公爵令嬢アヴィナ・フェニリード -8-
……それにしても、すっかり遅くなってしまった。
なんだかんだとあれこれ話し込んだからだ。
女主人はここ幸いと情報を得ようとしてきたし、ヴィオレも「せっかくだから仕事終わりまで残ったら?」とか言ってきた。
けれど平日だし、下手したら仕事終わり=翌朝である。
みんなに会いたいのはやまやまだが、よろしく伝えて欲しいと頼んで『瑠璃宮』を後にする。
お土産は『聖水』。
急なことで贈答品がなかったので、代わりに浄化効果のある水をワインの空き瓶にいくつか詰めてきた。
消毒にも瘴気対策にも使えるポーションのようなもので、神殿でも少数生産されている品だ。
「アヴィナ様。あまり『瑠璃宮』の女主人を信用しすぎないようお気をつけください」
馬車が走り出すと、エレナが防音機能をオンにしつつそんなことを言ってくる。
「利害が必ずしも一致するとは限りません。こちらの情報が外部に売られる可能性もあります」
「そうね。でも、わたしはあの方を信用しているわ」
この返答にメアリィが軽く首を傾げて、
「アヴィナ様の育ての親だから、ですか?」
「それもあるけれど、わたしたちは一蓮托生だもの。
売った情報によってわたしが害されれば、公爵家が『瑠璃宮』を潰すかもしれないでしょう?」
「……なるほど」
もちろん、彼女たちを相手にそんな考え方はしたくないが。
「それに、こちらにも利のある取り引きだわ。交換に貴重な情報を得られたもの」
「最高級娼館の主を情報屋として使うとは、さすがはアヴィナ様です!」
手放しで褒めてくるメアリィには微笑を返しておく。
「お養父さまに許可をいただいたら、件の宮廷魔術師さまに面会依頼をしないとね」
上手く行けば状況を動かすことができるだろう。
それにしても、さすがに眠い。
「お屋敷まで少し休まれますか?」
「……そうしたいところだけれど、夜だものね。念のため警戒しておかないと」
夜でも馬車の走行はそう珍しくないが、まあ前世で言う救急車くらいの頻度だ。
車輪と蹄の音が響くくらいには人気が減る。
「公爵家の紋章入りの馬車を都の中で襲うなど、正気の沙汰とも思えませんが」
「比較的警戒の薄くなる瞬間ではあるはずよ。本気でわたしを害したいのならば──」
馬のいななき、そこからの急停車。
普段は温厚な御者の怒鳴り声が響き、エレナたちが表情を引き締める。
……まさか、本当に来たのか?
メアリィの差し出した仮面を素早く身に着け、ヴェールをさっと取り払う。
「アヴィナ様、魔導具は身に着けていらっしゃいますか?」
「勝手に外したりはしていないわ。……魔力は大丈夫かしら?」
「念のために補充しておきましょう」
俺の四本の腕と足には魔導具の装飾品がそれぞれ装着されている。
衝撃、刃物、炎、冷気、毒などおよそ考えられる範囲すべてに耐性が施されており、おかげで多少の攻撃で死ぬことはない、らしい。
自分の身で試すわけにもいかないのでまだお世話になったことはないが、
「……動きませんね?」
二人のメイドが二つずつ魔導具に魔力供給してもなお特に攻撃は来なかった。
防音の結界を解除。
「サラ、なにが起こったのですか!?」
御者に同乗する護衛兵へ、エレナが伝声の魔導具で声をかける。
「スラムの子供です。アヴィナ様にお目通りしたいと暴れているのですが、いかがなさいますか?」
「スラムの……子供?」
俺は悩んだ末、拘束して屋敷まで連れて行くことにした。
◇ ◇ ◇
連れて行くと言っても、馬鹿正直に屋敷の奥まで連れて行くことはない。
メインの屋敷以外に私兵の詰め所があるのでそちらを使うことになった。
俺付きの護衛が多い私兵のサラは目隠し+猿ぐつわ+手足拘束状態の少年を抱えながら、
