第六章:第19.4節:帝都 前篇
(ここからはエイルゼリア・クォノッソフィ・イーラノルド・レイシヘイラの一人称)
一人になって、すでに三日目ですわね。連絡役としてダージリンとダミアンをクォノッソフィ領の近くまで送り届けた後、わたくしは任務のため、帝国軍の斥候を避けながら、帝都へと向かっておりました。
黄泉とユートフィンがやってのけた銀翼騎士団の撤退劇は、冒険者ギルドを巻き込んだため、今や冒険者は帝国内、特に帝都周辺ではひどく警戒されています。つまり、エイルゼリアという第三皇孫女の身分も、銀猟装の魔剣士、エルゼ・レイラという身分も、ここから先は使わない方が賢明でしょう。
おかげで、レディーナを連れてくることもできませんし、メーヒスも万が一のために、目玉の状態で持ち歩いているだけ。もし見られでもしたら、エルゼか、エイルゼリアか、どちらかの身分がバレてしまうかもしれません。
変身用の魔道具は、エルゼの姿に定着してしまっておりますから、ここからは偽装だけで乗り切るしかありませんわね。まあ、失踪中の第三皇孫女が、わざわざ帝都に姿を現すなどと、誰も思うまい。こちらが用心すれば、見破られることはないでしょう。
今度のわたくしは、リーシアン王国から来た旅商人という設定です。背中の籠にはカガ領の特産品を積んでおりますから、万が一、検査を受けなければならない羽目になっても大丈夫なはず。
まあ、わたくしは皇家専用の秘密通路を通って入城するつもりですから、検査を受けるつもりなど、毛頭ありませんけれど。
プリーツくん(現偽帝)も、いくつかの秘密通路のことは知っているでしょうが、わたくしが知る通路とは別のものです。皇家の人間は、それぞれいくつかの通路を知らされておりますが、その全てを把握しているのは、正統に継承した皇帝のみ。影武者を軟禁したくらいで、わたくしの使う通路まで知るはずがありませんわ。
まあ、知られていないとはいえ、直接エメラルド宮の付近から出る通路を使うつもりはありません。
さすがに、あの辺りには見張りもいるでしょうし。それに、わたくしは今の帝都の様子を、少し見回りたいのです。
オーグスト広場の近くに出ると、妙な違和感を覚えました……。確かに、今日は市場が開かれる日のはずです。
人が少ないわけではありません。ですが……賑やかではない……というか、活気がないのです……。わたくしの銀翼騎士団には他種族の割合が高いですが、帝都の民全体で見れば、それほど多くはなかったはず。大粛清があったとはいえ、これほどまでに雰囲気が変わってしまうものでしょうか……? なぜ?
見慣れたはずの町並みですのに、何か親しみが感じられない……。
いつも笑顔で客引きをしていた果物屋のバーバラちゃんは、今は俯きがちに、ただ静かに客を待っているだけ。手品を披露しながら、自家製の合金鍋や包丁を売っていたボーゾノさんの姿は見当たらない。……あっ、あの方はハーフドワーフでしたわね……。もう……。
八百屋の豪快なポツポルおばさま、肉屋の繊細なアタルバーさん、無口で優しい雑貨屋のカンポンチさん……。もういない人、まだいるけれど、雰囲気が変わってしまった人……。
その理由は、すぐに分かりました。それは、冤罪です。
「バーバラちゃん、久しぶりだな」
兵士の格好をした男が、バーバラちゃんに声をかけました。
見たところ、金龍騎士団の新人……いいえ、新人ではなく、ただの見習いですわね。
「……ひぃ、グラハムさん」
「『様』をつけろよ、『様』を。俺様を誰だと思っている? 金龍騎士団だぞ」
「グ……グラハム様……」
バーバラちゃんは、怯えた様子で顔を上げようとしません。
「いやー、最近は忙しかったぜ。あっちこっちに『反逆者』がいるからな。俺様が制圧してやらねえと……」
見習いが、ただ使い走りをさせられているだけでしょうに
「……やっと会えたな、バーバラちゃん」
「……はい……」
「何だ、その態度は。顔を上げろよ」
「っは、はひっ」
バーバラちゃんは、怯えながら、ゆっくりと顔を上げました。
「なーに、俺様を怖がっているようだな……。半年前、俺様の求婚を断った時には、こんな時が来るとは思わなかっただろう……。なぁ!」
「ヒィ……」
あいつ……! 今、任務中でなければ、とっくにあいつの尻を蹴り上げ、あそこの溝に投げ込み、汚水でも飲ませてやるところですのに……!
