第一章:第十節:設計図
翌朝、育人とクレオはいつも通り早朝に目を覚ました。小屋の裏手に作った仮の囲いの中では、ピキキたちがまだ薄暗い中で小さく鳴き声を上げている。クレオは早速、木のボウルに入った新鮮な水と、昨日採ってきたミチリの実をピキキたちの前に置いた。その表情は、昨日からの興奮がまだ冷めやらぬといった様子で、どこか誇らしげだ。
簡単な朝食を済ませると、二人は再び森へと向かう準備を始めた。今日もクレオは日々の糧を得るために森を巡り、育人はその手伝いと、そして何よりもクレオへの「授業」を行うためだ。
「さて、クレオちゃん。今日は本格的にピキキたちの家…いや、家禽小屋を作ってみようか。昨日話していた、小屋の裏の畑の跡地がいいだろう」
森へ向かう道すがら、育人はクレオにそう切り出した。
「ただ闇雲に作るんじゃなくて、ピキキたちが快適に過ごせて、卵も産みやすくて、そして私たちも管理しやすいような、ちゃんとした小屋の建て方を教えようと思うんだ」
育人は、クレオに家禽小屋の基本的な構造や、作った上での注意点などを「教えよう」と意識した。昨日、ピキキの生態について調べた時と同じように、スキル【伝授者の叡智】が発動することを期待して。
瞬間、ズキン、という既視感のある感覚と共に、育人の脳内に再び情報が流れ込み始めた。しかし、今回は少し様子が違った。
(……ピキキの家禽化は、この世界の記録上、前例がない……? つまり、専用の小屋の設計図なんてものは存在しない、か。なるほど、これは流石にスキルでも未知の領域というわけだ)
ピキキを家禽として飼育したという記録そのものが存在しないため、当然ながら「ピキキ専用の小屋の作り方」という直接的な知識は流れ込んでこなかった。
しかし、スキルはそこで沈黙したわけではなかった。代わりに、彼の頭の中には、地球で培われてきた様々な家禽小屋の設計思想や構造図が次々と映し出されていく。鶏小屋、アヒル小屋、七面鳥小屋、さらにはダチョウのような大型の鳥を飼育するための施設の詳細なデータまで。通気性、採光、清掃のしやすさ、外敵からの保護、巣箱の配置…。
それと同時に、この異世界で飼育されている、ピキキとは異なる種類の家禽――例えば、クレオが以前話していたトゲスズメや、もっと大型の飛べない鳥などのための小屋の設計図や、使われている素材、工夫されている点などの情報も流れ込んできた。それらは、地球の家禽小屋とはまた違った、この世界の環境や魔物の存在を考慮した独特の設計思想に基づいているようだった。
(へえ、あのトゲスズメも飼育できるのか……。クレオちゃんは採るのが難しいって言ってたけど……ん? これは……「主に軍隊が調教し、小型爆弾を装着させ、敵陣に突っ込ませる自爆兵器として利用される」……!? な、なんだこれは……。ただの鳥じゃないのか……。これは……なんというか……酷いな……)
育人は、トゲスズメに関するその衝撃的な情報に、思わず眉をひそめた。異世界の常識は、地球のそれとはかけ離れている部分があるのかもしれない。
(……いかんいかん、今はピキキのことに集中しよう)
育人は気を取り直し、ピキキの生態に関する情報を反芻する。
(スキル情報によれば、ピキキは地面に穴を掘って卵を産むんだったな。ということは、小屋の床が硬い板張りだったりすると、卵を産んでくれない可能性が高い。直接地面に産ませるか、あるいは床を敷いたとしても、その上に厚めに土を敷いてやる必要があるだろう。それに、雨風をしのげる屋根と、夜間の安全を確保するための壁も……。最初からきちんと設計するには、色々と考慮しなければならないことが多いな)
(……それに、何よりもまず、俺とクレオちゃんの二人だけで建てられるような設計じゃないと意味がない。小屋の蔵に残っていた建材も、どれくらい使えるか確認しないといけないし……。そうなると、やはり最初はあまり凝ったものではなく、基本的な機能を備えた簡単な構造のものしか作れないかもしれないな……)
育人は、頭の中に流れ込んできた膨大な情報と、現実的な制約を照らし合わせながら、いくつかの設計プランを組み立てていく。そして、クレオに向き直り、具体的な内容について話し合いを始めた。
「クレオちゃん、ピキキの小屋だけどね……」
その日の森での活動は、育人が徐々に森の歩き方やクレオの動きのペースに慣れてきたこともあり、昨日よりは少し早く終えることができた。それでも、ピキキの飼育小屋の設計について話し合いながら作業を進めていたため、いつもよりは帰りが遅くなってしまったが。
小屋に戻ると、二人はまず持ち帰った果物や森で採れた野草などを手早く片付けた。幸か不幸か、今日は罠に動物の獲物はかかっていなかったため、そちらの処理に時間を取られることはない。大量に持ち帰った薪を割り、所定の場所に積み上げる作業も、二人で協力することで昨日よりもスムーズに進んだ。
全てのルーティンワークを終える頃には、太陽は西に傾き始めていたが、まだ日没までは時間がある。
