元『瑠璃宮』の娼姫 アヴィナ
放課後になってすぐ家に戻ってスノウを回収、ウィルフレッドに会って。
終わってみるとだいぶ良い感じの時間だった。
家に帰れば夕食にありつけそうだが……せっかくなので『瑠璃宮』に寄ってみることに。
先触れは出したとはいえ急な訪問だったが、幸い、女主人とヴィオレが空いていた。
「久しぶりね、アヴィナ。……その仮面、面倒だからさっさと外しなさい」
「姉さま。いきなりそれはひどいのではありませんか?」
文句を言いつつも素顔を晒すと、姉はほっとしたように息を吐いた。
「本当に、憎たらしいくらいの美しさね」
「皆さま、姉さまくらい雑に扱ってくださるとこちらも楽なのですけれど」
主人の部屋に通された俺は懐かしい雰囲気に安堵しつつ、姉たちと向かい合って座る。
エレナとメアリィも「意外と普通なのでは?」という顔で部屋を見渡していた。
見習い娼姫によってグラスにワインが注がれて、
「あの、わたしまだお酒は」
「あら、飲まないの? 弱いと侮られることもあると思うけれど」
「……そういうのもあるのですね」
この国では明確な飲酒制限は行われていない。
ここより前にいた娼館では見習いに無理に飲ませて遊ぶ娼婦もいたくらいだ。
公爵家のメイドたちも澄ました顔のままなにも言ってこない。
飲みすぎなければ自己判断でOK、か。
「では、お言葉に甘えて」
「ふふっ。こうやって杯を合わせるのが楽しみだったの」
初めての飲酒がワインというのもなかなかだが。
さすが『瑠璃宮』、濃い赤色の液体を少し唇から流し込むと──その芳醇な味わいに心が躍った。
こんな高級品、前世でも飲んだことがない。
毒見をしたメアリィでさえ「もっと飲みたい」という顔をしている。
「アヴィナ、あなたけっこういける口ね」
「酒がいいのだと思います。飲んでみるとよくわかりますが、これはとても良い品ですね」
「もちろん。瓶に防腐の魔法が仕込まれた一級品だもの」
酸化防止剤不使用のくせに劣化しづらい夢の品か。
口当たりもいいのですいすい進んでしまうだが、身体はしっかり温まりつつある。
グラスを干すのを先送りにして、つまみのチーズを口にした。
女主人がさりげなくそれを採点しながら「心得は忘れていないようね」と微笑む。
「本当、あなたに引き継げればなんの心配もなかったのだけれど」
「公爵家を追い出された時のために席を空けておいていただけませんか、お母様?」
「あいにくだけれど、もうヴィオレに教育を始めているの」
「まったく、いい迷惑よ。私は経営とか興味ないっていうのに」
「なら、見習いから見込みのある子を見繕って、早く後を継がせることね」
なるほど、『瑠璃宮』でもいろいろあるようだ。
いなかった間の出来事が目に浮かぶようで、俺はくすりと笑みを浮かべた。
「アヴィナ様が自然体でいられるなんて……『瑠璃宮』の名は伊達ではないのですね」
「メアリィ、失礼でしょう」
「構いません。我々は娼婦であって貴族ではないのですから」
下手したら公爵家クラスにも影響力を持つ女主人はそう言ってにっこりを微笑む。
「……貴族といえばヴィオレ姉さま、本名はもう少し長かったのですね」
「なに。そんなこと誰から聞いたの? 相手によっては──」
「第四王女のルクレツィア殿下です。王族なら情報網もお持ちでしょう?」
妙にイラっとした様子のヴィオレも「王族なら仕方ないわね」とため息をついた。
「姉さまを追い落とした宮廷魔術師というのも軍拡派だったのでしょうか」
「アヴィナ。王子殿下の婚約者候補だからって調子に乗っているでしょう? いじめてあげるから逃げるんじゃないわよ」
「申し訳ありません、謝りますのでお止めください」
仕方なさそうに、ヴィオレは椅子に座り直して。
濃い紫の瞳が俺を射抜く。
「それで? 用件はそんなくだらないことを聞くためなの?」
「いえ。合法的に婚約者候補から外れられないかと思いまして」
「……それは、公爵家の合意の上の話なのかしら」
エレナは澄ました顔で「公爵様はアヴィナ様に判断を一任されております」と答えた。
