【閑話】辺境伯令嬢の苦悩
辺境伯家の屋敷は開かれたつくりになっている。
壁──というか柵に囲われてはいるものの、これは馬を逃がさないためのもので人の背丈ほどもない。
足元は芝生に覆われていて、中庭も外と繋がっている。
練兵場が併設されているので、昼間は部屋にいても騎士や兵の声が窓から入ってくる。
辺境伯の末娘である私、フラウ・ヴァルグリーフにとってはそれが当たり前の生活だった。
我が領地と接する隣国は周辺諸国の中で最も武力が高い。
警戒は常に必要であり、また、草原地帯であることから魔物の徘徊にもより注意しなくてはいけない。
私の父も、複数人いる兄たちもみなこの国の騎士だ。
辺境伯家の男は学園卒業後、騎士になり、数年の経験を経て領地へと帰るのが伝統。
領主の血族を故郷に配属するのは、かつて我が先祖が時の国王から勝ち取った『特権』だ。
私の家族はみな、そのことに誇りを持ち──辺境伯領の騎士として日々腕を磨いている。
馬を操り草原を駆け、魔物を狩り、瘴気を少しでも減じさせる。
ヴァルグリーフ辺境伯領は広大な穀物地帯でもある。
以前、無理を言って見回りに同行させてもらった際に見た一面の黄金色は金色の海のようで、私はそれを領地の宝物だと思った。
辺境伯家は、名だたる女騎士もたくさん輩出している。
騎士になるかどうかはともかく、女子も一通りの剣と乗馬、戦闘用の魔法を教え込まれる。
他領から嫁いできた母はそれを特異なことだと語るが、私は剣を振るい馬に乗れることに誇りを感じている。
だから、剣の稽古は可能な限り欠かさない。
無心で型を繰り返し、身体が温まったところで空想上の敵と剣を交わす。
もっと強く、強くなりたい。
皆の努力によって成り立っているこの領地の役に、少しでも立てるように。
魔物との戦いで深手を負った騎士の姿、喪服を着て葬儀に参列した時のことは忘れない。
けれど、
「フラウ様、お時間です」
「……ええ」
剣の稽古時間は鐘一つ分までと厳しく決められている。
屋敷の敷地内に立つ鐘楼の鐘の音は、屋敷だけでなくそれを囲む街全体に時を告げる。
領地の宝である『時を告げる魔導具』、一日を20に分けて正確に時を知らせるそれを元に鐘を鳴らし、民の生活にも大きく貢献している。
便利なものだと私も思うけれど。
もう少し手心を加えてくれてもいいのではないか。
残念に思いつつ訓練用の剣を下ろす。
刃は潰れているものの、重さは本物と変わらない品だ。
不満そうな私を見て専属メイドは、
「筋肉を付けすぎるのは良くありません。フラウ様はいずれ殿方に嫁ぐ身なのですから」
「ええ、わかっているわ」
父は私を騎士にするつもりがない。
『お前は女として、女にしかできないやり方で領地に尽くしなさい』
政略結婚の駒になることで利をもたらせ、と何度も言い聞かされてきた。
頭ではそれも大事なことと理解しているけれど。
私だって辺境伯家の娘、他の令嬢のようにのほほんとお茶会を繰り返すような真似は……。
「それから、伯爵様がお嬢様をお呼びです」
「お父様が?」
父の執務室は質実剛健、私としてはここを引き継ぐことになるのも良いと思うのだが、
「フラウ。お前は来年学園に入学する」
「はい、お父様」
「侯爵から正式に手紙が届いた。卒業する侯爵令嬢に代わりお前が『軍拡派』の令嬢をまとめ上げるのだ」
「……かしこまりました、お父様」
今、この国には大きく二つの派閥が存在する。
外部組織である神殿と深い繋がりを維持しようとする『保守派』と、宮廷魔術師をより重用することで陛下の権威を強めると共に脅威に備えようと謳う『軍拡派』だ。
我がヴァルグリーフ辺境伯家は軍拡派の中でも特にそれを推し進めている家の一つだ。
◇ ◇ ◇
学園入学が迫ってきた冬の終わり、私は領地から都へと移動した。
