美しい特徴なんだよ。君のその白い毛並みや赤い瞳は、まるで雪の中に咲いた赤い花のようだ」
スキルによって得た知識の中から、アルビニズムを持つ動物が時に神聖視されるという情報を思い出し、育人はそれを肯定的な言葉に変換して伝えた。
しかし、クレオの表情はまだ晴れない。
「でも……村では、魔族の血だって……」
彼女の声には、長年植え付けられた恐怖と劣等感が深く根付いている。
「それは、きっと知らない人たちが、君の珍しい見た目を見て、怖がって勝手に言ったことだよ。魔族なんて関係ない。クレオちゃんは、クレオちゃんだ。他の誰でもない、特別な君なんだよ」
育人は、クレオの目を真っ直ぐに見つめて言った。
育人の真剣な眼差しと言葉に、何かを感じ取ったクレオは俯いていた顔を少し上げ、赤い瞳でじっと育人を見つめ返す。その瞳には、まだ疑いの色と不安が浮かんでいるが、ほんの少しだけ、何かを確かめようとするような光が宿っていた。
「……じゃあ、あたしは……呪われてないの……?」
「もちろんさ。呪いなんかじゃない。むしろ、君のその特徴は、この世界では何か特別な力に繋がっている可能性だってあるんだ」
育人は、スキルで得た「異世界におけるアルビニズム」の情報を思い出し、希望を持たせるように言った。
「色を作る力が弱い代わりに、もしかしたら他の人にはない、何か素晴らしいものを持っているかもしれない。例えば、魔力を感じやすいとか、そういうことがね」
(ふと思ったが、もしアルビノがこの世界では魔力の感知などに優れているとすれば……もしかすると、人々が恐れる「魔族」という存在自体が、実はアルビニズムを持つ者の集団だったりする可能性も……? これは覚えておこう。機会があれば、また詳しく調べてみる必要があるな)
育人は一旦、そんな思考を頭の片隅に留めながら、クレオの反応を待った。
クレオの赤い瞳が、わずかに大きく見開かれた。彼女自身、何か思い当たる節があるのかもしれない。あるいは、単に「特別な力」という言葉に惹かれただけなのか。
「だからね、クレオちゃん。君は何も恥じることはないし、隠す必要もないんだよ」
育人はクレオのその小さな変化を見逃さなかった。
そして、彼女を安心させるように、穏やかに微笑みかけた。