表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/168

第一章:第一節:見知らぬ小屋での目覚め

次に加賀育人が意識を取り戻した時、そこはもはやアフラ・マズダーがいた光り輝く神聖な空間ではなかった。

薄暗がりの中、最初に感じたのは背中のごわごわとした感触と、後頭部へのチクチクとした刺激だった。ゆっくりと瞼を開けると、視界に入ってきたのは、粗末な木の天井。どうやら自分は、硬い木製のベッドらしきものの上に寝かされているようだった。

身体を起こそうとすると、全身が鉛のように重く、特に頭がズキズキと痛んだ。掛けられていたのは、麻のような硬い繊維で織られた布で、お世辞にも布団とは呼べない代物だ。そして、頭を乗せていた枕からは、乾燥したわらの先が何本も突き出ており、それが皮膚に当たって不快な刺激を与えていた。

「……ここは……どこだ……?」

また掠れた声が自分の喉から漏れた。アフラ・マズダーとの会話、スキル【伝授者の叡智】の授与、そして最後に「この世界で生き抜き、そして願わくば、我が教えを広める一助となってくれることを期待しているぞ」という言葉と共に再び光に包まれたところまでは覚えている。

(あの後、どうなったんだ……? 森に転移させられたはずでは……? いや、森の記憶がない……。直接、この小屋に……?)

頭の中で記憶を辿ろうとするが、アフラ・マズダーの神域を離れた後の記憶が曖昧だ。森に降り立ったような感覚も、そこで何かをしたという記憶も、今のところ思い出せない。ただ、最後に感じたのは強烈な浮遊感と、その後の意識の途絶だった。おそらく、転移の負荷か何かで気を失い、空腹も手伝って動けなくなっていたのだろう。

周囲を見渡すと、そこは小さな木の小屋のようだった。壁も床も、丸太や厚い板を組んだだけの簡素な作りだ。唯一の窓と思しき小さな四角い穴からは、ぼんやりとした外光が差し込んでいる。その光の角度からすると、時刻は午前か、あるいは午後といったところだろうか。少なくとも、真昼の強い日差しや、夜の闇ではないようだ。

しかし、日光があるとは言え、その窓は小さく、しかも一つしかないため、部屋全体は薄暗く、隅々まではっきりと見通すことは難しい。室内には、小さな木製のテーブルと、それに向かい合うように置かれた不揃いな木製の椅子が二脚、そして壁際にはいくつかの埃だらけな棚があるだけで、生活感は希薄だ。

育人は、ゆっくりと身体を起こし、ベッドの端に腰掛けた。幸い、身体に目立った外傷はないようだ。服装も、地球から着てきたものがそのままだった。持ち物といえば、アフラ・マズダーから授かったスキル以外には何もない。

(一体誰が、何のために自分をこの小屋へ? そして、ここは安全なのだろうか……。)

育人は、ひとまず小屋の中をもう少し詳しく調べてみることにした。警戒を怠らず、ゆっくりと立ち上がり、壁に立てかけられていた手頃な木の棒を拾い上げ、それを杖代わりに、そしていざという時のためのささやかな武器として構えた。

育人が小屋の扉に近づこうかと思案していた、まさにその時だった。

ギィ、と軋むような音を立てて、その粗末な木の扉が外側からゆっくりと開かれた。

育人は咄嗟に木の棒を握り直し、身構える。

扉の向こうから現れたのは、小柄な人影だった。フードを目深に被り、顔はよく見えないが、その手には木のボウルが一つ、湯気を立てる何かを盛って運ばれている。

「……目が、覚めたのか?」

それは、少し低く、しかしどこか幼さを残す少女の声だった。言葉は、育人が今まで聞いたことのない独特の響きを持っていたが、不思議と、その意味は頭の中にすんなりと入ってきた。アフラ・マズダーが与えた基本特典、【言語能力】のおかげだろう。

少女はゆっくりと小屋の中に入ってくると、育人の姿を認め、わずかに足を止めた。おそらくフードの隙間から、こちらを窺っているのだろう。

「身体は……大丈夫か? 動けるか?」

彼女が運んできた木のボウルからは、甘酸っぱい果実と穀物のようなものが混じった、優しい香りが漂ってくる。それは、粥のようなものだろうか。

育人は、まだ警戒を解かずに少女を見つめた。彼女が誰なのか、なぜ自分をここに連れてきたのか、何も分からない。しかし、その声色と、運んできた食べ物からは、少なくとも敵意のようなものは感じられなかった。むしろ、体調を気遣うような響きがあった。

「ここはどこですか? なぜ私はここにいるのでしょうか?」

思わず口から出たのは、慣れ親しんだ日本語だった。しかし、目の前の少女は特に驚いた様子もなく、育人の言葉を理解したように頷いた。これもまた、アフラ・マズダーの与えた【言語能力】の恩恵なのだろうか。相手の言葉を理解できるだけでなく、こちらの言葉も相手に伝わるようになっているのかもしれない。

少女は、木のボウルをテーブルの上にそっと置くと、育人に向き直った。

「ここは、あたしの家だよ。森に果物を採りに行った時、あんたが倒れてるのを見つけたんだ。いくら声をかけても起きないから、ここに運んできたの」

少女は淡々と、しかし少しぶっきらぼうな口調でそう説明した。

(私を? この小柄で、どう見ても中学生くらいにしか見えない子が? 私の体重は決して重い方ではない、むしろ少し痩せているくらいだが、それでも成人男性だ。それを中学生くらいの少女が一人で運ぶなんて、相当大変だっただろう……)

