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第一章:第十三節:トーマス一家

トンチとアンの、その明らかに不信感を滲ませた反応に、クレオはむっとしたように頬を膨らませた。育人先生のすごさを分かってくれないのが、彼女には少し不満だったのだ。

「育人先生は本当にすごいんだから! ちょっと待ってて!」

そう言うと、クレオは何かを思いついたように、くるりと身を翻し、小屋の裏手へと走っていった。そして、すぐに一枚の木の板を大事そうに抱えて戻ってきた。それは、数日前に育人がピキキ小屋の設計図を描いた、あの板だった。

「ほら、これ! これは育人先生が描いたのよ!」

クレオは、その木の板をトンチとアンの前に得意げに突き出した。

「なんだこれ……。ぐにゃぐにゃした線がいっぱい描いてあるけど……さっぱりわからん」

トンチは、木の板に描かれた設計図を覗き込み、正直な感想を述べた。彼には、それが何かの図面であることすら理解できていないようだ。

しかし、アンは違った。彼女は、兄の隣から身を乗り出すようにして、木の板に描かれた図面を食い入るように見つめている。そして、しばらく考え込むように眉を寄せた後、不確かな、しかしどこか確信めいた声で呟いた。

「……これは……何かの、設計図……? 屋敷とか、そういう建物みたいに見えるけど……でも、ちょっと違うような……」

(……この子、もしかして透視図の概念が分かるのか? いや、そこまでではないかもしれないが、少なくとも、屋根の形や壁の線から、これが何かの建物の計画図であることくらいは理解しているのかもしれないな……大したものだ)

育人は、アンの洞察力に内心で感心していた。

アンの言葉を聞いたクレオは、待ってましたとばかりに胸を張った。

「これはね、育人先生が考えてくれた、ピキキ小屋の設計図なんだよ! すごいでしょ!」

まるで自分が設計したかのように、クレオは得意満面な顔で説明した。その赤い瞳は、誇らしげにキラキラと輝いている。

「ピキキ小屋……?」アンは眉をひそめた。「ピキキを飼うの? あんなに肉も少なくて、卵も臭いって言われてる鳥を飼って、何かいいことあるの?」

アンの言葉は、もっともな疑問だった。ピキキの卵は一般的に臭いと言われており、クレオも土に埋まったものは食べられないと話していたからだ。

「それはアンには分からないだろうなぁ」

なぜかトンチが、得意げな顔でアンに答えた。

「女の子っていうのはね、みんな綺麗なものが好きなんだよ。この間、隣村のイリスちゃんにオスのピキキの綺麗な飾り羽をあげたら、すっごく喜んでくれたんだぜ!」

アンは、そんな兄の的外れな自慢話に、心底呆れ果てたという顔で、ものも言いたくないとばかりに彼を睨みつけた。

(ここはクレオに説明させるべきだな。他人にきちんと説明できてこそ、本当に理解したと言える。それに、クレオ自身にも自信を持たせる良い機会だ。一石二鳥だな)

育人はそう考えると、クレオに優しく声をかけた。

「……クレオ、アンちゃんに、私たちが話し合った結果を、ちゃんと説明してあげてくれるかい?」

クレオは、育人の言葉に一瞬戸惑ったような表情を見せたが、すぐにこくりと頷いた。そして、アンに向き直ると、少し緊張した面持ちで話し始めた。

「えっとね、アンちゃん……ピキキの卵はね、土の中に埋まっちゃうと臭くなっちゃうんだけど……それは、土の中の小さい……えっと、虫みたいなのが、卵を悪くしちゃうからなんだって。だから……」

最初は、言葉を探すようにゆっくりと、そして少し不確かな声で話していたクレオだったが、育人が隣で優しく頷いているのを見て安心したのか、次第に声が大きくなり、話すスピードも普段の彼女らしくなってきた。

「だからね、ピキキが卵を産む場所をちゃんと作ってあげて、土に埋まる前に見つけてあげれば、美味しい卵が食べられるんだって、育人先生が教えてくれたの! それに、ピキキはミチリの実も食べるから、あのおいしくないミチリも無駄にならないし、一罠二鳥なんだよ!」

最後の方は、すっかり自信を取り戻したように、胸を張って説明していた。

クレオの説明を聞いていたアンは、腕を組んでしばらく考え込んでいたが、やがてポンと手を打った。

「……なるほどね。つまり、土の中にいる目に見えないくらい小さな虫が、卵の殻を食い破って中に入り込んで、卵の一部を食べちゃって、その虫のフンとかが卵を臭くしちゃうってこと?」