「危険物の所持はございません」
「ありがとう、サラ。……メアリィ、お養父さまかお養母さまに言伝を」
「かしこまりました」
複数の兵に囲まれ、椅子に縛り付けられた状態でようやく口を自由にされる少年。
見たところ八歳か九歳と言ったところか。
身なりは薄汚れており、ウィルフレッドとは似ても似つかない。
「くそっ! なんだよ、俺は敵じゃねえって言ってるだろ!」
「それはこちらが判断する」
「いいからあの綺麗な……アヴィナ様? を出せよ! 大変なんだ!」
部屋には一部にガラスが張られ、隣の部屋から様子が覗けるようになっている。
言ってしまえば取調室だ。
俺がいるのはその隣室。
兵がこちらをちらりと見てから、少年の正面にある机に魔導具を設置。
『こんばんは。あなたの名前はなんというのかしら?』
「っ! あ、アヴィナ様か!?」
『ええ。悪いけれど、声だけで失礼させてちょうだいね?』
対になった魔導具に声を吹き込むことで隣室の魔導具から声が響く。
馬車に取り付けられていたものと原理は同じだ。
厳重すぎるとは思うが、声の方向から位置関係を悟らせないための備えだ。
魔法使いがいる世界なのでこういうのも必要。
「……俺は、ヨハン。あんたが飯配ってるところ何度か見たことあって! あんたがアヴィナ・フェニリードだろ!?」
『確かにわたしがアヴィナ・フェニリードです。それで、大変とは?』
ヨハン少年はぶるっと震えて「そうだ!」と口を開く。
「あんた、狙われてるんだ! スラムの奴らに手あたり次第、アヴィナ・フェニリードを害すれば金をやる──って声かけてる奴がいて!」
「なんだと……!?」
「お前もそれを引き受けたんじゃないだろうな!?」
「そんなことするかよ! アヴィナ様がいなくなったら飯もらえる回数が減るかもしれないだろ! スラムだって、前よりずっと綺麗になったし」
それは確かに切実だ。彼らにとっては死活問題。
だけど、
『引き受けた人間もいるのかしら?』
「ああ。……後をつけたわけじゃないから、人数はわからないけど。
そいつ、話を聞いただけで銀貨をくれたんだ! 成功すれば金貨をたくさんやるって!」
定期的な施しよりも一度の現金、と考える者もいる。
金があれば環境を整えてスラムを出られるかもしれないのだから、それを責めることはできない。
俺は、ふむ、と思案しつつマイク──もとい魔導具に手を被せた。
「お養父さまへ早急に報告を。……それから、あの子を裸に剥いてくれるかしら?」
「え?」
メアリィが目を丸くしたが、いや、露出関連じゃないから。
「隅々まで身体を調べて欲しいの。それから、問題なければお風呂に入れてあげて」
◇ ◇ ◇
ヨハン少年は全身洗われ、つぎあてのない服を着せられてずいぶんさっぱりした。
検査の結果、魔力は「5」だったので目隠しももうされていない。
念のために両手はしっかり拘束されているものの、二本の足で立ったまま当主夫妻+俺の前に出された。
もちろん、周りには護衛と使用人ががっちがち。
過激なことを言うスラムの子供に過ぎない彼を心配している者はおらず、
「少しでも怪しい動きをしたら命はないものと思え」
「ひっ」
可哀そうなくらいにがくがく震えてしまった。
「大人しくしていれば良いのです。……お養父さま? 証言が有用ならばお礼もできるでしょう?」
「ああ、もちろん。危険を顧みず当家の危機に尽力してくれたわけだからね」
ちなみに、貴族にしてはかなり鷹揚な養父も片手を持ち上げただけでヨハンを焼き殺すくらいは簡単──かつ、特に躊躇しないはずである。
その返答で少しほっとしたらしいヨハンはおずおずと口を開いて、
「それで、その、変なの顔につけてるのがアヴィナ様でいいんだよな……?」
変なのとか言うな。