第三王子の婚約者候補 アヴィナ -2-
「申し訳ございません、ウィルフレッド殿下。……ご訪問日を間違えてしまいまして」
ヴァルグリーフ辺境伯令嬢ことフラウ・ヴァルグリーフは部屋を訪れると優雅に一礼した。
嘘つけ絶対わざとだぞ。
「いや、気にしないでくれ。アヴィナも同席していいと言ってくれたから」
「まあ、それは。ありがとうございます、フェニリード公爵令嬢様」
殿下、それは歓迎って意味じゃないんですよ。
思いつつも、俺は「こんな形でお会いすることになるとは」応じた。
向こうは俺より先に顔合わせが終わっている。
俺が強硬に「失礼だ!」と騒ぎ立てれば、温厚な王子はこちらを「気難しくて面倒な令嬢」、フラウを「軽い失敗で怒られた可哀そうな子」ととらえる。
同席を許可する以外に選択肢はなかった。
「これで、ヴァルグリーフ辺境伯令嬢さまとは殿下の婚約者候補同士、ということですね」
「ええ。よろしければ、これからはフラウとお呼びくださいませ」
「では、わたしのこともアヴィナと」
「ありがとうございます」
貴族がファーストネームを呼び合うのには信頼や親愛の意味がある。
周囲からは友人と見られるだろうが、ここで突っぱねたら印象が悪くなる。
このやり取りを見た王子様は「二人は仲が良いんだな」とほっこりしていた。
「ところで、わたし、フラウさまのドレス姿は初めてです」
「ああ、普段は制服ばかりですものね」
放課後や寮内はドレスでも構わないのだが、着替える手間もあるので制服で通す生徒がほとんど。
初めて見たフラウの装いはライトグリーンの軽やかなドレスだ。
膝下丈のスカートはボリュームを抑えてスリットを入れつつ、裏にレースを加えて清楚な印象に。
色合いは緑色の彼女の髪・瞳にもぴったりで、
「春らしい活動的な装いですね」
「ええ。私はこういった動きやすい服装を好んでいるのです」
「意外です。セレスティナ様とは方向性がずいぶん違うのですね」
「服の好みは人それぞれですもの」
参加者が増えたので、俺たちは丸いテーブルで三角形に座った。
供された紅茶の香りを優雅に楽しんだフラウは、
「幼い頃からの習慣で、常に動ける状態でないと落ち着かないのです」
ひょっとして意外と話が合うのか?
「辺境伯領での暮らしはこちらとずいぶん違うのでしょうね」
「それはもう。我が辺境伯領は大部分が草原を占めておりますので」
俺の脳裏に、どこまでも広がる草原が浮かび上がった。
「都でお生まれになったアヴィナ様とは育ち方も異なるのです」
「では、草の上を駆け回ることも?」
「もちろんです。転んで泣いて、父や兄に叱られることもしょっちゅうでした」
菓子を味わいつつ聞いていたウィルフレッドが「想像できない」と呟いた。
「アヴィナ、今のフラウはとても綺麗な令嬢だろう?」
「そうですね。ですが、わたしは少しフラウさまを羨ましく思います」
「羨ましい、ですか?」
辺境伯令嬢は意外そうに小さく首を傾げて。
「ええ。だって、わたしは都の外の世界を知りませんので」
都生まれのセレスティナなども似たようなものかもしれないが、
「ああ。……アヴィナ様は元孤児でいらっしゃいますものね」
「孤児? アヴィナが?」
目を丸くした王子様がじっと俺の手を見つめる。
魅力チートを持つ俺の肌は白くて染みも肌荒れもない。
「それも想像できない」
「親切な方に次々拾われていま、ここにおりますが……二歳の頃には親もなく、路地裏を彷徨っていたのですよ?」
僅かに、フラウの眉が下がった。
「辺境出身の私よりも過酷な環境ではありませんか」
「そうですね。だから──風や草のにおい、どこまでも広がる空が羨ましいのです」
前世でそれを知っている『アヴィナ』には自分も生で知りたい、という欲求がある。
