第一章:第十一節:建築作業の始まり
蔵に残っていた資材の確認を終えた育人とクレオは、早速ピキキたちの新しい家の建設に取り掛かることにした。育人が木の板に描いた設計図は、あくまで基本的な骨組みと配置を示したもので、細かい部分は実際に作業を進めながら調整していくしかない。
「さて、クレオちゃん。まずは小屋を建てる範囲を決めようか」
育人は、小屋の裏手にある、かつてクレオの祖父が畑として使っていたという少し開けた場所を指差した。日当たりもそこそこ良く、ピキキたちの飼育場所としては悪くなさそうだ。
蔵の資材状況から、育人は当初考えていた床板の上に土を敷く案を諦めざるを得なかった。木材が圧倒的に不足しているのだ。
「床は、地面のままでいこう。ピキキは元々地面に穴を掘って卵を産む習性があるみたいだから、その方が自然かもしれないしね」
育人がそう言うと、クレオも「うん、その方がピキキたちも落ち着くかも」と頷いた。
範囲の設定は比較的簡単だった。育人が設計図に基づいて四隅に木の杭を打ち込み、クレオが持っていた丈夫な蔓をロープ代わりに使ってそれらを囲む。これで、小屋を建てる大まかな区画が示された。
「普通の建物の場合は、ここから地面をしっかり固める作業が必要になるんだけど……」
育人は、地球での建築の基礎知識を思い出しながら言った。
「ピキキの場合は、むしろ地面が柔らかい方が卵を産むための穴を掘りやすいかもしれないから、今回はこのままでいこうか」
次に、小屋の土台と柱の設置だ。これが小屋の強度を左右する重要な部分になる。育人は、蔵から見つけ出してきた比較的まっすぐで太さのある数本の丸太と、いくつかの平らな石を指差した。
「まずは、この石を地面に置いて土台にして、その上に柱になる丸太を立てていくんだ。でも、ただ立てるだけじゃなくて、ちゃんと『まっすぐ』に立てないと、小屋全体が歪んでしまうからね」
「まっすぐ……?」
クレオが不思議そうに首を傾げる。
「ああ。地面に対して『垂直』に、そして地面そのものが『水平』になっているか、それを確かめながら作業する必要があるんだ」
育人は、この機会教育を逃さなかった。
「『水平』っていうのは、水面みたいに完全に平らなこと。『垂直』っていうのは、その平らな地面に対して、まっすぐ真上に立っている状態のことだよ」
育人は、手元にあった水の入った木のボウルをそっと地面に置き、水面が静止するのを見せた。
「ほら、この水面が『水平』だ。そして、この木の棒を、この水面に対して傾かないように、真上から見て十字になるようにまっすぐ立てると……これが大体『垂直』になる」
彼は、拾った木の棒を使い、簡単なデモンストレーションをしてみせる。
「ちゃんとした道具があればもっと正確に測れるんだけど、今はこれくらいしか方法がないからな。でも、この考え方が分かれば、小屋作りはだいぶ楽になるはずだよ」
クレオは、育人の説明と実演を、真剣な眼差しで見つめていた。彼女の赤い瞳が、新たな知識を吸収しようとキラキラと輝いているのを、育人は嬉しく思った。
育人はクレオに水平と垂直の概念を説明しつつ、実際に土台となる石を置き、柱を立てる作業を進めていった。クレオは最初は戸惑っていたものの、育人の指示に従って石を運んだり、丸太を支えたりするうちに、少しずつ要領を掴んできたようだ。育人が時折、地球での簡単な物理の法則などを交えながら説明すると、彼女は興味深そうに耳を傾け、時には鋭い質問をすることもあった。
しかし、慣れない作業と、育人の丁寧すぎる(クレオにとっては少し冗長に感じるかもしれない)説明もあって、作業はなかなか思うようには進まない。夢中になって作業と会話を続けているうちに、太陽はあっという間に西の空へと傾き、森は夕闇に包まれ始めていた。
「……先生、もう暗くなってきたよ」
クレオが、額の汗を手の甲で拭いながら言った。
「ああ、本当だね。今日はここまでにしておこうか。無理して続けても、暗い中では危ないしね」
育人は、まだ数本しか立てられていない柱を見上げながら、少し残念そうに言った。
仕方なく、二人はその日の作業を終え、小屋へと戻った。簡単な夕食を済ませると、クレオが小屋の近くにある、年季の入った手押しポンプ式の井戸で水を汲み始めた。ギィ、ゴトン、とポンプのハンドルを上下させるたびに、どこか不安になるような妙な金属音が森の静けさの中に響く。それでも、クレオが数回力強く押すと、勢いよく澄んだ水が流れ出てきた。二人はそれでそれぞれ身体を拭いてさっぱりとする。森の中の夜は、人工的な光が一切ないため、想像以上に早く、そして深く訪れる。月明かりと星の光だけが頼りの世界では、夜にできることは限られていた。
