婚活令嬢 アヴィナ・フェニリード -1-
伯爵父娘の処遇が決定してから約二週間後。
フェニリード家の屋敷に、王家の紋章入りの馬車が停車した。
降り立ったのは第三王子──ウィルフレッド。
「ようこそお越しくださいました、ウィルフレッドさま」
「うん。会いたかった、アヴィナ」
小さく笑った彼は、寂しそうに目を細めて、
「でも、もう君とは婚約者じゃないんだな」
国王の承認をもって、俺は正式に婚約者候補の座から外された。
通達は城の人間から行われ、俺が直接挨拶に行くことはなかった。
これ以上、情が移らないようにという配慮だ。
承認された理由は表向き二つ。
俺を狙った騒動にウィルフレッドが巻き込まれないようにするため。
それから、強硬な保守派の一部から「やはり養女では駄目だ」と声が上がったため。
軍拡派の勢いが減じた今こそ保守派の勢力を盤石にすべきと考える者がいたのだ。
王家の血に平民の血が混じることを危惧した者もいたかもしれない。
「……そうですね。でも、お友達としてであればこうしてお会いできます」
フラウ・ヴァルグリーフもまた自ら婚約者候補から外れることを願い出た。
伯爵令嬢への指示が疑われる中、強気な姿勢を取るのは悪手と考えたらしい。
──これにより、ウィルフレッドの婚約者選定は一からやり直しとなった。
「友達か。それも良いかもしれないな」
微笑む王子に、俺の腕の中にいるスノウがみゅみゅ! と同意する。
と、庭にいたうさぎたちがみゅ? みゅみゅ、みゅー、と集まってくる。
若干王子を遠巻きにしたり、俺の後ろから窺ってみたりする様子が可愛らしい。
「やっぱり、ウィルフレッドさまはこの子たちに好かれていますね」
「ええと、これは好かれているのか?」
「もちろんです。嫌いな方であればこの子たちは逃げ出しますもの」
血筋が影響するというのなら、王子にはフェニリードの血もうっすら入っているはず。
それでこれなのだから、初手で歓迎された俺は破格の待遇である。
「アヴィナは、本当はフェニリード家の血縁なのではないか?」
「絶対にないとは申し上げられませんけれど……」
転生特典のことを考えても「まあ、無いんじゃね?」とは思う。
ともあれ、俺の話は今回の来訪にあまり関係がない。
屋敷の扉を開き、ゆっくりと歩いてきた少女こそが今回の主役だ。
「お初にお目にかかります、殿下。私は、フェニリード公爵の次女──」
一生懸命覚えた挨拶を懸命に口にしたのは、公爵の二人目の子供にして俺の義妹。
養女ではなく実子ならば、公爵の手柄を取り上げるのも、と、新たに選定されたのは、彼女だった。
「ああ。どうか、よろしく頼む」
同世代の少女の素直な様子に、ウィルフレッドも口元をほころばせた。
この様子なら二人とも、うまいことやっていけるのではないだろうか。
◇ ◇ ◇
一方、俺はようやく、以前出会った宮廷魔術師と面会を果たすことができた。
「フェニリード公爵令嬢様が私のような若輩にお声がけくださるとは光栄の至りにございます」
「おやめください。わたしは、あの時共に奮闘した方にお礼が言いたかっただけなのです」
面会のために用意された部屋には当然、城の侍女や騎士も控えている。
彼としても下手な態度は取れないのだろうが、それでも「そう言っていただけると助かります」とだいぶ作法を崩してくれた。
「ですが、本当にそれだけが目的ではないのでしょう?」
「はい。こちらを姉より預かっております」
手紙と、それから小さな包み。
どちらも前もって検品は受けている。
受け取った彼は包みのほうを確認してから「これは!」と目を輝かせた。
「腹にいる赤子の男女を判別する魔導具ですか。これは高く売れ……いえ、もしや新型なのでは? 性能を確かめてみたいところですが、そうそう実験対象が──」
こほん。
エレナのわざとらしい咳払いで彼は我に返り、慌てて手紙を見る。
そうして、すっ、と真顔に戻った。
「……やはり、なにかあると思いましたが、そういうことですか?」
「いかがでしょう? わたしのお願い、聞いていただけますか?」
仮面越しに両者の視線が交わり……宮廷魔術師の男は、ふう、と息を吐いた。
「もちろんです。念のため、あの方の予定は確認してありますので」
「ご配慮いただき誠にありがとうございます」
男が「参りましょうか」と動き出しても侍女たちは慌てずそれに対応してくれた。
ひょっとしてそこまで読まれていたのか……?
舌を巻きつつ向かった先は、宮廷魔術師の本拠である『黒の塔』の最上階。
「このようなところに……」
「このようなところだからこそ、なのです。ここに手を出すような輩はそうおりませんし」
階段の上る靴音がこつこつと響く中、
「深く魔法研究に没頭するような輩は、怪しげだと忌避されやすいのですから」
行き当たった扉を男がノックすれば──返事はなかった。
再度ノック。三度目のノック。
『うるさい。用があるならさっさと入ってくればいいだろう』
宮廷魔術師の男は「これだよ」という顔をで俺を振り返った。
「ご令嬢のように愛想のいい方なら良かったんですが……まあ、ご勘弁を。これでも王弟殿下です」
彼が無造作に手をかければ、扉に鍵はかかっていなかった。
あるいは、許可された人間以外には開けないようになっているのか。
開かれた先には本と薬と、なんだろう、鉱物のにおい?
部屋は、典型的な研究室だった。
書棚に薬棚に素材棚、テーブルにも本や材料が雑多に散らばっており、整理整頓という言葉からは縁遠い。
室内には人物が二人。
燕尾服に身を包んだ若い執事と、それから、
「人を連れてくるとは聞いていなかったが?」
クリアでありながら、どこか独特の響きのある声に俺はぞくりとした。
聞き覚えがある。
他の誰でもない、そう、俺自身の『仮面を通した声』によく似ている。
「面白い人物が現れたって話はしたでしょう? 察していただけると助かるのですが」
「女を連れてくるな、と、あれほど言っているだろうに」
フードの付いた灰色のコート。
白衣の代わりと思われるそれをしっかりと装備した彼は、仮面を着けていた。
思わず俺は自らの着けている仮面に手を触れてしまう。
色、質感、デザイン、どれも、俺が養父から贈られたそれを思わせる。
目や口さえも隠れているのに不自由していない様は、まさしく。
「でも、面白い女性には間違いないでしょう? なにしろあなたの同類だ」
この国における魔法研究の総本山『黒の塔』のてっぺんに居を構える一番下の王弟。
彼はがらんどうの仮面の奥からじっと俺を見据えると、
「神の愛し子か。……何の用だ、アヴィナ・フェニリード」
さすがに俺のことは知っているか。
人目を避けて隠遁しているらしいかの王弟殿下を前に、俺は恭しくスカートを摘まんで、
「ご提案をお持ちいたしました、王弟殿下」
「提案?」
「はい。どうか、わたしと婚約していただけないでしょうか?」
後に本人から聞いたところによると、彼はこの時「この子は馬鹿なのか?」と思ったそうである。
ともあれ、これが俺と、美貌の王弟殿下との最初の出会いだった。
果たして彼は、ありのままの俺を受け入れてくれるだろうか。