今世での野外と言えば、兵士たちの治療で門の外に出た時だけだ。
「外の世界はそれほど良いものではありませんよ。
魔物が徘徊していることもありますし、冒険者崩れの野党が出ないとも限りません」
「辺境伯領ではどのようにしてそれらの脅威と戦っているのですか?」
「辺境伯家の兵と、都から派遣された騎士が協力して防衛にあたっております。
私の父も兄も、みな騎士です」
「内の脅威に対処しつつ外の脅威に目を光らせる……。立派なお役目だと思います」
フラウは、深く「はい」と頷いて。
「私は父たちを尊敬しています。ですから、敵は叩き潰すものと信じております」
保守派とは相いれない宣言──同時に俺への宣戦布告。
「……フラウはいつもそう言う。戦いなんて怖いのに」
「殿下にはまだ難しいお話ですよね。もう少し楽しいお話をいたしませんか、フラウさま?」
「いいえ。ウィルフレッド様も王族であり、男子である以上は強く在らねばなりません」
俺の提案を、辺境伯令嬢はあっさりと退けて。
「せめて、私に剣で勝てるようになっていただかなければ」
「剣? フラウさまは、剣を振るわれるのですか?」
くすりと、俺の問いを受けて笑った。
「幼い頃は毎日のように振っておりました。今でも定期的に鍛錬しております。
……意外でしょう?」
「いいえ、そのようなことはございません。
わたしも少しだけ姉に教わっていましたし」
「アヴィナが剣を振るところは想像できない」
自慢できるような腕じゃないしな……!
「……剣の心得がおありだとは思いませんでした」
「本当に、少し経験がある、程度のものなのですよ」
「それでも、少し興味が出てまいりました」
令嬢らしいおしとやかな仕草と、毒を混ぜた言動。
小細工してくるとばかり思っていた辺境伯令嬢は、好戦的に唇を歪めて。
「一手、お手合わせ願えませんか、アヴィナ様?」
「……ええ、フラウさまがお望みであれば」
「待ってください、ご令嬢が剣の立ち合いなど!」
俺の返答にメアリィが慌ててと口を挟むも、
「怪我をなさったらどうするのですか! それに、服もございません!」
「大丈夫よ、メアリィ。こういう時のための制服でもあるもの」
肘から先の袖を外し、二重になっているスカートの内側、一枚目だけを脱ぐ。
これだけで随分と身軽になる。
ついでに、
「エレナ? ナイフかなにかで側面を少し裂いてちょうだい」
「かしこまりました。……ですが、何故乗り気でいらっしゃるのです?」
「だって、こんな機会そうそうないもの」
向こうから剣の手合わせを挑まれたんじゃ仕方ない。
運動用の服を用意してないんじゃ仕方ない。
多少ドレスを改造しても不可抗力だ!
仮面の下でにやりと笑った俺は、城の庭でフラウと対峙した。
お互いの手には子供用の木剣。
「アヴィナ様。仮面は外さなくてもよろしいのですか?」
「ご心配なく、簡単には外れませんし壊れません。
念のため、顔を狙うのは避けていただきたいですけれど」
「それはもちろん。お身体に傷をつけないよう注意いたします」
護衛や王子のお付きたちも「婚約者候補同士の立ち合い」に困惑した様子ではあるものの。
王子が剣に興味を持つかも、と思ったのか強く止めては来なかった。
審判役として騎士の一人が立ってくれて、
「始め!」
俺は、ものの数秒であっさりと負けた。
強くはないという俺の発言をフラウは謙遜だと思っていたのか。
本人も「しまった」という表情を浮かべながら──木剣の先で俺の左腕を擦って。
擦り傷からの軽い出血。
メアリィが悲鳴を上げて卒倒しそうになり、エレナに抱き留められた。
後の彼女いわく「辺境伯令嬢様に本気で憤りを覚えました」とのことである。