第六章:第19.6節:帝都 後篇
(ここからはエイルゼリア・クォノッソフィ・イーララノルド・レイシヘイラの一人称)
ダンテス支部長が去った後、わたくしはまた、色々な場所を回ってみました。
景色は、昔と大して変わりません。ですが、人が変わってしまった。オーグスト広場のように、ダンテス支部長が言った通り、人々は慎み、なるべく、誰かの目に留まらないように、息を潜めて生きています。
圧政、というのとも、少し違う気がします。話を聞いた人々によると、特に重税が課せられたわけでもないようです。
ギラテシャ教を国教にするというのも、他の宗教の活動を完全に禁じたわけではない。ただ、貴族たちにギラテシャ教への入信を強制し、教団を優遇しているだけ。
他の法律や制度も、昔と大体変わりはない様子……。
問題は、あの大粛清そのものがもたらした混乱と、それを利用して、私的な恨みを晴らしたり、私腹を肥やしたりするための、密告や冤罪……。
大粛清さえ除けば、プリーツくんは、特に悪政と呼べるようなことはしていない、ということになるのかしら。そのことに、少しだけ、ほんの少しだけ、安堵してしまいました。
プリーツくん……元第四皇孫……つまり、わたくしの従兄弟の、そのまた弟。クーデターの件について、文句は言いたい。ですが、恨みはありません。嫌ってもいない。ただ、呆れ果てた、というのが正しいのでしょう。
しかし、大粛清は、決して許されることではありません。わたくし自身の恨みがあろうとなかろうと、多くの人々が命を落とし、無実の罪を着せられ、生き残った者も、本性を抑えつけ、慎んで生きるしかない……。
なぜ……。なぜ、あのようなことをしたのですか……。カガ領にいた時からずっと、それを考えていました。帝都に戻り、この光景を目の当たりにして、その思いはなおさらです。プリーツくんは、皇帝の器ではありませんが、ずっと優しくて、音楽が好きで、争いを嫌う人間だったはずです。なぜ……。
「それは、確かに謎ですわね」
宿屋の従業員が、わたくしに夕食を運びながら、テーブルの隣で声をかけました。
(心が読まれた!? しかも、この子は誰ですの?)
「宿屋の看板娘、ルルーちゃんですよ。えへっ! ダンテス支部長でもありますけど」
(いいえいいえ……この子もダンテス支部長? 人形ではないなら、変装? ご本人ではない? 不可解なことが多すぎて、推測すら難しい……。今、最も重要なのは……)
「心が本当に読まれているかどうか、でしょう?」
少女の姿をしたダンテス支部長が、わたくしの心の声を続けました。
(やはり……!)
「まあまあ、思惑が激しい時にだけ聞こえるのですけれど。ご安心くださいまし、お客様」
(これ……この言い方……個性まで偽装しているのですか? さすがは、大詐欺師といったところね)
「それは、偽装ですの?」
「だから、ネタは教えませんって」
と、ルルー・ダンテス支部長が言いました。
「こうして……ち……力の一部ぅ……を……お前に見せるのも……げっぷ……これからの……げっぷ……任務のためだ……」
と、他の席にいた酔っ払い客が、ルルー・ダンテス支部長の言葉を続けました。
「同時に、複数のあたしたちがいるのが、今度の任務の役に立つと思うからねぇ」
今度は、厨房からおばさんが顔を出して言いました。
「普段は、それぞれ別の生活を送っているけれど、いざとなれば、あたしたちは全員、ダンテスなのよ。えへっ!」
と、またルルー・ダンテスがまとめました。
これは……。
「ここにいる者は全員ダンテスですから、計画が漏れる心配はありませんのよ」
確かに……そうなのでしょうけれど、少し不気味ですわね……。
「可愛いルルーを不気味だなんて、ルルーは悲しいですわ」
「心の声が激しい時にだけ聞こえるのではなかったのですか?」
「聞いておりませんよ。今のは、ルルーの……もとい、わたくしたちダンテスの人生経験から推測しただけです」
どこまでが本当に心を読まれていて、どこからがただの推測なのか、さっぱり分かりませんわ……。そもそも、この方々の表現からすると、とても同一人物とは思えません……。
「げっぷ……にん……任務の話をしようぜ……げっぷ……。エミリアの……げっぷ……嬢ちゃんは、こ……この任務の難点は、ど……どこにあると思う?」
と、酔っ払い・ダンテスが尋ねてきました。
難点、ですって……。エメラルド宮には長く住んでおりましたから、潜入そのものは簡単です。ですが、どうやってあれほど大量の錬金術アイテムを持ち出すか。量もさることながら、わたくし一人では運べませんし、わたくし以外の人間を大勢潜入させるのも非現実的です。
「やはり、量ですわね。カサンドラは、『帝都に着けば、支援者が何とかしてくれる』としか言いませんでしたけれど」
「ルルーの能力を使えば、運ぶこと自体は難しくありませんの。でも、エメラルド宮には今、ギラテシャ教の方々がいらっしゃるでしょう? ルルーの能力は、宗教関係のものには弱いのですよ」
ルルー・ダンテスが言いました。
「どういうことですの?」
「……ええと……つまりな……ゲロロロロ……」
酔っ払い・ダンテスが口を開いたかと思うと、そのすぐ横で、派手に吐いてしまいました。
……いえ……もう酔い潰れているではありませんか。この個体は、使わない方がよろしいのではなくて?
「……ごめんごめん……。つまり、ギラテシャ教の、あの宗教的な結界を解除……してくれれば、俺の力が発揮できるってわけだ……」
一度吐いたからか、酔っ払い・ダンテスの話し方は、少しだけ順調になっています。
「つまり、わたくしの役割は、エメラルド宮に潜入し、その結界を解除すること。そうすれば、後はあなたにお任せしてよい、ということですのね」
「正解ですわ、お客様。お賢い」
「どうやって、その結界を破るのですか? わたくし、そういうのは専門外ですけれど……」
「簡単ですよ。お客様は、エメラルド宮自体の防御結界を起動させればいいのです。二つの結界が干渉し合った挙句、最終的には消滅しますわ。うまくいけば、ただの結界の誤作動として処理され、誰にも気づかれずに済むかもしれません」
今度は、厨房のおばさん・ダンテスが、酔っ払いの吐瀉物を掃除しながら、そう答えました。
「消滅しなかった場合、プランBはないのですか?」
「予備の計画を用意なさるとは、基本をちゃんと守っていらっしゃる。偉いですわね」おばさん・ダンテスは感心したように言いました。「お客様は、魔剣をお持ちでしょう? 結界が消滅しなかった場合は、その魔剣を結界に突き刺し、最大出力で魔力を流し込めばよろしい。しかし、そうなればすぐに警備に気づかれて、時間的には少し厳しくなりますけれどね」
後日、ギラテシャ教、レイシヘイラ帝都教区の記録には、このような一文が残されていた。
『X年X月X日
屋敷の使用人がエメラルド宮の防御結界を誤作動させ、当教団の神聖結界と干渉。一時的に、両方の結界が機能停止する事態が発生した。点検の結果、結界そのものに損傷はなく、人員の被害もなし』
そして、その夜、大量のネズミが、夜道で何かを運んでいた、という奇妙な噂が、近くの町で囁かれるようになったという。