アンは、自分なりにクレオの説明を解釈し、得意げな顔でそう結論付けた。その内容は、子供らしい発想でありながら、どこか妙な具体性があって、少しグロテスクでもある。

「えっ?」

クレオは、アンのあまりにも具体的な(そして少々間違った方向への)解釈に、思わず目を丸くした。そんなグロテスクな話はしていないはずだ。

「つまり……あたしたちが普段食べてるお肉の食べ残しとか、動物の死骸とかも、あの小さい虫たちがフンをするから臭くなるってわけね? ……なるほど、そういうことだったのね」

アンは一人で納得したようにうんうんと頷き、さらに自分の発想を広げている。

(うーん、ちゃんとした生物学の知識がないと、理解というのはこうも歪んでしまうものなのか……。これは、クレオちゃんだけでなく、アンちゃんにも、後日改めて生物学の基礎から教える必要がありそうだな……)

育人は、アンの独特な解釈に苦笑しつつも、子供の柔軟な発想力に感心していた。

「まあ、大体そんな感じだよ」と曖昧に頷きつつ、育人はアンの思考がさらにあらぬ方向へ飛躍する前に、話を本題に戻した。

「とにかく、そういうわけで、ピキキの卵の食用としての可能性を研究するためと、今後の私たちの食事を少しでも改善するために、このピキキ小屋を建てているんだよ」

「建てている……? つまり、今、建設中ってこと?」

アンは、育人の言葉尻を捉えて鋭く問い返した。その小さな瞳が、何かを察したように細められる。

「ああ、そうだけど……何か問題でも?」

育人は、アンの急な態度の変化に少し戸惑いながらも、素直に答えた。

すると、アンは何かを考えるように数秒間黙り込んだ後、急にトンチの服の裾を強く引っ張った。

「帰るわよ、バカ兄貴!」

そして、有無を言わさぬ口調でそう言うと、育人とクレオに背を向け、来た方向へとずんずんと歩き始めてしまった。

「えっ、あ、おい、アン! まだ話の途中……」

トンチは慌ててアンの後を追う。

「……お……おう、クレオ、育人さん! また来るからな!」

トンチは、アンに引きずられるようにして、あっという間に森の中へと消えていった。

結局、育人はトーマス兄妹にちゃんとした自己紹介をする機会もないまま、彼らは嵐のように去っていった。

「……行っちゃったな。クレオちゃんのこと、本当に心配してわざわざここまで来てくれたんだね。いい人たちじゃないか」

育人は、トーマス兄妹が消えていった方角を見つめながら、しみじみと言った。

「……うん」

クレオは、フードの奥で小さく頷いた。その表情は窺えないが、声には複雑な感情が混じっているように育人には感じられた。

その日の午後、トーマス兄妹が帰った後、育人とクレオは気を取り直してピキキ小屋の建設作業を再開した。ぎこちないながらも、二人の手で少しずつ形になっていく小屋は、確かな達成感を与えてくれる。

作業の合間、育人はクレオにトーマス家について尋ねてみた。

「クレオちゃん、さっき来てくれたトーマスさん一家のこと、もう少し教えてくれないかな。お兄さんのトンチくんと、妹のアンちゃん、そして彼らの両親がいらっしゃるんだよね? 」

「うん、そうだよ」

クレオは、丸太を運ぶ手を休めずに答えた。

「お父さんはイギリーさんで、お母さんはメールスさん。トーマスさんの家はね、村の外れの、少し離れたところにあるんだ。イギリーさんが自分で森を切り開いて畑を作った、開墾地なんだって、じいちゃんが言ってた。だから、他の畑の人たちみたいに、誰かに畑を借りてるお金を払わなくてもいいから、トーマスさんのところは、他の家より少しだけ暮らしが良いんだって」

「なるほど。クレオちゃんは、いつもあそこまで一人で物々交換に行っているのかい?」

「うん。じいちゃんが生きてた頃は爺さんが行っていて、たまにあたしも一緒について行ってたけど……じいちゃんがいなくなってからは、あたし一人で行ってる。森で獲ったお肉とか毛皮を、お塩とか、少しだけど麦の粉とか、そういう森じゃ手に入らないものと交換してもらうんだ」

クレオは、それが当たり前だというように、淡々と答えた。その小さな背中が、どれほどのものを一人で背負ってきたのかを思うと、育人は胸が締め付けられるような思いだった。

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