育人は、少女の言葉に内心で驚きを隠せないでいた。

「そうだったのか……。迷惑をかけてしまったようだ。ありがとう、助かったよ」

育人は、素直に感謝の言葉を口にした。

少女は、育人の感謝の言葉に少しだけ雰囲気を和らげたように感じられたが、すぐにいつものぶっきらぼうな口調に戻った。

「いいや、ぜんぜん。……というか、もう立てるようになったんだな。よかった。……ミチリ粥、食べるか?」

少女はテーブルの上の木のボウルを指差しながら言った。そこからは、依然として優しい香りが漂ってきている。

「ミチリ……?」

育人は聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「森で採れる果実だよ。酸っぱくて、あんまり美味しくないけど、栄養はあるんだ」

少女はぶっきらぼうに答えたが、その言葉の端々には、育人の体調を気遣う響きが感じられた。

(果物の酸っぱい粥か……想像しただけでもあまり美味しそうではないな……)

しかし、空腹であることは事実だった。最後にまともな食事をしたのはいつだったか、もはや思い出せない。それに、せっかくの他人の好意を、味のことであれこれ言うのは無礼というものだろう。

育人は頷き、椅子に腰を掛け、木のボウルに添えられた木のスプーンを受け取った。そして、意を決して一口、その「ミチリ粥」を口に運んだ。

(……うっ)

確かに、美味しくはない。果実のストレートな酸味が、味付けのされていない穀物の粥に溶け込んでおり、甘みはほとんど感じられない。正直なところ、地球でこれが出てきたら、二口目には進まないかもしれない味だ。

だが、不思議と不快ではなかった。丁寧に煮込まれているのだろう、粥は滑らかで、ほとんど噛む必要もなく喉を通っていく。弱った病人でも飲み込みやすいようにという配慮だろうか。そして何より、温かい粥が胃に収まると、じんわりとした熱が全身に広がり、まるでエネルギーが注ぎ込まれるような感覚があった。元々、森で遭難して衰弱したわけではなく、転移の負荷と空腹で一時的に動けなくなっていただけなので、身体自体はそれほど弱ってはいない。だからこそ、この栄養豊富な粥は効果てきめんで、みるみるうちに力が湧いてくるのを感じた。

育人は、木のボウルに残っていたミチリ粥を、ゆっくりと時間をかけて全て食べ終えた。お世辞にも美味しいとは言えない味だったが、空腹だった身体には染み渡るような温かさだった。

「ごちそうさま。……本当に、ありがとう」

育人は、空になった木のボウルを少女に返しながら、改めて感謝の言葉を述べた。その声には、先程よりも明らかに力が戻っている。顔色も幾分良くなったように感じられた。

少女は、空のボウルを受け取ると、こくりと小さく頷いた。フードは目深に被ったままで、その表情は窺い知れない。彼女は少し躊躇うように、しかしはっきりとした口調で尋ねてきた。

「……ええと、あんた、どこから来たんだ? その服とか、見たことないし……この辺の人間じゃないだろ?」

フードの奥から向けられる視線は、直接は見えないものの、好奇心と警戒心が入り混じっているのが声色から伝わってくる。

育人は、その問いにどう答えるべきか一瞬迷った。

(正直に話すべきか……? 異世界から来ただなんて、信じてもらえるだろうか。いや、しかし、この状況で嘘をついても仕方がない。それに、この子は俺を助けてくれた恩人だ。誠実に対応すべきだろう)

短い葛藤の後、育人は意を決した。

「ああ、君の言う通り、私はこの辺りの人間じゃない。……実は、遠い、遠い別の世界から来たんだ」

育人は、できるだけ落ち着いた声で、しかし真剣な眼差しで、フードの奥の気配に向かって告げた。

少女は、育人の言葉に一瞬動きを止めた。フードの奥で、彼女が息を呑む気配が微かに感じられる。

「……別の、世界……?」

その声には、困惑と、ほんのわずかな好奇の色が混じっていた。

「ああ。説明するのは少し難しいんだが……。もし、詳しく知りたいというなら話すけど、少し時間がかかると思う」

育人は、少女の反応を慎重に窺った。

少女は数秒間黙り込んだ後、小さく首を横に振ったようだった。

「……別に」

ぶっきらぼうな、しかし先程までの刺々しさは少し薄れたような声だった。興味がないわけではなさそうだが、深く詮索するつもりもない、といったところだろうか。

「ここに、いつまでもいていい。安心して。食料は……足りるから」

少女はそう言うと、育人が返した木のボウルとスプーンを手に取り、テーブルの方へ向かおうとした。

その時だった。

木の床は所々ささくれ立ち、僅かな凹凸がある。少女がそれに気づかず足を取られたのか、ぐらりと体勢を崩した。

「わっ……!」

小さな悲鳴と共に、少女は前に倒れそうになる。

育人は咄嗟に手を伸ばそうとしたが、少女はかろうじて自分で体勢を立て直した。しかし、その拍子に、深く被っていたフードが大きくずり落ちてしまったのだ。

そして、育人の目に飛び込んできたのは...

雪のように白い髪の間からぴょこんと覗く、愛らしいフェレットのような獣の耳。

そして、驚きと羞恥に染まった、ルビーのように赤い瞳。

さらに、バランスを取ろうとした際に揺れた、服の裾から覗くふさふさとした白い尻尾。

それは紛れもなく、獣人の少女の姿だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