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第一章:第十五節:放課後指導

アンがトンチの元から戻り、再び作業が再開されると、クレオは先程までの不機嫌そうな雰囲気はどこへやら、育人のすぐそばにぴたりと寄り添うようにして作業を手伝い始めた。その様子は、まるで「先生の一番弟子はあたしなんだから」とでも言いたげで、育人は思わず苦笑してしまった。

その日の午後のピキキ小屋建設は、さながら青空教室の様相を呈していた。

育人は、小屋の柱を立てたり、梁を渡したりする作業の合間合間に、クレオと、そしていつの間にかまた育人のそばに戻ってきていたアンに対して、様々なことを教えた。

それは、本格的な「授業」というよりは、目の前の作業に関連付けた、ごく簡単な知識の断片だった。例えば、木材を組み合わせる際には、三角形の構造がいかに安定しているか(ハチの巣の六角形も、実はたくさんの三角形が集まってできていることなど)、柱を垂直に立てることの重要性、あるいはピキキのような鳥類のオスが、なぜメスよりも派手な羽を持つことが多いのか(メスへの求愛のため、あるいは外敵の注意を自分に引きつけて巣やメスを守るため、など)。

内容は、地球で言えば小学生が学ぶような幾何学の初歩や、生物の基本的な知識程度のもので、特に難しいものではなかった。しかし、クレオにとっても、そしておそらくはアンにとっても、それらは初めて聞くことばかりだったようで、二人は目を輝かせながら育人の説明に聞き入っていた。

「へえー! ハチの巣って、ただの丸い穴が集まってるだけだと思ってたけど、ちゃんと理由があったんだね!」

アンは感心したように声を上げ、クレオもまた、育人が木の枝で地面に描いたハチの巣の構造図を、食い入るように見つめている。

時には、育人が説明する中で、地球には存在しないこの世界の独自の事象や、彼自身も知らない知識が必要になることもあった。そんな時、育人は心の中でスキル【伝授者の叡智】を発動させた。すると、必要な情報が脳内に流れ込み、彼はそれを吟味し、クレオやアンにも理解できるように言葉を選びながら説明する。それは、彼女たちに教えると同時に、育人自身にとっても新たな知識を学び、自分のものとして定着させていく貴重な時間となっていた。

クレオは、以前にも増して育人の言葉に真剣に耳を傾け、時折鋭い質問を投げかけるアンの横で、少しでも多くのことを吸収しようと必死な様子だった。その小さな背中からは、「育人先生の一番の生徒はあたしなんだ」という健気な対抗心と、学ぶことへの純粋な喜びが溢れているように、育人には感じられた。

一方、少し離れた場所で黙々と丸太を運んでいたトンチは、そんな三人の様子を横目で見て、何やら不満げな顔をしていた。彼にしてみれば、力仕事から外れて何やら楽しげに話をしているアンとクレオが、ただサボっているようにしか見えなかったのかもしれない。

「親父ぃ、アンの奴ら、また育人先生のところでサボってるぞ。ちゃんと注……」

トンチが、父親であるイギリーにそう言い告げようとした瞬間、ゴツン、と鈍い音と共に彼の頭に衝撃が走った。イギリーの大きな拳骨が、容赦なくトンチの後頭部に振り下ろされたのだ。

「いってぇ! なんだよ親父、いきなり殴ることねぇだろ!」

トンチは頭を押さえながら抗議の声を上げる。

イギリーは、そんな息子には何も言わず、ただ黙って顎でアンとクレオの方を指し示した。そして、もう一度トンチの顔を見つめると、言葉にならない大きなため息を一つ、深く吐き出したのだった。

夢中になって作業と会話を続けているうちに、太陽は再び西の空へと大きく傾き、森は夕闇の気配を漂わせ始めていた。

「おっと、もうこんな時間か。日が暮れる前に帰らねえと、夜の森はちとばかし厄介だからな」

イギリーが空を見上げながらそう言うと、トンチとアンも作業の手を止めた。

「育人先生、クレオ、今日はここまでだ。明日もまた手伝いに来るからよ!」

イギリーはにっと笑い、トンチとアンも「また明日!」と手を振って、トーマス一家はその場を後にした。彼らの姿が森の奥へと消えていくのを見送りながら、育人はクレオと共に今日の作業の後片付けを始めた。

元々それほど大きな建築物ではないため、イギリーとトンチという頼もしい助っ人が加わったことで、ピキキ小屋の建設は驚くほど順調に進んでいた。骨組みはほぼ完成し、壁板も半分以上が取り付けられている。あとは屋根をしっかりと葺き、細かい部分を仕上げるくらいだろう。明日には完成するかもしれない。

