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序章:第一節:神との邂逅

 柔らかな光に包まれて、加賀(かが)育人(いくと)は意識を取り戻した。

 まぶたを開くと、そこは見たこともない空間だった。床も壁も、そして天井も、乳白色の光を放つ素材でできており、継ぎ目一つ見当たらない。空気は清浄で、どこか心が安らぐような、それでいて荘厳な気配が満ちている。まるで、巨大な真珠の内部にいるような、そんな非現実的な感覚だった。

「……ここ、は……?」

 掠れた声が自分の喉から漏れた。身体を起こそうとするが、奇妙な脱力感と共に、頭の奥で鈍い痛みが残っている。最後に覚えているのは――

 突如、脳裏に鮮烈なイメージがフラッシュバックする。

 機体を叩きつけるような激しい揺れ。窓の外を覆い尽くす、ありえない色彩の光の渦。耳をつんざく金属の軋む音と、乗客たちの悲鳴。そして、自分をシートベルトごと宙に放り出すかのような、強烈な衝撃。

「――っ!」

 育人は思わず頭を抱えた。そうだ、彼は本来、中間試験の復習を生徒たちに済ませたばかりで、これから一週間の休暇を取っていて飛行機に乗って海外旅行に行くはずだった。

 あの状況で生きているとは到底思えない。では、ここは死後の世界なのだろうか?

 混乱する育人の思考を遮るように、空間の一際明るい場所から、ゆっくりと人影が現れた。

 その人物は、光そのものを編み上げたかのような白いローブを身に纏い、後光と見紛うばかりの輝きを背負っていた。長く豊かな白銀の髪は、まるで月光を溶かし込んだように煌めき、深い叡智を湛えた金色の瞳が、穏やかに育人を見据えている。年は壮年といったところか。威厳と慈愛が同居したその顔立ちは、見る者に畏敬の念を抱かせる。

「目覚めたか、迷い人よ」

 朗々とした、しかしどこか心を落ち着かせる響きを持つ声だった。その声だけで、この人物がただ者ではないことが育人にも理解できた。

「あなたは……?」

 問いかける育人は、かろうじて身を立てた。目の前の存在が放つ圧倒的なオーラに、本能的な警戒心と、わずかながらの好奇心が入り混じる。

「我が名はアフラ・マズダー。善と知恵を司り、この世界を照らす光の主である」

 アフラ・マズダーと名乗った存在は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで育人に近づいてくる。その表情には、慈悲深い笑みが浮かんでいたが、瞳の奥には何かを見定めるような鋭さも感じられた。

「お前たちが乗っていた飛行機は、不幸にも時空の狭間に生じた歪みに巻き込まれた。本来ならば、魂すら残らぬ大惨事であったろう」

 アフラ・マズダーの言葉は、育人の脳裏に残る事故の記憶と重なり、その絶望的な状況を裏付ける。

「では……私は、やはり死んだのですか?ここは、天国か、あるいは……」

「死んではおらぬ。我が力の一端をもって、お前たち乗客全員の肉体を、消滅の寸前で保護したのだ」アフラ・マズダーはそう言うと、わずかに胸を張った。その仕草に、どこか誇らしげな響きが混じるのを育人は見逃さなかった。「無論、我が慈悲と、そしてお前たち自身の魂が持つ輝き故のことだがな」

 言葉の端々に、自身の力を誇示するような、そして何かを期待するようなニュアンスが感じられる。育人は家庭教師として多くの人間と接してきた経験から、相手の言葉の裏にある意図を読み取ることに長けていた。この神と名乗る存在もまた、何か目的があって自分たちを救ったのではないか。

「……助けていただいたことには、感謝します。ですが、一体なぜ?見ず知らずの私たちを、そこまでして救う理由は何なのでしょうか?」

 育人は、混乱しながらも冷静さを保とうと努め、最も核心的な疑問を口にした。32年の人生で培ってきた論理的な思考が、この超常的な状況を理解しようと必死に働き始めていた。

