学園の新入生アヴィナ -5-
実を言うとダンスはそれほど得意じゃない。
『瑠璃宮』時代も踊る機会はそれほど多くはなかった。
歌の好きな姉や楽器の好きな姉がノりだすと、踊り好きの姉から「ほらほら」と誘われる程度。
けれど、義兄は俺に気を遣いつつエスコートしてくれた。
「お義兄さま、慣れていらっしゃいますね?」
「学園にいれば、アヴィナもそのうち慣れるよ」
別に女の子と遊びまくっているわけではない、ということか。
公爵家の両親は自分たちが恋愛結婚のせいか、子供たちには無理に相手を作らない方針。
養子である俺だって王子の婚約者「候補」止まりなわけで。
「それにしても、目のやり場に困る格好だね」
「あら、お義兄さまでも気になりますか?」
「可愛い妹が衆目に晒されれば心配にもなるよ」
本当、フェニリード家の面々は人間ができている。
家への忠誠は本物であるメアリィが俺の顔を見た途端狂信者に化けたように、俺の容姿は既に洗脳兵器も同然だ。
いくら素顔をまるまる晒していないとはいえ、きちんと体裁を整えてくれているのだから素晴らしい。
「ですが、趣味ばかりはどうしようもありません」
と、義兄はふっと笑って、
「そうだね。普段はなるべく我慢しているみたいだし」
曲が終わると、兄は「踊ってくれてありがとう」と俺の手の甲に口づけした。
両親譲りの美貌のせいか、見ていた令嬢からきゃあ、と黄色い声が上がる。
相手が仮面の義妹でなければなお映えただろうに。
「終わったか? なら、次は俺と踊ってもらおうか」
「殿下。セレスティナ様とは踊られなかったのですか?」
「踊ったさ。あれと技術を競うのも楽しいが、初めての者を相手にする方が興が乗るだろう?」
若干言い方がエロいな。
やってきたのは例によって第一王子。
次期王位継承者の申し出は基本、断るものではないので、俺は「光栄でございます」とその手を取った。
次の曲は少しスローペース。
早い曲でなくて助かったと思いつつ、王子のステップに必死に合わせる。
「神の愛し子だからか? 思ったよりも初心なのだな」
「殿方に触れることは極力避けておりましたので」
『瑠璃宮』における娼姫は高位の貴族令嬢も同然の扱いを受ける。
当然、手袋越しでもなければ不用意に男に触れることはない。
身体の出来上がっていない子供のうちなら猶更だ。
「弟との仲はどうだ?」
「まだ一度お目にかかっただけですので、申し上げられることはそれほどございません。……とてもお優しく、純粋な方だ、と」
「そうだな。あれは少し純粋すぎる。第一王妃殿下に似たのだろうが」
第一王妃は国王の寵愛を受けて妃となった女性だ。
バランスを取るために娶られた第二王妃は、結果だけを見れば十分愛され子も儲けているものの──目の上のたんこぶがいる分、野心的な面が見受けられる。
「殿下は陛下似ですか? それとも、お母さまに似ていらっしゃいますか?」
「顔はどちらかと言えば父上だが、性格は母上に近いとよく言われる」
穏健な第一王妃と対立すること自体が、第二王妃の目的という面もあるか。
両派閥の対立の解消──まで行かずとも、両者を歩み寄らせる方法はないものか。
思案している間に曲が終わり、「お相手ありがとうございました」と一礼する。
「ああ。……その邪魔な仮面を取ればもっと衆目を浴びるだろうに」
「あまり注目されても困ってしまいますので」
「ふむ。どこかの誰かとそんなところまで似ているか。もっとも、お前は意外と出しゃばりだがな」
それにしてもこのパーティ、かなり疲れる。
会話するだけで神経が磨り減るのに、次々相手を探さないといけない。
ぼっちでいるとめちゃくちゃ目立つだろうし。
と、思っていたら何人もの男が「私と踊ってください」「いや俺と」と申し出てきた。
仮面の変な女とよく踊る気になるなこいつら。
なにが狙いなのか、公爵家と縁づくことか、それとも情報収集か。
「アヴィナ様。よろしければ私のお相手をしていただけませんか?」
「フラウ様」
辺境伯令嬢フラウ・ヴァルグリーフの装いは黒のスリムなドレスだった。
黒は男に多い色なんだが、このパーティで纏うとはなかなか思い切っている。
「私が男役をいたします。お互い、意中のお相手がいる身でしょう?」
差し出された手を「では、お言葉に甘えて」と取った。
「ダンス、お上手なのですね」
「身体を動かすのが好きなだけです」
どこか凛々しさもある雰囲気は男装をさせても似合いそうだ。
その場合、ウィルフレッド王子が女装──不敬罪で殺されそうだな。
「アヴィナ様、くれぐれもお気をつけください」
お互いの顔が近づいたところでそっと囁かれる。
「あなたの顔に泥を塗ろうとする輩がおそらく複数、機を窺っております」
「────」
俺はなにも答えず、フラウの翠緑の瞳を見つめた。
