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序章:第二節:アフラ・マズだーと海外進出

「お待ちになっていただけますか」

凛、とした声が響いた。それは育人の声だった。彼は、ゆっくりとアフラ・マズダーに向かって手を差し出し、制止の意を示していた。

アフラ・マズダーは、わずかに目を見開いた。その金色の瞳に、驚きと、それからすぐに興味深そうな光が宿る。まさか、この神聖な儀式の最中に、人間風情から「待った」がかかるとは思ってもみなかったのだろう。しかし、彼はすぐにいつもの荘厳な表情に戻り、鷹揚に頷いた。

「……ほう?何かな、加賀育人よ。我が恩寵を前にして、何か不明な点でも?」

その口調は穏やかだが、どこか試すような響きを含んでいる。

育人は臆することなく、まっすぐにアフラ・マズダーを見据えた。

「はい。いくつか確認させて頂きたいことがあります。まず、アフラ・マズダー様……その御名は、私が知る限り、地球における古代ペルシャ、現在のイラン周辺で信仰されていたゾロアスター教の最高神、善と知恵を司る神のお名前です。私の認識に間違いは?」

家庭教師として、世界史や宗教についても一通りの知識は持っている。目の前の存在が本当にその神であるならば、話は少し変わってくるかもしれない。

「そして、もしそうであるならば、私たちはこれから、そのゾロアスター教と縁の深い地域……例えば、中東や中央アジアのような場所に転移させられる、ということなのでしょうか?」

育人の問いに、アフラ・マズダーはしばし沈黙した。そして、ふっと口元に笑みを浮かべた。それは、先程までの慈愛や威厳とは少し異なる、どこか人間臭い、あるいは戦略家のような笑みだった。

「ククク……実に聡明な人間よ。その通り、我が名は地球と呼ばれた世界において、かつてペルシャの地で篤く信仰されたアフラ・マズダーそのものである」

アフラ・マズダーは、どこか懐かしむような、それでいて僅かな悔しさを滲ませた表情で続ける。

「我が教えは、善と悪の二元論、そして終末における最後の審判を説き、多くの人々の心の拠り所となった。だが……」

そこで言葉を切り、アフラ・マズダーは天を仰ぐような仕草をした。その金色の瞳には、遠い過去への追憶が映っている。

「時代の流れとは残酷なものよ。我が光は、新たな砂漠の預言者がもたらした教え――イスラムの波に次第に覆い隠され、かつての栄光は見る影もなくなった。多くの信徒は改宗を余儀なくされ、あるいは故郷を追われた。我が聖火も、風前の灯火となる寸前であったわ」

その声には、神としてのプライドと、敗北の記憶が複雑に絡み合っているように育人には感じられた。

「だが、我は諦めなかった。神とは、信仰があってこその存在。ならば、新たな地で、新たな信者を得るまでよ!」

アフラ・マズダーはそこでカッと目を見開き、先程までの感傷的な雰囲気は消え失せ、燃えるような情熱を瞳に宿した。

「数千年前――この世界の時間で言えば、だがな――我は残された僅かな信徒と共に、この世界へと渡ってきたのだ!いわば『海外進出』よ! 新天地にて、我が善の教えを広め、かつての、いや、それ以上の栄光を掴むためにな!」

アフラ・マズダーは胸を張り、両手を広げて高らかに宣言する。その姿は、まるで演説を行う政治家か、あるいは新事業の成功を夢見る起業家のようだ。神々しいというよりは、むしろ非常に人間的な野心とエネルギーに満ち溢れている。

「そして今、この世界は我が教えを受け入れつつある!各地に神殿が建ち、我が名を呼ぶ声も増えてきた! だが、まだまだ足りぬ! もっと多くの魂に、我が光を届けねばならんのだ!」

アフラ・マズダーは熱っぽく語り、その視線は再び育人に注がれた。

「お前たち異世界からの来訪者は、いわば天啓! 我が布教活動を加速させるための、貴重な『人材』というわけだ。特に、お前のように知性と善性を併せ持つ者はな!」

その言葉には、もはや隠す気もないほどの期待と、そして利用価値を見出すような打算が込められていた。

育人は、アフラ・マズダーの壮大な(そして少々強引な)演説を黙って聞いていたが、やがて口を開いた。その声は、先程までの緊張感とは異なり、どこか状況を冷静に受け止めようとする響きを帯びていた。

「つまり……『異世界』というのは、あなたにとっては『海外』のようなもの、ということですか。そして、私たちはこれから、この『海外』で生活していくことになる、と。そういう理解でよろしいのでしょうか?」

その問いは、あまりにも現実的で、ある意味で神の壮大な計画を矮小化するような響きを持っていた。しかし、育人にとっては最も重要な確認事項だった。

アフラ・マズダーは、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに破顔一笑した。

「フハハハ!その通りだ、加賀育人よ! まさに『海外進出』、そしてお前たちはその『現地採用枠』というわけだ! しかも、我が手厚いサポート付きのな!」

アフラ・マズダーは愉快そうに笑い声をあげ、ポンと育人の肩を叩くような仕草をした(実際には触れていないが、雰囲気はそんな感じだった)。

「お前たちが元いた世界に戻る術は、今のところない。だが、悲観することはないぞ!この世界は広大で、未知に満ち溢れている!そして何より、我が導きがあるのだからな!お前たちの新たな人生は、希望に満ちていると言っても過言ではあるまい!」

その言葉は力強く、自信に満ち溢れていた。それが神としての確信なのか、それとも優れた営業マンのトークなのか、育人にはまだ判断がつかなかった。


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