公爵家の長女アヴィナ -3-
翌朝の朝食後、部屋に戻ろうと歩いていると一人の見習いメイドを見かけた。
「あら、マリア。頑張っているみたいね」
「あ、アヴィナ様!」
ぱっと表情を輝かせた小さな少女は小走りにこちらへ駆け寄ってくる。
微笑ましいその姿に俺は頬を緩めるも、エレナは少々眉をひそめて。
「マリア。貴族に急いで近づくものではありません。
最悪の場合、害意ありとみなされて排除されますよ」
「は、排除!? 私、殺されるんですか!?」
物騒すぎる言葉にマリアはぶるぶると震えはじめた。
「もう、脅かしすぎよ。少なくとも今回は知っている相手なんだし」
「だからこそ今のうちに教えておかなくてはなりません」
「……えっと、あの、私、殺されないんですか?」
「今回はね。でも、時と場合によってはありえるから気をつけて。
用がある時はゆっくりとね」
俺がスラムで襲われかけたように、急に近づいて来る者の中には刺客もいる。
魔導具の中には爆弾に似た性能のものもあるし、幼い少女であっても時には危険だ。
警戒態勢の時にやらかしたら問答無用で斬られかねない。
マリアは「気をつけます……!」と真剣に頷いた。
「ええ。でも、大丈夫。いきなり大事なお仕事につくことはないから」
朝食後なので俺はヴェールをつけている。
仮面を外して微笑むと「ヨハンは元気かしら?」と尋ねた。
「はい! お兄ちゃ──兄は毎日しごかれて大変だって言ってました!」
「そう。男の子は力仕事も割り当てられるものね」
彼女──マリアはつい最近屋敷に来たばかりの新人メイドだ。
今は適性を見るために簡単な仕事を任されている。
マリアと兄のヨハンはもともとスラムで暮らしていた。
が、先日、俺の殺害未遂事件があった際にスラムの一部から恨みを買ってしまった。
俺を殺そうとしている奴がいる、と警告したのがきっかけということもあって、二人はこの家に使用人として住み込みで雇用された。
ぶっちゃけ、スラム出身からいきなり公爵家の使用人とか大出世である。
「ヨハンと会う時間は取れている?」
「はい。少しだけですけど、寝る前とかにお話してます」
「それは良かったわ」
使用人は基本、同性との相部屋になるので兄とは少し離れ離れだ。
それでも、
「アヴィナ様、本当にありがとうございます!」
少女は笑顔で俺に礼を言ってくれる。
「ここに来てから三食ご飯が食べられるし、ちゃんとした服も着られて……。
しかも、お給料までもらえるんです! 私、本当に幸せです!」
「それなら、この生活を続けられるように励みなさい」
「はい!」
淡々としたエレナの言葉に頷いたマリアは「いけない! お仕事の途中だった!」と慌てて駆けだした。
「廊下は走らない」
「は、はいい!」
……うん、貴族家の常識に慣れるにはまだ時間がかかりそうだが。
「一人でも二人でも、あそこから抜け出せる子がいるのはいいことね」
「ですが、アヴィナ様。あまりあの二人を特別扱いなさいませんよう」
「わかっているわ。気にはかけるけれど厚遇はしない」
まだ幼く、特殊技能もないヨハンとマリアは正直言って今のところ戦力外だ。
雑用を任せる人員の足しにするのが精いっぱい。
大ポカをやらかせば解雇、特にひどい場合は処分もありうる。
とはいえ本人たちにやる気と誠意があれば。
いずれ、立派な屋敷の一員になれるかもしれない。
◇ ◇ ◇
日曜日の昼過ぎ、俺は屋敷から学園へと戻った。
寂しがるスノウを撫で、アルエットのところへ預けてから馬車へ。
校門を過ぎ、停泊所で下車。
「寮の前に乗りつけても良いと思いますが」
「表通りほど道が広くないし、混みあったら申し訳ないもの」
それに、散歩がてら歩くのも嫌いじゃない。
