第五章:第九節:彼が教育を施した人
午後1時50分。越前絵里の家の、とある小さな一室。
絵里、霞、鏡、健太の四人が、テレビの前に座っていた。四人とも、比較的かしこまった、厳かな服装をしている。
健太は濃紺のシャツに黒のスラックス姿。
双子の霞と鏡は、全く同じデザインの黒いブラウスに、深茶色の膝丈スカートを着用している。
そして絵里は、無地の黒い着物に一式の和装小物で身を包んでいた。色調は濃紺が主で、足元の足袋だけが、清らかな純白だった。
「学校の授業をサボって、こうしてここにいるなんて、なんだか罪悪感がありますわね」
霞が、他の三人に顔を向けて言った。
「ちゃんと学校にはお休みの届けを出したのだから、いいじゃない。そもそも、どうして合同追悼式なんて、木曜日に行うのかしら」
鏡が、姉に言い返しながら、足を組んでスマートフォンを操作し始めた。
「そうは言うけれど……。わたくしたちだけの追悼式は、合同追悼式に合わせなくてもよかったのではありませんか? というか、そもそも、やらなくてもよかったわけですし。だって、育人先生は、まだ生きていらっしゃるのですから……」
「でも、わたくしたち、先生と親しい生徒が哀悼の意を示さなければ、周りの目には不自然に映りますわ」絵里は、端然と座ったまま言った。喪服のような形式の着物であっても、彼女が着ると、ひときわ美しく見えた。
「それに、わたくしたちが合同追悼式に参加するのも、何かと難しいでしょう。健太くんはまだ小学生ですし、その場でうっかりボロを出してしまう可能性もありますもの。どうせ、合同追悼式の方には、『植木の水』の方々が出席なさっているでしょうから」
「植木の水? ああ、あの育人先生が参加していたNPO法人ね」
鏡が、スマホから顔を上げて答えた。
「だって、先生がボランティア活動をなさっていた時、そこには生徒さんや、お知り合いの同僚の方もたくさんいらっしゃったのでしょう?」
霞が付け加える。
「中継、もうすぐ始まるよ、お姉ちゃんたち」
健太が、テレビの画面を指差して言った。
テレビ画面には、厳かな雰囲気のホールが映し出された。壇上には、黒いスーツに身を包んだ司会者の男性が立っている。
「皆様、報道関係者の皆様、どうぞご静粛にお願いいたします。これより、航空機スカイウィング・エア512便、SWA-512便、行方不明事件に関する合同追悼式を開始いたします」
テレビの中から、落ち着いた、しかし重い声が聞こえてくる。
「本日、私たちは深い悲しみと共にここに集い、この前例のない事態において、不運にも消息を絶たれたSWA-512便の乗客並びに乗務員の皆様を追悼いたします。これは、私たち全員にとって、そして何よりもご遺族の皆様にとって、耐え難いほどの大きな悲しみでございます」
「皆様、ご起立ください。SWA-512便の行方不明となられた全ての命のために、1分間の黙祷を捧げたいと存じます。逝く者の魂に安らぎを、遺されし者に強き心を」
健太は、テレビの中の司会者の言葉に従い、素直にすっと立ち上がった。
「別に、わたくしたちは立たなくてもいいんじゃない? 追悼する相手もいないわけだし。先生も、他の乗客の方々も、あのアフター・ラプターとかいう神様が救ってくださった、とそうおっしゃっていたでしょう?」
鏡は、スマートフォンをいじりながら、悪びれもなくそう言った。
「鏡……アフラ・マズダー、ですわよ……。ここでは立たなくてもいいけれど、外では、そういう不謹慎な発言は控えてほしいの」
霞が、小声で妹を窘める。
「まあ、三谷や他の使用人たちには、この部屋には入らないようにと言いつけてありますから、ここでは大丈夫ですわ」
絵里が、静かにそう言った。
やがて黙祷が終わり、今度は一人の年配で、背の高い女性が壇上に立った。
「スカイウィング・エアのCEO、村方秋奈でございます。」
