第六章:第19.2節:リリィの驚愕
(ここからはリリィ・ステースティックの一人称)
はぁ…。今日も訓練に行かなきゃダメなのかな…。やだなぁ…。リリィは侍女なのに、どうして護衛の人みたいに、毎日訓練しなきゃいけないの? リリィは、訓練するためにここに来たんじゃないのに。
もともと、お父様とお母様はドップラー子爵様のお家に仕えてたから、リリィも将来は侍女になるんだって、色々なことを教わってきた。
この前、リリィが生まれるより前に帝都に行ったっていう、今の家主様の妹さんで、第三皇孫女エイルゼリア様の一番えらい女官のユートフィン様が、お家に帰ってきた。「筋の良い女の子が欲しい」って言ったらしくて、家主様はまだ見習いだったリリィを、ユートフィン様に紹介したんだ。
帝都に行って、エイルゼリア様の侍女になる。子爵様のお家にいるより良い話だって、お父様とお母様は思って、反対しなかった。まあ、反対する権利があるだけでも、ドップラー家は良いお家だよ。他のお貴族様だったら、何も聞かれずに売られちゃうこともあるって、母様が言ってたもん。
ユートフィン様は、ちょっとカタい人だったけど、リリィの意見をちゃんと聞いてくれて、どうしたいか直接尋ねてくれた。
リリィは、すぐに「はい」って言った。だって、帝都なら、きっとドップラー家のお屋敷よりも、もっといっぱいの本と知識がある場所だと思ったから。
それが、リリィの最初の計算ちがい。良いほうにも、悪いほうにも、だけど。
てっきり、ユートフィン様かエイルゼリア様のお世話をするんだと思ってたのに、結局、隣の国の男爵様のお家に行かされることになった。ドップラー子爵様のお家より、身分が低いじゃない。
もちろん、その時もリリィの気持ちはちゃんと聞いてもらえて、「嫌なら行かなくてもいいのよ」ってエイルゼリア様は言ってくれた。
リリィは、うんって言った。だって、その人は「大賢者」だって聞いたから。きっと、帝都よりももっとたくさんの知識を持ってるんだろうなって。
結局、クォーターエルフのリリィは、何にも大変な目にあわずに、あの大粛清が起きた前に逃げられた。お父様とお母様はすごく大変な思いをして、ドップラー家の人たちと一緒に、クォノッソフィ領までやっとのことで逃げ切ったって聞いた。
でも、これもまた計算ちがい。良いほうにも、悪いほうにも、だけど。
大賢者イクト、つまりご主人様がロリコンなのは、最初から聞いてたから、これは計算ちがいじゃない。知識さえ教えてくれるなら、リリィの体なんて、どうでもいいんだから。どうせ、触られたり揉まれたりするだけで、減るものじゃないし。
でも、思ったより知識を得る時間が多くはなかった。ご主人様は忙しくて、リリィに何かを教えてくれる時間は夕飯の後だけ。それに、その時間の半分は、リリィや他の侍女たちが、他の子供たちに勉強を教えなきゃいけない。
四人の侍女が交代でご主人様について回って、他の時間は本でも読んでいられると思ったら、学校か訓練場に行かなきゃいけないなんて……。学校はいいけど、訓練場は嫌……。知識は得られないし、汗はかくし。
リリィは、運動ができないわけじゃない。弓も得意だし、森でこっそり隠れるのも上手、クォーターエルフだからね。剣で戦うのだって、少しは心得がある。でも、下手じゃないからって、本を読む時間を訓練に変えられるなんて、すごく嫌……。
どうせ、大賢者のご主人様は強いんだから、リリィが護衛する必要なんて、なくない?