高位貴族の子であれば寮まで乗り付けて権威を示すのもいいが、学園の様子を歩いて見て回るのもアピールになる。
貴族学園だけあって花壇や植樹があちこちにあって目にも楽しい。
休日ということからのんびりしている生徒も多く、
「ごきげんよう、フェニリード公爵令嬢」
「ごきげんよう」
挨拶される回数もけっこう多い。
何しろ俺は見た目のせいでめちゃくちゃ目立つ。
「それにしても大人気ね」
「アヴィナ様は先の一件からも皆に注目されておりますので」
他の貴族家から暗殺されかけた挙句、相手方の家がやらかして処分。
対して俺は国王から直接お褒めの言葉をいただき、犯罪捜査という重要事項に関る権利を得た。
捜査への協力は『過去を視る』神の奇跡のおかげだが。
暗殺の一件のせいで俺ともう一人は「第三王子の婚約者候補」から外された。
なので、良いことばかりがあったわけではない。
と。
「あら、あれは」
噂をすれば、というわけではないが──もう一人の元婚約者候補だ。
寮にほど近い木立ちの下に翠緑の髪と瞳の少女が一人。
乗馬服に近い衣装を纏い、額に汗して剣を振っている。
「ごきげんよう、フラウさま」
敵とみなされないようゆっくりと近づけば、フラウ──ヴァルグリーフ辺境伯令嬢は手を止めて振りかえった。
「ごきげんよう、アヴィナ様。今お帰りですか?」
「ええ。そちらは剣の稽古ですか。精が出ますね」
一見するとごく普通の、見目麗しい令嬢。
内実は、国防を担う辺境伯家の娘らしく文武両道の才媛。
フラウはくすりと笑って、
「実は、先日の一件で父が大目玉でして」
フラウが婚約者候補になったのは辺境伯のたっての希望だったらしい。
結果、公爵家の実子が新たな候補になったんだからそれはまあ気に入らないよな。
「では、もしや現実逃避を?」
「いいえ。私の価値が落ちた以上、少しは自由にしても良いかと」
例の一件、フラウが主犯格を焚きつけた疑惑があったが……。
やっぱり、転んでもただでは起きないというか、ちゃっかりしている子である。
傍に控えたフラウの専属メイドはめちゃくちゃ不服そうな顔をしているが。
「私が中心となっていた軍拡派の過激勢力は事実上の解体となりました」
「フラウさまが統率を止めたせいでは?」
「ええ。私は保守派に受け入れを求めることにいたしましたので」
「……それは」
この国には現在、ざっくり二つの派閥がある。
神殿といい関係を続けつつ旧来のやり方を大事にしていきたい保守派。
宮廷魔術師をより重視しつつ国防や魔物退治を推し進めたい軍拡派。
辺境伯家はばりばりの軍拡派なのに、その長女が保守派に転向。
大目玉じゃすまないんじゃないか……?
「かなり大きな決断をなさいましたね」
「そうなのです。ですから、可能であれば保守派の要人に庇護していただけないかと」
「ルクレツィア殿下でしたら悪いようにはなさらないでしょう」
と、フラウはなぜか不満そうに眉を下げて、
「あら。『アヴィナ派』に入れていただくことはできませんか?」
そんな派閥はない。
「そうですね。派閥を形成した暁には服装規定を設けましょうか」
「私、身軽な服装は嫌いではありませんので望むところです」
断り文句のつもりだったのに乗り気なのかよ。
作ろうかな、派閥。
フラウはくすくすと楽しそうに笑って、
「実際、フェニリード公爵家に救いを求めるのは悪くない手段だと思うのですよ」
「と、言いますと?」
首を傾げた俺に、翠緑の瞳がまっすぐに向けられて。
「アヴィナ様。お義兄様にはまだお相手がいらっしゃないと窺っておりますが、確かでしょうか?」
今に始まったことじゃないが、これ、明らかに恋愛するテンションじゃないな。