第五章:第三節:弟子は片付ける
(ここからはマーディナ・コロネの一人称)
わたくしは今、男爵邸の清掃をしております。
男爵邸とは申しましても、わたくしが王都にいた頃に見た大商人の屋敷と比べれば、遥かに質素なものです。
しかし、質素ながらも、その敷地は広く、見たこともないような不思議な構造が取り入れられています。例えば、あの「縁側」という、防御の観点からすれば極めて不向きな構造とか。建築隊の隊長であるドッドブさんも、この設計について育人先生にお尋ねしたそうですが……。
『屋敷の防御は必要ありません。本当に敵がここまで攻め込んできたら、死守する意味もない。人と資料は、屋敷より何倍も重要ですから』
先生は、そうお答えになったそうです。
ちなみに、わたくしが今掃除しているこの実験室も、育人先生がお考えになった、新しい構造の建物です。
なぜ、わたくしが掃除などしているのか、ですって? まあ、確かにわたくしはメイドでも使用人でもありませんけれど……こういうのも弟子の仕事の一つだと言い聞かせたいところですが、一番の理由は、この実験室をやらかしてしまったのが、このわたくしだからです。
また、〈ライトニング〉の出力を間違えて、あの陶磁製の電解槽を砕いてしまったのです。これで、もう三つ目……。育人先生は、あの『電気分解魔法』の理論を丁寧に教えてくださり、さらにその重要な研究をわたくしに任せてくださったというのに……。
今日の夕食前には、育人先生から「重大発表」があると伺っております。それまでに、できればこの掃除を終わらせて、今日の分の実験も完了させなければなりませんのに。
わたくしは、砕けてしまった陶器の破片を丁寧に集めると、モードグさんの工房へと向かいました。この破片を回収してもらえるかどうか、そして、追加で五つほど、新しい電解槽を発注したかったのですけれど……。
『……だから、魔炭を使う場合は、粘土の量を増やせんとだめじゃ! すぐに砕けてしまうわい!』 工房に近づくと、中からモードグさんの大きな怒鳴り声が聞こえてきました。
『分かっとるわい! しかし、魔炭の割合をこれ以上下げたら、今度は魔力の伝導率が悪くなるんじゃろ! それでは意味がない!』 ドッドブさんの反論する声も聞こえます。
ドッドブさんもドワーフでして、モードグさんが鉛筆の開発をしていると聞いたら、最近は時々こうして建築隊の仕事をサボって、モードグさんの工房に入り浸っているのです。
実は、育人先生が教えた最初の鉛筆はもう完成していて、これからは量産に入る、と先生はおっしゃっていました。ですから、今お二人が話し合っているのは、おそらく、魔炭を用いた魔法陣用の「魔鉛筆」とやらのことでしょう。
その名前を聞いた時、育人先生が「何にでも『魔』の字を付ければいいというものでもないだろう」と、呆れたように突っ込んでいたのを思い出します。
お二人ともドワーフですが、性格というか、思考の方向性が全く異なっているようです。モードグさんは、「まず、今できるものを作り、それから良くしていく」という性格で、まずは製品を形にしてから、後で改良を加えていくことを好むそうです。一方、ドッドブさんは時間の無駄を嫌い、最初に目標をしっかりと設定し、たとえ何度も失敗したとしても、一度で完璧な製品を完成させることを目指すタイプ。
そのために、二人はこうして口論が絶えないのです。 ちなみに、ドワーフの職人としての位階は、ドッドブさんの方が上なのだそうです。それは、モードグさんが長年ドワーフの里を離れていたため、位階昇進の審査を受ける機会がなかったからだとか。口論がヒートアップすると、お二人は決まってこの点でお互いをからかい合っているのでした。
『……だから、この新しい設計図の描き方を会得した儂は、今度こそ必ずやアダマンタイト級に昇級できるはずなんじゃ!』
『あれは将来の話じゃろうが! 今は、ゴルード級の儂の方が上じゃ! 儂の意見に従え!』
ほら、予想通りですわ。
こうなってしまうと、お二人の喧嘩を止められる方は三人しかいません。クレオ様と育人先生は今どこにいらっしゃるか分かりませんが、アン様の居場所なら、心当たりがあります。
わたくしは、集めた陶器の破片を工房の隅にそっと置くと、学校の方向へと向かいました。
そうです、学校です。村にあった小さな学び舎ではなく、この新しい領地に建てられた、規模の大きな学校。建物自体は完成したばかりで、まだ組織的には初歩的な段階だと育人先生はおっしゃっていましたが、それでも、昔の学び舎より何倍も立派だと、わたくしは思います。まあ、王都の魔法学園と比べてしまえば、まだまだ差はありますけれど。
学校の近くまで来ると、何やら不穏な空気が漂っているのを感じました。わたくしは戦闘が得意なわけではありませんが、魔法学園にいた頃、実践演習や野外冒険の授業に参加したことがあります。こういう、戦闘が始まる直前の、肌がピリつくような雰囲気には、覚えがありました。
その不穏な空気の正体は、すぐに分かりました。
自警団……いいえ、今は男爵領守備隊となったテンプラさん(サーモンド・テンプラ)が、二人の隊員を率いて、三つの方向から、ある人物を包囲するような陣形を取っていたのです。
そして、その包囲の中心にいる人物は……銀色のハンティングウェアを身にまとった、長い銀髪の持ち主でした。その方は、まるで自分が不審者だと主張するかのように、極めて怪しい格好で学校の塀によじ登り、中の様子を覗き込んでいたのです。