辺境伯家の別邸で入寮を待ちつつ手紙のやり取りやお茶会のお誘いに対応していく。
忙しさから、訓練着に着替える暇さえない日が増えていき。
知己の侯爵令嬢からお友達を紹介され、学園の治安を託された。
「武闘派で知られるヴァルグリーフ家のご令嬢なら心配はありませんわ。頼りにしていますわよ、フラウ様」
「はい。どうぞお任せくださいませ」
我がヴァルグリーフ家は位上は伯爵だが、防衛の要として公爵や侯爵級の発言権を持つ。
入学した私は年上も含めた軍拡派を統率していくことになった。
「幼い頃に一度お会いしましたわね、ヴァルグリーフ辺境伯令嬢様。
共に学園が平穏で、過ごしやすい場所になるよう努めてまいりましょうね?」
「ご無沙汰をしております、アーバーグ侯爵令嬢様。
どうか学園の先輩としてご指南くださいますよう」
もう一人の統率者として、一学年上にアーバーグ家のセレスティナ様を紹介された。
宮廷魔術師の家系に生まれ、自身も卓越した魔法の才を持つと同時に神殿の『聖女』でもある才媛。
美しさとその才を誇るような堂々とした佇まいに憧れを覚える。
──抑えるべき神殿へ、寄進を餌として楔を打ち込むとはアーバーグ家も抜け目がない。
セレスティナ様の率いるのは主に派閥内の穏健な者だが、彼女の意向次第でそれが過激な尖兵に化けると思うと寒気がする。
剣を振るえる時間はさらに減り、稽古の際は人目を気にして別邸に戻らなければいけない生活。
剣と稽古着を扇子とドレスに変えて私は必死に派閥をまとめ上げた。
遠距離から、弓矢よりも大きな威力を挙げる魔法の力は絶対に必要だ。
聖職者の奇跡は瘴気を払い傷を癒やすと言っても効率が悪い。
この先、魔法の力をより重視していかなくては先細りになる。
私もそれに異論はなかったし、騎士たちに守られながら治療だけすればいい聖職者たちより、共に戦ってくれる魔法使いのほうが好ましいと思っていた。
アヴィナ・フェニリードが『大聖女』に就任したのはそんな時だった。
存在しなかったはずの公爵令嬢が存在しなかった位に君臨したのだから寝耳に水だ。
『瑠璃宮』の最年少娼姫が奇跡を行使し、多くの家が身請けに動いたことは知っていたが。
なにをどうやったら公爵家の養女入りと大聖女就任を同時に成せるのか。
公爵家の謀?
けれど、あの家はかなり穏健な立ち位置だったはず。
保守派の勢力を強引に伸ばすような真似をしてくるものだろうか。
調査してみた結果、アヴィナは元平民の孤児だった。
存在が知られていなくて当然、突然現れた強敵に派閥内は騒然となった。
時を同じくして都に父が訪れ、私にこう告げた。
「お前はウィルフレッド第三王子殿下の婚約者候補となった」
保守派唯一の王子。
「私が、殿下の婚約者候補に?」
「そうだ。ウィルフレッド殿下を射止め、戦の重要性を教育せよ。そうすれば我らは安泰となる」
万が一、ウィルフレッド殿下が王位を継承したとしても軍拡派の影響力を強められる。
「保守派の連中は我々のような『戦う者』の事情がわかっておらん。そうだろう、フラウ」
「……そうですね、お父様」
責任の重みも知らない平民、貴い血を持たない孤児、最高級娼館に拾われ公爵家に目を付けられた幸運の持ち主。
そんな少女に私たちの気持ちがわかるわけがない。
もし、彼女が邪魔をするというのなら、
「必要であれば、敵を叩き潰すまで」
「そうだ。敵を排除するのは仕方のないことだ、フラウ」
数か月後、私は学園でアヴィナ・フェニリードと出会い、そして同じウィルフレッド殿下の婚約者候補となった。
そこで知ったアヴィナ──アヴィナ様の素顔は、スラムでその日食べる物にも困り、草のにおいを知ることもできず、剣を振るった経験を持ち、痛みに強く、人に癒しを施すことに躊躇のない、あらゆる面が普通の令嬢とは異なる、不思議な少女だった。