第六章:第十九節:茶色と青
育人とユートフィンが話し合っている間に、パパピピテルルパパは更衣室へ行き、彼女専用の戦闘服を着用した。
上半身は、光を鈍く反射する素材でできた、体にぴったりとフィットするボディスーツだ。ウルル族の鱗は、水流や、空気中・水中の魔力の流れを敏感に感知するという特殊な機能を持っている。その鱗の機能を最大限に活かすため、彼女の背中は、デリーラと同じように大胆に露出されていた。詳しく言うと、腕全体、胸、肩、そして背中の下部は服で覆われているが、背中の上部から腹部にかけては、肌と黒曜石のような鱗が見えている。
ウエストラインには茶色い革製のベルトが巻かれ、腰からは太ももの半分ほどの長さのミニスカートが垂れ下がっていた。両脚の太ももにも黒い革製のバンドが巻かれており、そこには特殊な形状のナイフが、それぞれ二振りずつしっかりと固定されている。
(水陸両用と聞いて、水着のようなものを想像していたが、これは随分とユニークなデザインだな。これも、メールスさんの工夫だろうか)
「これはこれで、ロリコン様のご趣味は、ご立派ですわね」
相談を終えたユートフィンは、訓練着姿の侍女たちとクレオの姿を見て、そう言った。
「だから、このデザインを考案したのはメールスさんだって……。俺は、ただ少し意見を出しただけだ」
「どの部分に、ご意見を?露出度?」
「いえいえ、迷彩の柄とか、水の抵抗とか、そういう……」
ユートフィンは、全く信じていない、という目で育人を見た。
「まあ、わたくしの用件はこれで済みましたので、先に失礼いたしますわ。ロリコン様は、もし何か『やろう』とお思いでしたら、訓練所ではなく、ご自身の部屋でなさってください。参加人数と頻度も、程々になさるのがよろしいかと」
「やらないと言っているだろう……」
ユートフィンが去ると、育人は気を取り直して、クレオとの訓練を始めようとした。四人の侍女たちは、模擬試合をするでもなく、興味津々といった様子で二人を見ている。
「クレオちゃんは、茶色を想像すると、あの腐食の力が出るんだったね」
育人は、もう一度確認した。
「そうだよ。先生を守るために、ずっとあれを練習してたんだ。今は、前よりもずっと長く続けられるようになったよ」
「他の色を、想像してみたことはあるかい?」
「ないよ。だって、先生が茶色を想像しろって言ったんだもん」
「そうだね。では、クレオちゃんは普段、『茶色』と聞くと、何を連想するかい?」
「……腐食魔法?」
(これは……もう完全に定着してしまっているのか……)
「では、その腐食の力以外では?」
「以外?」クレオは頭を傾げ、少し考えると、「土」と答えた。
(やはり、土か……)
「じゃあ、もし土で攻撃するとしたら、どうする?」
「えっと、土の中にいる、先生が言っていた微生物に、相手を食べさせる? ……なるほど、これが腐食魔法の原理なんだね! 先生、すごい!」
(どうやら、絵里の推測が正しかった可能性が、ますます高くなったな。強いて言えば、クレオに微生物のことを教えたこと自体が、結果的に『腐食魔法』を教えた、ということになるのかもしれない)
「君たちは、『茶色』と言ったら、何を連想するかい?」
育人は今度、侍女たちに尋ねた。
「うんこ!」
パパピピテルルパパが、元気いっぱいに、率先して答えた。
「え!? うんこは緑色でしょう?」
デリーラが、すぐに反論した。
(翼人族のうんこは、緑色なのか……?)