「家の繁栄を考えるのであれば是非、王族と縁づいていただきたいのですが」
「エレナがそんなこと言うなんて珍しいわね?」
「公的な場ではございませんので、少し羽目を外しても構わないかと」
女主人はこれにくすりと笑った。
「どうして、王子殿下と結婚したくないの?」
「お母さま方は自らが王族の立場だとして、わたしが正妃さまの男子年下を美貌で篭絡、派手な装いで好き放題にしたらどうなさいますか?」
「処刑」
「暗殺」
「そういうことです」
というか率直すぎて怖い。
「まあ、ね。気持ちはわからなくもないけれど。選ぶのは殿下であり陛下なのだから、逃れるのは難しいんじゃないかしら」
「やっぱりそうですよね?」
「下手に粗相をすれば処罰されかねないでしょうね。となると、ある程度並び立てる相手から求婚を受けるか、政治的に悪手と判断されるか……」
「殿下と並び立てる相手というと、難しいですね」
第一王子と第二王子には既に婚約者がいる。
第三王子の婚約者候補になった時点で、公爵家クラスの男がわざわざ手を出してくるとも思えないし……。
そこで俺はとあることを思い出す。
「お二人はご存じでしょうか? 以前、殿下から『叔父上』という呼称を耳にしまして。
口ぶりからして見目の整った方のようなのですが」
「ああ、末の王弟殿下ね」
ヴィオレは言って、くいっとグラスを空にした。
すぐさまお代わりが注がれる。
いや、こんな生活してたらここを出たくないのもわかるな。
「あんまり広める話でもないから、外ではなるべく口にするんじゃないわよ?」
「一般には秘密にされている方なのですか?」
「公然の秘密、ってところね。公の場でなければ話題に出ることもあるかもね」
元宮廷魔術師だという姉は目を細めて、
「魔性の美貌を持った仮面の王弟殿下」
「……仮面ですか?」
「どこかに似たような公爵令嬢がいたわね。ま、向こうはあなたと違ってめったに表に出てこないけど」
「なにか瑕疵があるのですか?」
俺も合間にちびちびとワインを舐める。
適度な酒は話を進みやすくするものだ。
「瑕疵というか、単純に若いのよ。たしか今年で22歳」
「陛下とはだいぶ歳が離れていらっしゃいますね?」
「男は種を吐き出すだけだから、かなり歳を喰っても子供を作れるでしょう」
吐き出す相手がいればな!
「絶世の美形なのに未だ未婚、これだけで女がいくらでも寄ってくるでしょ」
「しかも王族ですものね」
「表に出て来ると政治的にもややこしいからって『塔』にこもっているのよ。
黄色い声を上げられるのにもううんざりっていうのもあるだろうけど」
顔を隠さないといけないほどの美貌の王弟。
……ちょっと、いやかなり親近感が湧く。
ついでにこれ以上ないくらいの優良物件だ。
話題性はありつつも、三人の王子を脅かすほどの有力者ではない。
女嫌いなら適度な距離感で付き合えそうな気がするし。
自分の顔で慣れてるなら、俺の顔を見ても平気なんじゃないか?
「あの、その方にお会いすることはできないのでしょうか」
「アヴィナ様、まさか王弟殿下に乗り換えるおつもりですか?」
「今はまだそこまで言わないわ。ただ、興味が出てきただけ」
「そうね。……もしかしたら、あなたならお似合いかも」
『塔』のある方向か、どこか遠くをヴィオレは見つめて。
「話をするくらいならなんとかなるわ。
前に兵士の治療の時に会った宮廷魔術師がいるでしょう? あれに手紙を書いてあげる」
「その方から紹介していただくのですね?」
「そういうこと。どうする? 本当に会ってみたい?」
どこか期待するような視線が俺に投げかけられた。
正解がどちらなのか俺にはわからないが──。
「お願いします、姉さま。わたし、その方に会ってみたいです」
「わかったわ。ちょっと待っていなさい」
ヴィオレはさっと手紙を書き上げてくれた。
手土産と一緒に持って行けば無下にはされないだろうとのこと。
「ありがとうございます、姉さま」
「いいわよ。その代わり、また酒でも送りなさい」
さて、念のため養父にも了解を取っておくべきか。
別にやましいことをする気はないが、若い令嬢が男に会いにいくわけだからな。