『瑠璃宮』の娼姫見習い アヴィナ -1-
男爵家よりよっぽど上等な馬車で『瑠璃宮』に到着。
前の娼館から出た時に見た、あのお屋敷のような建物。
ぶっちゃけ男爵家の別邸よりも敷地が広く、娼館だ、と言われてもおそらく簡単には信じられない。
「ようこそ、アヴィナ。ここが新しいあなたの家よ」
都一番の娼館を切り盛りする女主人は、三十歳くらいに見える美女だった。
柔らかな笑み、上品な物腰。
けれど、瞳の奥には抜け目なく俺を観察する冷静さがある。
今まで出会った『女』とは格が違うとすぐに悟った。
立ちすくむ俺を見て、彼女はうっすらと唇を歪めて。
「……想像以上ね。男爵家の話に乗って正解だったわ」
「あの。どうして、わたしのことを?」
「何年か前、とある娼館が幼すぎる少女を買ったと噂を聞いたわ。それからしばらくして、その娼館に『将来が楽しみな見習いがいる』と噂が立った。さらにしばらくしてその噂を聞かなくなり、とある貴族が子供を買ったと情報が入った」
すらすらと語られた内容に、俺は舌を巻いた。
段違いの情報収集能力と、その活用法。
俺に会わずして「買っておくべき商品」と判断して好機に動いた。
「あなたを買うのにけっこうな額を支払ったわ。……もっとも、私は一年もせず回収できると思っているけれど」
膝を折り、目線を合わせてまで俺の頬を撫でてくる彼女。
見るからに高そうなドレスが床を撫でるが──その程度、気にならない程に稼いでいるのか。
優しいけれど艶めかしい手つきに、前世の感覚がぞくりと官能を覚えた。
「今のわたしに、客を取るのは無理があるかと」
「そうね。今は、まだ」
その口ぶりは「一年以内に客を取れるようになる」と確信しているかのようだった。
都一番の高級娼館で、こんな子供が?
「この『瑠璃宮』は都一、いいえ、この国で一番の娼館よ。娼婦たちは顧客から敬意を籠めて『娼姫』と呼ばれているわ」
「娼姫……」
「うちの子たちは身体を安売りしたりしない。むしろ最大限に勿体つけて、高値で売る。高級娼婦は身体を売る職業じゃない。知性も、教養も、美貌も、すべてを使って男を篭絡し、魅了し、虜にする職業」
俺の前いた娼館は中堅といったところ。
決して安くはないが、平民でも通えない料金設定ではない。
娼婦たちはなかなかの粒ぞろいなので下位の貴族も出入りすることがある。
けれど、最高級のこことはレベルが違う。
「あなたは金の卵よ、アヴィナ」
女主人の言葉が、魔法のように俺の心に染み込む。
「教えてあげる。男を篭絡する方法を。女を味方につける方法を。女同士の化かし合いを勝ち抜く方法を。……そうすれば、あなたは今回のように『負け』なくて済むわ」
「負け、ですか」
「そうでしょう? あなたには力がなかった。だから負けて、居場所を追われた。あなたに抗う力があれば、追われるのは相手のほうだったかもしれない」
それは、高級娼婦という、ある意味では超一流の女の持つ処世術。
「この世は食いあいよ。生きるためには情けを捨てることも必要。同時に、抱えるべき味方はなにがあっても守るべき」
「難しいですね」
小学生相当の子供に言う言葉か?