作業を終え、仮囲いの中のピキキたちの水と餌を交換しながら、クレオは一番新しく仲間入りしたメスのピキキに優しく話しかけた。

「ペピキキ、明日には新しいおうちができるよ。嬉しい?」

「ゴー?」

ペピキキは、クレオの言葉の意味が分かったのか分からなかったのか、ただ小さく首を傾げて、可愛らしい鳴き声を上げただけだった。

そんな微笑ましいクレオの様子を見て、育人は優しく尋ねた。

「今日は楽しかったかい、クレオちゃん?」

クレオは、育人の問いかけに、こくりと小さく頷いた。そして、少し照れたように、しかし嬉しそうな声で答えた。

「うん、すごく楽しかった! それに、いっぱい勉強になったよ。でも……まだ、よく分からないこともあって……」

「ほう? 例えば、どんなことかな?」

育人は、興味深そうにクレオの次の言葉を待った。

クレオは、少し首を傾げ、真剣な表情で育人を見上げた。

「今日、先生が言ってたでしょ? 三角形の組み合わせは、すごく丈夫だって。ハチの巣もそうだって。でもね、あたしたちが今作ってるピキキ小屋も、このおうちも、四角いじゃない? どうして、丈夫な三角形や六角形じゃなくて、四角い建物が多いの?」

育人は、クレオのその素朴な疑問に、感心したように頷いた。

「それは面白い質問だね、クレオちゃん。確かに、三角形はとても安定した形だ。じゃあ、ちょっと考えてみてごらん。もし、クレオちゃんが三角形の部屋に住んでいるとしたら、どんな感じがするかな?」

「え……三角形の部屋……?」

クレオは、想像もつかないといった様子で首を捻った。

「……よく、わかんない……」

「うん、これは少し想像しにくいかもしれないね」

育人はそう言うと、そばに落ちていた手頃な木の枝を拾い上げ、地面に図を描き始めた。まずは、クレオにも分かりやすいように、比較的大きな正三角形を一つ。そして、その隣に、同じくらいの面積になりそうな正方形を一つ描いた。

「ほら、見てごらん。これが三角形の家で、これが四角形の家だとしよう。同じくらいの広さの家だとしても、三角形の家は、壁が部屋の真ん中に近くなってしまうだろう? それに比べて、四角形の家の方が、壁までの距離が遠くて、部屋全体に余裕があるように感じないかい?」

育人は、それぞれの図形の中央あたりを指差しながら説明する。

「あ……本当だ。四角い方が、なんかこう……広い感じがする」

クレオは、二つの図形を見比べながら、納得したように頷いた。

「それにね」と育人は続けた。「三角形の、この尖った角の部分を見てごらん」

彼は、枝で三角形の鋭角な部分を指し示した。

「こういう角の部分は、とても狭くて、何か物を置こうとしても置きにくいし、人がそこで何かをしようとしても、ちょっと窮屈だろう? 四角い部屋なら、角も直角だから、家具も置きやすいし、空間も無駄になりにくいんだ」

「じゃあ、六角形はどうなんだい? ハチの巣みたいに。クレオちゃんはどう思う?」

育人は、今度はクレオに問いかける形で、思考を促した。

クレオは、先程の三角形と四角形の図を見比べながら、うーんと少し考え込んだ。そして、おずおずと口を開いた。

「六角形の家は……うん、四角形の家と同じくらい、広く感じられると思う。でも……描くときに、その柱の部分とか、角っこをどうやって作ればいいのか、ちょっと難しそうだなって思った」

育人は、クレオのその言葉に満足そうに頷いた。

「その通りだよ、クレオちゃん。よく気づいたね。六角形の家も、頑丈さや空間の利用効率で言えば、とても優れているんだ。でも、実際に建てるとなると、材料を切り出したり、柱や壁を正確な角度で組み合わせたりするのが、四角い家よりもずっと難しい。それに、昔からみんなが四角い家を建ててきたから、それに合わせて家具なんかも四角いものが多く作られている。だから、今さら頑張って六角形の家を建てても、周りの家と形が合わなかったり、ちょうどいい家具が見つけにくかったりするかもしれないね。そういう、建てやすさとか、使いやすさとか、周りとの合わせやすさとか、色々な理由があって、四角い建物が多くなっているんだと思うよ」

クレオは、育人の説明を聞いて、なるほど、と深く頷いた。

「……そっか。理由は、一つだけじゃないんだね」

「そうだよ」と育人は優しく微笑んだ。「物事を考える時にはね、できるだけ色々な方面から、たくさんの理由を探してみると、より良い答えが見つかることが多いんだよ」

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