第六章:第九節:国王と伯爵
「ベンネッシ、君のこういう姿は、久しぶりに見るな」
リーベータ伯爵領と、新しくできたカガ領の間を結ぶ、開墾されたばかりの道路では、今まさに舗装作業が行われていた。作業に勤しむ様々な種族の者たちのそばを、まるでサーベルタイガーのような生物に跨った、年長者と若者の二人連れが通り過ぎていく。
若い方は二十代に見え、端正な顔立ちをしていた。腰には華やかに装飾された剣を帯びていたが、その服装は比較的質素だった。質素とは言っても、それは余計な装飾がないというだけで、土煙の舞う工事現場を通ってきたにもかかわらず、その純白の衣服には埃一つ付いていないことから、素材が並々ならぬものであることが窺えた。
年長の方は、やや肥満体形ではあったが、貴族の武官服が非常によく似合っていた。腰に佩いた剣は古びて見えるが、凛とした気配を放っており、数多の戦いを経てきたであろう、切れ味鋭い名剣であることが見て取れた。
「今日の陛下のお供は、私一人ですので。普段のように、贅沢貴族を演じていては、いざという時に反応が遅れ、陛下をお傷つけしてしまうやもしれません」
ベンネッシと呼ばれた年長者が、そう答えた。
「それは頼もしいな。さすがは、大剣士ベンネッシ・リーベータだ。頼んだぞ。余は、魔法も剣術も下手だからな」
「あれは、陛下が政務にお忙しく、剣の腕や魔法を磨くお時間がないだけでございます」
「余のために、言い訳を用意してくれずともよい。自分に才能があるかどうかは、余自身が一番よく分かっている」
少しだけ言葉を交わした後、陛下と呼ばれた若者は、再び周囲で働く人々に注意を向けた。
「ベンネッシ、あの者たちは、本当に難民なのか?」
「そのはずです。鍬形人も老顔童子も、元々は王国内には生息していなかった種族ですので」
「表情から察するに、全く難民には見えんな。難民というのは、もっと……希望がなく、目に光がない……そういうものではないのか?」
「これらは全て、陛下の英明なるご高見の賜物にございます」
「どうしてそれが、余と関係あるのだ?」
「陛下が慧眼をもって英才を見抜き、大賢者イクトを男爵に抜擢されたればこそ、そのご才幹を発揮なされることができたのです」
「ははは、そのお世辞は気に入ったぞ。だが、必要ない。宮中で嫌というほど聞いているからな」
「いいえ、これらは全て私の本心でございます」
「いや、お前のように、お世辞は言うものの、実務能力があり、文では領地を治め、武では軍を率い、剣術にも秀でている。さらに、身分を捨てて放蕩貴族を演じ、貴族の各派閥に入り込むこともできる。やはり、『王国の懐刀』という称号をお前に与えたのは正しかったな。公にはできない称号で、意味もあまりないが、ははは」
「陛下にはもったいないお言葉でございます。そして、公開できるか否かにかかわらず、陛下が与えてくださったということこそが、私にとって最大の栄誉でございます」
「しかし、もともとは、砦だらけの要塞のようなものになると思っていた。辺境だし、深淵にも近いからな」
「陛下は、ご不満でございますか」
「いいや、不満なわけがないだろう。余の予想を遥かに上回っている。余の私庫から金を出したのは、正解だったな」
「わたくしから見ますと、防御面はいささか不足していると存じますが」
「ちちち、それは違うぞ、ベンネッシ。武力による防御は、最終手段だ。カガ領は、レイシヘイラ帝国でクーデターが発生する前に、大規模な貿易協定を結んだそうではないか。利益があれば、そもそも戦争は起きにくいものだからな」
「普通はそうでございますが、外交が通用しない相手であれば、やはりちゃんとした防御施設が必要かと。深淵の脅威や、今、狂っている帝国など」
「確かに、カガ領でも私軍を訓練しているようだな」
「はい。元帝国の銀翼騎士団の残兵から再編された『銀翼隊』、元々の自警団であった『守備隊』、そして新たに創設された情報部隊『森風隊』があると。先日お送りしたご報告書にも、詳細は記されております」
「『隊』、ねぇ……」
「カガ領は、元々エームの森を含んでおりますので、土地の面積自体は大きいのです。最近は難民も多く受け入れ、人口も伯爵領と大した差はなくなっております。しかし、食糧の生産がまだ追いついておらず、我がリーベータ領とベールノ領からの支援が必要なため、当面は大規模な軍隊の結成はできないのでしょう」
「では、余から、もっと資金を注ぎ込もうか?」
「それはいけません。前回は、大賢者に深淵の件での功績がございましたから。また王自らが資金をお出しになれば、他の貴族たちに『カガ男爵は、国王派だ』と公言しているようなものでございます」
「それは……」
若き国王の言葉は、遮られた。リーベータ伯爵の顔に、一瞬だけ不快な色が浮かび、またすぐに消えた。
「お二方の尊き訪問者よ、カガ領に何か御用でございますか? 長牙雷虎のような危険な騎獣は、事前の申告なしには入域できませんぞ」 そう話しかけてきたのは、翼のついた兜を被った、女性の翼人族だった。彼女の後ろには、上半身裸で長槍を持った二人のリザードマンが控えている。
「ベンネッシ、君の武人としての姿は、普段の雰囲気とあまりにもかけ離れているから、誰も君だと気づかなかったみたいだな」
「いえ、そうではないと存じます。私は元々、この辺りにはあまり参りませんし、それに、彼女の服装からして、元銀翼騎士団の者でしょうから、もしかしたら私のことなど、見たことすらないのかもしれません」