「よし、それじゃあ、いよいよピキキたちの新しい家作りに取り掛かろうか!」
育人のその言葉に、クレオは待ってましたとばかりに元気よく頷いた。
しかし、いざ設計図を描こうにも、クレオの家には紙やペンといった筆記用具の類は見当たらない。
「うーん、困ったな……」
育人が思案していると、クレオが不思議そうに首を傾げた。
「先生、どうかしたの?」
「ああ、小屋の設計図を描きたいんだけど、紙と鉛筆みたいな書くものがないんだ」
「かみ……? えんぴつ……?」
クレオにとっては聞き慣れない言葉だったようだ。
(そうか、この世界ではまだ紙が一般的ではないのかもしれないな。あるいは、この小屋が森の奥深くにあるからか……)
育人は、地球での当たり前がここでは通用しないことを改めて実感した。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。
(何か代用できるものは……)
育人は小屋の中を見回し、暖炉のそばに積まれた灰に目を留めた。そして、壁際に置かれた、狩猟で得た獣の脂を保存しているらしき壺と、クレオが時折、木の道具の補修などに使っている粘性の高い樹液の入った小さな器を思い出した。
「クレオちゃん、ちょっと手伝ってくれるかな」
育人はそう言うと、暖炉から冷えた赤灰を少量、平らな石の上に集めた。そこに、ほんの少しだけ獣の脂を垂らし、さらに粘着性を出すために樹液を数滴加える。そして、手頃な木の枝の先端をナイフで削って尖らせ、それをヘラのように使って、灰と脂と樹液を丁寧に練り合わせていった。これは、彼が昔、サバイバルに関する本で読んだ、原始的なインクの作り方だった。スキルに頼るまでもない、彼自身の知識だ。
(本で読んだことはあるが、実際に作るのはこれが初めてだな。灰の色は赤っぽいが、練り合わせると意外と黒に近い色になるものなんだな。脂と樹液が灰の粒子とどう反応しているのか……化学反応というのは、やはり興味深い)
しばらく練っていると、黒に近い灰色の、どろりとした液体が出来上がった。
「よし、これでインクはできた。あとは……紙の代わりになるものだな」
育人は、小屋の壁に使われている比較的平らな木の板の一部を指差した。
「クレオちゃん、あの板を少し借りてもいいかな。そこに、この尖った枝で設計図を描こうと思うんだ」
クレオはこくりと頷き、育人が指差した木の板を興味深そうに見つめている。
育人は、尖らせた木の枝の先に自家製のインクをつけ、その木の板の上に、頭の中に浮かんでいる設計図をサラサラと描き始めた。小屋の全体像、柱の位置、壁の構造、屋根の角度、そしてピキキたちが卵を産むための土間のスペース。
クレオは、育人の手元で少しずつ形になっていく図形や線が何を意味するのか、全く理解できていないようだった。しかし、見たこともない方法で「絵」のようなものを描いていく育人の姿に、ただただ「先生、すごい……」という尊敬と感嘆の表情を浮かべて見入っていた。
(これは主に、俺自身の確認用の設計図だな。スキルで得た知識は、発動が終わってしまうと、残念ながら細かい部分の印象は薄れていってしまう。完全に自分のものにするには、スキル発動中に集中して勉強し直すか、こうやって何かの形に書き写しておくしかないんだ。今回は、後者の方法を試しているわけだが……)
育人は、クレオの純粋な眼差しを感じながら、黙々と作業を続けた。この設計図が、二人の新たな生活の第一歩となるのだ。
設計図がおおよそ完成すると、育人は木の枝を置き、クレオに声をかけた。
「よし、大体こんな感じかな。細かいところは作りながら調整するとして……クレオちゃん、ちょっと蔵に残っている材料を見てきてもいいかい? 何がどれくらいあるか確認しておきたいんだ」
「うん、いいよ!」
クレオは元気よく返事をすると、育人を小屋の隅にある小さな扉へと案内した。そこが、彼女が「蔵」と呼んでいる物置スペースのようだ。
育人はクレオと一緒に蔵の中に入り、使えそうな木材や蔓、あるいはじいちゃんが残したであろう古い道具などを確認していく。
(うーん、思ったより木材の量は少ないな……。太い柱になりそうなものはほとんどないし、板材も数が限られている。これだと、最初に考えていたより、さらに簡素な作りにしないと厳しいかもしれない。でも、蔓や細い枝なら森でいくらでも手に入るし、クレオちゃんの知恵も借りれば、なんとかなるか……)
多少の不足は感じたものの、育人とクレオの二人で知恵を絞り、森の資源をうまく活用すれば、何とか形にはできるだろうと育人は結論付けた。
(それに、木材はそんなに長持ちするものでなくてもいいだろう。まずは一度完成させてみて、実際にピキキを飼育してみてから、必要に応じて修繕したり、もっと本格的なものに立て直したりすればいい。そもそも、この飼育計画自体がうまくいくかどうかも、まだ分からないんだからな)