【閑話】魔性の王弟と仮面の公爵令嬢
アヴィナ・フェニリードの噂は以前から耳にしていた。
『瑠璃宮』に突如として現れた最年少娼姫。
大神殿の巫女に「神の現身」と言わせた美貌の幼子。
第一王子の婚約者にして聖女から好敵手のごとく扱われる娘。
公爵家と養子縁組して長女となった者。
敵対派閥の攻撃を退けながらも、第三王子の婚約者を辞退した少女。
『どうか、わたしと婚約していただけないでしょうか?』
初対面の印象は「交渉術も持たない愚か者」だった。
婚約したいのならばもう少しやりようというものがあるだろう。
王弟である自分と縁づきたい者など掃いて捨てるほどいる。
魔性の美貌と噂が広まってからは、特に求婚希望の女が後を絶たない。
仮面で顔を隠し、塔に籠もってもなお──である。
贈り物を気軽に受け取ることもできない。
食品に薬が仕込まれていたり。
髪を一房まるごと送りつけられたり。
匂いを染み込ませた下着を送ってきた者さえいた。
お互いに想いあっていると信じてやまない手紙も。
脈がないとわかると逆に罵詈雑言を送りつけてくる者も。
「女など皆、思いこむとそれ以外見えなくなる愚か者だ」
アヴィナ・フェニリードの退室した後で呟けば、唯一の傍仕えは笑って答えた。
「ですが、仮面のご令嬢に求婚されたのは初めてでは?」
「いや。前に二、三度覚えがある」
「ああ。そういえば『お揃いだ』と自慢げに披露なさった方々がいらっしゃいましたね」
「だが」
これまでの女が披露した仮面は似ていても否なるものだった。
対して、あの令嬢が着けていたのは、形状こそ個人に合わせて調整しているが、
「私の作った魔道具の仮面を着けてきたのは──あの娘が初めてだな」
魔道具の発注に際しては公爵直々に手紙をもらい、その後、塔への訪問もあった。
美しすぎる容姿を隠すための仮面。
意図せずに外れることがなく、着けっぱなしでも疲れない。
付けられた条件は奇しくも、テオドール自身が装着する仮面とほぼ同じだった。
「興味を持たれましたか?」
「お前、妙にあの令嬢を気に入っていないか?」
「そのようなことは……。ですが、ご自分の容姿をひけらかさない姿勢は好ましいのでは?」
「顔を隠す代わりに身体をひけらかすそうだがな、あれは」
フェニリード公爵家の令嬢は露出を好む。
学園のダンスパーティ以来、そんな噂が大きく広まった。
袖やスカートを短くしたり、生地自体を薄くして透けさせたり。
娼館出身という経歴がそうさせるのかと思えばそれだけではなく、本人の気質もあるらしい。
「……その割に、本人に好色の気はなさそうなのだが」
テオドールはそれからさらに「アヴィナ・フェニリード」の情報を集めた。
第三王子の婚約者候補になったこと以外、浮いた話はほぼない。
第一王子ランベールからの誘いですら極力かわしているし、一対一で男に会おうとはしていない。
美しい男が好みなだけならばもっと恋多き言動を取るはず。
権力欲に囚われているのなら、大人しく第三王子の妻に収まればよかった。
「いや。私に取り入って王位を取らせるつもりか? しかし……」
「娼館出身の平民では後押しとしては弱いでしょう」
神殿での行動やスラムでの施しにも不審な点は見られない。
点数稼ぎではなく、単にやりたくて行っているように思えた。
「アヴィナ・フェニリード……か」
折よく、城に彼女の絵姿が届けられた。
噂の美貌がどの程度のものか見てやろう、と、兄王の誘いに乗ってみれば。
「───なるほど、な」
聖職者が神と見間違えたというのも納得の美貌がそこに描かれていた。
『これ』ならば大聖女就任も、公爵家が欲しがった理由もわかる。
「良いだろう? さすがのお前もこの娘ならば気になるのではないか?」
意地悪そうに言ってくる王。私的な場だと彼は歳の離れた兄を通り越して父親のようだ。
王族というのは息子に気安くあれこれ話しかけるものではない。
実の息子たちとは距離感が難しい分、テオドールの世話を焼いているのかもしれない。
「お戯れを。このような子供に惚れこむことなどあり得ませぬ」
「むう。美男美女で実に絵になると思うのだが。なあ?」
「ええ。テオドール様にぴったりのお相手かと」
国王夫妻が揃って薦めてくるとは、さてはこの件、彼らも一枚噛んでいるのか?