「お二人とも、ご主人様の前でそのような言葉遣いは、失礼ですわよ」
マリンが、冷静に指摘した。
「茶色ですか……木の幹と……土、でしょうか」
リリィは、気だるげに、ゆっくりと答えた。
「私も土です」
と、デリーラ。
「マリンは?」
「人間の廃棄物、ですわね」
(言い方を変えても、結局うんこじゃないか……)
「なるほど。みんな、土かうんこ、なんだな……。じゃあ、うんこや土で、どうやって攻撃するんだい?」
「うんこを投げます!」
今度は、デリーラが先に答えた。
「え? デリーラは、さっき土って答えたでしょう?」
と、クレオが言った。
「うんこの方が、面白そうじゃないですか。空から、うんこを下に無限に投げてみたいです!」
(……物理的なダメージは少ないだろうが、侮辱的な効果は絶大だな……。昔、地球には『金汁』といって、糞尿を煮沸して城壁から流しかける防御手段があったと聞くが……。あれは絶対に食らいたくない。死んだ方がマシだ)
「敵を、廃棄物の池に沈めます」
マリンが、平然とした顔で言った。
(これも、えげつないな……。しかし、攻撃手段としては、ただ水に沈めるのと大した差はない気もする。精神的なダメージを除けば、だが)
「土に埋めて……」
リリィが、『土』に関して答えた。
(やっと、うんこじゃない答えが来たな……)
「……そして、パパピピテルルパパが、うんこで口と鼻を塞ぎます」
リリィはそう続けると、後ろにいたパパピピテルルパパが、こくこくと力強く頷いている。
(合体攻撃にするな……!)
(まあ、俺としても、埋めたり投げたりするくらいしか思いつかない……土としては、な。できるだけ、うんこを生み出したりはしたくないから、その案はボツだ。そう考えると、茶色に関しては、クレオの腐食の力が一番有用、ということになるな)
「じゃあ、今度は青だ。青といえば、何を連想する?」
「空です!」
デリーラが、即座に答えた。
(さすがは翼人族。飛べる種族は、やはり空か)
「エルゼ殿の瞳、ですわね」
と、マリン。
(意外な答えだな。マリンとエルゼ殿は、そんなに仲が良かったのか? すぐにそれを思いつけるなんて……)
そして、パパピピテルルパパとリリィは「海」、クレオは「胆礬」と答えた。
(確かに、硫酸銅の結晶は青いが……普通、それを連想するか? 実験室の影響が、そんなに大きいのか? どうやら、俺のいない間に、訓練場以外では、マーディナと一緒に実験ばかりやっていたようだな)
「どうして、クレオちゃんは『胆礬』なんだい? 『空』や『海』ではないのか?」
「あたし、海は見たことがないし、空はいつも青いわけじゃない。雨の日とか、曇りの日は、灰色だもん」
(無水硫酸銅も青くはないんだがな……。それに、胆礬をどうやって攻撃手段にするつもりなんだ?)
(とりあえず、簡単に硫酸銅の性質を教えてみよう。その知識があれば、どんな効果が生まれるのか、クレオ自身に任せてみればいい)
育人はそう思いながら、その場で簡単な化学の授業を始めた。
マリンはいつもの平然とした表情で、パパピピテルルパパとデリーラは明らかにつまらなそうにしているが、それでもちゃんと聞いている。
クレオは興味津々で、リリィは意外にも強い興味を示し、その気だるげな瞳が少しだけ明るくなっていた。
(リリィは普段は無気力に見えるが、夜の授業など、知識が得られる時だけは真剣な顔になる。勉強熱心というか、知的好奇心が高いんだな)
「つまり、胆礬は水がある時に凍って、水がない時は粉々になる、ということですか?」
と、リリィが質問した。
「凍る、というよりは、粉が粒になって固まる、という感じかな……」
「結晶……。水晶みたいなもの?」
クレオが質問した。
「そうだよ。錬金術で使う微見球で胆礬を見れば、小さな青い水晶のように見えるわよ」
「また今度、実験室に行って、君たちに実際に見てもらおうか」
(これから時間が増えるから、夜だけでなく、他の時間にも授業ができそうだな。学校で、何か特別講座でも開こうか。教師養成所でも、俺の経験を皆に伝えたい)
(やはり、政務より、俺は授業の方が好きだな)