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第五章:第9.5節:彼が教育を施した人達

(ここからは鈴木糸子の一人称)


「皆様、ご起立ください。SWA-512便の行方不明となられた全ての命のために、1分間の黙祷を捧げたいと存じます。逝く者の魂に安らぎを、遺されし者に強き心を」

私は、テレビの前に立ち、司会者の言葉に従って、静かに目を閉じて黙祷を捧げた。

まさか、育人先生が飛行機事故に遭うなんて……。はぁ……。


合同追悼式の中継が終わったら、午後の『経済数学』の授業にはもう間に合いそうにないな……。まあ、有馬先生は出席を取らないから、レポートと試験さえちゃんとやれば、単位を落とすことはないでしょう。他の科目はともかく、数理関係の科目は得意だから、大丈夫。

……これも、育人先生のおかげだよね。どうやって論理的な思考で物事の本質を見抜くのか、どうやって数学の公式や概念を組み合わせて問題を解いていくのか。そういうことは全部、育人先生が教えてくれた。家庭教師を卒業してもうすぐ二年になるけれど、育人先生の教えは、学科の内容だけじゃなくて、その思考方法こそが、今でも私の勉強に多くの助けになっている。


一週間前に、美佐子おばさんから、育人先生の訃報と、この合同追悼式の時間を聞いた。訃報というか、まだ不確実なのかもしれないけれど……あの状況じゃ、もう亡くなったと思った方が自然なんだろう。

健太くんに育人先生を紹介したのは私だから、私にもその訃報を知る権利があると、美佐子おばさんは考えてくれたのでしょう。育人先生がいなくなってしまって、健太は、とっても悲しんでいるんだろうな……。


テレビでは、航空会社のCEOの演説が終わり、総理大臣の神妙な顔つきでの演説が続き、そして最後に、遺族代表の方が涙ながらにスピーチをしている。私はただ、黙ってその光景を見ていた。悲しい、というのとは少し違う、心の奥に何かがずっと引っかかっているような、晴れない気持ち……。

夕方のサークルの飲み会……富子ちゃんに、今日は行けないって連絡しておこう。悲しくて耐えられない、というほどではないけれど、とてもじゃないけど、みんなと馬鹿騒ぎできるような気分じゃない。


スマートフォンを手に取って、ラインのアプリを開くと、一つの未読メッセージに気がついた。健太くんからだ……。時間は、昨夜になっている。いつも美佐子おばさんと連絡を取っているから、健太くんから直接メッセージが来ることは少ない。それで、つい見落としてしまっていたみたい……。一体、どんな用事だったんだろう。


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(ここからは高田裕貴の第一人称)


「本当か……うう……まさか……。ううん……分かった、ありがとう。そうそう、今日の飲み会……高橋さん? そうだね、こんなことがあったら、飲みに行く気になれないな、高橋さんにごめんって伝えて……。うん、心配いらない。じゃあ……」


電話の向こうから聞こえる、妻の湘萍(シァンピン)の声。いつもの俺なら、彼女のまだ少しだけ台湾訛りが残る日本語に「やっぱり可愛いな」なんて思っているのだろう。しかし、妻が偶然スマホで見かけた合同追悼式の中継から、育人先生の訃報を聞いてしまった俺は、今はとてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。


電話を切り、複雑な気持ちで、スマホのテレビアプリを開く。中継は、もうすでに終わっているようだった……。

試しに、育人先生にLINEのメッセージを送ってみる。しかし、いつまで経っても、そのメッセージに「既読」の文字がつくことはなかった。まだ見ていないだけの可能性もあるけれど、それがただの無駄な希望だということは、自分でも分かっている。


私に英語を教えてくれたり、転職の時に親身になって相談に乗ってくれたり、今の妻との恋の悩みを真剣に聞いてくれたりした、あの育人先生が、まさか……。

先生と呼んではいても、俺とそれほど歳の差はなかった。授業を受けている時も、家庭教師を卒業してからも、ずっと信用できる先生として、有能な先輩として、そして、親しいわけではないけれど大事なことについて話せる友達として、育人先生のことを尊敬していた。


育人先生から教育を受けた俺が言うのもおかしな話かもしれないが、あんなに才能のある人は、家庭教師なんかよりもっと稼げる仕事にだって就けたはずだ。

確かに先生の実績を考えれば、時給もかなり弾んでいたとは思うけれど……それでも限度がある。もっと良い暮らしができたはずなのに……。本当に、教育熱心な人だったんだな……。


今から会社を早退して、会場に駆けつけても、献花には間に合うだろうか……。はぁ、近くにいる友達に頼んで、代わりに行ってもらうしかないか……。

そう考えて、俺はスマートフォンを取り出し、電話をかけようとした。その時、LINEアプリの通知が画面に表示された。新しい友達追加の知らせだ。

『越前絵里』? 誰だろう?


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(ここからは大谷桐也の第一人称)


やはり、こういうことだったんだ。


最初におかしいと思ったのは、ある日、加賀先生が無断で授業を休んで、急に鵜飼先生が代わりに教室に入ってきた時だった。それから、僕だけじゃなく、加賀先生の授業を受けていた他の子たちも、誰一人として先生に会うことはなかった。

僕たちに、何も説明はなかった。まあ、それは普通のことだと思う。僕が参加している『植木の水』が行っている、貧困家庭のための放課後補習サポートプロジェクトでは、ボランティアの先生が急に来なくなるなんて、よくあることだから。


すぐにいなくなってしまう人もいれば、ながーくいてくれる人もいる。そして、加賀先生は、間違いなく、ながーくここにいてくれるタイプの人だった。本当に何か事情があって辞めなければならないとしても、必ず僕たち教え子に、ちゃんとお別れを言いに来てくれる、そういう人だと信じていた。

だから、何の告知もなしに消えてしまったのが、ずっとおかしかったんだ。


その理由は、今日、ようやく分かった。加賀先生は、神様になったんだ。

鵜飼先生と広瀬先生の話を、盗み聞き……いや、丁度よく耳にしたんだ。飛行機事故の話だった。

加賀先生はきっと、菅原道真公のように、学問の神様か何かになったに違いない。

じゃあ、僕が、その神様のこの世での代弁者になろう。


「教祖様、三組の……」

「私は聖女だ。教祖などと呼ぶな」

声をかけてきたのは、四年生の剛か……。頭はあまり良くないが、行動力だけは高い。新しく信者になったばかりだというのに、もう何人も我が「教え」に勧誘してきた。

「しかし、教祖様は男じゃ……」

「この世界の体など、ただの魂の器にすぎない。外見に惑わされるな」

「は、はい、きょ……聖女様」

「よろしい。それで、何の用だ?」

「三組の裕太も、我々の仲間に入るそうです」

「それは良いことだ。よく頑張ったな」

「もっと頑張れば、僕、健太に勝てますか?」


健太? 誰だ、それは。まあ……どうでもいいか。


「もっと多くの信者を引き入れることができれば、きっとその健太とやらに勝てるだろう」

「やった!」剛は、嬉しそうに駆け出していった。


二年生の鞠紗ちゃんは「私は消しゴムを彫るのが得意なので、加賀育才天様の像を彫ろうかな」などと言っていたが……。

消しゴムごときで、あの方の偉大さを示せるものか! それに、像などを彫ってしまえば、すぐに先生達にバレてしまうではないか。ああ……加賀育才天様直伝の方法で、彼らの成績を上げることはできても、知恵までは授けられないらしいな。


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