結局、その日も二人は早々にそれぞれの部屋に戻り、眠りにつくしかなかった。
翌日、そしてその次の日も、それから五日間というもの、育人とクレオの生活はほぼ同じような流れで過ぎていった。
朝はまず、仮囲いの中のピキキ四羽の世話から始まる。水を取り替え、ミチリの実や森で採れた木の実などを与える。クレオはその様子をじっと観察し、育人はピキキたちの健康状態や行動パターンに変化がないかを確認する。
それが終わると、二人で森へ向かう。クレオはいつものように罠の確認や果実・野草の採取を行い、育人はその手伝いをしつつ、ピキキ小屋の建築に必要な木材や蔓、あるいは屋根を葺くための大きな葉などを集める。育人も少しずつ森での行動に慣れてきており、クレオの足手まといになることは少なくなってきた。
その五日間のうちの三日目には、嬉しい出来事があった。クレオが仕掛けた罠に、また新たにピキキのメスが一羽かかっていたのだ。これで飼育予定のピキキはオスが一体、メスが四体となった。クレオは大喜びで、その新しいメスに「ペピキキ」と名付けると、例の自作の歌をさらに賑やかに歌い始めた。
「♪パピキキ~ ピピキキ~ プピキキも来た~♪ ペピキキも仲間入り~♪ ポピキキは~いつ来るの~♪」
その楽しげな歌声は、森の中に明るく響き渡った。
昼過ぎに小屋へ戻ると、まずは収穫物の片付けだ。そして、育人の提案で、簡単な昼食を摂るようになった。元々クレオには昼食を食べる習慣がなかったのだが、「午後は小屋作りという力仕事をするんだから、少しでも食べておかないと身体がもたないよ」という育人の理屈に、彼女も渋々ながら納得したのだった。ミチリ粥や干し肉、木の実など、質素なものではあったが、それでも午前中の活動で空いた小腹を満たすには十分だった。
昼食後、少し休憩を挟んでから、いよいよピキキ小屋の建築作業に入る。柱を立て、梁を渡し、壁となる板を少しずつ打ち付けていく。屋根の骨組みを作り、その上に大きな葉を重ねて雨露をしのげるようにする。二人だけの作業は遅々として進まないこともあったが、それでも一日一日、少しずつ形になっていく小屋を見るのは、二人にとって大きな喜びだった。
そして、五日目のこと。クレオが仕掛けた別の罠を確認しに行くと、そこには見慣れない動物がかかっていた。それは兎によく似ていたが、耳が六つもある奇妙な姿をしていた。
「あ、ハナビラウサギだ!」
クレオが声を上げた。育人が近づくと、罠にかかったその動物は驚いたように六つの耳をぱっと広げた。その様子は、まるで花びらが開いたかのようで、非常に美しい。
(なるほど……だから「ハナビラウサギ」という名前なのか)
育人は、その動物がなぜそう呼ばれるのかを瞬時に理解した。クレオが「じいちゃんがそう呼んでたんだ。耳が花びらみたいだからって」と教えてくれた。
(しかし、この薄暗い森の中で、こんなに大きな白い花のような擬態は、かえって目立ってしまうんじゃないだろうか。この森には、これほど大きな白い花はあまり見当たらない。だとすると、このハナビラウサギは、もっと遠くの、大きな白い花がたくさん咲いているような場所から、迷い込んできたのかもしれないな……)
育人は、その美しい擬態に感心しつつも、そんなことを考えていた。
クレオは「この子の毛皮、すごく手触りがいいんだ。じいちゃんも、たまに獲れると喜んでた」と言いながら、ハナビラウサギを罠から外し、手早く蔓で足を縛って動けないようにすると、自分の背負い籠に入れた。その可愛らしい見た目とは裏腹に、彼女にとっては貴重な食料であり、良質な毛皮をもたらす獲物なのだ。
夕方になり、陽が傾き始めるとその日の建築作業は終わりだ。その後は、本格的な夕食の準備。今日はハナビラウサギというご馳走がある。小屋に戻ったクレオは、慣れた手つきでハナビラウサギを捌き、血抜きをし、皮を剥いでいく。育人はその一連の作業を、興味深く、そして少し複雑な思いで見守っていた。森で生きるということは、こういうことなのだと改めて実感させられる。食事を済ませ、井戸で水浴びをして汗を流し、そして早めに床に就く。そんな規則正しい日々が続いていた。