──あれか、よくある嫌がらせか。
三曲目の後、俺はそっとダンスの輪を抜け出した。
ホールの中央を離れると飲食や歓談が行えるスペースがある。
エレナたちに頼んで軽いものを見繕ってもらい、果汁で風味付けした水を口にする。
ストローを使えば仮面を少し外すだけでいい。
「フェニリード公爵令嬢。お話をさせていただいても?」
ひと息ついた俺のところに複数名の令嬢が集まってきた。
「そのお召し物について伺いたいのです」
「ええ、もちろん喜んで」
快諾したのは別に、えっちな衣装が布教できるかも! とテンションが上がったせいではない。ないったらない。
尻のラインや足の見え方がポイントで……とか話したらドン引きされた気がするが、決してはしゃいではいない。
ともあれ話はそれなりに弾み(向こうの興味は主に不死鳥の外套だったが)、さらに人が集まってきて。
「きゃあ!」
誰かに押されるように足をつまづかせた令嬢が、こっちに倒れ込んでくる。
咄嗟に割って入ったエレナが令嬢を支え──グラスの割れる大きな音がホール内に響いた。
近くにいた者全員の視線がこっちに集まる。
グラスに入っていた赤ワインがフェニリード家のお仕着せにたっぷりと染み込み、染みを作る。
「申し訳ありません……! 人に押されて、決してわざとでは!」
「アヴィナ様のお召し物が汚れるところだったのですよ! 故意であろうとなかろうと──」
「メアリィ」
声を荒げようとするメイドを制して「お怪我はありませんか?」と令嬢に尋ねた。
「え、ええ。本当に申し訳──」
「いやっ、誰かに押されてっ!」
重なるように悲鳴。柑橘で割った酒が宙を舞い、今度はメアリィが守ってくれる。
同じく、倒れた令嬢は申し訳ないと謝ってくれるが──。
くすくす。
「押されたというフリなのでは?」
「いずれにしても、フェニリード公爵令嬢が恨みを買っているのでしょう」
人が多いうえ、手や扇子で口を隠している者も多い。
音楽が流れていることもあって誰が言ったか特定は難しい。
「フェニリード公爵令嬢。メイドを一度下げたほうがよろしいかと」
心配そうに声をかけられるも──俺は「問題ございません」と答えた。
すぐに察したエレナは淡々と直立、メアリィは逆に得意げにその隣に並び、
「神よ、この者たちの衣から汚れを取り除きたまえ」
アオザイの上から聖印に手を当て、お仕着せを濡らす液体を染みごと除去。
乾燥した状態に戻ってすっきり爽やかである。
「これで衣装替えも染み抜きも必要ないかと」
「……すごい」
ぽかん、と、呆気に取られる一同。
外套を汚されてもダメージはないとも皆に伝わっただろう。
学園の使用人が割れたガラスの掃除に取り掛かり──。
一人がエレナにそっと小さなカードを手渡す。
エレナはそれを一瞥、異常がないか点検したうえで差し出してきた。
『第三休憩室にてお話がございます』
添えて、ルクレツィアのイニシャル。
「皆さま、少々用事ができてしまいました。しばらく席を外させていただきます」
《《胸に手を当てながら》》一礼し、適当なスタッフに案内してもらう。
すると、個室で待っていたのは一名の令嬢。
どこからどう見てもルクレツィアではなく──さらに二人、後を追うようにして入ってくる。
案内してくれたスタッフは何食わぬ顔で扉を閉じ、
「フェニリード公爵令嬢、公の場でそのように顔を隠すのはいかがなものかと」
「私たち、心配なのです。そのようなことでは社交界でやっていけないだろうと」
「どうか考えを改めていただけないでしょうか?」
品の良くない笑みと共に糾弾が始まった。
「心に留めておきましょう」
俺は、さらりとそれらの言葉をかわしていく。
他人の名前を騙って人を呼び出し、攻撃を始める輩に付き合っても仕方ない。
カードに書かれたのが「イニシャル」という時点でわかっていた。
差出人がルクレツィア本人ならフルネームを書けばいい。
そうしなかったのは誤認させつつ後の追及を逃れるため。
しばらく聞き流していると、彼女らはだんだんヒートアップしてきて、
「だから、生意気なのよあなた! 養女のくせに公爵家の一員みたいな顔して!」
「第四王女殿下だけならともかく、殿下やフラウ様まであなたと親しげに──!」
「これは、なんの騒ぎでしょう」
アオザイの上から「聖印に触れて」行使した奇跡が成功していたようだ。
部屋に入ってきたルクレツィアにはふよふよ浮かぶ光の玉が付いている。
役目を終えてふわっと消えたそれは、俺がここへ誘導するために送ったものだ。
ぶっつけなので少し不安だったが、上手くいった。
なお、俺も予想外なことに──険しい顔の王女の後からフラウもやってきて、
「あ、え……!?」
どうしてここが、どうしてあなたが、と令嬢たちは完全に硬直した。