「今、私の心は、ここにいらっしゃるご家族の皆様と同じく、重く、そして深い悲しみに沈んでおります。SWA-512便の不可解な失踪に、私たちは言いようのない衝撃と困惑を感じております。私たちは、あらゆる力を尽くして捜索活動を行い、昼夜を問わず奇跡を待ち望みました。しかし、この瞬間まで、機体の残骸や生存者を見つけることはできておりません。これは、私たち全員にとって、計り知れない大きな痛手でございます。」
「ご家族の皆様が耐え忍んでいらっしゃる苦痛は、想像に余りあります。機上のすべての方々は、ご家庭の柱であり、ご友人の宝であり、社会の重要な一員でございました。彼らの突然の失踪は、数えきれないほどの家庭を、終わりのない闇へと突き落としました。ここに、スカイウィング・エアの全従業員を代表し、全ての犠牲となられた方々のご家族に、心からの哀悼の意と、慰めを申し上げます。」
「スカイウィング・エアは、今回の事件が引き起こした悲劇に対し、深い痛恨の念を抱いております。私たちは、政府の調査に全面的に協力し、必要なあらゆる資源を提供することを約束いたします。いかなる犠牲を払ってでも、事件の真相を究明する所存です。また、影響を受けられた全てのご家族に対し、私たちができる限りの支援を継続して提供していくことをお約束いたします。」
「彼らの名前は、私たちの心に永遠に刻まれるでしょう。」
「安らかなるご冥福を心よりお祈り申し上げます」
「『めいふく』って、どんな意味ですか?」
CEOのスピーチが終わり、健太が素直な疑問を口にした。
「めいふくの『冥』は、漢字で書くと冥府、冥土の冥よ。健太くんはライトノベルをたくさん読んでいるから、この字には見覚えがあるはず。あれは死後、つまり亡くなってからの世界という意味ですわ。そして『福』は幸福の福。つまり、冥福というのは、亡くなった後の世界での幸福、という意味ですよ」
絵里が、丁寧に説明した。
「絵里お姉さんの説明、分かりやすいね」
「あれは、最近始まった『彼が教育を施した人』の活動のおかげですわ。ここは、霞さんに感謝するべきですわね。『まずは育人先生のように、教育の楽しみを知らなければ』とおっしゃったのは、あなたなのですから」
「あれは仮の名前だけど、やっぱり私が提出した『蚊が行くと、トンボも追っていく』の方が面白いと思うわ」
鏡が、悪戯っぽく言った。
「それはただの駄洒落じゃありませんか……。教育と何の関係があるの?」
霞が、呆れたように妹を指摘した。
「募金活動をしたり、寄付をしたりすることは、誰にでもできます。でも、育人先生の理念を受け継ぐことができるのは、今、先生と地球とを繋ぐ唯一の存在であり、先生の弟子である、わたくしたちだけだと思ったのです」 霞が、真剣な表情で補足に言った。
「弟子とか言っちゃって。お姉さん、ウケる」
「僕は、弟子ってかっこいいと思うよ。今度の夢授業で、先生のこと、師匠って呼んでみようかな」
「そんなことをなさったら、育人先生のため息が、今すぐにでも聞こえてきそうですわね」絵里は、健太くんを優しく窘めると、今度は霞の方を向いて、深く頷いた。「……まあ、確かに以前のわたくしは、少し思い込みすぎていたようですわ。慈善団体といえば、必ず募金や寄付をしなければならない、という印象に囚われていました。わたくしたちはまだ未成年ですし、家の力を借りなければ大きなことはできません。ですから、こうして自分たちにできることから始め、自分たちの成長と、先生のお考えに近づくこと、その両立ができるのは、とても良いことだと思いますわ」
「育人先生の昔の生徒さんに連絡を取って、彼らの協力を得られたのも、絵里のストーカー行為のおかげだけどね」
鏡が、ニヤリと笑う。
絵里は、そのからかいを、まるで褒め言葉であるかのように優雅に受け入れた。今回は、本当に褒めているのかもしれないが。
「こうして、政府が正式に乗客名簿を公表してから、『植木の水』の方々や、先生の元生徒さんたちとの交渉も、順調に進められるはずですわ。少なくとも、わたくしたちが、先生の『死』を証明する必要がなくなりましたからね」