王弟殿下の婚約者 アヴィナ -3-
「派閥間を渡り歩く者も困ったものだが、君が『上に立つ者』としての自覚を持つべきなのも事実だろう」
後日、俺は城へとやってきていた。
ルクレツィアを侮る者が現れた件を口にすると、王弟テオドールはどうということもないと言うように答えた。
仮面でその表情は見えないものの、おそらく軽い呆れ顔といったところか。
「まがりなりにも王族の嫁となるのだ。公の場では父親からも敬われる立場だぞ」
「理解はしておりますけれど、わたしにとってルクレツィアさまは変わらず友人ですので」
「ええ、アヴィナはそれで良いと思うわ」
にっこり微笑んで俺に援護射撃してくれたのは、国王の正妃──すなわちこの国の第一王妃だ。
「王妃殿下、あまりこれを甘やかさないでいただきたい」
「あら。こういう時くらい『義姉上』と呼んでくれてもいいと思うのだけれど」
「勘弁してください」
最近、面と向かって話すようになってわかったことだが──第一王妃は、まったりとした場においてはふわふわした印象のある穏やかな人だ。
良く言えば優しい、悪く言えば覇気に欠ける印象のある第三王子ウィルフレッドの母親、と考えると納得である。
「アヴィナはどうかしら? お義姉さま、と呼んでくれてもいいのよ?」
「そ、そんな。怖れ多すぎます」
「そう、残念。それじゃあ、結婚式が終わったらまた考えてみてちょうだいね?」
意外とぐいぐい来るところもあって、これはこれでなかなかに心臓に悪い。
──と、ここは城の奥まった場所にある応接間の一つ。
主に王族が誰かを招いて話をする際に用いる場所だ。
俺とテオドールはソファに隣り合うようにして座り、第一王妃と向かい合っている。
俺たちの婚約に関するざっくりした話し合いは今日までの間に養父らも交えて完了済み。
細かな話に関しては比較的時間の取りやすい王妃と当事者たちで話し合うことになっていた。
「まず、確認になるけれど……式はアヴィナの卒業から一年後。告知は最低でも半年前に行って、会場の選定や手配は王家が請け負います。ここまではいいかしら?」
「はい」
この国の貴族は学園卒業をもって成人と扱われる。
俺はいま一年生なので、卒業から一年後の話だとまだ三年は先になる。
なのに今から話を始めているのは、王族の結婚となると規模が段違いだから……というのがひとつ。それからもしかすると、できるだけ具体的に話をしておくことで俺を逃がしたくないのかもしれない。
「結婚式とは別に、婚約を広く知らしめるためのパーティを行います。これは二か月後ね」
「ああ、問題ない」
これもそうした方針の一環。
王族の婚姻が、よほどのことがない限り解消されないのはこういうのがあるからでもある。
「ふふっ。まずはパーティね。会場の飾りつけやドレスの選定……楽しいことがいっぱいだわ」
「パーティの差配は王妃殿下にお任せいたします。アヴィナを自由に呼びつけていただいて構いません」
「殿下、面倒ごとだと思っていらっしゃいますね?」
「そんな事はない」
嘘だ。男の勘と女の勘の両方がそう言っている。
「その手の拘りは女性の方が強いだろう。思う存分やるといい」
「わたしが思う存分やると、ドレスがどうなるかわかりませんけれど……」
「私は別に構わないが?」
「っ」
お互いの仮面越しに顔を覗き込まれる。あの端正な顔立ちを知っている俺は、勝手にテオドールが笑顔を浮かべているところを想像してしまった。
十分な逞しさはあるが武骨ではない指が俺の仮面の端を軽く撫でて、
「パーティでは『それ』を外してもらう。多くの者はドレスの意匠など気にしていられないだろう」
「それは……警備を増員していただいたほうが良さそうですね?」
「ふふっ。もちろん安全には最大限に配慮するわ」
本当に楽しそうな様子の第一王妃は「それから」とテオドールを見て、
「パーティは良いとして、テオドールも結婚準備に協力してちょうだいね?」
「……と、言いますと?」
聞こえた声が若干嫌そうなのは俺の気のせいか。
「婚約も成立したことだし、いつまでも『塔』に籠もっているのはどうなのかしら? ……と、いうことよ」
「それは」
「わたしもそう思います」
「アヴィナ」
裏切ったな、とでも言わんばかりだが……毎回上り下りするのが大変だと前にも苦情を出している。
「上るのが面倒なら飛べばいい、はさすがにひどいと思います」
「あの大奇跡を行使した君なら飛ぶくらい可能だろう?」
「わたしが飛べたとしても、エレナやメアリィが置いてけぼりではありませんか」
こほん。
「アヴィナもこう言っていることですし、テオドール。どうかしら? 城の敷地内にあなたたちのための離れを用意しようと思うのだけれど」
「……そこまでして頂く必要があるでしょうか?」
「それなら、直轄地を割譲して新公爵になってもらおうかしら。それとも、フェニリード公爵を継いで王都の屋敷を継承する?」
「離れを賜る栄誉、謹んでお受け致します」
おお、あのテオドールが負けている。
とはいえ彼もタダでは起きず、離れの準備ができるまでは今の環境を維持すること、離れに移っても塔の部屋を「研究室」として残すことを交渉して認めさせた。
「離れの準備には時間がかかるから、ひとまずは城の部屋を一つ、アヴィナのために整えましょう」
「よろしいのですか? そこまでしていただかなくとも──」
「だーめ。ドレスやアクセサリーを都度お屋敷から運ぶのは大変でしょう?」
ついでとばかりに城用のドレス等々を仕立てる予算まで割り当てられた。
「……まあ、そうだな。王家の一員となる以上、君の振る舞いにもさらなる『格』が必要になる」
「ええ。だから、頑張って王族教育を受けてちょうだいね?」
「ええと、その。わたし、学園の授業に加えて神殿の業務もあるので、お手柔らかにお願いできますでしょうか……?」
これ以上仕事が積み上がったらさすがに倒れかねないぞ、俺は。
すると第一王妃は「あら」と頬に手を当てて、
「平日の日中に王族教育を受ければいいわ。専属の教師から個人授業を受けられるもの」
「それはとても素晴らしいですね」
時には他者との意見交換も必要だが、基礎的な学力をマンツーマンで向上させられれば、例えば2年生の間に卒業程度の能力を身に着けることも不可能じゃない。
余った時間を他のことに使えればとても助かる。
「それから、使用人も増やしたほうがいいと思うの。こちらでも侍女の選定を進めるから、フェニリード家でもメイドの増員を考えてみてくれるかしら」
「……なるほど。かしこまりました」
そもそも、俺は寮に屋敷に神殿にとあちこち動き回りすぎている。
そのサポートをエレナとメアリィ二人だけでしていた現状がむしろおかしい。
もちろん、屋敷では専属以外のメイドも手伝ってくれているが──ならもっと専属増やせるだろ、という話。
少なくともエレナたちの他に、屋敷と寮に常駐する者が一人ずつはいてもいい。城にも部屋ができるならなおさら。
というわけで、第二次メイド選定が急務となった。