普段であれば、市場の管理者や、他の店の者たちが、もうバーバラちゃんを助けに入っているはずです。しかし、今は誰も出てこない。皆、何かを恐れているかのように、視線すらそちらへ向けようとしません。
「まあ、過ぎたことはもういい。俺様は寛大だからな」
バーバラちゃんは、その言葉を聞いて、明らかに表情を緩めましたが……。
「俺様は寛大だが……法律違反の者を、見逃してやるわけにはいかないな。バーバラちゃん……お前は」
「お前は、ウルル族の人間を家に匿っていたな」
「そんなことはありません! あるわけがありません! ウルル族の方々には同情しておりますけれど、知り合いもおりませんし、そんなことはしておりません!」
ずっと怯えて口数も少なかったバーバラちゃんが、必死に、そして大きな声で弁明を始めています。声は震えていますが、その潔白を主張している。
「ほう? しかし、告発者はお前の家の前に、ウルル族の鱗を見つけたと報告があったぞ。ほら、これだ」
グラハムは、懐から取り出した一握りの鱗を、バーバラちゃんの店の果物の上に、わざとばら撒きました。
本当に重要な証拠なら、こんな扱いをするはずがない。そもそも、外部に持ち出すことすら許されないはず。それに、あれは明らかにただの魚の鱗。ウルル族の鱗は、体から落ちれば空気や水に溶けてしまうから、拾うこと自体が不可能なのです。この冤罪の仕掛け、実に雑ですわね
「ああああ、あれは、昨日わたくしが食べた魚の鱗です! ウルル族の知り合いはいませんし、匿ったこともありません! 本当です! 信じてください!」
「可愛いバーバラちゃんの言葉、俺様は信じたいよ。だから、一旦俺の家……いや、騎士団の詰め所に来てもらおうか。取り調べが終わったら、すぐに解放してやるから」
もう本音が漏れていますわよ……。明らかに、「取り調べ」のためなどではないでしょう、それは
バーバラちゃんも、グラハムの真意を察したのか、すぐに「嫌です!」と断りました。すると、グラハムは問答無用で彼女の腕を掴み、無理やり連行しようとしたのです。
もう、見ていられません。任務に支障が出るかもしれませんが、仕方ない。バーバラちゃんを、あのような目に遭わせるわけにはいきませんもの。
まあ……バーバラちゃん以外にも、一体どれだけの人が、こんな目に遭っているのでしょう……。昔の帝都は、こんなことがなかったはずです……。
わたくしが前に出ようとした、その時、裾を誰かにくいっと引っ張られました。
「エミリアさん、出てはいけませんよ」
わたくしの後ろで、誰かが今回の偽名を呼びました。
頭を振り向けると、そこには見たこともない、小柄な老人が立っていました。見たことはありませんが、『エミリア』という名を知っている。これは、ギルドの関係者に違いありません。
「しかし、わたくしが出なければ、バーバラちゃんが……」
「あれは、エミリアさんの知り合いですかな……。仕方ない、わしに任せなさい」
そう言うと、老人はわたくしを越え、揉めている二人の元へ近寄っていきました。
「なんだ、ジジィ。公務執行を妨害するつもりか? お前も連行するぞ」
グラハムは、バーバラちゃんの腕を掴んだまま、老人を睨みつけました。
「そんなことを言うでない。わしは、公務執行を妨害するつもりはない。しかし、その娘は、すでにバンジール伯爵が目をつけられておってな。妾にする予定なのだよ。騎士団が連れて行って取り調べをするのは構わんが、完全無欠の状態で、お返しくだされよ。さもないと……」
「バンジール伯爵だと? 嘘をつくな! 伯爵は今、前線におられるはずだ……! 俺様を騙すつもりか!」
「伯爵様が前線におられるからこそ、まだあの子を屋敷に迎え入れておらんのだよ。ほら」
老人は、懐から何かを取り出してグラハムに見せました。すると、グラハムの表情が一変し、彼はすぐにバーバラちゃんの腕を放しました。
「た、た、た……大変失礼いたしました……! お、俺……わ、わたくしは、急用を思い出しました……! と、取り調べは不要です……! バーバラちゃん……いいえ、バーバラ様は、きっと無罪でございますな! アハハハ……!」
グラハムは、そう言って逃げるように去っていきました。
彼は、いったい何を見たのかしら……。