「やけにあの娘にご執心なのですね?」
「まあ、な。ウィルの婚約者に据えられなんだのが残念でならん」
絵姿を城に飾るつもりなのにと語る彼が何を考えているのか、表情だけは測り切れない。
「……陛下」
「私的な場くらい『兄上』と呼んでくれてもいいだろうに」
「では兄上。ウィルフレッドの婚約者候補から二つ返事で下ろした理由が『これ』ですか?」
「ああ。アヴィナに意中の相手がいるのでは仕方ないからな」
王族に取り込めれば、相手が王子である必要はないと。
「誰が何と言おうと私は婚約するつもりはありません」
「そう言うな。案外、気に入るかもしれんぞ」
「……まあ、あれが本当にこれだけの美貌ならば考えなくもありませんが」
◇ ◇ ◇
──美しい。
仮面を外したアヴィナ・フェニリードを前にして、テオドールは息を呑んだ。
絵姿と同じ、どころではない。
少女の美しさは絵画を超えている。
これは絵師のせいではないだろう。
立体の美を平面に落とし込むことは熟練の絵師でも難しい。
加えて言えば、おそらく、彼女の美は単純な造作だけではない。
所作。
におい。
色づく肌の微妙な加減。
呼吸等によって生まれる微妙な動き。
曖昧に「雰囲気」と総合するしかないようなあれこれを全て含めた上での美貌、魅力だ。
天性のカリスマと例えても良い。
「………っ」
思わず手が伸びそうになるのを必死に堪える。
別に、十は年下の少女に欲情したわけではない。
あまりの美しさに、それを手に入れたくなっただけだ。
考えなしの子供が花を手折ろうとするような。
愛くるしい動物をつい抱き上げてしまうような。
この美しさをずっと眺めていたい。
手元に置いて、他の者に触れさせたくない。
──沸き上がった衝動を、全身全霊でぐっと抑えた。
性欲が介在していないにせよ、これでは恋慕も同然ではないか。
王族として、年上の男として、今まで女を遠ざけてきた身として、そんな真似は許されない。
強いて、平静を取り繕う。
テオドールの──見れば卒倒する者さえいる──素顔を平然と受け止めたこの娘に弱みは見せたくない。
「ふむ。絵姿よりも美しいな。誇って良いぞ」
「いかがでしょう? ものは試しということで」
「……まんまと乗せられている気もするが、まあいいだろう」
思ったよりもずっと、アヴィナ・フェニリードは口が達者だった。
幼いなりにある程度は国内情勢・派閥争いについても頭に入っている。
やはり、権力に興味があるわけでもないらしい。
淡々と利害関係について語るその姿は好ましいものに思えた。
露出趣味はどうかと思うが、怪しげな研究をする王弟の相手にはちょうどいい。
「国王陛下に君との婚約を願い出る」
それに、正式な手続きを経れば結局、この美しい娘は自分のものだ。
おそらくこの娘はこれからも何かをやらかす。
それを近くで見るのもまた、一興だろう。
こうして、王弟テオドールはアヴィナ・フェニリードとの婚約を決めた。
国王も当然のように快諾で、折を見て発表するとの返答。
「どうだ? やはり気に入ったであろう?」
やはり乗せられたようで、どうにも不満ではあった。