暗にそう告げると、彼女は「あなたならわかるでしょう?」と当然のように囁いて。
「覚えなさい、女の生き方を。そして強くなりなさい。もっと、もっと。どこまでも」
俺は。
今世における俺──アヴィナは、そんな女主人の言葉に強く惹かれた。
他者の領域を犯した俺が放逐されたのは理屈としては納得している。
けれど、悔しくないと言えば嘘になる。
負かされた二度の経験を思い出して前を向く。
強くなるために必要だというのなら。
俺にそれができると言うのなら、もっと『強い女』になってやろうじゃないか。
目的のためにも強さはいるのだ。
もともと俺は娼婦の子だ。
男を弄ぶことには、きっと向いている。
差し伸べられた手を取ると、女主人は満足そうに微笑んだ。
「『瑠璃宮』へようこそ、アヴィナ」
そうして、もしかすると俺の生涯で最も濃密で──俺に最も多くのことを教えてくれた人たちとの共同生活が始まった。
◇ ◇ ◇
『瑠璃宮』の中には豪奢かつ煌びやかな空間が広がっていた。
玄関ホールは広く、天井が高いつくり。
まるきり貴族の邸宅といった感じで、奥にいったいいくつの部屋が存在するのか見当もつかない。
また、空気が異様に澄んでいる。
たばこや香のにおいがしない、どころの話じゃない。
緑の多い森の空気から土や植物のにおいを消し去ったような──清らかで純粋な空気が漂っている。
「うちは積極的に魔導具を利用しているの。館内にはいくつも空気を綺麗にする魔導具が備わっているわ」
魔導具。つまりはマジックアイテム。
男爵家の別邸にも要所に配置されていたが、ここではより惜しげもなく配置されている。
館の内外には多くの警備兵がいて、身なりの整った下働きの少女たちが忙しくも淑やかに館の中を動き回っている。
すごい。
すごい、としか言いようがない。
感嘆しながら女主人の後を追っていくと、次第に館の雰囲気が変わり始めた。
具体的には豪華絢爛な雰囲気が徐々に減ってきたのだ。
客を迎えるためのスペースを抜けたのだと直感的に理解する。
そうして、食堂のような広い部屋に入ると、
「いらっしゃい、私たちの小さな妹」
「仲良くしてちょうだいね。私たちはみんな仲間なのだから」
『瑠璃宮』に勤める──都で最上級の娼婦たちが、昼間だというのに出迎えてくれた。
美しい。
対面しただけでわかる。
彼女たちは圧倒的に美しく、教養に溢れ、そして人格的にも優れている。
持っている者の余裕、というのもあるのだろうが、俺はその歓迎ぶりに放心して動けなくなってしまった。
いやいや、どうせ少ししたら厄介者扱いされるんだろ?
そんなことを思ってしまったりもしたものの、彼女たちはそんな俺に苦笑して、
「私たちは妹をいじめたりはしないわ」
「『瑠璃宮』の娼婦には矜持がある。妹一人にお客様をすべて奪われるような実力もしていないわ。そこらの娼婦と一緒にしないでね?」
それでようやく、俺は我に返って頭を下げた。
「は、はいっ! よろしくお願いしますっ、お姉さまっ!」
館には、個性豊かな娼婦たちが働いていた。
彼女たちは自分で言った通り、俺に対して嫉妬の炎を燃え上がらせることなく──もしかしたら内心では燃えていたかもしれないが、それを表に出すことなく、あれこれと世話を焼いてくれた。
もちろん女主人も積極的に、俺が娼婦として働けるように指導してくれて。
「前にも言った通り、ここでは客に抱かれることが正解とは限らない。つまり、幼いあなたでも客を取れる。幼いなら幼いなりに客を満足させられるようになればいいということ」
『瑠璃宮』は、もしかすると俺に最も合った居場所だったかもしれない。
娼婦、いや娼姫たちは毎日好きなだけ食べ、酒を飲み、花びらを散らした風呂に入ることができる。
部屋はそれぞれに広い一人部屋が支給。
それぞれに専属の、メイドのような立場の下働きがつくし、固定客がつくようになれば贈り物が山と積まれることも珍しくない。
教養を身に着けるために教師がつくのも当たり前。
服や下着は上等なものが支給され、好きなように使うことができる。
俺にも可愛いドレスに『いやらしい衣装』がたっぷりと与えられた。
研修期間の終わらないうちから、しかも、まだまだ幼さの残る年齢だというのに、だ。
ここでは有望だと判断されれば年齢に関係なくプロとして扱われる。
娼婦である以上、子供だからと変に保護されることもない。
着たければ、えっちな衣装を着てもいい。
結果を出しさえすれば文句を言われることはなく、それで売れっ子になればむしろ実績として参考にされる側になる。
「……ああ! えっちな衣装を着ても咎められないなんて!」
食卓に下着姿で出ていっても「はしたない」と頭ごなしに怒られない。
「人に見せるならもっといい下着を穿きなさい」
怒り方がおかしいが、これが『瑠璃宮』流。
他の人間はともかく俺にはめちゃくちゃ合っている。
正直、めちゃくちゃやる気が出た。
早く一人前になりたい一心で頑張った結果、俺は約半年で女主人のお墨付きをもらい、一人の娼婦として店に出られるようになった。