【閑話】奇跡と聖印
俺を中心にスラムの一角へと広がった光が徐々に収まっていく。
浄化の力が及んだ範囲は染みもゴミもなくなってぴかぴか、住人たちも風呂に入り洗いたての服を着たかのようにさっぱりしている。
──スラムを浄化するのもこれで三度目だが。
前回居合わせなかった者も多いのか、驚きの視線がやはり送られてくる。
今回浄化した範囲はスラム全体の三割弱といったところか。
範囲に被りもあるが、あと一、二回行えば全体を綺麗にできそうだ。
『施し』も終わって撤収準備もできたようなので、
「では、戻りましょうか」
神殿の者たちは空の器や大鍋を洗って神殿まで戻さないといけない。
指揮を取るラニスは調理場である孤児院に残るそうなので、俺だけ先に馬車で移動することに。
「本日も素晴らしい奇跡でした、アヴィナ様!」
うっとりした表情で訴えてくるオレンジの髪のメイド──メアリィに「ありがとう」と微笑んでから、
「この聖印のおかげかもしれないわね」
「大聖女就任時に与えられた聖印ですね」
紺の髪のもう一人──エレナは対照的に落ち着いた佇まいのまま俺に相槌を打ってくれる。
「気になっていたのですが、それほど効果に差が出るものなのですか?」
「ええ。聖印ありとなしでは大違いよ。数字にすると、およそ三割かしら」
「……あらゆる魔法の負担を三割減らす道具、と考えても竜貨100枚は納得ですね」
ゲーム風に例えてみよう。
腕の良い巫女、例えばラニスは重傷者を一人治療すると疲れ切って奇跡が使えなくなる。
彼女たちのMPを仮に100とすると、負担を三割減らせれば30のMPが残る。
30あれば他の怪我人を完治させられないまでも、死なない程度の応急処置が可能だろう。
以前の現場で三人を癒やした俺のMPはまあ300として。
消費100の治療を三回施しても90残るので、助けられる人の数が一人増える。
ちなみに普通の聖印でも5%くらいは効率が変わる。
これは統計的に導き出された事実だ。
「この聖印を巫女全員に配れれば人手不足をかなり解消できるでしょうね」
「ですが、とても貴重なものなのでしょう?」
「それはもう、とてもね」
独特の質感を持つ白い石、柔らかに光を反射するとても硬い素材。
『神の石』は奇跡によってしか作り出すことのできない貴重品だ。
「腕の良い巫女が年単位で祈り続けてようやく完成するくらいの品だそうよ」
「当然、その間、巫女は他の仕事が行えないわけですね」
「そういうこと」
毎日疲れ切って祈っても一年以上かかるとか命に関わるレベルだ。
「今の神殿に巫女を縛り付けておく余裕はないわ」
「『神の石』を作り出すための祈りにも聖印の力は借りられるのでしょうか」
「もちろん。ただ、聖女を軟禁し続けるのは猶更ね……」
聖女は名目的に大神官より立場が上なので、要請はできても命令はできない。
今の聖女は(大聖女である俺も含めて)貴族の令嬢だから猶更だ。
◇ ◇ ◇
「この際ですのでお伺いしたいのですが、何故、奇跡には限界があるのでしょう?」
神殿に戻って治療の手伝いを終えた後。
神官長の部屋で休憩がてらお茶を飲んでいると、エレナがそんなことを尋ねてきた。
彼女も全く知らないわけではないだろう。
ただ、詳しく機会というのはなかなかない。
「魔法と異なり魔力を用いているわけではないでしょう?」
「そうね。現に、魔力が平民並のわたしでも奇跡を使えているもの」
頷く俺。続けて神官長が淡々と答えた。
「奇跡によって消耗するのは魔力ではなく体力だ。文字通り身体が疲れるのだよ」
「ああ、それは私も気になってたのよね。結局疲れるなら魔法も奇跡も大して変わらないでしょう?
なんだか『魔法は有限だが奇跡は無限』みたいな言い方される割に大したことないなって」
エレナもメアリィも元々は貴族の令嬢。
貴族はみな魔法の扱い方を学ぶのだから、奇跡のほうがすごいみたいな言われ方は気になるか。
「あ、もちろん、アヴィナ様のお力が素晴らしいのは間違いないのですが!」
「付け加えなくても気にしてないわ。……神官長? そのあたりはどうなのかしら。
わたしは、神のお力を導くために負担が生じると認識しているのだけれど」
「その認識で問題ありません。神のお力を人の身を通して再現するのですから、負担がかかるのは当然。
無限、と言われるのはあくまでも理論上、という事になるでしょう」
実際は用いる者の体力という限界があるわけだ。
「導く結果に関しては実際無限なはずよ。物質の創造だってできるくらいだもの。
想像力次第ではもっといろいろなことに使えるんじゃないかしら」
「聖職者に余力があればそうかもしれませんな。
……実際、太古の時代にはもっと奇跡の力は自由だったとも言われております」
「では、どうして弱体化してしまったのです?」
真面目なエレナの問いかけだが、まずい、聖職者にそんなことを聞いたら。
「それは、人々の信仰心が薄れているからに決まっているだろう。
そもそも太古の昔、人と神は共にあった。
当時の話は神話として語り継がれているというのに、人は感謝の気持ちを風化させ、自分たちの生を当然のもののように考えている。全ては神のおかげであり、神がいるからこそ世界があるのだということを──」
「神官長、それくらいにしてくれるかしら。興味のない人にその説教は拷問よ」
実務の人なので忘れがちになるものの、神官長のおっちゃんもしっかり敬虔な神の使徒なのである。
◇ ◇ ◇
「少し理解できた気がします。奇跡の力が神の力を導くものであるならば、奇跡の才能とはいかに上手くそれを成すかということなのですね」
ところ変わって帰りの馬車の中。
エレナはしみじみと己の所感をまとめてくれた。
「つまり、アヴィナ様はその才能において突出していると!」
「……ええ、まあ、そういうことになるのでしょうね。
わたしが人より体力に秀でているとはとても思えないもの」
MPのたとえで言えば、実際は俺もラニスも最大MPに大した違いはない。
なのに癒せる人数に差がでるのは、俺のほうが奇跡を用いる際のMP効率が良いからだ。
「奇跡も魔法と同じで、使っていくと慣れてくるみたい。
初めての頃よりも疲れにくくなっていると思うわ」
「神の力を導くことに最適化されている……と」
なるほど、と頷くエレナだが──それちょっと怖くないか?
技術的に洗練されているだけならいいが、肉体や精神が『最適化』されているのだとすると。
最終的に、神の力を導くためだけの装置になり果てた自分を想像してげんなりする俺。
……でもまあ、そんな心配はいらないのかもしれない。
神に似た姿ほど奇跡が得意と言うのなら、神様に似てくるだけの話かもしれないし。
ラニスやセレスティナが今以上に可愛くなるなら大歓迎だ。
女っぽくなった神官長とかはあんまり見たくないが。
ん? でもそう考えると、魅力ステータス的に上限のはずの俺はいったいどこが神様に似てくるんだ?
見た目は既に聖職者が間違えるレベルなわけで。
「神様のお力だもの。あまり深く考えても答えは出ないものなのかもね」
考えるほど怖くなってくるので、俺は考えるのをやめた。