 アフラ・マズダーは、育人の問いに満足そうに頷くと、その金色の瞳を細めた。

「良き問いだ、加賀育人よ。それについては、これからゆっくりと説明して進ぜよう。お前たちがこれから歩むことになる、新たな運命と共にな」

 その言葉と共に、アフラ・マズダーが軽く手を振ると、育人の目の前に、まるで水鏡のように滑らかな光の板が出現した。そこには、複雑な紋様と共に、見慣れない文字が浮かび上がっている。

「まずは、お前自身の『価値』を知るが良い」

 アフラ・マズダーの視線が、光の板へと注がれた。

 育人が恐る恐るその光の板に目を向けると、中央に大きく「+6」という数字が浮かび上がっていた。その下には、細かな文字で何かが記されているようだが、今はまだ判読できない。

「それは『善悪値』。お前たちが元の世界で積み重ねてきた行いを、我が基準で評価したものだ」アフラ・マズダーの声が、厳かに響く。「我が裁定において、善行はそれがもたらした『結果』を重視し、悪行はその『意識』の有無を問う。たとえ意図せずとも良き結果を生んだのならそれは善であり、悪意をもって事を起こそうとしたのなら、たとえ未遂であろうともそれは悪となる」

 なるほど、と育人は内心で頷いた。結果主義の善と、動機主義の悪。これは合理的な基準なのかと育人は判断できないが、シンプルで、ある意味で公平かもしれない。

「お前たち乗客は、この善悪値に基づき、新たな世界での処遇が決定される」

 アフラ・マズダーは、まるで教師が生徒に語りかけるように、しかしその内容は遥かに重々しい言葉を続けた。

「善悪値がマイナス6以下の者――すなわち、その魂に救い難いほどの穢れを溜め込んだ者は、その魂を浄化し、記憶を消し去った上で、この世界の貧しき家庭に赤子として転生させる。新たな生で、善行を積む機会を与えるためだ」

 その言葉に、育人は息を呑んだ。それは救済のようであり、同時に存在の抹消にも等しい。

「マイナス6から0未満の者は、祝福なしでこの世界に放たれる。己の力のみで生き抜くが良い。0からプラス6未満の者は、ささやかなる祝福として、この世界の言語を理解し、話す能力を授けよう。それだけでも、異邦人としての困難は大きく軽減されよう」

 淡々と語られる乗客たちの運命。育人の脳裏には、機内で見かけた様々な人々の顔が浮かんで消えた。彼らは今、どのような評価を受け、どのような状況に置かれているのだろうか。

「そして、善悪値がプラス6以上の者。お前のように、魂に確かな輝きを宿す者には、言語能力に加え、特別な『力』――我が世界では『スキル』と呼ばれるものを授ける。それは、お前たちがこれまでの人生で培ってきたもの、あるいは魂の奥底に眠る可能性の顕現だ」

 アフラ・マズダーはそこで言葉を切り、期待に満ちた目で育人を見つめた。その視線には、「どうだ、我が采配は素晴らしいだろう?」と言わんばかりの自信が滲んでいる。そして、おそらくは「この力を得て、我が教えを広める先兵となるのだ」という、隠された意図も。

「加賀育人。お前の善悪値は『プラス6』。見事、特殊能力を得る資格を得た。これは決して容易なことではない。乗客の中でお前を含め、この域に達した者はほんの一握りだ。誇るが良い」

 アフラ・マズダーは、芝居がかった仕草で手を広げた。

 育人は、自分の胸に手を当てた。プラス6。家庭教師として、生徒たちのために本気で向き合ってきた日々。時には、自分の時間を犠牲にしてまで相談に乗ったこと。それが、この神の基準で評価されたというのだろうか。それは、決して悪い気はしなかった。だが、手放しで喜べる状況でもない。

「その力は、お前がこの過酷な世界で生き抜き、そして……我が光を広める助けとなるであろう」

 やはり、そういうことか。育人は内心で小さくため息をついた。この神は、明確な目的をもって自分たちを選別し、力を与えようとしている。

「さあ、受け取るが良い。お前の魂に刻まれる、新たな可能性の種子を」

 アフラ・マズダーが再び手をかざすと、育人の目の前にあった光の板が眩い光を放ち始めた。その光は徐々に収束し、一つの輝く球体となって育人の胸元へとゆっくりと近づいてくる。それは、暖かく、そしてどこか懐かしいような光だった。

 その光球が、育人の胸に触れようとした瞬間...


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