今日はいつもと違って、訓練服じゃなくて、メールス様が作ってくれた戦闘服。ご主人様も訓練に加わるから、だって。
この服、森に隠れやすそうだし、動きやすい。可愛くて、リリィは気に入った。でも、形が少し変わってて、着るのにちょっとだけ迷ったけど。
それに、今日は素振りとか、弓の練習とかじゃなくて、授業みたいだった。『胆礬』の性質についてご主人様が教えてくれて、面白かったな。
そして、ご主人様から、「青いもので、どうやって戦うか」って聞かれた。
「海に引きずり込んで、水中戦で勝ちます」と、パパピピテルルパパが言った。
リリィも、青いから『海』って連想したけど、パパピピテルルパパみたいに、水の中では戦えないし……。
「エルゼ様をお呼びして、戦っていただきます」と、『エルゼ教官の瞳』と答えたマリンが言った。
召喚術みたいな発想だね。でも、エルゼ教官は厳しいし、呼んだら逆に叱られちゃうかも……。
「空からウンコを投げます」と、『空』と答えたデリーラが言った。
今回のテーマは「青」で、「茶色」じゃないのに……。もう、ウンコ中毒なのかな。テーマが「緑」に変わっても、デリーラはまた「ウンコを投げる」って言いそう。翼人族のウンコは、緑色なんだもん。
「デリーラ……あれは、空『で』攻撃するのではなく、空『から』だろう」
ご主人様が、デリーラの言葉を訂正した。
「じゃあ、敵を空から持ち上げて……」
地面に落とすのかな……
「……うんこの池に投げ込みます!」
うんこから離れなさいよ……
「うんこの話は、しばらく置いておこう」ご主人様の表情が、すごく複雑になった。「リリィは? 『海』をどう利用して戦うんだい?」
「えっと、海といえば、水魔法です。わたくしは使えませんけれど、水魔法で戦うのがいいと思います」
「なるほど。クレオちゃんは? 『胆礬』について、何か考えたかい?」
「ううう……あるのはあるんだけど、うまく説明できないの。実際に、やってみてもいい?」
「いいとも。ただし、人に向けては駄目だぞ。マリン、パパピピテルルパパ、訓練用の人形標的を運んできてくれるかい?」
「かしこまりました」「はい~~」
クレオ様は、運ばれてきた人形標的に向かい、「青いの、生み出す」と唸るように呟くと、手に持ったナイフに、何か青いものが纏わりつき始めました。
あれは、魔力じゃない。そういう気配がない。そもそも、目で見るだけで、他の感覚では、その青い何かを全然感じられない。あれが、アルビノとかいう力……? すごく、興味深い。
その青い何かが、ある程度濃くなったところで、クレオ様はナイフを標的に投げつけました。そして、リリィがどの本でも見たことがない、不思議な現象が起きたのです。
木と布、そして廃棄された鎧の部品で作られた標的が、凍った……? ううん、凍ってない。ナイフが触れたところから、水晶になってる。
水晶になった部分は、最初はすごく速く広がっていったけど、すぐにスピードが落ちて、じわじわと全体を侵食していく感じ。ゆっくりだけど、止まる気配はない。数分もすれば、標的の全身が水晶に変わっちゃうんだろうな。
「わおー、綺麗ですわね」
パパピピテルルパパがそう言いながら、手で触ろうとしたけど、ご主人様に止められました。
「他人に侵食が移るかもしれないから、むやみに触らない方がいい」と。
「成功したね! これは、先生が新しく開発した結晶魔法なのね!」
クレオ様は、興奮してそう言いました。
ううん、あれは絶対に魔法なんかじゃない。少なくとも、リリィが知ってる魔法の仲間には入らない。それに、言葉だけでこんなユニークな魔法を教えられるなんて、ご主人様はさすが大賢者って言うべきか、それともお弟子さんのクレオ様の、あのアルビノの力が凄いのか……。どうやらリリィは、まだまだ未熟みたい。
それから、ご主人様とクレオ様は色々と試して、その結晶の力の性質が分かりました。
一、青いそれに触れると、結晶になる。
二、クレオ様が力を止めると、結晶化は止まるけど、結晶になった部分は元に戻らない。
三、その結晶に火をかけると、白い粉になる。
確かに、さっきご主人様が言ってた胆礬の性質に、「水分がなくなると、結晶が白い粉になる」っていうのがあったよね。
でも、どうやらその力は体にすごく負担がかかるみたいで、クレオ様はとても疲れた様子でした。それで、本日の訓練は、早めに終了することになったのです。
やった! これから何をしようかな。当番のパパピピテルルパパは、この後もご主人様についてなきゃいけないけど、リリィには自由時間だ。ジーサイ教のところへ行って、宗教に関する本でも借りてこようかな。